十話 敗北
ーーはぁ……はぁ。
暗闇の森を走っていた。
共に逃げたはずの仲間たちはどこに行ってしまったのか。闇雲に走っているせいで、はぐれてしまったのかもしれない。
「大丈夫だ……大丈夫だ」
そう自分に言い聞かせていた。追ってくるはずはない。追ってこられるはずがない。全部自分が壊したのだから。
それでも不安は拭いきれず、走る足を止めることが出来ない。林の木々に服が引っ掛かり破ける。それを気にする余裕すらない。いや、破けても良いのだ。どうせ大したものじゃない。
どこまでも走り続ける。恐怖を押さえつけて。行き先など見当もつかないままに。
ーー目が覚めると、そこは診療所のベッドの上だった。なぜ、それが分かったのかというと、傍の椅子にウトウトしているユナがいたからだ。なにか、酷い夢を見ていた気がする。
「ユナちゃん」
そう声をかけると、彼女はハッと我に返った後口元の涎をぬぐった。
「起きたんですね!」
「今ね」
「すぐにお父さんを呼んできます!」
言うが早いか、ユナは立ち上がって部屋の扉に向かった。俺は、寝ている状態から起き上がろうとし、激痛に顔を歪める。
「あっ、ダメです! まだ寝てないと。骨が折れてますから!」
俺は再びベッドに沈む。
(そうか……俺は)
「私が、お母さんみたいに魔法を使えたら良かったんですけど……」
通常の回復魔法では、魔力の触れる外傷までしか治せない。内部は自らの治癒力で治すしかなかった。それでも、外傷さえ治せれば血を流すことはなく、安静にしていれば死ぬことなどなかった。
「どうして俺はここに?」
「黒い男の人が連れてきたらしいです。『手当をしてやってくれ』って」
(……黒い男)
間違いなく奴だろう。俺を気絶させて、わざわざ診療所まで運んだのか。
「私……お父さんを呼んできますね」
そう言うと、ユナは部屋を出ていった。拳を握りしめてベッドを軽く殴りつける。
「……くそっ」
思わずそんな言葉を洩らす。
奴は何者で、何が目的なのか見当もつかない。だが、今はそれよりもただただ沸き上がる屈辱を抑えるので精一杯だった。だが、歯を噛み締めると胸が痛む。どうやら本当に骨が折れているらしい。呼吸ですら痛みが走る。
その箇所にそっと手を添えた。
「『ヒール』」
回復魔法の呪文を唱え、同時にスキル『魔力吸収』を発動する。胸の辺りで魔法が発動し、放出された魔力が胸を包み込んだ。その魔力を、スキルによって吸収し体内へと戻す。こうすることにより、無理矢理魔力の流れを活発にする。
この方法はあまりやりたくなかった。一度吐き出した魔力を、もう一度戻すというのは、嘔吐したものをもう一度食べるという感覚に近い。気持ち悪さが混み上がってきて、スキルを解除したくなる。だが、それでも続けた。やがて、胸の痛みがだんだんと引いてきてところで、スキルを解除した。
「はぁ……はぁ……」
頭がクラクラする。胸をそっと圧迫してみるが、痛みはなかった。そこで、部屋の扉が開いた。
「起きましたか」
部屋に診療所の所長が入ってきた。それに上体を起こして答えようとすると、所長は制そうとする。
「まだ起き上がっては……」
「大丈夫です。傷はたった今完治しました」
「完治? いえ、それは見た目だけです。おそらく骨がーー」
「それも含めて完治しました」
それから、ベッドを降りて立ち上がる。その動作に、所長は眉をひそめた。
「我慢されている……わけではなさそうですね。一体どうやって?」
「無理矢理、魔力を循環させました。そのせいで、死ぬほど気持ち悪いですが」
「そんなことが……まぁ、テプトさんなら驚きはしませんが」
「それより、町で騒ぎとか起きてませんか?」
「騒ぎ……ですか? 特に目立ったことは。……ユナ。何かあったか?」
所長の後ろにいるユナは首を振った。
「何も起きてないよ」
あの男は、騒ぎを起こしに来たわけではないらしい。ということは、本当に闘技大会に参加するためだけにきたのだろうか? じゃあ、あの悪意は……。
とりあえず、あの男にもう一度会わなければならない。
「すいません。これから冒険者ギルドに戻ります。治療費を言ってください」
「治療費は既にもらっています。あなたを連れてきた方から。それよりも、なぜテプトさんが怪我を?」
「……それは」
その男にやられました。
そう言おうとしたのだが、声が出てこなかった。認めたくないのだ。負けたことを。
「また今度話します」
「……そうですか。私たちは傷を治すことが使命です。それが成されたのなら他に聞くことはありません」
「助かります」
それから部屋を出ようとして、ユナが「待っててください」と言い、先に飛び出していった。なんだ? と思い待っていると、彼女は一本の瓶を持ってきた。
「これっ、魔力回復と体力回復の効能を持つ薬です。この前テプトさんから貰った月光草で作りました」
ユナがその瓶を差し出してくる。
「もらっても良いのか?」
「はい。その……顔色が悪いですから」
「ありがとう」
それを受け取って、一気に飲み干す。……死ぬほど苦かった。が、お陰で気持ち悪さが無くなった。
「……苦いな」
「薬ですから。飲みやすさを重視して作られたポーションなんかより、ずっと効果はありますよ」
確かに。体がカッと熱くなるのを感じた。
「ありがとう」
「……いえ!」
そう言って、ユナは照れたように視線を下に向けた。
「俺はどれくらい眠ってました?」
「……二時間ほどでしょうか」
となると男はまだタウーレンにいるだろう。確か、Sランク冒険者だと言っていたな。
「何かこの町で起きるのですか?」
所長が不安そうな表情をする。それに、笑って答えた。
「大丈夫ですよ。俺の考えすぎかもしれません。それに、たとえ起きたとしてもどうにかしてみせます」
所長は訝しげな視線を送っていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「……あなたは、そうやって安心させようとしてくれますね。ですが、無理はなさらないでください」
「わかってます」
「あなたがここに運び込まれて来たとき、私は大変驚きました。なにせ、テプトさんはたった一人で冒険者同士の争いを止めてしまった人ですから。ですが、それを言うわけにもいかない」
「所長には感謝してます」
「良いですか? これだけは覚えておいてください。あなたがどんなに強い人だとしても。所詮は人。心臓が止まってしまえば、人は死ぬんです」
所長は真面目な顔をして俺を見続けた。それに、ゆっくりと頷く。
「覚えておきます」
「……頼みますよ」
そうして、俺は診療所を後にした。