二十九話 ダンジョンの秘密
改めて見ると闘技場は酷い有り様だった。
先程は暴れまわる魔物によって隠されていたが、その魔物たちはタウーレンの優秀な冒険者たちによってその殆どが死体と成り果てている。
客席は魔物に襲われた人たちだけじゃなく、その残骸も加わりグロテスクな墓場となっていた。
その中心。そこでは、アルヴが地下から這い出てくる魔物たちを機械的に殺し続けていた。
そこへ向かう途中、ふと客席にヒルを見つける。その傍にはウィル王子もいるが、付近には騎士たちは一人もいない。
「ヒル!」
すぐさま駆け寄り、俺はヒルの姿に絶句する。
「あぁ……テプトさん」
力なく笑ってみせるヒル。その左腕は肘から先が無くなっていた。
「お前……」
滴り落ちる血。自ら何かで縛り止血をしたようだが、それでもそうしていることが奇跡のような姿を彼はさらけ出している。
「やっぱり、魔力がない僕には出過ぎた真似でした……」
「他の人たちは」
「王様は殺されちゃいましたね。領主様は、上手く逃げたのを見ましたがそれ以上は……」
「もう喋るな」
よろめいたヒルを支えてやる。間近で見ると、その表情からは血の気が引き、今にも倒れてしまいそうな雰囲気を持っている。
「本部に行けば診療所の人たちがいる。そこまで行けるか?」
「ははっ……相変わらず無茶言いますね。僕が面倒臭がりなの知ってるでしょ?」
「ふざけてる場合か」
そう言って無理やりヒルを本部に連れていこうとした時だった。
「お前が! お前が……この首謀者か!」
ヒルの近くにいたウィル王子が突然叫んだ。
「そうだ……そうなんだろう? お前は、冒険者ギルドを変えたいのだろう? それは……この国の根幹を覆しかねない事だ。だから……だから、この期に乗じてこの国の王を殺した」
「すいません。王子は今、気が動転してて」
言いながら苦笑いをしてみせるヒル。お前は動揺してなさすぎだ。
「この罪は重いぞ! 分かっているのか! テプト!」
この国の根幹、か。
冒険者ギルドの記憶はエノールにはない。エノールの死後、共に旅をしたライマルトが勝手に創ったものだからだ。そして、ライマルトの性格上、アスカレアと共にどのような国作りをしたのか大方想像はつく。
そこを考えれば、冒険者ギルドを国の根幹と表現したウィル王子の言い分もわかった。
「俺は……こんなこと毛ほども望んじゃいなかった。国の王様を殺そうなんて大それた事、思ったこともなかった。だけど、嘘っていうのはやはり無理があると思うんだ。その嘘のために、一体どれ程の人間が苦しんだのか俺には想像もできない。罪があるとすれば、きっとそれはここにいる誰にも無いんじゃないかな? それでも、罰を受けなきゃならないなら俺が受けてやるよ」
静かにそう告げる。ウィル王子は目を見開き、ワケがわからないという顔をした。
「お前は……何を言っている?」
「いずれはどこかでこうなっていたのかもしれない。嘘で塗り固めた歴史は、現実の生活に確かな歪みを生じさせる。それが積もり積もって、いずれは違う形で多くの人たちを死に追いやっていたのかもしれない」
「もっと……もっと分かりやすく話してくれ。お前が話していることは理解できない」
「時間がもっとあれば良かったんだけどな。それに気づくのがとても遅すぎた」
ウィル王子の瞳がチラチラと揺れる。その様子から、彼もまた『犠牲者』なのだろうと判断できた。もしかしたら、王様は知っていたのかもしれない。だが、その人はもうこの世にはいない。
「あまり時間がないんだ。魔物の大半は既に殺した。あとは、魔物が出てくる穴に蓋をするだけだ」
「テプトさん……僕にも、あなたが何を言っているのか理解できないんですが」
「ヒル、今この瞬間を以て冒険者管理部の部長はお前にくれてやる」
「……いきなりですね」
「だから、お前は何が何でも生き残れ。これは俺の最後の命令だ」
