十八話 ソカのやり方
舞台裏に向かうと、回復魔法を施した怪我人はそのままだった。衝撃を受けたせいか、気を失っている。その付近には、人だかりができていた。
「テプトくん!」
セリエさんが駆け寄ってくる。俺はすぐさまユナに、怪我人を見るように伝え、この演劇の責任者であるランドールを捜した。
「私がランドールです」
彼は人だかりの中にいた。どうやら、この人たちは一座の人たちらしい。
「ランドールさんですね? 冒険者ギルドのテプト・セッテンです」
「あなたが、怪我人を治療してくださった方ですね。感謝します。……この騒ぎ、一体何が起きたのかは、まだ調べてる最中でして……」
「俺は現場にいました。落雷です」
本当は違ったが、ドラゴンや魔物などの単語を言えば、もっと混乱しかねない。ここはそう言って乗り切るしかないと思った。
「外は晴れてますが」
「俺にもなぜ落雷が起きたのかわかりません。ですが、原因はそれです」
「……そうですか」
「それと演劇についてですが、中止を進言しにきました」
「……中止」
ランドールは噛み締めるように、その言葉を呟く。
「ちょっと待ってくれ! もう始まる準備は出来ているんだ!」
「お客さんも入ってるわ!」
一座の人たちが反論してくる。
「テプトくん、本当に中止するの?」
セリエさんまでもが、そう言ってきた。
「仕方ありません。それに演劇は今日だけじゃない。明日もあります。ここは、騒ぎを収めるためにも中止すべきです!」
「そんなぁ!」
「せっかくここまでやってきたのに!」
だが、そんな声を俺は無視して、ランドールを見据える。何を言ったところで、決定権があるのは団長であるランドールなのだ。
「団長! やりましょうよ!」
「団長、この日のために頑張ってきたじゃないですか!」
「団長!」
ランドールは目を瞑って考えていた。やがて、ゆっくりとまぶたを開ける。
「いえ、ここはテプトさんの言うとおり中止にしましょう。それに、役者がいなくては演劇にならない」
静かにそう言った。
「ありがとうございます」
俺は頭を下げる。こんなにもすんなり了承してくれるとは思わなかったのだ。周りから悲痛な叫びがあがる。
「お前たち、こんな状況で最高の物をお客さんに見せられるのか!?」
ランドールが彼らに向かって言い放った。
「お客さんは混乱し、役者も怪我をしてる。これでは、成果もへったくれもないだろ!」
「怪我をされた中に、役者もいるんですか?」
そう聞くと、ランドールは頷いた。
「重要な役をする者二人が怪我をしました」
ランドールが怪我人たちに視線を向ける。そこには数人の人たちが意識がないままに寝ていた。そんな人たちをユナが、一生懸命診てくれている。
「テプトさん! 皆さん大丈夫です! でも、一応診療所に連れて診てもらって方が良いと思います!」
ちょうど、ユナがそう叫んだ。
「では、怪我人たちは診療所に運び、他の人たちは外の混乱を静める手伝いをしてください。既に騒ぎを静めるよう知り合いに頼んでいますから」
「……わかりました」
ランドールは再び頷く。
(よし、あとは)
「舞台に上がって、演劇の中止をお客さんに言います。その後、再び騒ぎにならないよう兵士と整備員を等間隔に配置してください」
「では、入り口にてお金を返す手筈を整えます」
「お願いします」
ランドール団長との話し合いは、スムーズに進んだ。多くの者たちは不満げだったが、団長の決定に逆らうことはなく、中止に向けて動いてくれた。
「……せっかく練習したのに」
セリエさんが、落ち込み座り込んでいる。
「明日は必ず見に来ますから」
優しく言って肩に手を置く。彼女は小さく「うん」と頷いた。
それから数分後、舞台裏にソカがやってきた。
「テプト! なんとか落ち着くよう呼び掛けてきたわ。今は皆説明を待ってる状態よ!」
「ありがとう、ソカ」
