第16話 喫茶「アマリリス」
時刻は十二時三分。
ツッコミ疲れと丁度お昼をまわった時間の同時攻めでお腹の虫が鳴きそうな状態だった。いや、むしろ悲鳴に近い物を上げるかもしれない。僕は自分のお腹事情を白刃さんへ打ち明ける。
「白刃さん、いい時間だしお昼に行かない? お腹が空いたというか」
「あら、もうそんな時間でしたね」
手首に付けている腕時計を見て彼女は同意する。シックなデザインで学生が付けるには高級感でバランスが少しちぐはぐになりそうな、品のあるように見えるその時計はそれでも落ち着きのある彼女に似合っていた。譲りものかな。
「私としたことが、楽しくてつい時間を忘れておしゃべりしてしまいました」
「そ、そっか。けど僕もお腹の虫に知らされなかったら、気付かなかった気もするよ」
「虫の知らせを鳴っているところを聞き届けても?」
「恥ずかしいです、だめっす」
「残念です」
お腹の音聞かれるなんてかなり恥ずかしい。もしかしてあなたの笑ったところを見てしまった事へのささやかなお返しなんでしょうか……?
残念そうな素振りなんて一切見せず落胆の言葉を吐くその姿こそ、ちぐはぐ感が満載だった。口下手ならぬ、顔下手? 仕草下手?
たまーに距離感がおかしい言葉選びをしてくるのは、彼女なりの冗談であることも僕は少しずつ知ってきていた。
「冗談はさておき、お昼は何が食べたいですか?」
良かったよ、ちゃんと冗談で。
「うーん、何でもいいって言ってしまうのは味気ないよね。何か食べたい気分であることは間違いないんだけども……」
「そうですか、では私の我が儘を聞いてもらうというのは選択肢にありますか?」
「えっ、わがまま!? 良いよ! 僕が聞けるものなら言ってくれて!」
白刃さんから何か頼まれるというのは、今まで一度だけ。オムライスの時だけだ。それ以外の時はいつも僕が話を聞いてもらったり頼んだりすることが多い。今日もそうだ。
だからそれに報いられるのなら、僕は彼女のわがままをいくらでも聞きたいぐらいであり、二つ返事で答える。
「お昼は、私が言っていた喫茶店に行きませんか?」
「あ、そういえばまだ探せてなかったね! どこら辺にあるとかは知ってる?」
「記憶が正しければ、この辺りなのです。けれども、憶えていたはずの場所に来たら小さい頃の景色とは変わってて、見当たらなくて……」
彼女の言葉が途切れる。普段の凛々しさがどこか遠い姿に、僕まで悲しい気分になる。
そんな寂しそうな目もできる人だったのかなんていうのは失礼な話だけども。初めて出会った時より、憂えている姿を見て心を揺さぶられる。
何とかしてあげたいと言うのは、傲慢だから。
できることがしたいと、そう思った。
「大丈夫! 白刃さん、探そう!」
「……言ったのは私ですが、本当に無くなっているかもしれませんし、お昼はまた別のところでも食べられますし」
「わがままって言ってたけど、白刃さんがこの話をわざわざお昼に持ち出してきたってことはそこはご飯が美味しかったりするんじゃない?」
「……はい。パスタも、サンドイッチも美味しいです。美味しかったです」
「おお! それは気になる! あなたがそういうなら僕は食いつくよ、分かってて言ってたでしょ!」
「そういうわけでは……いえ、そうではあることは間違いないのですけれど。あきと君が好きそうで喜んでくれそうなメニューがあるお店ですから、紹介したかっただけなんですけれども」
「尚更行こう、探そう! ちょっと歩き回れば、僕のお腹の虫を聞くこともできるかもしれないしね!」
自虐を、なんとかジョークに持って行った。皮肉を楽しむセンスも多分僕には必要だ。というより普段が卑屈すぎるからそっちにしか冗談の方向性を持って行けないだけの凡人と表す方が正しい、かな。
