第12話 帰り道
自宅は学校から徒歩二十分弱の場所にある。
本当なら自転車通学の方が行き帰りも早いけど、実家から自転車を持ってきておらず、初期費用を抑えるためにも自転車の購入は見送ったので通学は徒歩だった。スーパーも通り道にあるし、これぐらいの距離なら歩きでも問題ないと見ていたけど、この地域をまわる時の足は欲しいなと感じていたから節約で浮いた食費をあてて再来月ぐらいに買おうかな。
そういえばそろそろ調味料のストックが無くなってきていたな。一気に買うと重くなるから少しずつ買って行こう、スマホのメモを開いてと。
あ、あと本も新刊をチェックしておきたいな。残念ながら帰り道に本屋は無く、電車で一駅ほど離れたところにあるショッピングモールが一番近場だ。広めで品ぞろえは良いから、そこは文句が無い。今週末にでも行こう。
うん、あれとこれとそれと、今考えられる予定はほとんど出し尽くした。
そうなってしまうと、今起きている出来事にしか目を向けられなくなる、いや向けざるを得ない。
夕焼けはかなり落ちて、空がほんの少し深い青で薄暗く感じる帰り道。隣で並んで歩いているクールな女の子へ、僕は意識を戻されることになった。
帰りがけの下駄箱で、彼女から言われたお誘いに僕はしどろもどろで答えてしまった。時間的に見てもかなり遅いし、ちょっと暗いし、僕は徒歩だし、白刃さんとは方向違うかもだし、やらなんやら。
「男の子が、あきと君が居てくれるから安心するのですよ。それに私も徒歩です。途中まで一緒にどうですか?」
僕の発言を全て聞き終えてから、彼女は疑問を解くよう丁寧に返答してくれた。異性にそこまで気を許してしまうのも、少し危なっかしいんじゃないかなとか、けど男冥利な事を言ってくれるなとか、心配や幸福が混ざってごちゃごちゃした脳内ではあったけれど、彼女の冷静な言葉で慌ただしさは無くなり「はい、分かりました……」と答えた。
そう答えてしまったから、白刃さんは今隣に居る。
沈黙。僕の頭の中は騒がしいけれど口は全く動いていないおかげで二人の間は静かな空気が流れていた。
ただ気まずさみたいな物は、彼女からは感じなかった。僕は一人で勝手に緊張して気まずくなっているけど、相手は落ち着いている。
学校から出て三分ほど、方向は同じみたいで迷いなくお互いの帰り道を進む。何を話そうかという迷いが先ほどの予定整理の思考に向かったけど、整頓できてしまった頭の中をまた取っ散らかしてもう一回整理整頓をしようなんて自作自演はさすがにやらない。
なら何を話すか。今日の出来事から選べば、話題としても無難なはず。となればお互いに共通した物がまず間違いなく一つあった。
「あの、白刃さん。今日は本当にありがとう。すごく美味しかった」
「こちらこそです。あきと君のもとても美味しかったですよ。料理上手ですよね、普段から作るのですか?」
「そう……だね。洋食ばっかりだから白刃さんの作るご飯は本当に美味しそうで、憧れるよ」
「なるほど、食べてみて分かりましたが、あれは確かに洋食屋さんに引けを取らない業でした。星百個です」
「僕の料理が三ツ星レストラン三十三個作れちゃうレベルなわけないじゃん!?」
「お釣りの星すら私には届きません」
「んなわけないじゃん! 天ぷらには敵わないよ!?」
動転してついカズにツッコむようなノリで話してしまった。発端はカズだったわけだし、彼で始まり彼がまだ関わっている気すらする。
しかし僕のツッコみなど気に留めず、むしろ嬉しそうに彼女は続ける。
「そんなことありません、あきと君はすごいです。私は慣れている和食ばかり作ってしまうからあんなお洒落なご飯はできなくて」
「て、天ぷらはオシャレ以上の凄味があったよ! なんていうかあれこそ熟練の業って感じで、和食屋さんをやっていけるレベルですごかったよ!? ホント、習いたいぐらいなんだ、和食は大好きだからさ!」
僕の自虐を徹底的に持ち上げてくれるような褒め方に、早口で返してしまっていた。
「嬉しいです。そこまで言ってくれるのであれば、今度教えましょうか? それとも作りに行きましょうか、あきと君の家まで」
「ええっ!?」
一人暮らしの男の家に上がり込む!? いや、それはさすがにまずいって!