それから、俺は舞台に上がる準備をする。既に、怪我人たちは診療所に運ばれて行った。残りは集まった人たちを帰すだけだ。
「ねぇ、本当に中止にするわけ?」
ソカがそう聞いてきた。
「あぁ。それしかない」
「それしかないって……中止にしない方法は考えてないの?」
「怪我人の中に役者もいたらしい。やるとしてもお客さんが満足できる演劇が出来るとは限らない」
「やってみないと分からないじゃない!」
「ダメだったらどうするんだ!!」
ビクリとソカが、肩を震わせた。
「そんな言い方……私は、ただ」
「テプトさん!」
ユナが駆け寄ってきて、俺を睨み付けた。
「なんでソカさんの話を聞いてくれないんですか!?」
「いや、聞いてる。その上で意見を言っているんだ」
「そうは見えません。テプトさんがソカさんの意見を一方的に拒絶してるだけじゃないですか!」
「いや、俺は……」
「ユナ、もういいわ」
ソカが静かに言った。それに、ユナがもどかしそうな表情をして下がった。
「テプト。最近のあなたは、いろんなことに囚われ過ぎてる」
「俺がか? 俺が何に囚われてるって言うんだ?」
「分からない。でも、前のあなたはもう少し違った気がする」
「前の俺? 前の俺はどうだって言うんだよ」
ソカの言葉に、思わず笑いが出てしまった。
「前のあなたなら、自分の意見が正しいなんて……周りに押し付けたりしなかった。もっと、皆が納得できる答えを模索してた」
「してる。そして、それを納得してもらえるよう話し合ってる」
「そうじゃない。前のあなたなら、演劇を中止にしたりしないと思うのよ」
一瞬耳を疑った。
「俺が演劇を中止にしない?」
「えぇ。たぶん、周りが反対しても、あなたはそれを成し遂げようとしたと思う。だって、そっちの方が断然良いじゃない。みんな幸せになれる」
「そんなのは幻想だ。現実的じゃない」
「現実的じゃない事を、テプトは今までやってきたじゃない!」
ソカは声を荒げた。
「……私が見てきたあなたは、どんな困難なことにも涼しい顔をして立ち向かってた。それは……その先にあなたが欲した物があったからでしょう? 依頼義務化を成立させたのは何で? あなたは冒険者のため、町の人たちのためだと言ってたわ。冒険者を闘技場に参加させたのは何で? あなたは冒険者のためだと言ったのよ? 称号制度を成立させるのは何で? それも冒険者のためじゃないの? 町の人たちのためじゃないの? 私は最初馬鹿だと思ってた。あなたの口から出てくるのは、自分ではない誰かばかり。いつも、自分を蔑ろにして、敵を作って……でも、最後にはやり遂げてしまうのよ?」
悲痛な表情でソカは訴えた。頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が走った。
「この演劇を中止にするのは誰のためなの? それを教えて。ねぇ、テプト」
「それは……」
出てこなかった。ただ、中止にする方が自然だと判断したからだ。誰のためでも……なかった。
「思い出して。あなたは……いろんなことに囚われ過ぎてる。そうなったのも、たぶん、あなたが何でも出来ちゃうからだと思うの。でも、そうじゃないわ。私が知ってるテプトは、いつだって何にも囚われなかった。冒険者のように自由で、馬鹿がつくくらい優しいの。 困難をなんなく乗り越えて、圧倒的な力でねじ伏せられるのに、面倒な話し合いを延々と続けて、聞き入れてもらえなくて……それでも頑なに一生懸命で……」
気がつくと、ソカの瞳には涙が浮かんでいた。
「……ソカ」
ソカは、がしがしと涙を拭った。上げた顔には、先程までの弱々しさはなく、決意を秘めた表情をしていた。
「あなたが思い出せないのなら、私が思い出させてあげる」
その言葉の真意が読めずにいると、ソカは歩いて俺を通りすぎた。
「おい、何をするつもりだ」
その先は、舞台だ。ソカは何も答えなかった。
「おい、ソカ!!」
追いかけようとすると、突然肩を掴まれた。振り返ると、ランドールが優しげな笑みを浮かべて立っている。
