七十三話 波乱のディナー
「テプトくんったら酷いんですよー?私がせっかく仲良くしてあげてるのに、仕事仕事仕事しごとばっーかり。エルドさんはどう思いますー?」
「いや、セリエさん。その……注いでくれるのは嬉しいんだが、ちょっとペースが早っおっととと。溢れる溢れる!」
「あれ?…もうなくなっちゃった。店員さーん!次の持ってきてくださーい」
「いや、セリエさん!まだ飲み終えてないから!店員さんも、持ってこなくて良いから!」
「いーじゃない。どうせ、テプトくん持ちでしょ?今夜はパァーと飲みましょうよ」
「今日は俺が奢ってやる約束だから俺持ちなんだが」
「細かい事は気にしちゃダメですよー?ほら、ぐいっと!」
「ちょっ!ちょっと!無理やりは……テプトー!早く戻ってこーい!」
ひんやりとした風が肌を撫でた。それはとても心地よい夜風の筈なのに、気分はすこぶる悪かった。頭が重い。それは飲みすぎたせいだ。
俺は居酒屋の裏の壁に片手をついて、もうそろそろ来るであろう第二波に備えて、発射口を下に向けた。
「うっ……オロロロロロ」
俺は今、盛大に吐いている。胃がひっくり返るような感覚に、涙が出てくる。
なぜこうなった?ボッーとする頭を懸命に回転させて、ここまでの記憶を確認する。
それは、ギルドで仕事が終わる頃だった。セリエさんが冒険者管理部の部屋にやって来たのだ。表情は怒っていたように思う。勝手にダンジョンに入ったことを謝るも、とても許してくれそうな雰囲気ではなかった。しかし、許そうとしない人間が、わざわざ本人の所まで来るだろうか?もしかしたら、セリエさんは俺にチャンスをくれているのかもしれない、そう思った。このチャンスを物に出来なければ、セリエさんとの仲は、修復のつかないほどに壊れてしまうだろう。
「約束は?」
彼女からの要求はそれだけだった。約束とは、前に交わした俺から食事に誘うというものだ。俺は当然今すぐにでも彼女を誘い、その怒りを和らげてあげたかったのだが、如何せん先約があった。
エルドと夜飯に行くという約束だ。
目の前のセリエさんの様子を見れば、どちらが大事かなど天秤にかける余地もない。しかしエルドと約束したのが先のため、それを破るというのは如何なものか。いや、先の約束はセリエさんの方だから、この場合エルドを断っても良いのか?
あれやこれやを考えていると、間の悪い事に、エルドがやって来たのだ。
「飯行こうぜテプト!……ってあれ?」
結局、エルドと飯の約束をしていたことを話さなければならなかった。
「そういうことか。じゃあ仕方ないね?」
意外にも、セリエさんはすぐに納得してくれた。
「今度は絶対に誘ってね!」
そう言ってビシッと人差し指を向けてくる。
「絶対に誘います」
その後だった。
「それならよし。じゃ、行こっか」
「え?」
「ご飯の約束は別日ね。今日は私も行くわ。私テプトくんに言いたいことが沢山あるもの」
そう言って笑ったセリエさん。
「良いぜ。俺もテプトには言いたいことが沢山あるからな?今日は返さねーぞ」
エルドも冗談を言いながら笑っていた。
夜飯は三人で行くことになり、仕事が終わると、近くの飯屋に入った。
最初は三人で飯を食べながら様々な話をした。仕事のことやギルド学校でのこと、尽きない話題は大いに盛り上がり、仕事での話になるとやはり愚痴の言い合いみたいなことになり、それに共感を覚えて仲間意識を強くした。
そこまでは良かったのだ。そこまでは。
異変が起きたのは二軒目の居酒屋である。セリエさんがあまりにもハイペースで酒を飲むものだから止めようとすると。
「普通は女が男を心配するものよ?それが逆転してしまっているのは、あなたたちの飲みが足りないからなんじゃない?」
酷い理屈だと思った。しかし、そう言って酒を飲みほす彼女に、闘争心が混み上がってきたのは仕方のない事かもしれない。飲んでやろうじゃないか!正直、酒はあまり飲んだ経験などなかったが、気合いさえあれば何とかなると思っていた俺は相当なアホだった。
