5話 王子様の思惑
コライユは現在、城を出てデルフィーン公爵家のタウンハウスで暮らしている。
あの事件の後───事後処理に追われていた私の隙をついて、コライユは公爵家に連れていかれてしまった。
その日の夜に速攻だ。
流石は海軍元帥、素早い行動に完敗だ。こんなに早く動くとは、私の誤算の一つだった。
「もう、コライユの部屋はできているので不都合はありませんわ」
アンジュ様も、いつの間に?
混乱している王城で生活するよりも、公爵家で保護されていた方が安全であるのは確かなのだが───
コライユに自由に会えなくなってしまった。
あのパーティーの直前に、コライユとデルフィーン公爵家の養子縁組を強引に推し進めてしまった結果だ。
まさかあの日、あれほどの大事件になるとは私も想像していなかったのだ。
ランプロア嬢の嘘を暴き認めさせ、婚約の話をなかったことにしてコライユと婚約できれば一番なのだが───万が一、認めなかった場合にはコライユには第二妃となってもらうつもりでいた。
その為の布石としてデルフィーン公爵家との養子縁組を急いだのだが、公爵家は親権を主張してコライユと私を引き離したのだ。
もう一つの誤算はこの公爵家が、私の想像の遥か上へ行くほどコライユを気に入ってしまったことである。
義理の兄になるアンシェルも、すでにコライユを妹として甘やかしはじめているらしい。
アンシェル自身は、家督は継ぐものの研究者としての道を自ら選んでいて国務には関わらない。
だからこそ、コライユを養女にしてもこの一族が過度の権力を持つことにはならないので、この家との養子縁組が望ましいと思っていたのだが───
アンシェルは言語学の研究者だった。
コライユの使う4種類の文字にも俄然興味を抱いたらしい。
鉄壁の防御が、私とコライユの逢瀬を阻んでいた。
婚約者としても立場を持ち出してみるが、
「きちんと告白し、求婚なさってからのことでしょう?」
とデルフィーン公爵夫妻から駄目出しを受けた。
「求婚はしたが、まだ返事はきちんともらっていない」
そう伝えると、母上である王妃からは無言の溜息を頂いた。
国王陛下からも「婚約は認めるが、正式な披露目は来シーズンの初めに行なう」と控えめながらも指示されてしまった。
私とコライユの事に関しては、父上には殆ど発言権がないのだと母上が仰っていた。
この決定すらも今回のシーズンを大事件で締めくくってしまったようなものなので、次のシーズンの最初を華々しいもので幕開けにしたいという母上の意向を受けてのことらしい。
その上デルフィーン公爵一家からは、来月には領地に戻ると報告を受けていた。
「うちの娘には療養が必要です」
そう言われてしまっては、反論の言葉もない。
何しろ、私たちはまだ婚約したばかりの身なのだから。
コライユが公爵領に旅立つ前にと、私は何度も時間を見つけては公爵家を訪問していた。
身分のことからならばコライユからの訪問が正しいのだが、彼女の体調を考えると私から出向く方が良いように思えたのだ。
執務の合間に騎馬で向かってしまえば、短時間でもすぐにコライユに会える。
「先触れとほぼ同時においでになられてしまっては、コライユの支度が整いません」
公爵夫妻はそんな苦情を口にするが、コライユはいつでもどんな姿をしていても可愛いので、着飾る必要は全くないと思っている。
「殿下の前では、僅かにでも綺麗でありたいのです」
桜色に頬を染めるコライユは、更に可愛らしさを増している。
* * * * *
「殿下、私のくしゃみは変ですか?」
コライユから質問をされた。
まだ少し掠れてはいるが、日に日にコライユの声は可愛らしさを増していく。
特に私と会話をしている時の声が一番可愛い。
私の訪問の知らせを聞き、毎回出迎えてくれるコライユなのだが───
私が近付くと、くしゃみをする。
毎回申し訳無さそうに無礼を詫びようとしているが、実際悪いのは私である。
心配した公爵が医者に診せたところ、コライユは埃に過敏に反応しているらしい。
今まで暮らしていた海の中の世界には、埃など存在するわけがなかった。
そして、その後暮らしたのは常にゆき届いた清掃がなされていて、清潔に保たれている城やこの公爵邸。当然、埃など落ちているはずもない。
原因は、騎馬でこの邸宅を訪れる私だ。
あきらかにこの屋敷に埃を持ち込んでいる自覚はある。
しかし、判ってはいるのだが、どうにもコライユのくしゃみが可愛らしくて埃を払う前にコライユの前に出でしまうのだ。
早くコライユの顔が見たくて、声が聴きたくて、手の温もりを感じたくて───
逸る気持ちが抑えられないのだ。
それにコライユのくしゃみは、「あの海難事故」の日に自分を助けてくれた者と同じ癖がある。
同一人物なので当たり前のことなのだが、私はこのくしゃみでランプロア嬢が私の恩人ではないと気がついたのだ。
一度だけ聞いた、ランプロア嬢のくしゃみとは全然違っていた。
海から助け出されて浜辺まで運ばれた時、私は微かに意識が戻りかけていたのだ。浜辺に打ちつける少し荒めの波に身体を揺さぶられて覚醒を促されたのだと思う。
コライユに人工呼吸をされて飲み込んでいた海水を吐き出したので、目は開けることはできなかったが少しだけ感覚を取り戻しつつあったのだ。
人工呼吸のため触れたコライユの唇の感触と、その後のくしゃみをなんとなく記憶していたようだった。
だから、私はコライユのくしゃみが好きだ。
「変な訳ないだろ?可愛いくしゃみだから、何度でも聞きたいんだ。こんな変な私は嫌いかい?」
「いいえ、まさか!」
「じゃあ、好き?」
「『黙秘権』はございますか?」
「───なんだい、それは?」
声を取り戻したコライユは、時々不思議な言葉を使う。
「───『恥ずかしいので、言葉にできません』という意味です」
誤魔化すつもりらしい。
まあ、いいさ。これから長い年月を共に過ごしてゆくのだから、おいおい聞いていこう。
コライユとの会話は、領地の話へと移っていた。
「王都から出るのは初めてです……海が見えない内陸のご領地に行くのも初めてなので、とても楽しみです」
コライユにそう言われてしまっては、愛する人と離れたくないだけの私のわがままで彼女の楽しみを奪ってしまうのは王子としては狭量すぎるというものだろう。
デルフィーン公爵は国の要職にも就いているので、領地に戻るのは他の貴族よりはかなり短期間になるが───
奥方のアンジュ様とコライユは、早めに領地に向かうのだという。
「領地で行なわれるという『収穫祭』や、聖者様の『聖誕祭』も楽しみです」
コライユは本当に領地へ行くのが楽しみな様子だった。
私はコライユと離れるのが淋しいのだが、どうやら彼女はそうではないのかも知れない。
「今後、私がデルフィーン公爵領で公爵令嬢としてオフシーズンを過ごす、ということはあまりない事だと思います。ですから存分に体験してまいります。殿下にはその時の様子を漫画にいたしますので、後にご覧頂きたいのです。
お忍びで遊びにいらした王子様と、領主の娘のお話とかもあれば良いのですが?」
コライユ、それはなかなか面白い趣向だね。
いいよ。コライユの望みとあれば、私はデルフィーン領へ忍んで行くよ。