二十一話 精霊との契約
「キシャアアアア!」
狭い木々の間を、そんな声と共に翼を広げた魔物が襲ってくる。
「またかよ……」
それを、俺は一振りで斬り捨てる。目の前で失墜する魔物。それを横目に、さらに森の奥へと歩みを進めた。
もう、何度襲撃されたかわからない。
『精霊の森』はそこまで広いわけではない。が、方向感覚が鈍るほどに生い茂った木々と、魔物の数が多過ぎて思うように進むことができなかった。
冒険者時代、俺は精霊と会うためではなく修行の一環としてこの森に入った。その時の記憶を頼りに進んでいるわけだが……。
(……完全に忘れてるな)
もはや、どちらに行けばいいのかすらわからない。
だが、嘆いている暇などなく、俺は足を動かした。
(そういえば……なぜ、アルヴは闘技大会に参加したかったんだろうか?)
ふと、そんな疑問が頭に浮かぶ。
アルヴの力は言うまでもなく圧倒的だ。見立てでは、敵う者はまずいないだろう。なら、戦いを楽しみにきたわけでもないだろう。それとも、楽しめると踏んで参加してきたのだろうか?
そもそも、今になって彼はなぜ姿を現したのだろうか?
(……わからないな)
考えてみても答えは出ない。明確にわかっているのは、敗北した時の悔しさと、勝ちたいという俺の思いだけだ。
(まぁ、本人から聞けばいいか?)
深くは考えず、足だけを動かす。目の前に広がる光景はどこまでも一緒で、襲ってくる魔物にも変化がない。まるで、同じところをぐるぐると回っているような感覚に陥る。
もしかしたら、本当に回っているのではないだろうか? そんな疑念に不安を持ち始めた頃だった。
突然、木々が開けて広い空間に出た。
「……ここは」
そこは、昔きたときの記憶と重なる場所。
空間の真ん中には、古びて蔓が所々に巻き付いた巨大な四角い建築物がある。その素材は時折薄く発光していて、闇夜の中でもシルエットを明瞭に浮かび上がらせていた。まるで、『ダンジョン』のようだった。
「ようやくか」
俺はその建築物まで歩く。間近で見ると、とても繊細な模様が描かれていて、人が造ったとは思えなかった。
入り口はなく、ただの四角い建物。
(そういえば、あの時は)
思い出される記憶。建物の中に無理やり入ろうとして、魔力を極限まで拳に込め、破壊しようとしたその時。
――――ちょっと! そんなことしたら壊れちゃうよ! 中に入りたいの? うーん、君なら大丈夫そうだね。今から僕が言うとおりに言ってみて。
「……我が同胞よ」
すると、石の壁が音をたてて動きだし、瞬く間に人が一人入れるほどの穴があいた。
その中へと、俺は足を踏み入れた。
建物内もダンジョンみたくなっており、灯りがなくても道がはっきりとわかる。だが、ダンジョンのように分かれ道はなく、一本の廊下になっていた。
その廊下を真っ直ぐに歩く。外から見た感じでは、こんなに奥まってなかったはずだが、不思議にも廊下は長く続いた。外と中は、空間ごと違うのだろう。
そして、とある部屋にたどり着く。その部屋は天井も横幅も倍ほどあって、中央には祭壇のような物があった。灯りらしきものはないのに、室内は昼間ほどに明るい。そして、部屋の隅々まで敷かれた通路には水が途切れることなく流れていた。
その祭壇に上がると、どこからか声が降ってきた。
『あなたは?』
その声には聞き覚えがあった。
「覚えているでしょうか? 前にここを訪れたテプトという者です」
『あぁ、よく覚えています。イタズラ者の精霊が勝手に連れ込んだ冒険者でしたね』
「はい」
その声は昔と一切変わっていない。
「『シーク』はいますか?」
『シークですか? 彼に何か?』
「前にここを訪れた際、シークに精霊魔法の契約を持ちかけられましたが、その時は断ってしまいました。可能ならその契約を結びたいと思い、ここにきたのです」
シークとは、俺に精霊の事を教えてくれた精霊である。そして、この建物に入る為の言葉を教えてくれたのも彼だった。
『なるほど……そういうことでしたか。ですが、今は魔が蔓延る時間のため、精霊たちは眠りについています』
「起こしたりはできませんか? 時間があまりなくて」
『精霊たちの眠りとは、鋭気の蓄えと同じです。それを妨げてはなりません』
その言葉に、唇を噛み締める。闘技大会は朝早くから行われるため、それまでにタウーレンへと戻らなければならないからだ。
「あなたは……精霊ではないのですか?」
『私ですか? 私も精霊ですが、私は既にこの地と契約を交わしてしまっています。あなたと交わせるのは『仮契約』ぐらいですよ』
完全に読まれてしまっていた。ということは、現段階で俺が契約を結べる精霊はいないということだろうか?
