二話 洗礼
扉に入ってすぐの事だった。
ヒュンーーーパシッ。
いきなりナイフが顔に飛んできたので思わず掴んでしまった。……これは想像以上にヤバイな。
「見ない顔ね」
そう言って近づいてくる女性は、髪も瞳も赤かった。
「これは君が?」
「そうよ?」
「危ないだろ」
そう言ってナイフを返す。
「危ないなら帰ったら?」
彼女はフフッと笑ったが、目が笑っていない。怖いんだが。
「そういうわけにもいかないんだ。今日からここで働くことになったからな」
その言葉に、周りにいた冒険者達の視線が一気に集まるのを感じた。
「へぇ。じゃあ、あなたが新しいオモチャなんだ?」
……オモチャ? 聞き間違いかな?
「そういうことだから通してくれないかな?」
その女性は、スッと道を開けてくれた。
「ありがとう」
それから女性の側を通りすぎる瞬間、「頑張ってね」そう小声で呟かれた。
ギルド内は冒険者で溢れていた。どこの受付けにも、彼等が並んでいる。たまに列の取り合いで怒号が飛び交っていた。流石は冒険者の町タウーレン。冒険者の質も半端じゃない。
「へへっ。見ろよ? アイツが新しい職員らしいぜ?」
「どれだけ持つか見物だな?俺は二日」
「ばか。半日も持たねぇよ。ひひっ」
何やら不穏な会話が聞こえる。どうなってるんだよここは。世紀末か。
俺は冒険者が並ぶ受付ではなく、案内のお姉さんに近寄る。
「あのー」
「なんですか?」
穏やかに笑うお姉さんに、俺は安心した。
「今日からここで働くことになった、テプト・セッテンです。ギルドマスターにお会いしたいんですが?」
「あぁ、あなたが今日来る予定の人ですか。……まだお若いんですね。お気の毒に。ギルドマスターの部屋なら三階にありますよ」
「はい? ……あぁ、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いしますね」
「はい」
耳がおかしくなったのだろうか? 先程から、似つかわしくない単語が聞こえる気がする。気を取り直して階段を上がった。
ギルドマスターの部屋は案外簡単に見つかった。三階には『ギルドマスター』の部屋と、『経理部』があった。
俺はギルドマスターの部屋をノックする。すると、中からどうぞと返答が返ってきた。
「失礼します」
入ると、奥の方で煙草をふかしている白髪のおっさんがいた。俺の事前に行った下調べが正しければ、彼の名前は『バリザス』。このタウーレン冒険者ギルドの二十五代目ギルドマスターである。元は冒険者であり、上り詰めたのは最高ランクの『S』。
「誰じゃ? 今日は客人の予定はないはずだが」
「バリザス様。今日は王都から新しく冒険者担当がやって来る予定があります」
おっさんの隣に立つ、女性は秘書なのだろう。たんたんとそれを口にした。
「あぁ。そういえば今日だったな? えーと、君が新しい冒険者担当くん?」
俺はそれに笑顔で応えた。
「はい。王都より派遣されて参りました。テプト・セッテンです」
「ふーん。……じゃあ、ミーネちゃん説明よろしく」
なんともやる気の見られない態度に、俺は半ば呆れる。
「どうぞ、案内します」
それから、ミーネと呼ばれたブロンド髪の女性が俺を部屋の外へと導いた。仕事の出来そうな人だった。
「気を悪くしないでね? あれでもやるときはやる人なの」
「ギルマスの事ですか? えぇ、大丈夫ですよ」
「冒険者担当は、入れ替わりが激しいから挨拶に来る人が多いのよ。だから名前を覚えてもすぐに辞めちゃって……それであんな態度だったの」
やはり、この仕事はきついらしい。ミーネさんについていくと、二階にある部屋の前に案内された。
「ここが、今日からあなたが働く部署よ」
部屋の上には、『冒険者管理部』とあった。
「ありがとうございます」
言ってから、扉をノックする。
…………。
しかし中からは返事もなにもない。
おかしいな? 聞こえなかったのか?
もう一度ノックする。
「テプトくん、無駄よ。なにせ中には誰もいないから」
ミーネさんがそう言う。なるほど、だから返答が無かったのか。彼女はポケットから一つの鍵を取り出すと、鍵穴に差し込んで回した。カチャリという音がして、扉が開く。
その光景に俺は恐怖した。壁一面に文字が書いてある。
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……』
「壁を新しくしても、来る人来る人落書きするもので……修復するのもやめたんですよ」
困ったように笑うミーネさん。いや、これ落書きのレベルじゃないだろ。
そして窓は何故だかガラスが無くて、ただの穴になっていた。雨が床を濡らしたのだろう。窓の辺りの床は腐りかけている。
「あの……ガラスは?」
「あぁ、よく物を投げ込まれて割られてしまうので取り外したのよ」
物を投げ込まれる? ……近くの空き地で野球でもしてるのか?
ふと、見上げると、天井から何かがぶら下がっていた。それはロープで、一番したの方が輪になっている。
え? これって……まさか。
「あぁ、心配しないでね? 前任の人が勝手にやったんですけど、結局使わなかったから」
ミーネさんは俺の視線に気づいて説明してくれた。……これは撤去だな。
部屋は、部署というにはあまりに狭かった。そして、机の数も明らかに少ない。
「あの……机が一個しかないんですが……」
「それは、人員があなた一人だけだからよ?」
「え?俺だけなんですか?」
「えぇ。ギルドマスターの意向でね。彼は冒険者出身だから、この部署の事をあまり良く思っていないの。ギルドの規定で、仕方無く存在する部署なのよ」
聞けば聞くほど前途多難だな。……味方はどこにもいないのか?
「あぁ、言い忘れてたけど、最低でも一週間は居てね? じゃないと給料あげられないから。あと、王都へは最低評価で戻ることになるからお勧めはしないわ」
ミーネさん、笑顔で恐喝とかマジぱないっす。
俺は、先行き不安しか感じないこの部屋で、おそらくこれから何度もつくはめになるであろう記念すべき最初のため息をついた。