10話 海王様の登場
明日、私はレムロード殿下の元へと嫁ぐ。
昨夜は王都にあるデルフィーン公爵家で、身元引受人兼両親になってくれた公爵夫妻と、お義兄様の四人で最後の水入らずの時を過ごさせて頂いた。
初めから王家に嫁ぐために養女になったのだが、公爵家の方々には十分すぎるほどの温情も頂き感謝の言葉しかない。
「コユが王太子妃になっても全く会えなくなる訳じゃないしね。と言っても、父上が失脚して公爵位を剥奪なんてことにならない限りは、だけど」
アンシェル様、恐ろしいことは仰らないでください!
今日は午前中から王宮へと移動して、明日の準備で忙しく一日が過ぎていった。
この国には、というよりこの時代かな?
ウェディングドレスや披露宴的なものは常識ではなかったけれど、元日本人女子としては憧れの純白のドレスと花のブーケだけは準備して頂いた。
国王陛下の御前で宣誓をして、認められれば夫婦となる。
これは王族から公爵・侯爵までと、功績を認められた一部の貴族や騎士に限られた人物の結婚に適応される。それ以外の貴族の結婚は、王都の大聖堂や通いなれた教会などで行なわれるらしい。
その他の国民の結婚式には、また違った独特の風習があるらしい。地域などによっても違ってくるらしいのだけれど、機会があったら見てみたいと思ってしまうのは元漫画家の性なのかもしれない。
漫画の資料として、どなたかの結婚式に伺ってみたいのよ~。
しかしながら、今の私には結婚式に呼んでくれるような友だちと呼べる知り合いはいない。
ボッチ、です。
あ、お義兄様の婚約者(仮)になられたアルメリア様ですが(お義兄様が「リアちゃん」とは呼ばせてくれないのです)、なかなか可愛い未来の年下のお義姉様候補。
昨年末にデルフィーン侯爵領で初めて会って、お話をして───。
やはり元日本人だったことが判明。
それも私の描いていた漫画も知っていた。なんだか、すごく恥ずかしかった。
「アンシェル様。私を『メアリ先生』の結婚式に連れていってくださるなら、『婚約者(仮)』にしてあげてもよろしくてよ!」
「メアリ先生」───これは、私の漫画家時代のペンネーム「壁メアリ」より。
こんな名前だったことが思い出されました。
そうです。本名が「庄司」だったので、小学生時代からつけられたあだ名「障子に目有り」からの「メアリ」に由来している。「壁に耳有り障子に目有り」からの「壁メアリ」。
うわぁ……。
* * * * *
陽が沈んだ後、私はレムロード殿下にお願いしてパルルド海岸へと連れてきて───正確には運んで頂いた。
車椅子では砂浜に車輪を取られて自力では訪れることができなかったし、何よりも私の身体に他人が触れることを嫌がるので、殿下にお願いするしかなかったのだ。
明日、殿下に嫁ぐ前にどうしてもやっておかなければならないことがあった。
白い砂浜の上には、先に準備されていた敷物が広げられていた。
その上に殿下は、私の身体をそっと下ろしてくれた。
「私も同席していて構わないか?」
「はい」
私はこれから話し掛ける相手が現れてくれる可能性が低いと思っているので、殿下に側にいていただけるのはありがたいと思っていた。
もし相手が私の呼びかけに応えてくれなかったら、と思うと不安で胸が一杯だった。
確かに無視されても仕方のないことをしたのだ、という自覚はある。
そして、その淋しさや悲しみを殿下に埋めてもらいたいと考えているずるい自分もまた自覚していた。
一つ、二つ───と大きく深呼吸を繰り返した。
そして、三回目に大きく息を吸うと久しぶりの人魚の声を出した。
「───ピィピィィ……」
敷物の上に座る私を、横に立つ殿下は不思議そうな顔で見下ろしていた。
前世の私が暮らしていた日本に比べると、この世界の夜の光量はとても少ない。今私たちの周りにあるのは、月の光と僅かな篝火だけである。
それでも、近くにいる殿下の表情は良く判った。
「ピィィピィィィ───」
人払いはしてあるので、この海岸には私と殿下しかいない。穏やかな小波の音の中に私の声が響く。
海の中で生活している私たち人魚は、本来人間の言葉は使わない。それでも時には必要なこともあるし、寿命も長いため(おもに暇つぶしで)覚えています。
でも基本は、イルカの鳴き声のようなこの声で意思伝達をする。
しばらく海に向かって呼びかけていたけれど、やはり無理だったのだろうか。
海面は静かなままだった。
え、さっきまで小波が立っていたはずなのに───?
