七十一話 賭け
「うぬぅ…しかし」
バリザスは歯軋りをしている。
本当に頑固だな。それなら揺さぶってみるか。
「そもそも、なぜ俺がダンジョンに入ってはダメなんですか?」
バリザスは悔しそうにこちらを見る。
「ギルド職員がホイホイとダンジョンに入っていては、冒険者に不審に思われるではないか。冒険者とて、全員がダンジョンに入れるわけではない。そこを言うておるのじゃ」
そういうことか。
「そんなこと彼等が気にしますかね?」
「冒険者も人じゃ。気にする奴も中にはおる。そもそも、ダンジョンとは冒険者が入るべき場所であって、ギルド職員が入るべき場所ではないのじゃ」
「そんなのは誰が決めたんですか?」
「…世の理じゃよ。人は生まれながらにして生き方を定められておる。わしもお前も、全ての者がじゃ。そして、その生き方から外れようとする者は、やはりろくな人生しか送ることが出来ん。なぜ、お前は逆らう?なぜその在り方でしか生きられんのじゃ?…もっと適した生き方があるじゃろう」
悔しさの滲むその声は、だんだん嘆願にも近いものに変わっていた。
「俺に適した生き方ですか?」
自分で言ってみると、その馬鹿らしさが嫌というほどに分かる。
「ギルドマスターは御自分にあった生き方がそれですか?」
「わしは…とうに見失ってしもうた。一時は何者にも邪魔されぬ道を歩いておったが、気がつけばこんな椅子に座っておる。人生とは分からぬものよ。そんなわしだから言うておるのじゃ」
「俺が間違えていると?」
「そうじゃ」
その一言に、何故だか妙に腹が立った。
「ギルドマスター。お言葉ですが、御自分の生き方にさえ満足に出来ていないあなたに、俺の生き方を判断する資格はないと思いますけどね?」
「……」
バリザスは何も言ってこない。ただ俺を見つめるだけだ。
「俺が間違っているか、正しいかなんて、やってみなきゃ分からないんじゃないんですか?」
「…わかるのじゃよ。世の中はそういう風に出来ておる。村人は一生村人のままじゃ。貴族は一生その家名を背負って生きていかなくてはならぬ。王族の者はこの国のためにその身を捧げることを、生まれたときに約束させられる。じゃが、たまにその道から外れる者がおる。そして、大成する者がおる。しかし、その者は努力や根性ではなく、やはり才能にして大成を成すのじゃ。全て、生まれたときに決まっているのじゃ。どう…生きるべきかも」
そういえば、ソカと行った店でも同じようなことを言っていたな。
『人には定められた立場と役職がある』と。
あぁ、そうか。…そういうことか。
その時、俺はようやく分かった気がした。今まで、ずっと分かったつもりになっていた。この世界の人達を。
確かにこの世界では、ほぼ全ての事が生まれたときに決まってしまっているのだ。
金持ちか貧乏か。魔力が有るなか無いのか。男性か女性か。
万能か、そうでないのか。
そして、そのいくつもの条件によって人は簡単に人生を決めてしまう。それが自分のやりたいことかどうかを問う前に、全てを決めてしまうのだ。
だから、その条件に当てはまらない過酷な状況に投げ出された時、人は簡単に折れてしまう。それは、いつかの俺にも言える事だった。
それが、この世界なのだ。地位も能力も何もかもが生まれたときに決まってしまう世界。
だが、それの何が面白いのだろうか?生きていて喜びを感じられるのだろうか?生まれたときに得た事で何かを為したとしても、その時に感動はあるのだろうか?
俺はバリザスに何も言うことが出来なかった。なぜなら、俺自身生まれ変わったときに神様に頼んで欲しかった力を得ていたからだ。そして、その力だけでここまできたことも否定出来ない。
それでも、違うのだと証明しなければいけないだろう。
偽善だとしても、人には多くの可能性があるのだと。でなければーーそこで終わってしまうではないか。それは、諦め続けた今までの俺と一緒ではないか。
元の世界で諦め、冒険者をも諦めた俺が、今度は世の理なんてことを言い訳に諦めてしまったら、今度はどうすれば良い?そこから何かを見出だすことが正しいのか?それは、逃げじゃないのか?
