『ダンジョン』2
異変は『精霊の森』の場面が終わろうとする頃だった。次の場面の台本を読んでいると舞台裏が急に忙しくなり始め、車輪のついた高さ二メートル弱はあろうかという大きな箱が用意される。その箱は、角と辺のみによって造られた箱であり、面の部分はない。中は作り込まれた岩場や草地などになっていて、まるで主役のいないジオラマのようだった。
「あの……これは何ですか?」
たまらず周りの人に声をかけると、彼らは答えることなくランドールを連れてきた。
「いやいや、すいません。説明がまだでしたね」
「いえ、こちらこそ何かやりたい放題やってすいません」
その言葉を完全に否定できないのか、ランドールは苦笑いを浮かべた。
「いやいや……確かに演技に関しては思うところもありますが、それはどんな舞台においても同じです。反省点はいつもありますし、満足することもありませんよ。ただ、お客様が楽しんでくれたらそれでいいのです。その点だけ見れば、今のところは上々ではないでしょうか」
「そうでしょうか」
「自信を持ってください。先ほどのアクションなんかは、私どもには中々できないものばかりでしたよ」
この先の舞台に支障がでないよう、なるべく気を遣ってくれているのだと思った。ひいき目に見ても俺の演技は酷かったに違いない。
「それに、これからの場面はアクションが多くなります。今用意しているのは、ダンジョンの階層です」
「階層?」
「えぇ」
そう言って、ランドールはその箱を見上げる。
「この箱は全部で四つ用意してあります。中は岩場、草地、地面、遺跡の四つです。これを舞台上で、時計回りに動かしますから、順に箱の中へ入って魔物と戦闘を行ってください。ダンジョンの階層を降りていく様子を、これで表現するのです」
「……なるほど」
「回す速度ですが、一つの箱を四人で動かすため、かなり早いです。お客様にはスピーディーにダンジョンを攻略していく様を感じていただきたいので、このような演出を取らしてもらいました」
「三人で力を合わせて……とかではないんですね?」
「それは最後のボスとの戦いで行ってください。重要な事は息つかせる間もなくダンジョン攻略していく事ですから。それに、ここで時間を取っても意味ないですし……ソカさんにもそう伝えてください」
「わかりました」
ランドールとの会話が終わり、いよいよ再びダンジョンの場面へと差し掛かる。
一旦舞台が暗転し、ソカとセリエさんが戻ってきた。二人に素早く次のシーンを説明する。セリエさんは稽古をしていたからか逆にアドバイスをくれる。
「足元には気を付けてね? 箱と舞台との段差でコケると、見映え悪くなっちゃうから」
「……確かに」
コケた所を想像して身震いをした。怖いのは怪我じゃない。その後の観客の反応だ。
暗闇の中、階層を表現した箱が舞台に運び込まれると、客席がざわつき始めた。何が始まるのかと口々に呟いている。舞台袖を照明が照らし、その中に俺たちは出ていく。
「今度こそ。安住を目指して」
舞台裏からテンポの早い太鼓の音が響く。つられるように管楽器の音色が流れ、舞台上を回転する箱の中へと俺達は飛び込んだ。
箱の中には魔物役の者が立っていて、おどろおどろしく動いている。剣を抜き去りそれに向かう。セリエさんとソカの『精霊魔法』が照明の色によって演出され、魔物役が苦しげにもがいた。それに合わせて俺は動き、隙を突いては剣を振るった。
魔物が倒れ、箱が動き出す。俺達はその箱を飛び出して、次の箱へと移った。そこにも魔物役が一人。
そうして、エノールとアスカレア、ライアルトはダンジョンの階層を降りていく。息つく間もなく彼らは戦い続けた。そうして、何度目になるかわからないほど階層を降りた時、彼らは出会う。
「クックックッ……よくぞここまで」
ローブ野郎である。
箱は舞台袖に消えて、俺達とローブ野郎だけが舞台上に残された。軽快な音楽は止まり、今度は陰鬱なメロディーが流れ出した。
「何者!?」
セリエさんが叫ぶ。それにローブ野郎はいつもと変わらぬ含み笑いをしてから答えた。
「ダンジョンマスターだ」
「ダンジョンマスター……」
