十六話 ユナと観光
昼過ぎになっても、人々は未だアルヴの一人勝ちの興奮に酔いしれていた。あまりにも圧倒的であった力の差に、彼の優勝を仄めかす発言まで出ている。
優勝を目指さなければならない俺にとって、それらはあまり良い気分ではなかった。
「テプトさん」
そんな俺に話しかけてきた人物。声のする方に目をやると、ユナが立っていた。
「あぁ、ユナちゃんか」
「なんだか、凄い騒ぎですね?」
「まぁ、ね。……何か用事?」
「はい! 実は、午後はお父さんと屋台とかを見て回るんです」
ユナは嬉しそうに言った。
「そうなんだ?」
そう返してから気づく。彼女は王都の薬学の学校に入るため勉強をしている。おそらく、外に出て遊ぶ時間も少ないはずだ。こうして遊ぶ時間は、彼女にとっては貴重なものなのだろう。
「所長は医務室にいるよ。一緒に行こうか」
「あっ……お願いします」
それから、ユナと共に医務室に向かう。が、所長がユナに言った言葉は、彼女を落ち込ませるものだった。
「すまん、ユナ。お父さんしばらくここに居なくちゃいけなくて、一緒には行けなくなってしまったんだ」
「……そうなの?」
「あぁ」
そのやり取りに我慢できず、俺は事情を聞く。所長は、困った表情を浮かべた。
「午前中に行った試合で、まだ意識を取り戻さない者がいるのです。彼らを放っておくことは出来ません」
「ここには、所長の他にも医療職員がいるじゃないですか」
「そういう問題ではないのです。私は診療所の所長としてここにいますから」
所長の言っていることは理解できたが、それではユナが可哀想だと思った。そんな彼女は、俺の服の裾を引っ張ってきた。
「テプトさん、良いんです。お父さんと一緒に回れないかもしれないことは、前々から言われてましたから」
「……ユナちゃん」
「本当にごめんな。明日は一緒に回れるかもしれないから」
所長の『から』という発言、裏を返せば明日も回れないかもしれないという言葉とも取れる。それをユナは分かっているのか、少し寂しそうな表情を残したまま、取り繕うように「うん!」と返事をした。
『テプトさん、よろしければユナと一緒に町を観てきてもらえませんか?』
所長がそんなことを耳打ちしてくる。
『いや、俺は……』
『ユナはずっと研究や勉強で、あまり外には出ていません。息抜きが必要なんです。ユナが、今日をどれだけ楽しみにしていたか……』
『ですが、ユナちゃんが本当に楽しみにしていたのは、きっと』
そこで服の裾をもう一度引っ張られる。見れば、ユナが俺を見上げていた。
「テプトさん、一緒に回ってくれるんですか?」
どうやら、聞こえていたらしい。
「あぁ、そうだよ。ユナ」
「ちょっと所長!」
『頼みます! テプトさん!』
「……」
服の裾を掴んでいたユナは、両腕を上げて喜んだ。
「やったー!」
『お願いしますよ……テプトさん』
その剣幕に、俺は頷くしかなかった。こうして、俺はタウーレンの町を彼女と共に回ることになってしまったのである。
「本当に俺で良かったのか? ユナちゃんは、お父さんとーーー」
「テプトさん。それは言わないでください」
闘技場を出てからユナにそう尋ねようとすると、彼女はそれを遮って、きっぱりと答えてきた。
「あまり……お父さんに不必要な心配はさせたくないんです」
ユナは言ってから笑顔を俺に向けてくる。
なんというか、改めて彼女の凄さに俺は感心してしまった。
「テプトさんこそ良かったんですか? 他に用事とかあったのでは?」
「俺は、闘技大会に選手として出るから、今日は非番扱いなんだ。それに……今は闘技場にいたくなかったから、ちょうど良かったよ」
「そう、なんですね」
ユナは深く聞いてはこなかった。また、気を遣ったのかもしれない。
「まぁ、タウーレンを観て回ることはしてなかったし、良い機会だ」