そんな冗談を聞いた彼女は、手を口元にかざしながら笑い始めた。「ふふふ」といつもの落ち着いた笑い方ではなく、笑う声が言葉に乗ったかのように。
「あきと君、ええ、私も虫さんの声が聞いてみたいですから、我が儘を聞いてもらうことにしましょう、はい」
口元を隠しているから本当に微笑んでいるかどうかは見えない。
けれども確実に笑っているということが分かる要素は二つ。
一つは普段聞くことがほぼないと言えるぐらい楽しそうな声色。
もう一つは目の色。僕は彼女が笑っているとか、そういう判断を付ける時にまず見るところがそこなのだが、今の目は笑っているというよりは、喜んでいるに近い気がした。
何となく、嬉々としたような。そう感じる目の色だった。
皮肉が通じるっていうのは、楽しいんだな。
「はは、本当は恥ずかしいけどね」
「私の恥ずかしいところを貴方はたくさん見てますから、おあいこですよ?」
「……待ってよ、僕何回白刃さんの笑ったところ見たか覚えてないよ!? 僕の恥ずかしいところどれだけ見せたら清算できるの!?」
「さぁ、一生分は見せないとだめかもしれませんね」
「学生にしては借金重くないっ!?」
「長い付き合いをすれば軽く感じますよ」
「100キロを1キロずつ担げばみたいな話してるけど、結局担ぐの僕一人だからね!? 100キロ担がないといけないのは変わらないよね!」
「私も居ます、2キロずつです」
「女の子を人生に付き合わせるのは申し訳ないかなぁ!」
ご飯食べましょう、ちゃんとご飯を食べないともうツッコミ燃料切れです。
脳内で警告が鳴り響き、腹の虫も呼応するかのように鳴り始め、ぐぅと情けない声を上げる。
間違いなく、目の前の女の子に聞かれたことを確信した。
音が鳴り止んだタイミングで、彼女の目が笑い始めたから。
「ほら、1キロ清算できましたよ。返済に向けた第一歩です」
「ありがとう、今後も虫さんと仲良くすることにしますよ! というかもう行こうよ! お腹空いた!」
色んな意味であったまった熱を振り払うよう、ずんずんと足を進める。けれども気付く、そういえば僕は喫茶店のことを何も知らないことに。
情けなく白刃さんの方へ振り返った。
「えっと……なんていうお店……?」
「分からないです」
「あ、そうなんだ……」
「あれをなんて読むのか、分からず仕舞いで。英語でAから始まる名前だったのですが、憶えているのは本当にそれぐらいで」
「Aから……か」
「店員さんとも仲良くできるぐらい温かな雰囲気の場所で、広さは個人店ぐらいで」
「ふむふむ」
「お母さんがそのお店の人と友達だったからよく連れて行ってもらったんです。『ここは楽しくおしゃべりできるから好き』とも言ってて、家に居る時より話していました」
「おしゃべり……居心地の良いお店だったってことかな」
「はい、私にとってもそうでした」
聞きながら僕はスマホをポケットから取り出し、検索する準備を始める。
「何か、他にも憶えていることある? 例えばお店の外観とか、あとは定番メニューや看板とか」
「外観は、洋風でした。定番は確かサンドイッチで、色々種類がありました。看板は……丸かったような、尖っていたような」
「尖っていた?」
「曖昧でごめんなさい。お店の入り口に掛けられていたその看板は、どちらも混ざっていた形状をしていた気がして」
「……ふむ」
思い当たる節、というほど核心では無いけれど似たような物を見たことがある気がした。デザインとしてそういった形はありふれている。ただ大事なのはそこではなく、尖っていたという形を白刃さんが憶えていることだ。つまりその尖りは、丸の形に逆らうようにあったという事。デザインとしてある尖りなら、意味を持ったパーツであり、何かを表現しているのかもしれない、と。
