二十四話 闘技大会二日目の波乱
闘技大会二日目。
今日の行程は、タウーレン内から出場する選手選抜である。前日に行われたタウーレン外からの出場選手は、アルヴの一人勝ちとなってしまったため、次の日に行われる勝ち抜き戦の枠が余ってしまい、参加者は皆意気込んでいた。
方法は同じで、闘技場内での生き残り方式。規定の人数になるまで戦いは行われる。
「……だそうです。ですから、今回のメインとなる戦いは、明日からになります」
闘技場、特別席。そこでウィル王子は、隣に座る年老いた老人にそう説明した。
「なるほど……しかし、こういったものは、どうしてこうも時間をかけるのか」
「わかっておいででしょう? 時間をかけた方が儲けが出るからですよ」
「ウィル……口が過ぎるぞ」
「失礼しました」
老人は荘厳な装飾のある王冠を頭にのせている。格好もきらびやかな物であり、周囲の者たちの中では一番権威ある者だと誰が見てもわかった。
当然である。彼は現在アスカレア王国の頂点に君臨する王様なのだから。
そんな王様は、チラリと横を気にしてからウィル王子に視線を戻す。すぐ近くに座っているタウーレンの領主を気にしたのだろう。先程のウィル王子の発言は小さな声ではなかったものの、タウーレンの領主ヘルスタインは、なに食わぬ顔で闘技場を見下ろしていた。
「して、此度の戦い、誰が残りそうか?」
「はい。昨日の戦いで一人勝ちを決めたアルヴという選手。調べたら元タウーレンの冒険者だそうです。さすがは、王国一の冒険者数を誇るタウーレン、層もかなり厚いと見えます」
言いながらウィル王子は、ヘルスタインを見やる。しかし、ヘルスタインは聞こえていないのか、尚も反応を示さなかった。
(まったく、領主もこの有り様とは……ね)
タウーレンは他の町とは離れているため、その時の領主によって大きく政治を変えてきたという歴史がある。それは、あくまでも王都の政を模倣したものに過ぎないのだが、近年ではタウーレンだけが様々な取り組みを独自に行っていた。目を通した報告書には、つい最近も『称号制度』という物があり、この闘技大会も『タウーレン最強』を決めるためのものだと聞いた。
しかし、ウィル王子には、事前に冒険者ギルドへ潜入させていたヒルから、その内容と経緯、発案者に至る全ての情報が耳に入っており、ヘルスタインの思惑も把握していた。
「ヘルスタイン殿はどう思われますか?」
「すみません。何の話でしょうか?」
ウイル王子に問われ、ヘルスタインは朗らかな笑みを浮かべて申し訳なさそうに答えた。
「今日の戦いで生き残る者の話です」
「なるほど」
「だいたいの検討はついておられるのでしょう?」
「いやいや、昨日あれだけの波乱がありましたから、実際の所誰が生き残るのかは私にも。……ですが、名のある者ならば少しばかりご紹介いたしましょう」
「お願いします」
すると、ヘルスタインは椅子から立ち上がり、王様にもよく聞こえる声で話し出した。
「あそこにいる紫色の髪をした女性、名をレイカと言いますが現在タウーレンの冒険者の中では最高ランクの者です。もちろん、ランクというのは強さだけで決めるものではありませんが、屈指の実力を持ち合わせていることは間違いないと思われます。それから、冒険者という枠組みならあそこに立つ大剣を背負う青年、カウルも有力だと言われております。彼はランクでいえばBですが、個人的な強さでいえば既にAに届いていると聞いております。次に兵士ですが、彼らも冒険者に劣らず……」
ヘルスタインは、今まで黙っていたのが嘘のように喋りだす。まるで、そういった事を聞かれることを、予期していたかのようだ。ウィル王子は舌打ちしたい気持ちを抑えて、笑顔でヘルスタインの話を聞いた。
「……と、こんなところですかな」
ヘルスタインは数人の選手を紹介し終えてなお、その視線を闘技場へと這わせていた。
まだ、紹介したい選手がいるのだろう。
ウイル王子は、その人物が誰なのかを知っている。その話の流れから『称号制度』の事を、王様に話すつもりなのだろう。
そして、ウィル王子もまた、その人物を探していた。だが、未だその姿は闘技場内にない。
「なるほど。タウーレンには強き者たちがよく揃っておるようじゃな」
「……ありがとうございます」
王様の言葉が最後だった。ヘルスタインは不服そうな表情を隠して自身の椅子へと戻る。それを、ウィル王子は楽しげに見つめた。
(にしても……本当にこないつもりなのか?)
ウィル王子の疑問は、なにも彼だけが思っていることではなかった。開戦が目前に迫る中、運営の方ではその人物を探して何人ものギルド職員が駆け回っていたし、警備兵にもその人物を探す連絡がいっていた。闘技場内で戦いを待つ者たちもその人物の姿を探している者はいて、ある者は優勝への可能性に喜び、ある者は不満そうな顔をぶら下げていた。
その人物を知る者は皆気にかけていた。だが、彼の姿はどこにもなく、闘技場はおろか、タウーレンの町自体から忽然と姿を消してしまっていた。
そして、無情にも試合開始の時刻はきてしまう。
闘技場内の選手たちはそれぞれに武器を持ち、戦いに備える。観客席は満員で、誰もが固唾を飲んでその瞬間を待っていた。
「えー、それでは闘技大会二日目、タウーレン内からの出場枠を決める生き残り戦を始めたいと思います!」
一人の兵士が出て来て大きな声を上げた。
待ってましたと言わんばかりの歓声が闘技場を包み、大きなうねりとなって辺りにこだます。それが徐々に止むと、今度は緊張した空気が張りつめ始めた。
兵士は開戦のタイミングを窺っている。
誰もがその動きに注目していた。
そして。
(なんだ?)