ただ分かったことは、俺が他の者とは根本的に違っているということだ。それは、逃げることを許され、のうのうとここまで来た俺にしか分からないことかもしれない。そして、そんなことは何度も上手くいくとは限らない。
分かっていたつもりだったんだけどなぁ。この世界での常識がそうであったとしても、頑張れば何かやれるのだと、皆が理解しているような気になっていた。
今までの俺が底辺過ぎて、勘違いしていただけかもしれない。
比べるのはどうかと思うが、バリザスと俺は似ている。どちらも元は冒険者でありながら、今はギルドで働いている。どちらも何かやりたいことはあったはずなのに、今はそれを見失いただ漂うだけだ。そんな彼が今の立場を否定してしまったら、俺までそうなってしまう。
そんなことは決してない。
ない…のだが、それを理解してもらうことが出来ない。例え言葉そのままに言っても、バリザスはきっと鼻で笑うだけだ。
この卑屈に拍車をかけたジジイに証明しなければならない。
どんなことにも不可能はないのだと。やってやれないことはないと。
「…ギルドマスター」
「なんじゃ?言っておくが、お前がダンジョンに行くことだけは許さんぞ」
「わかりました。俺はダンジョンには行きません」
「おい!テプト!?」
エルドが叫んだ。
「ギルドマスターが納得のいく手段だけで、ランク見直しもやって見せます。そしてこれは、『ランク外侵入』を防ぐために考えた事でもあります」
「ランク外侵入じゃと?」
「そうです。ランクが適正でないからこそ、ランク外侵入が出てしまうのではないかと俺達は考えているわけです。今後どうなるか分かりませんが、俺はランク外侵入を防ぐための案を出します。もしも、それでランク外侵入が出た場合はーー」
「なんじゃ…ギルドを辞めるとでも言うつもりか?」
試すように向けられた視線に、俺はなるべく笑顔で答えた。
「はい」
「おい!なに言ってんだ!!」
後ろのエルドを無視する。
「そうなれば、依頼義務化もなくしてしまって構わないですよ?もともとは俺が未達成依頼をやり続けていたのが、問題を露見させた原因ですから。しばらくは以前と同じに戻るでしょう。……しばらくは、ですが」
「本気で言っておるのか?そもそも、お前の突拍子もない案とやらが、会議で何度も通るとは思えんが?」
「やってみなきゃ分かんないでしょ?」
「……フッ…クク…ブァーハッハッハッ!!」
突然バリザスが大声で笑いだした。
なんだよ。イカれたか?
「お前のどうしようもなさは、死なねば治らぬようじゃな?」
「どうしようもないのはギルドマスターでは?」
「ふん、言ったな?では、わしは何を賭ける?お前は辞めることを賭けたな。もしも案が通り一年間ランク外侵入が出なかった場合、今後も出ないものとして、お前に何かをくれてやろう」
ほう。
「では、ギルドマスター辞めてもらいましょうか。そこは無能な者が座る椅子じゃないんですよ」
「そしてお前がこの椅子に座るとでも言うつもりか?」
「いえ、あなたよりも有能な者を見つけておきますよ。だから安心して引退なさって下さい」
「面白い。言っておくが、わしは賭け事には強くてな?ここぞという時に、最も有利な展開を引き起こす事が出来る」
「自慢ですか?」
「忠告じゃよ。くれぐれも油断せぬことじゃ」
「忠告ありがとうございます。まぁ、辞めるつもりは全くありませんが」
俺はバリザスの机から、『冒険者規定』だけを手に取ると、ギルドマスターの部屋をでた。エルドが続いて出てくる。
閉まったら扉の向こうからは、愉快そうに笑うバリザスの声だけが聞こえていた。