静か過ぎです。
今の海には、波一つ立たない異常なまでの静けさが広がっていた。
不自然さを感じた次の瞬間、海面に大きな水柱がたった。
水の柱はとても大きく、5階建てのビルほどの大きさにまでなっていた。やがて柱は横方向へと広がり始め、次第に王宮の城壁のように私たちの目の前にそそり立っていた。
まるで巨大な映画スクリーンのようだった。
「……ピィィ」
《───娘よ、今の喉ではその声を出すのは辛かろう……。人間の言葉で良い》
「お父様……」
ありがとうございます。本当に辛かったので助かります。
「ご無沙汰をしております。そして、この度は私の呼び掛けに応えてくださりありがとうございます」
ここはどうしても日本人が強く出てしまうらしい。私は敷物の上で正座に座り直し、一度背筋を伸ばしてからお父様に向かい頭を下げた。
《───うむ》
海上に現れた大きな水の壁は、海界の王であるお父様が創り出した水鏡だった。私の呼び掛けに、この様な形で地上の世界に姿を現してくれたのだ。
深い緑色の長い髪は緩いウェーブが掛かっている。金色の瞳は普段は海界の王として厳しい眼差しをしていることも多いが、私たち十五人の娘に向ける瞳はいつも優しかった。
お父様の瞳に変わらぬ優しい光を見つけて、私の感情が一気に爆発してしまった。
「お父様……ご……ごめんな……さい……。黙って……いなくなって……ごめんなさい……。何も言わないまま……人間に……」
私は再び敷物の上に額をつけたまま、子供のように泣きながらお父様への謝罪の言葉を口にした。
ふと肩に触れる優しい温もりを感じた。
レムロード殿下が私の傍らに来て、私の肩に手を置いてくださった。何も声を掛けることはなかったけれど、側に殿下の存在を感じることができるだけで私は強くなれるのだ。
きちんと頭を上げて、お父様に親不孝を詫びなければならない。
そう思い頭を上げ、お父様へと視線を向けた。
水鏡の中から、水の筋が出てきた。そして、私の目の前でそれはお父様の腕へと変わった。
実際には水のままなのだが、その腕には見覚えのあるお父様の腕輪や指輪が形作られていた。
飛び出す映像は、3D映画のようだった。
《───もう良いのだ》
お父様は私の頬を撫でながら、親指の腹で涙を拭ってくれた。
優しい感触が伝わってくる。
これが4D?
《今、お前は幸せなのだろう?ならば良いのだ。最後の挨拶のために私を呼んだのだろう?》
「はい。もう私は海には帰れませんので、このような形でお呼び立てをしてしまいました」
もう子供の様に泣くことはないが、お父様の優しさに私の涙は止まることはかった。
「おそれながら、海界の王にご挨拶を申し上げます。我が名はレムロード・リオン・マーレ・ラメール、この国の第一王子にございます」
殿下は立ち上がり、お父様に向かって礼をとった。
レムロード殿下は一国の王子、お父様は海界の王なので、このような礼を尽くして下さったようだ。
《うむ。レムロード殿……我が姉の子孫にして、娘の───今は「コライユ」だったか?
と番う者か……》
えええぇ~~~っ!
もしかして……建国の王様のお妃様って、私の伯母様だったの???




