二十三話 タウーレンへ。
『……主よ……主よ』
「……はっ!」
タロウの声で目が覚めた。どうやらいつの間にか寝ていたらしい。
「寝てたのか、俺」
飛び起きて辺りを見回す。まだ、建物の中だった。
「どれくらい寝てた?」
『二時間程だ』
それはエンバーザの声。そちらの方を振り向くと、何故か巨大な犬が鎮座していた。
「えっ……エンバーザ……なのか?」
『違う。我だ』
「その声……タロウか? えっ? 何で急に大きくなった?」
その巨大な犬をよく見れば、確かにタロウの面影が残っている。だが、毛並みは全身黒から赤っぽく変わり、体長も熊ほどになっていた。
『どうやら、私と契約を交わしたことで、既に契約を交わしていたこの魔物にまで影響を与えたらしい』
それはエンバーザの声。だが、タロウの口から声は出ていた。
「お前ら……融合したのか」
『融合ではない。私が依り代としているだけだ』
「今のはエンバーザだよな?」
『まったく、煩わしい。我の肉体を勝手に依り代とするとは』
「で、今のはタロウだよな?」
紛らわしくていかん。
「そうだ、闘技大会!」
大事なことをすっかり忘れていた。そのために、ここに来たというのに。
『日が昇るまで、もうあまりないぞ?』
「だから空間魔法で……って、俺もう使えないのか」
まずいな……そこまでは考えてなかった。
「とりあえずここを出よう」
そう思い立ち上がった時だった。
『我に乗れ』
そう言い、タロウに服をくわえられてしまう。
「乗っても大丈夫か?」
『問題ない。むしろ乗れ。力が有り余って仕方ないのだ』
タロウはそう言って体を震わせた。うずうずしているのが毛先にまで伝わっている。
「じゃあ頼む」
言ってから飛び乗ると、温かなタロウの背中に少しだけ体が沈んだ。乗り心地は悪くない。
「ありがとうございました」
天井に向けて叫ぶ。
『……十分に気をつけて。この先も』
上からはそう返ってくる。俺の事を心配しているようだった。
「大丈夫ですよ」
それに、軽い口調で返してやった。
『いくぞ!』
タロウは吠え、そして物凄い勢いで走り出した。急な反動に吹き飛ばされそうになり、咄嗟に前屈みになる。そのまま建物内の長い廊下を抜け外に出た時、タロウは勢いのまま高く、空へと跳躍した。
『どっちだ!』
顔を上げると、何もない空が見えた。左側の方角がうっすらと明るくなっている。日の出が近いのだろう。振り返って下を見れば、先程の建物が小さくなっていた。
俺がエンバーザと契約を交わしたことにより、タロウはとんでもなくパワーアップしているらしい。
『精霊の森』はアスカレア王国の北に位置する。タウーレンは王国の東側。それらと、太陽の昇る位置を考え、向かうべき方向を指差した。
「向こうだ」
『掴まっておけ』
そう言い、タロウは速度を落とすことなく一面に広がる木々の上を器用に駆けていく。
(……さっそく使いこなしてるな)
タロウは、木々を足場にしているわけではない。それらの生命力の塊を、足蹴にして進んでいる。いわば、魔法でも身体能力でもない。新たに得た能力、精霊魔法で駆け抜けていた。とはいえ、他の存在を足蹴にするなど、それよりも強い存在でなければ使用できない。
つまり、自分よりも大きな存在の上は駆けることができないのだ。
(って……なんで俺そんなこと知って……)
不意に起こった記憶の混濁に、頭を抱えそうになる。それを必死で抑えて――――思い出した。
『大丈夫か?』
それはエンバーザの声。
「あぁ。……そうか、お前はエノールだったんだな」
『昔はそう呼ばれていた。だが、その記憶と知識があるだけで今は全くの別物。生きていたときの感情などは思い出すことができない』
「そうなのか……なら良かったよ」
『良かった?』
「俺はあんたの経験を知った。だが、それを実体験で知っているあんたがどんな気持ちだったのかはわからない。だったら、あんたが前向きに生きてたと、勝手に決めつけることができる」
『そうだろうか? 私はもはや人ではないが、そうだったとは到底思えん』
「思えないだけだろ? でも、本当にそうなんだ。どんな状況でも、その人がどう思ってるかなんて絶対にわからないんだ。絶望的な状況でも前を向いてる人はいるし、幸せそうでも悩んで生きている人がいる。要は、自分次第なんじゃないかな?」
『……なるほどな。私は、お前の運命へ黒く塗られていると言った。だが、それを断定するのはお前自身だと言いたいのか?』
「うーん……まぁ、そういうことかな? だって、俺は俺の運命を悲観的には思ってない。むしろ、感謝してるくらいだ」
『感謝か。それは誰にだ? まさか、転生させた神とでもいうつもりじゃないだろうな?』
「あれ? お前は俺が転生したと知ってるのか?」
『お前と私は一つの存在として融け合った。私の記憶や経験を知ったように、私もお前の事を知ったのだ』
「なるほど。どうだった? 愚かだっただろ?」
そんな軽口に、エンバーザは少し黙っていた。
『人はいつも愚かだ』
返ってきた答えは、俺を傷つけないようオブラートによって何重にも巻かれていた。
「だが、不思議と後悔はないんだ。何度もバカやって、何度も自分を苦しめたが、それで良かったんだ」
『それは、彼女たちがそう言ったからか?』
彼女たちとは、ソカとセリエさんのことだろう。それに、笑って頷く。
「たぶん、俺はずっと誰かに認められたかったんだと思う。そうすることによって、自分の存在意義を証明したかったんだ。魔物は自分の存在を確たるものにするために人を襲うのと一緒で、俺もそうだったのかもしれない」
『魔物と一緒か、あまり人らしくない考え方だ』
「同じ世界に生きている者なんて、みんなそうだろ? だからすれ違いが起こるし、ケンカだってする。それでも、結局中身は皆一緒だから分かりあえるんじゃないかな?」
『それは……本当にそうだと言えるのか? お前は見ただろう? 私の記憶を。仲間の中でも上手くいかず、行き着いた場所で魔物たちをも力で抑えつけた。精霊たちを騙し、人を騙し、偽物の平和を正義のように語った』
「知ってる。だが、俺はあれでよかったと思えるよ。むしろあれ以上はなかった。お前はよくやったよ」
『……そうか』
それから、エンバーザの気配が消えた。最後の言葉は、とても穏やかだった。
(しっかし……)
改めて思うと、世界とはなんと巧妙につくられたものだろうかと感心する。嘘と本当を織り混ぜて、さもそれが真実であるかのように語り、たくさんの人々を欺く。
『アスカレア王国』『冒険者ギルド』『ダンジョン』。
それらが、それぞれに嘘を持ち、こんなにも理想的な世界をつくりあげてしまっていたとは考えもしなかった。
だから、そのカラクリを全て知った俺は思わず笑ってしまいそうになる。
(……あの演劇、嘘っぱちにも程があるだろ)
いや、それを本気でやっていた俺に対して笑いそうになったのかもしれない。