「私はこのダンジョンを管理する者。魔物を支配し、出すぎた人に死を与える者。それは神から授かった私の使命であり、人の身であるお前たちには逃れようもない運命でもある。クックックッ……人の子よ。なぜ運命に抗おうとする? なぜ、与えられた生き方に満足できない?」
ローブ野郎はダンジョンマスターになりきっていた。その演技は完璧で、嬉々とした表情をしている。
(……楽しそうだな)
「クックックッ……恐れを知らぬ人の子よ。お前たちに世界の摂理を教えよう。どんなに並外れた力を手にしようとも、お前たちが人の身である限りそれを覆すことなどできはしない。いでよ! ドラゴンっっ!!」
ローブ野郎が高らかに叫ぶと、再びテンポの早い太鼓の音が聞こえだし、箱が片付けられた舞台袖から今度はドラゴンの首が飛び出してきた。もちろん本物ではない。精巧な作り物である。その頭は上からロープで吊るされて、首の根本は頑丈な土台で支えられている。土台には車輪がついており、その車輪による前後の動きとロープによる上下の動きによって、ドラゴンの首はあたかも生きているような微動をしていた。目玉の部分には赤い魔石が嵌められていて、大きな口はパクパクと開けたり閉めたりを繰り返している。よく見れば、土台でレバーのような物を操作している人がいた。首の部分を伝って口を動かすカラクリが内蔵してあるのだろう。
舞台には首の部分しか飛び出していないため、客席から見たらドラゴンが首だけを舞台に出しているように見える。
(……すごいな)
改めて、大がかりな演出に驚いてしまう。ランドール一座が、わざわざ冒険者ギルド本部から依頼を受けてやってきた理由が今になってわかった気がした。こんな大きな装置を他の一座が作れるわけなどないからだ。きっと、優秀な職人や優秀な俳優を何人も抱えているのだろう。
これには、さすがのソカも驚きを隠せないでいた。というか、横にいるセリエさんも驚いている。いや、あなたは知ってるでしょ。とツッコミを入れたくなってから、彼女の表情が演技であることに気づく。そう考えると、ソカの表情も演技なのだろうか? なんというか、訳がわからなくなりつつあった。
台本にはダンジョンマスターの登場とドラゴンとの戦いと書かれてあったのだが、てっきりドラゴン役の人と戦闘アクションを行うものとばかり思っていたのだ。
(こんなの、どうやって戦うんだ? 壊したら……ダメだよな)
そんなことを考えていると、ローブ野郎が片手を上げる。
「クックックッ……神の怒りを知れぇ!!」
その片手を俺達に向かって振り下ろす。その瞬間、金切り音が辺りに響いてドラゴンが大口を開けた。照明が真っ赤になり、太鼓の音が連打される。おそらくブレスを表しているのだろう。
そう考えていると、セリエさんが前に飛び出して両手を高く掲げた。
「水の精霊よ! 我らを守れ!」
そう言った途端、付近の舞台下からパシュッと音をたてて水飛沫が一瞬だけ打ち上がった。
「うおっ!」
突然のことに声をあげてしまう。よく見れば、舞台の下には筒のようなものが設置してあり、どうやらそこから噴き出されたようだ。観客席からも声があがった。
「その程度ですか? ……クックックッ」
「うっ!」
セリエさんが辛そうな声をあげた。ローブ野郎の高笑いが大きくなる。
「私も手伝うわ!」
ソカがセリエさんの横に並び、片手をあげる。すると次は不思議なメロディーが流れはじめ、赤だけの照明が白、青、赤と点滅をする。怒濤のように響く太鼓の音に不思議な音色が合わさり、点滅も相まって舞台上は荒くれた雰囲気を演出していた。
ローブ野郎は高笑いをして、セリエさんとソカは悲痛そうな表情を浮かべている。
そして俺は―――呆然と立っていた。
……いや、なにこれ。こんなの聞いてないんだけど。
率直な感想だった。ドラゴンの装置のことも、舞台に設置されていた仕掛けのことも、こんな超展開のことも、何一つ聞いてない。台本には、ダンジョンマスターとの決戦としか書かれていなかった。
セリエさんが演技できるのはわかる。何ヵ月も前から稽古に励んでいたからだ。百歩譲ってローブ野郎が演技できるのもわかる。奴は、ここまで何の役もなかった。舞台裏でこういった展開の説明は受けられたはずだからだ。