「し、白刃さん!? あなたみたいな綺麗なお方がそういうこと言うと男はすぐ勘違いしてしまえるんだから! だめ! めっ!」
動揺してずっと昔、母親に言われたような叱り方を同い年の子に向けてしまう。
「ふむ……月見里君がおかんと言っていた理由が分かる気がしますね」
「やまなし……? ああ、カズのことね!」
カズは「月見里」と書いて「やまなし」と呼ぶかなり珍しい苗字だった。初見で普通に「つきみざと」って呼んでしまうだろう。実際そっちで読む家系も居るぐらいのマイナー苗字だ。
由来はお月様を見る時には山が無い里、土地であるとさらに景色が良いからという「山無し」から来ているとか。そうカズから教えてもらった。
「クラス名簿見た時すっごい神々しい苗字居るなって思ったよね。カズ以外にも数人居たし」
「そうですね、私達のクラスはかなり少数派な苗字の子が集中していますよね。雅楽代さんとか神来社さんは神々しく感じます」
「振り仮名の無い名簿だったら絶対読めなかった気がするよ」
「私もです、月見里君はどれだろうと思いましたし」
「……ん? どれっていうのは?」
「ああ書いて『すだち』とも読めるらしいのです」
「んん!? あれで!?」
「はい、その読み方はどの由来が正解なのかも分からないぐらいあやふやで珍しい読み方だそうです」
「よ、よく知ってるなぁ……!」
「調べただけですよ」
「う、うたしろさんとかからいとさんの事も?」
「調べましたね」
「すごい……! じゃあ僕の席から二個前に居る男子ってさ――」
物知り白刃さんに、クラスの読み方難しい苗字ベスト3を決めるため僕は聞きまくった。それに丁寧に答えてくれるものだから嬉しくなってさらに話が盛り上がる。
そんな帰り道を過ごしていたら、あっという間に自宅であるマンションの前まで着いてしまった。
この時間が終わることを寂しく思いながらも、また明日会って話せると振り切ってしまおう。それがクールな考え方だと思ってね。
「白刃さんごめん、僕家ここなんだ。また明日話しても良いかな?」
「はい、トップ3は明日にはもう決まるでしょうね」
「あはは、確かに決めたいね。それじゃまた明日!」
手を振ったあと体はそのまま振り返らず進み、一階にあるポストを覗く。チラシ程度で特に大事な郵送物は無かった。それを確認してエレベーターに向かおうとすると、なぜか白刃さんも隣に居た。
「あ、あれ? 白刃さん? 僕の家に大したものは無いよ……?」
「ずっと迷っていました」
「え?」
「あきと君に言うべきか言わないべきか。お互い一人暮らしと言ってしまった手前、下手に干渉できてしまわないよう本当は秘密にしておくべきなのかもしれませんが」
鞄を持っていない空いた手を伸ばし、ポストにあるそれぞれの家の名札が付いているところへ指をさす。
「あなたにはもっと情けない姿も見せていますし、これぐらい誤差です。そう思う事にしました」
指した部屋番号、604。あった名前は。
『白刃』だった。
「あ、あの白刃さん」
「はい、なんでしょうあきと君」
「手を、振ったじゃないですか」
「はい、『また明日』と言ってくれましたね」
「めっちゃ恥ずかしいんで、やり直しません?」
「え、嫌です」
「なんで!?」
「やり直したら恥ずかしがって言ってくれないんじゃないですか?」
「そうかもしれないけど! そうであるかもしれないけど!」
「じゃあ嫌です。あの『また明日』は永久保存です」
「賞味期限一日しかない物を!?」
「冷凍します」
「食べる気ないよね!?」
「鑑賞して楽しみます」
「クールジョークなんだよね! そうなんだよね!? 僕の心を真っ赤にしたあと真っ青にしたいっていう遊び心なんだよね!?」
「冷たい冗談、良いですね。氷冷は冷やすためだけなら効率が良いみたいですよ」
「火照った心を冷やすためだけに!? 溶けたら水が出てくるような氷を!?」
「はい、持って来ましょう」
「茶目っ気あるんだね白刃さんって!」
「それほどでもありませんよ」
謙遜するタイミングが分からない! そこも含めて楽しんでいるよこの人!
だって! だって顔は真顔だけど!
目が笑ってる!
わっちゃわっちゃ、どっちもうるさいというより僕だけ、男子高校生一人が騒がしいマンションのポスト前広場が今日一番熱くなった場所だった。もちろん、精神的な意味で。
部長とのジョークの交わし合いに巻き込まれショートした時より、オムライスに喜んでいる目を見てドキッとした時より、天ぷらを振る舞われ嬉しくなった時より、一緒に帰ろうと思いがけない提案をされた時より。
熱かった。
というか熱くなる機会が多すぎて僕の脳内は壊れかけだと思う。多分それを気遣って彼女は冷やすだけなら効率の良い氷冷を持ち出してきたのかな。だとしたら最高にクールだ、粋な計らいだ、どうかその程度で許してほしい。僕が付いていけないです。
カズもまぁまぁだが、それ以上に振り回された気がする濃密な一日を過ごしたのだった。