8.5話 三年前の話
今回はアンシェル視点なので、話数が半端です。
私の名前は、アンシェル・デルフィーン。この国の海軍元帥の嫡男にして、国の最高学府に所属する言語学者の末席に名を連ねる者である。
この国の言語はとても珍しい。日々進化を続けているのだ。
数年前に流行った言葉も、すぐに「死語」として扱われてしまうのだ。
今まではそれが当たり前の事だと思っていたのだが、「成長する言語」という論文を目にした事により私は言語学へと興味を持ちその道に進む事を決めた。
確か7歳の頃の事だった。
今は海軍元帥の父も、その当時は海軍提督だった。
長い航海を終え帰宅した父に、私は自分の進むべき道を見つけた事を報告した。そして、同時に軍人にはならないことも告げた。
デルフィーン公爵家の伝統でもある海軍に入隊しないことで父を失望させることが申し訳なかったのだが、私は言語学に魅了されてしまっていたのだ。
叱責されることも覚悟していたのだが、意外にも父はすんなり認めてくれた。
「爵位を継いでくれるのならばそれでいい」と言うことだった。
そして、父の口から「一王家五公爵家」の話を聞かされたのだ。
「───五代前の当主の代から海軍元帥を務めてきたが、そろそろデルフィーン家は一歩引くのが頃合いかと考えていたところだ。アンシェルが学問に興味を持ったのは天啓なのかも知れないな」
父から初めて、この国の裏側の一面を聞かされた瞬間でもあった。
「アンシェル、来年の社交シーズンからはメイス導師の学舎に通いなさい」
社交シーズを終え、私と母は先に領地へと戻っていた。国の要職に就いている父は、毎年遅れて戻ってくる。
戻ってきた父に早速その話を持ち掛けられた。
「メイス導師」は国立図書館の館長のことであり、図書館の蔵書全てを読破しているという逸話を持つ人物のことである。
───確かに以前図書館で目当ての本を探している時に、手助けしてくれた初老の男性の職員がいた。探したい本の内容を少し話しただけで、すぐに案内してくれたのだ。
後日、この時の男性がメイス導師だったと知ったのだ。
「学舎」とは、国立図書館に隣接しているメイス導師の私塾のことである。
とは言っても、この私塾は毎年開かれている訳ではなく特別な条件を満たしたときだけ開講するのである。
しかしながら、このメイス導師の年齢は一体いくつなのだろうか?
聞けば祖父たちの代にもメイス導師の私塾は開かれていたようなのだ。
「私が学舎に、ですか?」
「ああ……レムロード殿下が、希望されている」
普通のこの国の貴族の子供は、それぞれの保護者の雇い入れた家庭教師によって教育を施される。
しかし、王族の───王子が希望した時に限り、メイス導師の私塾である学舎が開かれるのだ。その期間は1年と短いものだったが、この期間に王子とその側近候補の上級貴族の子弟が同じ学び舎で教育を受けることになっていた。
将来の王と側近が、同じ知識を同じ教育者から受けることに意味があるらしい。
だが現王の時はクリゾンテーム、ダンドゥリオン、アバローン公爵家の嫡男の歳が若かったために特別に数年後にもう一度私塾が開かれたという。
「確かレムロード殿下は、13歳でしたか?」
「年が明ければ14歳になられる、丁度いい頃合いだ」
私とティグルは、来年17歳。ライナスは13歳───ライナスにはまだ少し早い気もするが、彼はなかなか聡明な子供なのでなんとかついてくるだろう。
ダンドゥリオン家には確か6歳になったばかりのご令嬢が一人のみなので、今回の私塾には参加しないはずだ。
アバローン家は、長男がまだ独身で家督も継いではいない状態だった。
「前例のないことなのだが……」
一度言葉を切ってから、父は私に告げた。
「レムロード殿下の希望により、今回の学舎は三年間になった」
「……………………本当に?」
将来の国王が勉強熱心というのは、一国民としてはありがたいし、将来の不安も少なくなる。
しかし、それはあくまでも一国民としてである。
現在の私は父の雇ってくれた家庭教師によって、一般教養からマナー、万が一のための剣術・体術なども一通り学び終わっているのである。そもそも国の要職には就かないことになっているので、本来はメイス導師の学舎に通う必要はないのだ。
なによりも学舎に通うことにより、言語学の研究が三年もできないことが不満であった。
無理を承知で、父に抗議してみた。
「アンシェルの参加も、殿下の希望なのだ。
『将来の家臣の一人としてではなく、幼馴染みの友として一緒にいて欲しい』と仰られていた。殿下ご自身も子供でいられる期間がもう残り少ないとわかっていらっしゃるのだ」
そして、父からは「学舎に通うなら」と条件も提示された。
「ダンドゥリオン公爵の図書室の閲覧許可を一週間もらった」
その条件に釣られた訳ではないが私は私塾に通うことになり、社交シーズンが始まる前にダンドゥリオン公爵領を訪問することになった。
故ダンドゥリオン公爵は、28歳と言う若さで夫人と共に馬車の事故で亡くなっていた。今から三年前のことである。
遺されたのは、当時3歳になったばかりの一人娘のアルメリア嬢。
爵位は一度、前公爵に戻されたのだが───これはかなり特別な措置であった。
アルメリア嬢が成長し、婿養子をとれる年齢になるまでの一時的な手段らしい。
その亡くなった元公爵の趣味が読書であり、かなり貴重な本も収集していたらしいのだ。領地の屋敷の中の図書室には、私にとって喉から手が出るほど欲している本が大量に納められているはずなのだ。
何しろ「成長する言語」という論文の発表者は、故ダンドゥリオン公爵その人なのだから。
私はこの時の訪問で初めて、アルメリア・ダンドゥリオン公爵令嬢と出会った。
6歳のアルメリアは、癖のない輝く銀糸の髪に紫水晶の大きな瞳の美少女だった。
そして、その年齢にそぐわない大人びた悲しみの表情を持っていたことが印象的だった。
この時の私は、まさか自分よりも10歳も年下の少女に、三年間も求婚し続けることになるとは夢にも思っていなかった。
* * * * *
時は流れて、三年が経っていた。
そして、メイス導師の学舎での勉強は今年で四年目を迎えることになっていた。
昨年起きた「ルキャナ・ランプロア事件」の影響で、この年の勉強が殆ど進まなかったせいである。
メイス導師からの申し入れで、一年延長されたのだ。
この一年を乗り切れば殿下は来年には我が義妹との婚礼の義が待っているので、やる気がみなぎっている。
私としてもコライユが幸せになるのは心から願っているのだが───
この私がすでに三年も求婚しているのに(彼女が私を選ぶつもりである事もわかっているのに)、何故か首を縦に振ってくれないアルメリアの真意を測りかねている状態だった。
つい波紋を追加したくなってしまったのだ。
「実は……アルメリア・ダンドゥリオン公爵令嬢は─────────」
「コライユと同じように、我々が今までに見た事のない例の4つの文字を使うことができるみたいなんだよね」
お義兄様による爆弾発言です。
この人魚姫のお話は3話位で納まる様に書いていたのですが、アンシェルの登場で長引きました。
もう少しお付き合い頂ければ幸いです。