二十六話 予選
「それでは、試合始めぇぇ!」
試合開始の声が闘技場内に響いた。場内にいる選手たちはそれぞれに戦闘を開始する。
「この日を待っていた。テプト」
目の前に立ったのはカウル。彼は大剣を低く構えて迎撃の態勢を取る。
「向かってこないのか?」
「接近戦では勝ち目がないからな」
たぶんそれは嘘だ。カウルは魔法をあまり使用せず、その大剣のみで戦闘をこなしてきた。修得しているスキルも、接近戦に役立つものばかりのはず。
そんな彼が、勝てないからといってスタイルを急に変えるだろうか?
答えはノー。
だから、それで俺を誘い込み、カウンターを仕掛けるつもりなのだろう。
カウルの特筆すべき点は、その大剣から繰り出される破壊力ではなく、それを相手へと着実に当てる所にある。それは、相手の攻撃を掻い潜り、そして、相手の隙を狙う嗅覚が鋭いからできること。つまり、カウルは気配や魔力に関する察知や探知が常人とは比にならないくらい優れているということだ。
なら、その鋭敏な感知能力を不能にしてしまうしかない。
俺は、闘技場に仕掛けられているシールドが起動していることを確認してから精霊語を唱えた。
「魔燃、点火!」
すると、俺の体を包むように光が発生する。
「なんだ? その魔法は。……魔力がメチャクチャだぞ?」
「大気の魔素を燃やしてるんだ。メチャクチャに感じるのは、お前が繊細だからだよ」
カウルの感知能力は魔法ではなくスキルに依るものだろう。そして、魔力とスキルは元のエネルギーからつくられている。つまり、『気配察知』とは相手の体内に巡る魔力の流れを感じており、『魔力探知』とは、そこから外れた魔力・魔法を感じているに過ぎない。
カウルは、それを正確な感度で分かってしまうために相手の動きさえも分かってしまうのだろう。
だから、それが計測できないほどに魔力を乱してやれば良い。
俺は、もう自身の体内にある魔力を制御できない。だが、体外の魔素であれば、精霊魔法によってどうすることもできた。きっと、今のカウルには、俺の魔力は炎のように乱れて見えることだろう。
「……なるほど。これではデタラメ過ぎてお前の存在しか感じることができない」
カウルは苦い表情を見せる。
「だが……そんなデタラメな魔力じゃ、近づいてきたらすぐにわかるぞ? 今のお前は魔力を撒き散らす頭の悪い魔物みたいだ」
「言うじゃねーか」
カウルの言うとおりである。今の俺では、下手な冒険者でもどこにいるのか分かってしまうに違いない。
「これなら避ける必要もない。ただ、お前にこの大剣を打ち込むだけだ」
カウルは、より一層低く構えた。そんな受け身に対して俺は嘲りの表情を浮かべてやる。
「カウルは、火の怖さを知ってるか?」
「火?」
「そうだ、火だ。……火は、燃やせる物があるかぎりずっと燃え続ける。最初は小さなものかもしれないが、時間が増すごとにその勢いは大きくなって、手がつけられなくなってしまう。だから、火に対して人は用心するし、自分の制御できる範囲内におさめようとする。もし、おさめられなくなった時は、その火を消すしかない。だが、時間が経ち手に負えなくなった火は、消すのも難しく、下手に近づけば一生残る傷として苦しめることになる」
カウルは、訝しげな表情をして俺を睨んだ。
「何が言いたい?」
「わからないか? 今の俺は火そのものだ。それを放置して待っていたんじゃあ、勝てなくなると言ってるんだ」
そこまで聞いてから、カウルは唇の端を吊り上げた。
「そうやって、俺が向かってくるのを誘ってるんだろう?」
だが、なおもカウルは構えたまま動こうとしない。
「そうか。……仕方ないな」
俺は、カウルに向かって手のひらをかざす。
「我に仇なす罪人に罰を与えよ。火炙り!」