「すいませんねぇ。テプトさん」
「……ランドールさん」
「あの子が何をするつもりか知りませんが、少し興味が湧きませんか?」
「興味?」
「はい。私は今大いに湧いています。この状況を、あの子がどう切り抜けるのか」
「そんな悠長な」
「別に、面白半分で言ってるわけではありませんよ? 私は今、感じるのです。あの子から、華麗なる息吹を」
「華麗なる息吹?」
「はい。演劇の世界には、時に天才と呼ばれる者がいます。ストーリーがどれだけ駄作でも、舞台がどれだけみすぼらしくても、その者がいるだけで人を惹き付けてしまう……そんな者がいるのです。その者が舞台に演じるだけで、演劇は華やぎ、人々の心に火が灯ります。それは、もはや魔法とでも呼ぶに相応しいキセキ。私たちの世界では、そのキセキを『華麗なる息吹』と呼ぶのです」
「ソカから、それを感じると?」
「正直、私は今までにそれを感じたことはありません。見たこともありません。ですが、今のあの子からは、何かを成し遂げてくれるような可能性を感じました」
「ランドールさん……頭大丈夫ですか?」
「はははっ。おかしくなっているのかもしれませんね? でも、演劇の世界にいる者は、総じておかしいのです。……自分ではないダレカを演じるのには、それ相応の対価を伴う。心はダレカにすり代わり、本当の自分を見失う。鏡に映るダレカは、自分の顔をしていて、それが自分だと自覚するころには、再びダレカの皮を被らなければならない。……役者とは、誰よりも自分を持っている者でなければ勤まりません。それに加え、誰よりもダレカらしく出来る者でなければならないのです」
「何を言っているんですか?」
「何を言いたいのかというと、あの子は、今、自分という者をこの中の誰よりも持っていると思ったのです」
やはり、意味がわからなかった。
舞台に向き直り、ソカを見つめる。彼女は何の躊躇いもなく舞台に上がり、スポットライトが照らした。
ざわついていた客席が静かになる。
「……皆さま! 大変長らくお待たせしました! 多少のトラブルはありましたが、無事にこの日を迎えることが出来ました!」
やはり、ソカは演劇をやるつもりらしい。
「この日を皆さまと迎えられたこと、大変嬉しく思います!」
そうしてソカは、片膝をついて頭を下げる。最初は沈黙だった客席だったが、ソカが頭を下げ続けていると、パチパチと拍手がまばらに起こり、やがて大きな拍手となる。
「静かに!!」
急にソカが立ち上がり叫んだ。客席は突然のことに驚き拍手がピタリと止む。
「演劇中の拍手は禁物! なぜなら拍手は世界を壊してしまうからです。これから私どもがご覧に入れるのは世界。それは大袈裟ではなく、そこに純然とある事実! 私たちランドール一座は太古より伝わる秘術により、皆さまの心を少しの間もらい受け、この世界から隔離します。それは、神をも恐れぬ所業。そのため、先程私たちに警告がくだりました。落雷はおそらく神の意思! 私たちの馬車は壊され、怪我人が出ました。神は演劇を中止せよと言っている。ですが、私どもはその脅しに屈することはない!」
客席の中から、いくつかの笑い声が聞こえた。
「今、笑った方は、心した方が良いでしょう。私たちが演劇をやると決めた以上、終わるまで何が起こるか誰にもわかりません。もしかしたら、心がこの世界に帰ってこれないかもしれません。その前に、神の天罰を受けることになるかもしれません」
笑い声が止んだ。
「もしも、怖くなったのなら止めはしません。入口にてお金もお返ししましょう。それでも、私たちの演劇を見たいと思う方には、私共が命を懸けて、世界をご覧に入れます。さぁ、帰られる方はいますか?」
客席は誰も動かなかった。皆息を飲んでソカを見ている。彼女はそれからニヤリと、不敵に笑った。
「わかりました。皆さまにその覚悟がおありなら、私共もそれ相応の覚悟を見せましょう」