その兵士は、とある変化に気づく。
出場している冒険者たちがソワソワしているのだ。それは、戦いの前の武者震いというよりは、気になることがあって集中できないという風に感じる。
その僅かな変化に他に出場者たちも気づき、不審に思っていたが。
次の瞬間、その理由を知ることになる。
――――ゾワリ。背筋を、腰から首まで舐めあげられたような悪寒。
今までに感じたことのない感覚に、気持ち悪さを覚える。それが一体何なのか辺りを見回すが、これといって原因となるものは見当たらない。
それは、まるで自分の存在がより大きな存在に脅かされているかのような感覚。待っていてもその感覚は消えず、むしろだんだんと大きくなっていった。
一人の出場者が、戦いの前を前だというのに、武器を落として膝をつき自身の体を抱き寄せた。それは一箇所だけでなく、同じ行動を取る者たちが次々と現れる。
選手だけではない。観客席も似た行動を取る者たちが続出した。
立っていられたのは全体の三割ほど。
「これはっ……一体何が?」
兵士は膝をついて縮こまってしまいたい衝動に抗う。正体の分からない悪寒に、誰もが恐怖を覚え始めた。
その時。
なんとか持ちこたえたいる者たちが、その正体に感づく。
空、闘技場の上空に迫る何か。それが、悪寒の正体であると。
よく目を凝らしても何も見えない。だが、それは確実に近くまで迫っていた。そして、次の瞬間姿を現す。
最初に気づいたのは冒険者たちだった。おそらく魔物との戦いによって、そういった類いの神経、もといスキルを発達させていたからだろう。彼らが目にしたのは、地獄から召喚されたかのような赤黒い狂気の魔物。
次に気づいたのは兵士だった。その存在感に、着地した振動に、凶悪な姿に、倒さなければならないと本能が訴えかけたのだ。
最後に気づいたのは観客たちだった。目にしてからソレが何なのか、何故ここに在るのかが理解できず魔物が闘技場に現れたのだと結論に至るまでかなりの時間を要した。
人間は、外部から刺激を受け、それに応じた行動を取るまでに一度脳を経由する。その際、刺激があまりにも脳内の容量をオーバーし、理解できなかった時は、途端にその経由が上手くいかなくなってしまう。結果、思考停止と表現される事態に陥り、体は行動をとれなくなってしまうのである。
そんな事態が、今だった。
だが、町の中心にある闘技場に、魔物が現れるなど誰が予想できただろうか? それは、タウーレンの守りが秀逸であることの証。誇っても良いことなのだが、そんなのんきな事を考えられる人間はこの場において一人もいなかった。
本来ならばすぐにでも逃げなければならない状況。だが、それが行われるにはあまりに事態が深刻過ぎた。だから、今この瞬間から、闘技場が阿鼻叫喚と混乱に包まれるまでに少しの時差が起こる。
その時差を最も早くなくして見せたのは、やはり冒険者だった。特に、大剣を構えていたカウルは、他の者よりも早くに動きだし気がつけば魔物に向かっていた。彼は、その身を長いこと強い魔物たちの前に晒していたために、順応も早かったのだろう。それに連鎖されるように他の者たちも動き出す。
そして、観客たちがようやくにアクションを起こそうという時、真っ先に向かっていたカウルは、魔物の上に乗っている人物に気がついた。
「止まれぇぇ!!」
普段の彼からは想像できない程の大声。動き出していた冒険者も、今にも叫びだしそうな観客たちも、その一声によって動きを止めた。
「……お前は」
カウルは信じられないという表情で魔物に乗る人物を見つめる。
「なんだよカウル。ずいぶんと威勢がいいな?」
そう言って降りてきたのはカウルのよく知る人物であり、彼が頻りに姿を探していた人物だった。
「……テプト。なんだ、その魔物は」
「あぁ、ちょっと急いでたからな。このままきたんだ。……というか、もしかしてもう始まってた?」
目の前のテプトは、近くで跪づく者たちを見回しながら尋ねてくる。
「……ハッ」
そんな光景に、渇いた笑いがでてきた。
「お前というやつは……」
まだ始まってない、そう言いかけて声が止まる。
テプトは、今しがた乗っていた魔物を撫で付けており、魔物はそれに応えて自ら体を寄せている。
(なんだ? この違和感は)
カウルは、先程の感覚が目の前の魔物によるものだと思っていた。だが、テプトを目にしてそうではないのだと知った。
この重苦しい威圧感も、沸き上がる恐怖も、全てテプトから感じるからだ。
(一体何が……)
それは、既に彼の知るテプトではなかった。いや、見た目はテプトなのだが、気配が前とは明らかに違っているのだ。
それを問い詰めようと思った矢先だった。
「……まぁ、試合が始まってたかどうかはいいや。悪いけど、皆、この戦いは棄権してくれないか?」
笑顔でテプトはそう言う。
それを聞いたカウルには、もはや何が冗談で、どこまでが本気なのかわからなくなっていた。