そして、手のひらを握りしめる。
「……なんだ、急に……体が」
「動けないだろ? 今俺はお前の存在自体を言葉によって固定した。今からジワジワとお前は苦しむことになる」
「なに……が」
「カウル、今のうちに負けを認めろ。じゃないと、俺はお前という存在を燃やさなきゃならなくなる」
次の瞬間、カウルは顔を歪ませて言葉にならない叫び声を上げた。
「なん……だっ? 何が……起こって……る?」
「お前には見えないだろうが、俺にはハッキリと見えてる。お前という存在を縛り付ける鎖も、足下に揺らぐ炎も。早く負けを認めないと死ぬぞ?」
それでも、カウルは俺の言葉を理解できず訝しげな視線を送ってくる。その体は、俺にしか見えないのであろう鎖によってしっかりと縛られていた。巻き付いた鎖はピンと張られており、その先は空中で途絶えている。そして、カウルの足下、地面という存在の底から、全てを焼き尽くさんとする炎がチラついていた。
魔法とは目に見える魔力の事象であり、精霊魔法とは、目に見えぬ本質の事象である。
そして、そんな『精霊魔法』とは、仲間や大切な人たちを護るために創られた魔法だ。だから、対象に向けて攻撃するものはない。だが、裏切り者に罰を与えるために少なからず創られた魔法もあった。和を乱す者、反逆を企てる者、そんな者たちには、より残虐な罰を与えなければならない。
それが、『精霊魔法』の『火炙り』。そして、この魔法は対象の者が持つ物全てを焼きつくす。
エンバーザが欲したスキルは『全能』だった。それは、全てを手にいれる事ができる神にも似た力。それを引き換えとすることにより、全てを焼き尽くし、あまつさえ自身をも焦がす程の力を俺は手に入れた。手加減はできない。そもそも、手加減など考えられてはいない。
この魔法から逃れる方法は二つしかない。俺が魔法を止めるか、繋がれた鎖を無理やり引き剥がすか……だ。だが、無理やり自身を引き剥がすなど到底できるわけがない。できるとすれば、自分という存在を捨てることだ。身分も、地位も、信頼も、自信も、全て。そうすることによって、鎖からは逃れられる。なぜなら、この鎖は、俺がカウルという存在を認めているからこそ発動できるものなのだ。仲間だから、大切な存在だから。
もしもそれを捨て去ってしまえば、もはや幽霊と言ってもいい。誰にも意識されず、見向きもされず、言葉すら通じなくなってしまう。かつて……エノールが、それをやってのけたように。
だからこそ、カウルには取り返しがつかなくなる前に負けを認めてほしい。俺は、もう負けさせるための手段を持ち得てはいない。何かを、誰かを、消滅させてしまう術しか持たないのだ。
「これは……この炎は……」
カウルが呟いた。自身の存在が脅かされて、ようやくその事象を目にする事ができたのだろう。
カウルの表情が見たこともないほどに、恐怖へと歪んでいく。逃れようにも体は動かない。ただ、自身に炎が燃え移るのを見ていることしかできない。
彼が、その言葉を口にしたのは、その呟きのすぐ後だった。
「頼む……止めてくれ……俺の、負けだ」
「棄権するか?」
「あぁ。……だから」
そこで俺は、魔法を解除する。途端に膝から崩れ落ち、武器を放すカウル。
もう、彼に戦う意志はないだろう。
少し遠くで、轟音と共に魔法のぶつかり合う音が聞こえた。見れば、炎と氷の柱ができて氷の方がその勢力を拡大している。
レイカだとすぐにわかった。
それだけじゃない、鉄と鉄のぶつかり合う音もそこらじゅうから聞こえる。
不意に、剣を振り回し襲ってくる冒険者がいた。
「罪を教えよ」
その剣は、俺に当たるも跳ね返って冒険者の肩を強襲した。
「ぐっ……」