「その尖っていた形って、お花みたいだった?」
「っ! お花でした!」
彼女は僕の言葉に大きく反応した。ここまで大きな声を向けられたことは、初めてだったけれどその驚きに気を向けるのはあと。今は掴めた糸口に集中する。
「Aって、大文字だった?」
「はい、大文字でした!」
「……『A』か。アキレア、アネモネ、アデニウム、アンスリウム、アルストロメリア、アスター」
『ア』から、さらに言えば『A』から始まるお花の名前を順番に唱えていく。するとその途中で感嘆したような声が聞こえた。
「すごい、お花に詳しいのですね」
「え、あ、まぁね……。親からの影響って感じで」
「それでも、名前がすらすらと出てくるのはすごいです。いえ、そんなことより今私はあきと君の言葉をよく聞かないといけませんね、何か引っかからないかと」
「ちなみに、今出した名前で引っかかる物は?」
「ごめんなさい、これと確信が持てる物は無くて」
「うーん、そうだよね。虱潰しは得策じゃないもんなぁ。何か他にもヒントになる要素があると良いのだけど……」
うむむと唸る。そんな僕を見て彼女は申し訳なさそうに言う。
「思い出せなくて、ごめんなさい」
それは、僕への謝罪にして仰々しかった。
「え? いやいやこういうの楽しいよ、謎解きしてるみたいで。ゲームの探索って感じで、これを乗り越えた先に見える景色は絶対達成感あるよ」
「……そう考えたら、確かに楽しいかもしれません」
「だよね! 一緒に言葉を交わし合って、情報を洗練していく感じが僕は好きなんだ!」
ついついオタク気味な話を振ってしまった事を一瞬後悔する。けれどもそんな僕を見て彼女は微笑みながら噛み締めるように呟く。
「そうですね、おしゃべりは楽しいし発見もあります。今日あきと君と一緒に出掛けなければ、ここまで思い出せなかったかもしれませんし」
「あはは、確かに白刃さんみたいなクールなおしゃべりさんは……」
ふっと、何かが通った。蜘蛛の巣のように広がっている糸が通りがかった何かに反応するように、引っかかる。
「あきと君? 私がどうかしましたか?」
「おしゃべりさん……おしゃべり……」
彼女は不思議そうに僕の目を覗いてくる。途中で話題をぶち切る僕に対して正しい反応だ。けれども引っ掛かりを無視できないのは、網にかかった餌に飢えているからだろうか。
おしゃべり、話す、言葉、ことば、花、はな……。
花言葉、おしゃべり。
「あっ、まさか、ああ!」
空に叫んだ。だって目の前の人に叫ぶわけにはいかない。まだ確定ではないから。
「あ、あきと君?」
「白刃さん! 《《アマリリス》》! アマリリスじゃない!? Aの次はm・a・r・y・lって続くあれ!」
「あ。ア、アマリリス、です……」
じんわりと記憶と言葉が繋がっていくように復唱している。そしてそれは次第に確信に変わり、彼女は丁寧なオウムのように返してきた。
「アマリリスって、言ってました……!」
「調べるよ!」
「はい!」
スマホの地図を開き、周辺検索で「アマリリス」と打ち込む。
ヒット。ホームページとかがあるような大袈裟な店ではない、こじんまりとした洋風の外観。レビューはほんの少しだけ、サンドイッチが美味しいという星4の控えめに見える感想のみ。
入口にある看板は、円の土台に重なるように、アマリリスの花が咲いていた。
「ここです、ここですあきと君……!」
「見つかったね! ゲームクリアだ!」
「はい、長い道のりでした……!」
僕にとっては、昨日聞いたばかりの浅く短い道のりのゲーム。しかし彼女にとっては、そうでなかったようだ。ずっと昔の思い出の場所、それを見つけることができた喜びはきっと代えがたい物のはず。
僕のスマホを覗き合って自然と距離の近い彼女の目を見るとその喜びの奥に、涙が見えた気がした。