不意に、客席の中から子供の泣き声が聞こえた。もしかしたら、怖くなったのかもしれない。
「最後に一つだけ、皆さまが神の天罰から逃れる方法を教えておきます」
それから、もったいぶるようにソカは黙りこんだ。やがて、子供の泣き声が止むと、笑顔を浮かべる。
「もし、皆さまが危険だと思ったのなら、拍手をしてください。拍手は世界を壊します。故に、私共はそれを嫌います。ですが、あまりにも皆さまの心が私共のつくる世界に溶け込んでしまいそうな時は、拍手をして阻止するのです。それでは、演劇が始まるまで、しばしお待ち下さい」
そして、ソカは舞台から降りてきた。その後ろから、拍手が起こった。
「……ソカ」
俺は彼女を迎える。ソカは困ったように笑った。
「ごめんね? 勝手なことして。……でも、もう決めたの。私はあなたに教えてあげるって。これは私のやりたいこと。そして、成さねばならないこと」
「ソカは、俺のためにそれをやるのか?」
それに対してソカは笑った。
「そう。そして、自分のために」
その顔に迷いはなかった。
「ソカさんかっこよかった!!」
ユナがソカに抱きつく。その頭をソカは優しく撫でた。
「ランドール一座の皆もごめんなさい。勝手に名前をお借りしたわ」
「いいんだ! それよりも、さっきの挨拶良かったぜ!」
「えぇ、最高だったわ!」
「俺たちは最初からやるつもりだったんだ! よくやった!」
周囲から、称賛の声があがる。
「ソカ……さんですか? 私はこの一座の団長ランドールです」
ランドールがソカに近づく。
「あなたが。……勝手なことをしてごめんなさい」
「いえいえ、こたらこそお礼を言います。ああしてお客さんを楽しませるなど、私には出来ませんでしたから」
「それで、演劇ですが、役者が居ないのよね?」
「そうです。エノール役の男とライアルト役の女性が欠けています」
「じゃあ、女性の役は私がやるわ。台本はある?」
「ここに」
そう言ってランドールは、分厚い台本をソカに渡した。
「おい……まさか今から覚えるつもりなのか?」
不安になって聞くと、ソカは呆れたような表情を見せる。
「まさか、そんなわけないじゃない」
言いながらも、ソカはペラペラと台本に目を通している。もはや、苦笑いしか出ない。
「それで、ソカさん。エノール役はどうしましょう? こちらから出しますか? たぶん、完璧とはいわなくてもそれなりなら演じれると思いますが」
ランドールの提案にソカは首を振った。
「その役はーー」
「クックックッ……どうやら、私の出番のようですね?」
「テプトにやってもらうわ」
「俺かよ。無理だって! 覚えきれない!」
「クックックッ……では、私がその役をやりましょう」
「大丈夫テプト。私とセリエさんがリードするから」
「……だが」
「うっぉっほん! んんっ! クックックッ……私がやるしかないですかね?」
「テプト、私を信じて」
「……ソカ」
すると、セリエさんが駆け寄ってきた。
「テプトくん。危なくなったら、ちゃんとフォローするわ!」
「……セリエさん」
「……うっ……どうせ、私は」
「それと、そこのローブさんには、この役を頼むわ」
「クックッ喜んでぇ!!」
そうして、ソカはローブ野郎に台本を渡した。チラリと見ると、ソカが指で差している所には『ダンジョンマスター 』と書かれてあった。それは、終盤エノールに倒される悪役である。
(それでいいのか……ローブ野郎)
だが、奴は嬉しそうに台本をめくっていた。もうかける言葉が見当たらなかった。
かくして、ランドール一座の演劇は、俺たちが演じることになった。開始までの十分ほど、俺は台本をひたすら読む。だが、覚えられたのは一ページの数行のみ。ソカは、「あらすじだけ頭に入れて」と言っていたが、果たしてそれだけで演劇など出来るものか甚だ疑わしい。それでも、やるとなってしまった以上はやるしかない。不安だらけのなか、幕はあがるのだった。