五十四話 ダンジョンマスター
二十階層からは、魔物が段違いで強くなる。そもそも、空気中に漂う魔素の量が違う。体内に十分な魔力量を保持していなければ、通常の人なら半時待たずに倒れてしまう。とはいえ、最近の魔法研究は進んでおり、魔力を持たない人間でも濃度の高い魔素の中で生きていけるアイテムが存在する。冒険者の中にはそれを所持している者もいて、初心者の冒険者なんかは、未来のためと言いそれを買い求め、別段魔素の濃くない所で使用している光景も珍しくはない。お値段なんと金貨3枚ほど、日本円にすると3万円ほど、決して安くはない。
これは余談だが、一時期とある町のギルドがこれを冒険者に推奨していた時期があった。魔素が濃くても安心!ということで、どこぞの安全対策部が始めたことらしいが、結果は冒険者の死亡者数が前年を大きく上回るといった事態になったらしい。実力がない冒険者が、より深い階層へと進めるようになったことが原因の一つだ。それを助けてしまったギルド側は世間から叩かれ、各ギルドを巻き込んで大きな責任問題となったらしい。これはギルド学校時代に教わった話だ。
そして、魔素が濃くなるのが二十階層からなのである。
『やはり魔素が濃いところは心地良いな』
俺の前を軽快に走るタロウは、二十一階層に入ってからご機嫌である。魔物は元より魔素から生まれたため、力がみなぎっているのだろう。まぁ、タロウの場合魔素から生まれたわけではないのだが、それでも魔物という存在に分類される以上、その影響を大きく受けているのかもしれない。見れば、時折立ち塞がる魔物をものともせずに噛みちぎっている。後ろを走る俺からしたら、たまったものではない。なにせ、その残骸が飛んでくるのだ。やはりここの階層でも、タロウに勝てる魔物はいない。
「おい」
『なんだ?』
「間違っても、冒険者を倒すなよ?人の肉片が飛んできたら怒るからな」
『我がそんなミスをするとでも?』
「やりそうだから言ってんだよ」
現在二十三階層を快調に進むタロウは、他のどんな魔物よりも脅威だ。粋がった冒険者が向かってきてもおかしくはない。今のところはそんなことはなく、そもそも冒険者すら見ていない。当然といえば当然だ。二十階層以上はCランク以上の冒険者でなければ入ることを許されてはいない。というより、ボス部屋に挑むことができるのがCランク以上なのである。そのため、ランク適正試験はCランクから行われる。
だから必然的に、二十階層以上にいる冒険者は少なくなる。
……少なくなるのだが、いないにも程がある。二十階層のボスを倒してから冒険者に一人も会っていない。まさか、道に迷ったか?一瞬、そんな考えが頭をよぎった。ダンジョンは、階層を潜るほどに入りくんでいる。タロウには濃度の強い魔素の方へ向かってもらっているため、地図などなくとも階層を進むことが出来るのだ。しかし、これだけ冒険者とも会わなければ不安になる。
そう思っていた矢先だった。
『何かいるぞ』
タロウが声をあげた。
「魔物だろ?」
その瞬間、タロウが急停車した。
「うわっ!?なんだよ急に」
慌てて止まる。
『魔物では…ない』
タロウが呟く。
魔物じゃない?
「冒険者か?」
聞いた言葉にタロウはしばらく答えなかった。
『いや、この感じはおそらくーー』
タロウの口の端がつり上がる。
『間違いない。……ダンジョンマスターとやらのお出ましだ』
それと同時に奥から冒険者風の少年が歩いてきた。
「あれー?せっかく変装してきたのに無駄になっちゃったなぁ」
その子供は、ため息を吐きながら肩をすくませた。こいつが、ダンジョンマスターだと?
「というか、なんで僕らの事を知ってるの?」
その少年は、全く焦る様子もなく聞いてくる。銀髪の髪が魔晶を反射させて光っていた。
「ダンジョンマスターなのか?」
「そこのワンコが言った通り、僕はそう呼ばれているね。否定する気もないから言うよ。僕がこのダンジョンの主さ」
まじかよ。
「それが本当だとして、何しに来た?ダンジョンマスターはこういった接触は禁じられているはずだが?」
「えぇー。なんでその事知ってるの?あと、さっきの質問に答えてよ」
その少年はケラケラと笑いながら目を細めた。
「ダンジョンマスターに会うのは君で二人目だ。その時にダンジョンマスターという存在を知った。冒険者と接触してはならない決まりもその時に教えてもらったんだ」
『いけすかない女だったな。事あるごとに我らに説教をしてきたのだ』
それは、ラントの町で冒険者をやっていた時の事だ。
ダンジョン内部で魔物の研究をしていた俺とタロウは、不意に現れたダンジョンマスターと名乗る女に毎回怒られていた。
「あー…。たぶん、それ姉ちゃんだ」
少年は気まずそうに言った。
「……まぁ、気持ちは分からなくないかな?だって、見てたら君達やりたい放題なんだもの。ダンジョンの醍醐味をことごとく無視してるよね。冒険者と接触しちゃいけないっていうのは、暗黙のルールみたいなものかな。別に守らなかったからって僕が罰せられる訳じゃない。で、僕のおうちにーーー何しに来たの?」
迷惑そうに少年は言った。その目からは、確かな殺気を感じた。俺はなぜだか、自然と笑ってしまう口元を抑えられなかった。
まさか、こんな形で会えるとはな。
「実は、とある冒険者二人組を連れ戻しに来たんだ」
「冒険者二人組?」
少年は小首を傾げた。
「あぁ。一人は背中に大剣を背負った金髪の男、もう一人も金髪で長い髪をしている。三十階層以上にいるはずだ」
少年は少しだけ考える素振りを見せる。
「…もしかして、三十五番にいる人達の事かな?」
やはり、わかるらしい。
「もし良ければ、そこまで連れていってくれないか?」
彼は、チラリとこちらを見る。
「……もしかして、姉ちゃんにも同じこと言った?」
「いや、言ってない。だが、階層を自由に行き来出来ることは知ってる。なにせ、よく一階まで強制的に戻されたからな」
そう、ダンジョンにはそこを管理するダンジョンマスターがいる。彼等が何者なのかは知らない。そもそも教えてくれない。ただ、彼等は人ではなく魔物でもない。もしかしたら、神にも似た存在なのかもしれない。俺はこの世界に転生するときに神様には会っている。であれば、そんな奴等が他に何人いたとしても不思議ではないのだ。そして、彼等はダンジョンを自由に行き来出来る。というより、ダンジョンを自由に創り変える事が出来る。もしかしたらこの階層は、こいつが俺達に接触するため、わざわざ創った階層なのかもしれない。それならば、冒険者と会わないのも納得がいく。
これは、裏技に相当するやり方だ。ただ、ラントで冒険者をやっていた時のように、うまくダンジョンマスターと会えるなど思ってもみなかった。ダンジョンマスターには、会うことが出来ない。それが原則らしいのだ。
少年はジッとこちらを見つめて何かを考えていたが、やがてため息をついた。
「……今回だけね?用が済んだら帰るんだよ」
少年は言った。




