四十八話 そこにいる者達
中に入ってまず驚いたのは、空間がとても広いことだった。受付みたいなところがない。だから、外で支払ったのかと納得できた。奥の方には長テーブルがあり、そこで酒や食事を注文するようだった。椅子はないので、基本は立食らしい。代わりに、ソファーが隅の方にいくつも並べられていた。何人かの人達は、そこで談笑をしている。
ソカは迷わず長テーブルの方に向かい、店の男に果実酒を頼んだ。俺も、同じものを頼む。今まで手にしたこともない取っ手の長いグラスが二つ置かれ、中には淡く透明な果実酒が注がれていた。
「エールじゃないのか?」
「なんかこっちにしたくなったのよ」
「そうなのか」
その時だった。
「こんばんは。ソカちゃん」
不意に声をかけられ、ソカは振り向いた。つられて俺も振り向く。そこには、生意気そうな金髪の男がグラス片手に立っていた。
「こんばんは。えっと…」
「ハンデラスだよ。いい加減名前くらい覚えて欲しいな?」
「ごめんなさい」
そう言ってハンデラスとソカは上品に笑った。ソカが口元に手を添えて笑っていたので、思わず凝視してしまう。彼女にはそれが分かったのだろう、肘で脇を軽く小突かれてしまった。
「で、そちらは?珍しいね、ソカちゃんが男連れなんて」
「こちらは付き人よ。騎士団の元副団長をしていた男で、こういった世界を知らない田舎者だから無礼があっても許してあげてね?」
言いたい放題言いやがって。
ハンデラスは目を細めて俺に目を向ける。俺は少しだけ会釈をした。
「まだ若いな。それほどの実力があるということか。でも、何で騎士団を辞めてしまったんだい?そのままいけば、団長、あるいは功績を上げて子爵になることも出来たかもしれないのに」
「当時の団長とそりが合わなかったのです。それに、私には平民の暮らしが合ってますので」
咄嗟に出た嘘を並べる。隣でソカがニヤリと笑ったのが見えた。
「それは、殊勝な心がけだ。私は立場上、子爵の者達と会うことが多くてね?平民出の者達とは考えの違いが多々あるので困るんだよ」
真面目に話しているようだが、その言い方はなんか鼻についた。
「それは、大変ですね」
とりあえずそんな言葉をかけておく。
「人には定められた立場と役職がある。それを踏み越えてしまえば、ただの無能に成り下がってしまうんだよ。私は伯爵家の息子だが、王族になれないのと同じ道理だね?」
なんてさらりと言ってニコッと笑った。
「あぁ、ソカちゃんは違うよ?君はそんなことに縛られない自由な発想をもっている。時々私でも驚いてしまうほどにね?」
付け足しでソカを誉めやがった。彼女もまんざらではなさそうに、微笑む。
あぁ、こういう奴か。心の中で呟いてみる。ハンデラスに悪気はないのだろうが、彼からは上の者によくある見下した雰囲気を感じた。もしかしたら、ここが酒の席で、本心ではなく冗談のつもりなのかもしれないが、その冗談はあまり好きにはなれなかった。
尚も二人は会話を続けている。邪魔しては悪いので、俺はそっとその場を離れた。見渡せば、隅っこに一つだけ空いているソファーがある。俺はそこに向かい、静かに腰をおろした。
…疲れる。最初はソカと飯のはずだったのに、いつの間にこんなことになったのか?そもそもここは、金持ちと交流する場だろうに、飯を食うところではない。あいつは何を考えているんだ?
「あまり慣れていないようですね?」
それは、俺に話しかけているのだろう。そちらに顔を向けると、立派な髭を生やした男が微笑んで立っていた。
今度はなんだ?