その直後、何処からか槍が飛んできたが、それも俺に当たると弾かれて意思を持った攻撃のように元きた弾道へと戻っていく。
「ぐあぁぁ!」
見れば、槍が腹に刺さって倒れている兵士がいた。
(……そろそろか)
俺は、自身に纏わりつく炎が弱くなったのを感じて、その魔法を口にする。
「魔燃、拡大」
魔素を元に燃えていた炎が完全に消え去る。
そして、近くにいた選手が途端に倒れる。その相手をしていた選手も同様に倒れた。それは、俺を中心に円のように広がっていき、最後には俺だけが闘技場内に立っていた。
困惑した反応を見せる客席。当然だろう。なにせ、何の現象もなく俺以外の選手全員が倒れたのだから。
「終わったぞ!」
開戦を告げた兵士の方に声をあげると、彼も困惑していた様だった。が、俺の声に気づいて遅れながらに宣言する。
「そっ、そこまで!」
こうして、昨日のアルヴの一人勝ち同様に、俺の一人勝ちが決定した。だが、客席は歓声には沸かず、未だ異様な雰囲気を出している。なぜ、俺だけが勝ったのかわからないからだ。
闘技場内に医療チームが降りてくる。それを確認し、俺はカウルとの戦いからずっと発動していた魔法を解除した。
「……こんなところか」
その時、身体を刺すような殺気を感じた。見れば、客席から俺を見下ろすアルヴの姿がある。その距離はかなりあるのだが、ぶつけられる殺気はナイフのように鋭く、生々しかった。
それは、純然たる闘争心。深く刻み込まれた笑みには、狂喜の色が窺える。今まで俺に向けた見下しの態度でもなく、嘲笑の態度でもなく、紛うことなき殺傷衝動。
その視線に、俺は歓喜した。
この瞬間を待っていた。
アルヴに倒された日から、心の根底にあった後悔。それを見て見ぬふりしてきた不甲斐ない自分。負けることには慣れたとずっと思い込んでいた。悔しさに我を忘れることを恥ずかしいと思っていた。
だが、どうしてもその感情を消すことができなかった。
だから、やるならアルヴと同じく一人勝ちしかないと決めていた。それをしなければ、俺は納得できないと知った。
自然と口の端が吊り上がるのを止められない。彼の殺気を全身で感じることに、身体中が喜んでいる。
(今度はお前だ)
それは、きっとアルヴも思っているだろう。
「……どうして、あなたが」
その声に振り返ると、レイカが体を引きずるように近寄っていた。
「なんだよ。さすがはAランクだな? まだ意識があったのか」
「何が……起こった?」
「わからないか? 魔力切れだよ」
「魔力……切れ?」
尚も、閉じそうな瞼に必死で抵抗するレイカに俺は笑いかける。
「闘技場内の魔素をほとんど燃やしたんだ。その後で、魔を燃やす火種を闘技場内に散開させる。すると、その火種は魔法やスキルに反応して、発動者の体内の魔力をも一気に燃やし尽くすというわけだ」
戦いをする者たちは、少なからず体内の魔力を戦闘に活用している。それは魔法であったり、スキルであったり。
今の人々は、魔法を使えぬ者を魔力を持たない者と言っているが、実はそうじゃない。誰もが魔力を持っていて、それをどちらに活用しているかに過ぎないのだ。そして、俺が発動した『魔燃』は、魔を燃やす魔法。大気の魔素を燃やし、それが無くなっても魔を求めて燃え続ける。だから、魔法を使おうと体内の魔力を放出した時、スキルを発動して肉体を高めた時、その炎が一気に体内へと駆け巡る。
例えるなら、酸素を求めて炎が勢いを増すのに近い。
その状況をつくるため、俺はゆっくりと大気の魔素を燃やしていた。観客席に被害が出ないよう張られたシルード内の魔素を。
「言っている意味が……わからない」
レイカは必死に言葉を吐き出す。
「わからなくていい。レイカには不要な知識だ」
「まだ、あなたと……戦ってない」
「戦っただろ? この前」