「最後? まるで、今から死ににいくみたいなこというんですね」
「俺は死ぬ訳じゃない。だが、今後会うことはないだろう」
「……」
ヒルは生気を失った表情で俺を見続ける。そして、不意に笑ってみせた。
「あなたはいつも突然だ。突然、変な事を言い出して周りを巻き込んでいく」
「俺だって散々巻き込まれたんだ。そう考えると、人って奴は一人一人惑星のように磁場を持ってるのかもな」
「ワクセイ? ジバ? 何ですか、それ」
「別に知らなくていいことだ」
「ははっ……まったく、あなたは。――――本気ですか?」
「あぁ」
「そう、ですか。まぁ、なんとなく分かりました」
絶対に分かっていないのに、ヒルはそう言った。
「俺はお前のそういういい加減な所が嫌いじゃなかった」
「僕も、僕のこういうところ嫌いじゃないです」
ヒルは尚も笑う。出会ったときから笑顔を貼り付けている奴だとは思ってはいたが、こんな状況でも彼はそれを崩すことはない。
「……行って下さい。僕たちは自分達で本部に向かえますから」
「悪い。最後まで迷惑をかける」
「ホントですよ……まったく」
呆然とするウィル王子と瀕死のヒル。その姿から離れ、俺はアルヴの元へと向かった。
――――そう。時間はあまりない。アルヴも、無限に召喚され続ける魔物たちを相手にするには限度があるはずだ。
「悪い、遅くなった」
そう声をかけてアルヴに駆け寄る。彼は、ただひたすらに魔物を斬り捨ててはいるが、その身体は戦った時よりも圧倒的に鈍くなっていた。
「……なんだよ。逃げたのかと思っていたが?」
「案外元気そうじゃないか。心配して損したな」
「心配? ハッ! 俺を心配する奴なんていなかったからなぁ? そんな考えも浮かばなかったぜ」
「今から魔物たちを止める。その間、まだいけるか?」
「誰に口聞いてんだ? まだいけるに決まってんだろ」
そんな軽口に、思わず笑ってしまう。
敵として見ていたつい先程までは、あれほど恐ろしい存在だと思っていたのに、今ではそれが頼もしく思える。これだから『人』は不思議だ。
分かりあえない時は何よりも恐ろしいくせに、分かりあえると恐ろしいくらい許せてしまう。
結局、皆怖いだけなんだ。だから、嘘をついて見栄を張って、相手を騙して優越感に浸る。
それが、回り回ってこんな状況を生んでしまった。
これは、俺の罪でもある。……いや、正確にはエノールの、だが。
エンバーザは既に気づいているのだろうか?
「……エンバーザ」
呼び掛けると、しばらくして彼は答えた。
『もう何も言うな。……テプトよ、私の尻拭いをさせてしまってすまない』
「すまないことはないだろ? お前はエノールの記憶を持ってはいるが、エノールじゃないんだから」
『それでも、記憶とは信じられないほどに人格を形成してしまうものだ。たとえ、私がエノールとは別の存在だとしても、その記憶が、知識が、その鎖から解き放ってはくれぬ』
「もっと早くお前と契約していれば、こんなことにはならなかったのかもな?」
『そうでもない。私と契約を交わすには、お前がそれに値する器を持たなくてはならなかった。この時期こそ最善だったのだ』
「……そうかい」
それを最後に、俺はエンバーザとの会話を止めた。それから、ポケットから銀色の指輪を取り出す。
「悪いアルヴ。これに魔力を込めてくれないか?」
「あ? 自分でやればいいだろ」
「できないんだ。俺には、もう魔力は操れない」
「魔力を操れない? それなのに、どうやって俺と――――」
『アルヴ。彼の言うとおりにしてやるのだ』
不意に、上からそんな声が降ってきた。見れば、ドラゴンが俺を見下ろしている。
「お前まで……一体何なんだ?」
『テプトと言ったな? どういった手段を用いたのかは知らぬが、お前は太古の昔に滅びた人の臭いがする。おそらく、この状況を止める方法も心得ているのだろう?』