「はい。こういった所には初めて来たもので」
それでも、なんとか笑顔をつくる。
「仕方ないでしょう。なにせ、ソカ嬢と一緒に来たのですから。彼女には不思議な魅力があり、界隈では人気者なのです」
不思議な魅力じゃなくて、スキルの(魅惑)があるんだよ。それにしてもあいつ、そんなことになってたのか。
よく見ると、店内にいる何人かの男達はチラチラと、ソカとハンデラスの会話を見ていた。
あぁ、来なきゃ良かった。心底思う。
「あなたは良いんですか?私なんかに話しかけて」
そう問いかけると、男は苦笑いした。
「まぁ、そう言わず」言いながら、男は向かい側に腰をおろした。
「お名前をお聞きしても?」
「…テプトです。元は騎士団副団長をしていました」
「私は、ダルシムといいます。今は、一応これの生産に投資してましてね」
そう言ってダルシムはグラスを掲げて見せる。それから、中の果実酒を口に含んだ。一瞬、グラスの事を言っているのかと思ったが、すぐに果実酒を言っているのだと気づいた。
「ここで出されているのも、私の所のものなんです」
「そうなんですか。あまりお酒は飲まないもので」
そう言うと、ダルシムの眉が少しだけ寄った。あまりお気に召さない答えだったようだ。
「あなたは何か投資などしていますか?」
してるわけないだろ。
「いえ、特には」
「ならばやってみた方が良いですよ?お金は待っていても手には入りませんからね」
「あなたは他にもやっておられるのですか?」
「今はこれだけです。昔はいろんなことに手を出しました。まぁ、今とはなっては良い経験でしたよ」
それから彼は、自らの体験談を話してくれた。各地を周り、今何が求められているのかを調べたり、新しい事業の立ち上げなど、一番の失敗は、とある森の開拓だったそうだ。それをすれば、付近の村の発展に繋がると何度も地元の人達と話し合いをしたそうだが、彼等の反発にあい、計画は頓挫した。金をかけて進めていた準備も全て無駄になったそうだ。
「一番厄介なのは風習に縛られた者達です。彼等は新しいことを嫌う傾向にある。理由を聞けば、先祖からそうやってきたのだと理由にもなってない抗弁をしてくるのです」
「それ以外にも、ちゃんとした理由があるからそうやってきたのではないですか?」
「だからそれを教えてくれれば、こちらも納得するのですが、彼等にはそんなことはどうだっていいのですよ。先祖がやったから、自分達もそうする。でも、先祖がそれをしてきた理由は何一つ知らないのですよ」
うーん。……難しい問題だな。正直、ダルシムの話には共感出来るところがあった。
「確かに、何かを変えようとする時に立ちはだかる問題は、最も関わりの強い人達の反発かもしれないですね。……気持ちはわからなくもないですけどね。なにせ、自分達の生活が変わってくる重大なことですから」
「そうですな。しかし、それを変えて得られる利益を彼等は不利益だと決めつけてしまうのです。おそらく、彼等には想像力が足りないのです。想像できないから、怖がるのですよ。そして、怖がってしまった人間には何をいっても無駄なのです。耳をふさぎ、自分の殻に閉じ籠ってしまう」
ダルシムはさらに果実酒を飲んだ。
「だから、私は彼等の欲する物に投資することにしたのです。彼等は現金なもので、知らないものには頑なに反発するくせに、知っているものには、驚くほどに寛大に対応してくるのです。多少こちら側に有利な展開をつくっても、それには気づかず彼等は手放しに喜んでしまう」
ダルシムは髭を撫でてニヤリと笑った。
「この町ではエールの売れ行きがすこぶる良い。だから皆エールを売り、儲けようとする。しかし、それだけでは飽きてしまいます」
「だから、果実酒を?」
「まぁ、最初は細々とやっていくつもりでしたがね?年々、果実酒の人気は高まってきています。ゆくゆくは、この町でも果実酒を生産したいと考えています」
ダルシムは目標を語った。
「それは大きな目標ですね。ここの地域では果実の生産はあまり盛んではないはずです。気候があまり適してないからでは?」
「重要なのはそこではないのです。人は欲しいものになると、多少質が落ちても、近くで手に入る物を選んでしまうのです。だからやるのですよ」
彼はそう言ってニッコリ笑った。
「大事なのは物ではなく、人ですよ。いくら質がよくても、買い手がいなければそれはただのゴミです。ならゴミでも、人が買いたがるゴミを見つければ良いのです」
ダルシムの口調は淡々としていて、まるでそれが当たり前だとでも言わんばかりに自信を持っていた。
「まぁ、ゴミというのは極端な例ですがね?」
彼の言葉に背筋が凍った。
「私は正直、商売に関わったことはありません。ですが、人に何かを提供するなら、たとえ他人がなんと言おうと自分が良いと思うものを提供するべきなのでは?」
ダルシムの視線が一気に鋭くなった。
「なるほど。さすがは騎士団元副団長だ。今はその職を止めて尚、騎士道を貫いておられる。とても常人には真似できない正義の心をお持ちですな」
ダルシムは笑ったが、俺は笑えなかった。
「良い話が聞けるかと思いましたが、どうやら私の勘違いだったらしい。失礼した」
それだけ言って、ダルシムは席をたった。呆気にとられる俺を置いて、彼は去っていく。
その後も、何人かの男が話しかけてきたが、何一つ彼等の満足する話とはならなかった。
やがて、俺の前には誰も来なくなり、俺は四杯目となるエールを一人で煽った。果実酒は、ダルシムと話してから飲む気が失せてしまったのだ。