「あの時より……強くなった」
「じゃあ、もっと強くなれ。また相手してやるよ」
「……やはり、あなたはズルい」
その言葉を最後に、レイカは気を失う。すぐに医療チームがやってきて担架で運んでいった。それと入れ違いに、今度はミーネさんがやってくる。
「テプトくん、どういうつもり?」
「ミーネさん、すいません」
「……それは、試合前にいなかった謝罪かしら? それとも、明日から行う予定だったトーナメント戦を無為にした謝罪?」
「どちらもです」
「説明はしてくれるのよね?」
「皆をアルヴと戦わせるわけにはいきませんでした」
そう言った俺の言葉に、ミーネさんはため息を吐く。
「どうしてあなたは……。理由はわかるけど、方法ならいくらでもあったはずよ?」
「例えば?」
「トーナメント表を決めるくじ引きを弄ったり、彼を不正にして出場取り消しにしたり」
「……また大胆に言いますね」
「言ってる場合じゃないわ。あなたのせいで、闘技大会の日程が大幅に早められることになったのよ? その意味がわかる?」
どこまでも運営側の意見を言うミーネさんに、俺は微笑む。
「ミーネさん、次の戦いを見たらきっと考えを改めますよ」
「次?」
「はい、俺とアルヴの決勝戦です」
ミーネさんは、しばらく俺をジッと見据えていた。
「テプトくん。……まさか、アルヴと戦ったの?」
「はい」
「そんなに彼は強いの?」
「はい」
「でも、勝ったんでしょう?」
「負けました」
途端に、ミーネさんは眉を寄せた。
「テプトくんが? 信じられないわ」
「事実です。それに、ミーネさんなら彼の残虐さを知っているはずです」
「……バリザス様から聞いたのね?」
「全部聞きました」
「……そう。それで」
それから、ミーネさんはしばらく何かを考えているようだった。
「……わかったわ。後のことは私たちに任せて、テプトくんは休んで」
「わかりました」
そう答えた時だった。ミーネさんに、一人の男が走ってきた。
「どうしたの?」
「その……国王様から、すぐにでも決勝戦を始めるようにとのお言葉がありまして……」
「なんですって? 試合は今終わったばかりなのよ? そしたらテプトくんは連戦になるわ」
「それが……」
男は言いづらそうにしていたが、意を決したのか口を開く。
「テプトさんが、何か不正をしたのではないかと文句が上がっていて……」
「なによそれ?」
「いえ……たぶん……どうやって他の選手を倒したのかわからないからだと思うんですが……その、私にも全く理解できませんでしたし……」
ミーネさんは「あぁ」と天を仰いだ。
「で? なぜそれが決勝戦に繋がるの?」
「不正をしていないなら、優勝を以てそれを証明せよ……と」
「理屈になってないわ! テプトくんが、勝った方法を説明すれば良いだけじゃない!」
「私たちもそう言ったのですが、聞いてくれなくて……」
もう、男は泣き目になっていた。
俺は、特別席の方を見る。そこには、俺を睨んでいるヘルスタイン様と、ヒルと話をしているウィル王子、そして奥に座る国王の姿があった。
たぶん、ヘルスタイン様が言ったわけじゃないだろう。彼も、できるならこの祭りを引き伸ばしたいと考えてる人だ。なら、ウィル王子か……。
「……ミーネさん、俺から言うのは間違ってるかもしれませんが、すぐにでも決勝戦を始めましょう」
「良いの?」
「王族からの申し入れでしょう? それには、ヘルスタイン様も逆らえないはず」
「でも、テプトくんは準備が」
「必要ありません。準備なら、してきましたから」
「……わかったわ」
そう言うと、ミーネさんは走ってきた男と共に運営席に戻っていく。
『タウーレン最強』の称号を決める決勝戦開始が宣告されたのは、その数十分後だった。