四十六話 隣人のお姉さん
そこは、町の通りから離れた細い路地。昼間でも薄暗いのであろう道には、湿気が残っていて空気もひんやりしている。そんなところを俺とソカは歩いている。やがて彼女は立ち止まり振り向いた。
「ちょっと待ってて」
そう言い残してソカが入っていったのは、お世辞にも立派とはいえないボロい建物だった。どうやら彼女はここで暮らしているらしい。
俺は壁に背中を預けて楽な体勢をとる。背中越しに冷たい石を感じた。
「へぇー。珍しい所見ちゃった」
上からそんな声がした。なんだ?
見上げると、向かいの壁に造られた窓から、長い髪の女性が眠そうにこちらを見下げていた。
「こんにちは」
とりあえず挨拶をすると、女性は右手を上げてそれに応えてくれた。
「あなた、ソカちゃんの彼氏さん?」
そんなことを聞いてくる。
「違いますよ」
そう答えると、女性は意外そうな表情をした。
「そうなんだぁ?ソカちゃんがこんなところまで男をつれてくるのはめったにないから、ちょっと期待しちゃった」
「ソカとお知り合いなんですね?」
「んー?まぁね。といっても、ここら辺の住人は皆知り合いよ?なにせこの狭さだからねぇ。嫌でも顔見知りになるのよ」
やれやれとでも言いたげに女性は肩をすくめてみせた。その姿に苦笑いをする。
「それでぇ?これからソカちゃんと、イイコトしたりするのかしらぁ?」
良いこと?まぁ、これから楽しく飯を食べようっていうのだから、良いことには変わりないのかもな?
「はい、そうです。今のところ、ほとんどソカが主導権握ってますけどね?俺としては情けない限りですよ」
だから、笑顔でそう答えてやる。
元々、ソカのお願いだったのだから、そうなってしまうことも仕方ない。しかし、それを叶えるために本人から服を借りるとは情けないにも程がある。もっと、簡単な店であれば、俺が胸はって先導したんだがな。
「へぇー。冗談のつもりだったのにすごいのね?あの子は男をつくるけれど、絶対に心までは許さないのよ?たぶん、こんなところまで連れてきた男も、あなたが初めてじゃないかしら?彼氏さんでもないのに、そこまで関係を持ってるってあなた…ソカちゃんの何なのぉ?」
ソカと俺の関係か……冒険者とギルド職員…。
「仕事仲間?…ですかね?」
「ふーん。それじゃ、あなたも冒険者なのねぇ」
なんだ、ソカが冒険者だと知っているのか。あえて言わなかったが、それなら隠す必要もないだろう。
「いえ、俺はギルド職員ですよ」
そう言うと、女性は少しだけ驚いた表情をした。
「なるほどぉ。ソカちゃんも、とうとうそこまでするようになったのねぇ。あの子を見てきた私としては、すごい複雑な気分だわぁ。ま、それをやってる私がいえた義理じゃないか」
そして、一人でなにやらブツブツと呟いていた。
「お兄さん。そこまでいったのなら、ソカちゃんを良くしてあげてねぇ?」
なぜだかその言葉には、悲痛な想いがこもっているように感じた。
なんだか知らないが、すごい良い人だな。
「はい、もちろん!」
だから俺も精一杯の笑顔でそう答える。
その時だった。
突然扉が開いて、ソカが出てきた。
「あら、お姫様の登場ね?じゃ、私はお邪魔だし後は二人で楽しんで」
そう言うと、女性はひらひらと手を振って奥へと引っ込んでしまった。
それを見送っていると、扉から出てきたソカがつかつかと歩み寄ってきた。
「あなた、ルカ姉に変なこと言ってないでしょうね?」
改めて彼女の方に向き直る。
「……」
それは、ビックリするほどの変貌ぶりだった。
「…ちょっと、聞いてるの?」
そう言って不機嫌そうな表情をする彼女の耳には、普段見ない赤のピアスが光っている。身に付けているものは冒険者のそれとは違い、女性らしいスカートに変わっていた。一瞬、彼女だと分からなかった。
「驚いたな」
もう本当にそれしか言えない。
彼女はその言葉の意味を理解したのか、途端にニヤリと笑った。
「へぇ、何の反応もなかったらどうしようかと思ったけど、それくらいの事は出来るのね?」
「いやいや、誰だって驚くさ。いつもと全然違うじゃないか」
「当たり前じゃない。まぁ、(魅惑)の効かないあなたには、こういうのが一番効果的なのかもね?ほら」
そう言うと、右腕に抱えていた物をこちらに差し出してくる。
それは、上質な上着だった。金色に光るボタンが、これでもかというほどについていて、一目見ただけで、ギルド職員の一月分の給料がふっ飛ぶ代物だと分かる。
「本当に良いのか?」
正直、ビビった。
「いいわよ?まぁ、汚したら弁償してもらうけど」
「……善処します」
恭しくそれを受けとる。彼女は小さく「冗談よ」そう言った。
それに恐る恐る腕を通す。ボタンも全て留める。なぜだか、手が震えてボタンを留めるのに手間取ってしまった。
「うん、やっぱりあなたの方が似合ってるわね?」
満足げに一人頷くソカ。
「あ…ありがとう」
一応お礼を言っておく。
「で?私に対しては何もないのかしら?」
腕組をしてこちらを睨む彼女に俺は慌てた。
「あぁ、ごめん。とても似合ってるし、綺麗になったよ。ビックリした。おそらく冒険者の中では一番だ!間違いない」
とりあえず、思い付くままに言葉を重ねる。
「ぷっ……っははは!なにそれ。あなた焦りすぎ」
腹を抱えて笑い出す彼女。
しょうがないだろ?こんな高そうな物が出てくるとは思わなかったのだ。だが、笑っている彼女を見れば、そんなことどうでも良くなった。
「はーおかしかった」
ひとしきり笑った彼女は目尻の涙を拭った。それから。
「じゃ、行きますか」そう言って歩き始めた。
俺もそれに続く。
「そういえば、ルカ姉っていうのはさっきの女性か?」
「そうよ。ここに私が住み始めた時からお世話になってるの。今はまだ仕事の時間じゃないし、また寝たんじゃないかしら?」
そうなのか。
「何の仕事なんだ?」
気になって聞いてみる。するとソカは、当然とでも言うようにその言葉を口にした。
「娼婦よ」
俺は、一瞬だけ呆けてしまった。