言い直して笑みを浮かべると、ユナは「ありがとうございます」と、頭を下げた。
(ほんと、出来た子だな)
俺は、頭をかいて苦笑するしかなかった。
それから俺は、ユナと共にタウーレンを観て回る。町の通りには様々な屋台が立ち並び、いつもとは違った空気を醸し出していた。ユナはそれに感心したり、驚いたりしていろんな反応を見せてくれる。それを眺めているうちに、いつしか俺も楽しめるようになっていた。
「そういえば、ソカさんとはどうなんですか?」
「ううん?」
突然ユナが聞いてきた質問に、思わず変な声を出してしまう。
「どうって、何がだ?」
「だから、お二人の関係ですよ。もうキスとかしたんですか?」
「ブホッ!!」
あまりの発言に、吹き出してしまった。
(なっ、何て事を聞いてくるんだ)
「……その様子だとまだのようですね? それと、最近ソカさんの機嫌が悪いのは、テプトさんが原因ですか?」
「ゴホッ!」
続けざまに放たれた言葉に、咳き込んでしまう。
「あー……やっぱりそうなんですね」
「ゆっ、ユナちゃん、どこでそんなことを覚えてきたんだい?」
「そんなことって何ですか?」
「だから、その……キス、とか」
自分よりも幼い子供相手に、照れた態度を取ってしまう。なんとか平常心をと心掛けたが、今の俺にはストレート過ぎて上手く返すことが出来なかった。
ユナはため息を一つ吐いた。
「テプトさん。私は、もう何も知らない子供じゃないんですよ? それに、生物が好意をもった相手を欲するのは自然のことです。その表れとして、粘膜を共有したいと思うのは至極真っ当なーーー」
「ちょっと、ストップ!」
「……なんですか?」
平然とした顔で小首を傾げるユナに、俺は少しばかりの恐怖を覚えた。この子は、どこまでそういった知識を有しているのだろうか? その先をユナの口から聞くのは、躊躇われた。
「ソカとは何もない。あいつの機嫌が悪い理由も分からない。だから、この話は終わりだ」
そう言って無理やり話を終わらせる。ユナは、怪訝そうに俺を見ていたが、今度ばかりは平然を保つ。これ以上聞かれたくなかった。
「まぁ、別に良いですが」
不満そうだったが、彼女はそれに同意してくれた。それに内心ホッとしてしまう。
「でも、ソカさんを泣かせたりしたら許しませんからね?」
「……わかったよ」
いつの間に、そんなに仲良くなったのだろうか? 俺は疑問に思いながらも彼女の言葉に了承する。
少しだけ予想外の会話があった以外は、概ね順調に観て回ることが出来た。屋台や新しいお店はタウーレンの大通りにたくさんならんでいて、今更ながらにこの闘技大会が町に与えた影響の大きさを知る。そして、ほぼ全ての場所を見終える頃には、日もだいぶ傾き始めていた。
(もう、選手たちは起きただろうか?)
そんなことを思う。
「ユナちゃん、俺は今から町の広場に行かなきゃいけないから、そろそろ終わりだ」
「広場って、噂に聞く演劇ですか?」
「そう。知り合いがその舞台に出るんだけど、観に行く約束をしているんだ」
「えぇ! そうなんですか! 凄いですね!」
ユナが驚きの反応を見せる。
「だから、闘技場に戻ろうか」
そう言ったのだが。
「演劇は観なくても良いんですが、一度だけ広場に建てられた舞台を見てみたいです!」
ユナがそう言ってきたのだ。
(広場に行ってから、闘技場に戻ると演劇に間に合わなくなりそうだしなぁ)
気がつけば、セリエさんが言っていた演劇開始の時間まで、一時間ほどしかなかった。
(まぁ、空間魔法を使えば間に合うか)
そう判断する。
「分かった。じゃあ、広場に行こうか」
「ありがとうございます!」
俺は、ユナを連れて町の広場に向かう。
不意に『俺はこんなことをしていて良いのだろうか』と、疑問の言葉が頭を過ったが、俺はそれをすぐに掻き消した。