だが、一つだけ納得いかない事があった。
……ソカ、お前はなぜ、当然のように演技できるんだ? というか、俺に教えろよ。
三人とも、まるでそれがわかっていたかのようにセリフを叫んで演技に徹している。俺だけがそれをできずにいた。
いじめかな? そう思ってしまう。
セリエさんがチラチラと俺の方を振り向いている。きっと、この後は俺が何かを叫び、何かをしなければならないのだろう。
だが、何をすれば良いのかわからないのだ。
(……ドラゴンの決戦としか書かれてなかったし)
魔法を用いて二人を援護すれば良いのか、アクションにてドラゴンに突っ込めば良いのかわからない。きっと、俺が何かをしたときのために舞台に仕掛けも施してあるはずだ。
だが、説明を聞いてもいないのに、そんなことはできるはずもなかった。
「ねぇ!」
その時だった。ソカがこちらを向くこともなく声をだす。
「何を迷ってるの?」
その言葉に、怒りさえ湧いてくる。分からないんだ、そう叫びたくなった。
「まさか、どうすれば良いのかわからないの?」
図星だ。だが、それはお前だって同じはずだろ。なんでお前は平然と演技できるんだよ。
「テプトくん! 台本通りに!」
我慢できなくなったのだろう。セリエさんが叫んだ。
(台本通りに? 台本には何も書かれてなかっだろ!)
「無駄よ。彼の持っていた台本は、私が差し替えておいたから」
突然ソカがそんなことを言った。隣にいたセリエさんが思わずソカに顔を向ける。それは、俺も同じだった。
(はぁ?)
彼女の言葉が理解できなかった。というより、なぜそんなことをしたのか意味がわからない。
台本には俺がどうすべきか書いてあったのだろう。それを、ソカは差し替えたというのか。
「お前は……」
攻撃的な言葉を吐きそうになる。
が、こちらを振り向いたソカの表情を見て言葉が喉につまる。ソカは笑っていた。それも優しげに、自信に満ち足りたように。
「あなたならこんな時どうするの?」
ソカは言う。荒くれる雰囲気の中で笑うソカの表情は、演技ではないのだろう。この場に全く合っていない。だから、その笑顔はエノールではなく、俺に向けられたものだと理解できた。
「テプト、あなたならこんな状況の時、どうするの?」
ソカはもう一度言う。
「クックックッ……もはや抵抗すらないとは! 死ねぇ! 死ねぇ!」
ローブ野郎の狂気の声が聞こえた。完全に役に入りきっている。
「ねぇ? テプトは、このまま負ける方が良いの?」
なおも、ソカは笑っている。
観客席がざわめきだした。全く変わらない展開に、セリエさんやソカの演技に、何より、何もしない俺に異変を感じ取ったのだろう。
「ほら、早くしないとお客さんが呆れて帰っちゃうわよ?」
ソカは楽しそうに言ってくる。そんな彼女の意図がわからない。
だが、いつまでもこうしている訳にはいかないのも確かだった。
俺ならどうするのか。もう一度辺りを見回した。
ローブ野郎の演技は絶頂に達し、唾を吐き散らしながら何かを叫んでいる。
ドラゴンがブレスを吐き、それをセリエさんとソカの二人が食い止めている。
(もしも、俺なら……)
そんなこと、考えるまでもない。考えてしまうのは、これが作られたシナリオだからだ。だが、それを無視しろとソカは言うのだ。それで、本当に良いのだろうか?
「どうなっても知らないぞ?」
最後の確認。それに、ソカは笑みを深くした。
「やっちゃえ」
彼女は、いたずらっぽく呟いた。
俺は息を吐いてから心を落ち着かせる。もうどうなっても知らん! そんな気持ちだった。
ここからは、俺の完全アドリブとなる。その事に不安はあるものの後ろ向きな考えはない。なぜなら、シナリオ通りの舞台など最早無理だからだ。それをしたのは俺ではなくソカだ。だから、責任は俺にではなくソカにある。
だから、俺は演技することを止めた。
ただ、目の前の二人を助け、ドラゴンを倒すことだけに集中をする。
荒くれ続ける舞台、ざわめきが大きくなる観客席、全く先のわからない展開の中で、俺は腰から剣を抜き去り高々と掲げた。