「あぁ。悪いが、あんたらを追い出した手法をもう一度行う」
そう言うと、ドラゴンは納得したように鼻を鳴らした。
『そうか。再び過ちを繰り返すのだな』
「いや、繰り返しはしないさ。過ちを正すためにやるんだ」
『人はいつも自らを正当化する。そうやって、幾度過ちを犯してきたのだ?』
「数えてられないな。それでも、繰り返すのは馬鹿だからじゃない。考えて、正しいことを導き出そうとしているだけなんだ」
『ふん、何とでもいえる』
「何とでも言うさ……ほら」
そう言ってアルヴに指輪を投げた。それを掴むアルヴ。その瞬間その手からは光が溢れ、近くにとても懐かしい少年が現れた。
「うわぁ……なにこの状況。どういうタイミングで僕を呼んでるんだい?」
現れた少年――タウーレンにあるダンジョンのダンジョンマスターであるエルマは、げっそりとした顔で開口一番そんなことをのたまった。
「エルマ。久しぶりだな?」
「やぁ……テプト。僕を呼ぶのはいいけどさ、もうちょっと選べなかったのかい?」
「選んだんだ。そして、今がその時だ」
「選んだ? この状況で? 何が何だかわからないけど、僕には最悪のタイミングにしか思えないんだけど」
「ひねくれた態度は相変わらずだな? それは、生前の村での風習が原因か?」
「そうそう。あの頃は純粋な清い心を持っていたんだけどね? 死んで聖霊になってからは、あまりにも理不尽すぎるあの風習に……? って、何でその事を知っているのさ!」
エルマは驚いたように目を見開く。その姿はダンジョンマスターとはとても思えない。だが、彼がダンジョンマスターであることは事実なのだ。
「俺を忘れたのか? エルマ」
そう言って、エンバーザを彼の前で掲げる。
『久しいな、エルマよ』
「えっ? 君は?」
『エノールだ。本当に忘れたのか?』
「えっ、エノール!? 何で!? 君は死んだはずじゃ!」
『精霊として存在していたのだ。そして、このテプトと契約を交わした』
「嘘……いや、でもエノール程の魔力を持っていたら精霊になるのも当然か」
『お前をここに呼んだのは他でもない。おそらく、お前もそれを予期してその指輪をテプトに預けたのだろう?』
「何が? 確かに僕は、テプトに指輪を預けたけど、こんな展開予想もしてなかったよ」
話が長くなりそうだったので俺はそこら辺で二人の会話を止める。
「エルマ。この地下には魔物を召喚するための魔法陣があるんだが、それがどうやら壊れてしまったらしいんだ」
「見ればわかるよ。でも、それと僕を呼んだことと何の関係が……」
そこまで言い、エルマは言葉を失った。気づいたのだと、すぐにわかった。
「えっ? ……まさか、ここにダンジョンを作る気?」
「あぁ、そうだ。ダンジョンマスターには、俺がなろう」
「まじで? 本気ですか?」
「本気だ」
エルマは唖然としていたが、やがてその開けた口を吊り上げて笑った。
「なるほど……そういうことか。だから、君は僕を呼んだんだね?」
ようやく納得いったようにエルマは叫んだ。
「最初からそう言ってるだろ。ほら、早くしてくれ」
「でも良いのかい? そんなことをすれば君はもう二度と人の世界には戻れないんだよ?」
「わかってる」
「そうか。君はそういう運命だったんだね」
「運命とか言うな。俺は、俺の考えでこの答を出した。最初から決まっていたなんて悲しくなるだろ」
「うん、そうだね。それもそうだ」
「ほら、早く」
「……わかったよ」
それから、エルマは目を瞑り、耳で聞き取ることができないほどの早さで精霊語を唱え始めた。
――――それはその昔、エノールがライマルトとアスカレアとこの地にやってきた頃の事。
この地はドラゴンが治め、山や森には魔物たちが蔓延っていた。
とても、人が住めるような場所ではなかった。
そこでエノールは、彼らをこの地から追い出すことを決める。