『あなたの用件はわかりました。ですが、たとえシークが起きていたとしても、あなたとは契約を結ぶことはできないでしょう』
必死に手立てを考えている最中、声はそんなことを言ってきた。
「俺が契約を結べない? ……資格がなくなったということですか?」
この資格とはスキルの事を指す。精霊が望むスキルを極限まで極めた者にしか、その精霊と契約を交わすことができないからだ。
シークという精霊が望んだのは、剣術スキルの『居合い』。俺はそれを修得し、シークの望むレベルにまで極めていたために契約を結べたそうなのだ。ちなみにシークの属性は『風』、契約を結べば俺は風属性の魔法しか使用できなくなる。
『そうではありません。あなたは既に、複数の精霊と仮契約をしているため、そちらの精霊たちとの契約の権利が優先されているということです』
「俺が……複数の精霊たちと仮契約を結んでいる?」
それは、驚きの事実だった。そもそも、俺はそんなことをした覚えがないからだ。
『心当たりはありませんか? まぁ、仮契約の場合無理もありませんね』
「ちょっ、ちょっと待ってください! そもそも仮契約とは何ですか?」
『仮契約とは、どちらか一方が相手と契約を結んでいる状態です。その代わり、その間は他の者と契約を交わすことができません……仮契約ならば別ですが』
「俺は、そんなことをした覚えはありませんが」
『では、精霊側が一方的に結んだのでしょう。あなたは、とても数多くのスキルを有しているようですから』
「そんな……」
『その仮契約の際に、証明となる物を精霊から受け取ったはずです。そして、それを本当の契約とするのならば、今ここでもできます』
「なん……だって」
話についていくのがやっとである。
つまり、俺はお目当ての精霊と契約を交わすことはできないが、仮契約を交わした精霊となら可能。しかも、俺はその精霊を全く知らず、いつの間にか証明となる物まで押し付けられている……と?
(詐欺じゃねーか)
なんだその勝手な盟約は。ガバガバ過ぎるだろ。
「今ここで契約を交わすのなら、その精霊たちでなければならないということですか?」
『そうなります』
「そう……ですか」
あてが外れてしまった。まさか、そんなことになっていたとは。
(だが、言ってる場合でもないよな)
俺は諦めてその精霊たちと契約を交わすことにした。
「では、仮契約を交わした精霊たちと契約を結びます」
『わかりました。それでは、証明の物を出してください。それで対象の精霊を喚びだします』
そこで俺は固まってしまう。
「……その証明となる物が何かわからないんですが」
『……なるほど。精霊たちはとても気ままで勝手な為に、そういったことを断りもなく行ってしまうようです。あなたが所持しているそれを、勝手ながら私が取り出しましょう』
「え?」
その時だった。空間魔法が勝手に発動し、中からしまったハズの物が出てくる。
「それは……」
最初に出てきたのはギルドカードだった。タウーレンの物ではない。俺がラントで冒険者をしていた頃の物だ。それが、俺の目の前で浮いていた。
『これは、私と同じ地と契約を結んだ精霊との物ですね。残念ながらこの精霊とは契約を結べません』
「……え? ちょっと待ってください! これは仮契約の代物なんですか?」
驚きすぎて聞くのが遅れてしまった。だって、これギルドカードですよ?
『えぇ、確かに精霊の力を感じます。そして、あなたが契約を交わそうとした痕跡も』
「痕跡ですか?」
『これに、あなたの血を付けましたね? それが仮契約を交わした証しとなっています』
(……どういうことだ?)
ギルドカードは、冒険者の身分を証明し、生存をギルド側が確認するための物だ。そのために最初に血をカードに垂らすのだが、それが精霊との仮契約?
わけがわからなかった。
『では、次の物を』
だが、声は構わず続けていく。次に目の前に現れた物は、指輪だった。
それは、以前カウルとソフィアを救出するためにダンジョンに潜った際、ダンジョンマスターを名乗る少年から貰った物だった。
(ということは、ダンジョンマスターは精霊だったのか?)
『これは、精霊の力が宿っていますが、契約ではなくただの贈り物のようですね……失礼しました』
そうして指輪は戻された。
(ダンジョンマスターが精霊で、ギルドカードは精霊との契約の証? そんな話聞いたことないぞ? そもそも、ギルドカードは本部から支給される物で、精霊とは何の関わりもないはずだが……)
そんな考えに耽っている時だった。突然、目の前に次の物が現れる。
『これは……間違いなくあなたと仮契約を結んだ精霊の物ですね。どうしますか? この精霊を喚びだしますか?』
「……はっ?」
俺は、目の前に現れたソレに思考停止する。ソレは、あまりにも普通に出てきた為に、間違えて俺が出したのかと思った程だ。
「え? これが、そうなんですか?」
目の前のソレが信じられず、思わず聞いてしまった。
『えぇ……そうですが?』
何を当然の事を? そんな感情が見てとれる返しに、呆然としてしまう。
(……マジかよ。全然知らなかった)
俺の目の前に現れた物。それは、俺を何度も助けてくれた一振りの大剣だった。その刀身は橙色に光り、今もなお、刃こぼれ一つない。
「業火……」
お前、精霊との契約の証だったのかよ。