俺の敗因は、まさかセリエさんがあそこまで大酒飲みだと知らなかったこと。そしてそれを全く予測していなかったことだ。
注がれるままに飲み、俺は元に戻れなくなるほどに酔ってしまったのだ。
店の中から、エルドが俺を呼ぶ声がする。
「とりあえず戻るか」
俺はふらつく足で、店の中へと戻った。
「あら、遅かったわね」
そう言って、頬を赤らめて笑うセリエさんの横では、エルドが机に突っ伏して寝ていた。どれだけ飲ませたんだよ。
「すいません、少し夜風にあたっていました」
「まーた勝手にどっかに行っちゃったのかと思ってたわ」
「はは……まさかそんなことしませんよ」
「どうかしら?テプトくんはいつも勝手に動いて、何でも一人でこなしてしまうもの。そりゃあ、冒険者管理部にはテプトくんしか居ないし、そうしなきゃいけないのも分かるけどさ…なんだか壁を感じるのよね。何でかしら?」
その言葉に、俺はドキリとした。セリエさんには隠していることがある。それは、自分が元は異世界から来た人間だということだ。言っても、信じてもらえないだろうという事を言い訳にして、彼女だけでなく多くの人にそれを言っていない。というより、言ったところで意味がない、何かが変わるわけじゃない、そう思うのだ。しかし、それが理由で時々孤独を感じることもあった。でもどうしようもない。だから、それ以外のことも全てその理由の中に詰め込んで、諦めていた。
セリエさんの言う『壁』とは、そういうことなのかもしれない。
「もう少し頼って欲しいな?私は所詮ギルドの受付で、出来ることなんて少ないけどさ、それでも困っているなら言って欲しい。でも、テプトくんは困らない。普通の人なら困るようなことでも、あなたは平然と解決策を目指してしまう」
「そんなことーーー」
「あるのよ」
セリエさんは、俺の言葉を遮って言った。
「私は怒ってたの。あなたがあまりにも自分を省みず行動してしまうから。でも、分からなくなっちゃった。だって、あなたの行動はいつも良い結果を出してしまう。私の怒りも通用しなくなってしまう」
良い結果……ね。
「ねぇ」
そう言って、セリエさんは俺の頬に触れた。
「あなたは本当に人?それとも違うなにか?」
その瞳は揺らいでいた。怒っているようにも、泣きそうにも見える。
俺は……。
「おい、俺が寝ている間になにいちゃついてんだ?」
気がつけば、目を覚ましたエルドが、頭を押さえながらこちらを睨んでいた。
「あら起きたの?早いわね」
「なめるなよ。酒なんて…今まで浴びるほど飲んできたんだ。これくらいでダメ…になるかよ」
そう言うエルドはつらそうだった。
「エルドさん無茶しないほうが良いですって」
そう言って触れようとした手を、エルドは振り払う。
「だいたいな…テプト。無茶苦茶なのはお前だ。勝手にあんな約束をギルドマスターとなんかしちまって…俺はおいてけぼりかよ」
「いや、あれは勢いでーーー」
「約束ってなに?」
セリエさんが言った。
あぁ、これはヤバイ。
「エルドさん、そろそろ帰りましょう」
そう言ってエルドを立たせようとした手を、セリエさんが掴んだ。
「約束ってなに?」
その目には、先程の揺らぎはなかった。
「実はな、今日ギルドマスターの部屋でな。テプトが言ったんだよ『ランク外侵入の対策案を出した後に、ランク外侵入が出たら、ギルド職員を辞める』てな」
止めるまもなくエルドは言ってしまった。
暫しの沈黙が流れた。その直後。
「何でそんな重要なことを先に言わないのよ!」
「ぐはっ!!」
エルドがセリエさんに殴られた。えぇ!?俺じゃないのかよ!?
倒れるエルド。効果は抜群だったようだ。
「どういうこと?」
そして、今度は俺に視線が向けられる。
あぁ、これはマジでヤバイ。
結局、今日のことは全てセリエさんに話すことになってしまった。