精霊とは大地を治める存在だが、その存在の元は魂だ。人は昔から祖先を敬い、崇め、その祖先の魂から成った精霊と契約を交わして人々を守り暮らしていた。
だが、その崇拝は時に理不尽な風習を生んでしまう。そんな風習に抗ったエノールは、聖霊ではなく魔物を体に取り込んで魔力を用いて魔法を使った。
それを『裏切り』と呼んだ人々は、エノールを追放した。彼に付いてきたのは幼い頃からの友人であったライマルト。そして、風習の生け贄となるはずだったアスカレア。
だが、エノールに付いてきたのは二人だけではなかった。
その風習に少なくない憎しみと疑問を抱いていた五人の精霊もエノールについてきたのだ。
彼らは、生前あまりにも強い力を持っていたが為に、普通は消え去るはずの生前の記憶を有していたのだ。
ドラゴンが魔力で記憶を有するというのも、恐らくはそういった理論を用いているに違いない。有り余る力は、その人の死後にも影響を与える。
エノールはドラゴンたちを殺し、五人の精霊に五つの地を与え、大地から魔物が出現するのを抑えた。
その方法とはダンジョンを作ること。この地に存在する魔物が出現しやすい場所にダンジョンという蓋をしたのだ。
エノールは最初にダンジョンを踏破した者だと歴史は伝えているが、実はそうではない。
ダンジョンを創ったのは精霊であり、その精霊を従えていたのがエノールなのだ。
――――エルマの詠唱が続くにつれ闘技場は地響きと共に、だんだんと形を変えていった。地下にある魔法陣は、まるで意思を持ったようにそれよりも地下へと潜っていく。その光景を、俺はずっと見ていた。召喚される魔物たちは、魔法陣と共に奈落の地下へと閉じ込められ、その叫びさえも聞こえなくなる。
やがて、地響きが収まるとエルマが詠唱を止める。
「……ふぅ。忘れているかと思ったけど、案外覚えているものだね?」
「忘れてるわけないだろ。そもそも、精霊に忘却の機能自体ないんだから」
「それもそっか。あとは……君がダンジョンに潜って契約の儀式をするだけだ。今の君は限りなく精霊に近いし、ダンジョンマスターとしての資格は十分に持ち得ている」
「そうか。ありがとな」
「お礼を言われるようなことはしてないんだけどなぁ」
さて。
俺は新しく生まれ変わった地下への穴を見つめる。それは、冒険者として何度も目にしたダンジョンの入り口。だが、中は管理する者がおらず、いつまた魔物が出てきてもおかしくない。
行くか。
そう決意し、足を持ち上げた。
その時だった。
「テプトォォ!」
不意に近づいてくる声。なんだ? そう思い振り返ると、物凄い速度で迫ってくるソカが目に入った。
彼女は拳を振り上げて怒りの表情を露にしていた。
「そ――」
名前を口にする瞬間、彼女は振り上げた拳を俺に向かって躊躇なく降り下ろす。
腹に伝わる衝撃。体内から、骨の折れる音が三つ聞こえた。
なんで? とか、殺すきか! とかのツッコミを入れる暇もなく、俺は呆気なく地面を転がる。
俺は悲鳴を上げる体で、自分がまた生身の人であるということを、漠然と感じていた。
エルマ。
アスカレア王国に四つあるダンジョン。その内のタウーレンのダンジョンマスター。
姿は少年であり、生前は村の生け贄として短い生涯を閉じた。
性格は意地悪であり、その時のことをソフィアが『幸福のペンダント』を手にする際に問題として出した。
ダンジョンマスターを名乗っているが、その実は強大な力を持つ精霊。
ギルドカードは、冒険者の血を垂らすことによって身分証となるが、その行いは『血によってダンジョンマスターと仮契約する』ことを指す。故に、そのギルドカードを持つ冒険者の動向をダンジョンマスターはダンジョン内ならば容易く知ることができる。
そうやって、彼らはダンジョンの秘密がバレぬよう冒険者たちに魔物を放ち、わざと生還させて歴史を守っていた。