九話 その男
管理部の部屋にて仕事をしている時のことである。不意にスキル『気配察知』が自動的に発動した。
「どうしたんです?」
一緒に仕事をしていたヒルが、俺の様子に気づいて聞いてくる。
「……いや、何でもない。少し用事を思い出したから、出掛けてくる」
「わかりました」
俺は、何事もなかったかのように立ち上がると管理部を出た。それから冒険者ギルドも出て、すぐに走り出す。
(なんだ? この気配は?)
それは、先程から感じている気配である。『気配察知』は、通常自動で発動することはない。だが、自分に向かってくる悪意や殺気などには敏感に反応し、自動で発動することがある。それはつまり危険信号。その危険因子がタウーレンに迫っているということになる。
こんな遠くから自動的に発動したのは初めてだったが。
町を出てしばらく走ると、その気配がだんだんと大きくなっていった。それは、今までに感じたことのない気配。何かが入り雑じり、焦げ付くような嫌な気配だった。
そして、その根源を視認する。
「……うそだろ。なんでこんなところに」
それは、町から離れた森の淵。そこに、一匹のドラゴンがいた。
全身を覆う鱗は光を反射して発光しているようにも見える。体は大きく、俺の二十倍くらいあった。その巨体を支える手足は太く、畳まれた両翼に隠れてはいるが、その胴も首もかなりのものだろう。そして、頭部には鋭い角と牙。その瞳孔は蛇のように細く、明らかに俺を見つめていた。
「まさか、この距離で気づく奴がいるとはな?」
その声は、ドラゴンのものではない。よく見ると、ドラゴンの傍に一人の男が立っていた。髪は黒く、瞳も黒い。片方の目には黒い眼帯がされており、マントも黒かった。故に、その肌の白さが異様に目立つ。
男は笑ってこちらに近づいてくるが、俺は危険を感じて後ずさる。
ーー瞬間。
「そんなに脅えるなよ。お前のことが知りたいだけなんだ」
「なっ!?」
気がつくとすぐ目の前に男がいた。それに思わず声が漏れる。
「……うーん。かなりの魔力を持ってるな? というか、お前本当に人か?」
「……お前こそ人間なの、か?」
そう聞かずにはいられない。頭の中で『気配察知』が激しく反応している。それは、目の前の男に反応しているのだと今分かった。あのドラゴンにではなく、目の前の男に。
男はニヤリと笑った。その唇から、尖った犬歯がはみ出す。
「……なるほど。かなり感度の良いスキルを持ってるな、お前。だが、残念。俺は人間だよ」
その言葉を信じることができない。目の前の男が纏う雰囲気は、人のそれじゃない。まるで、魔物みたいな雰囲気を纏っている。……それも、かなりの上位種。
「……嘘だ」
「本当なんだな? これが」
男の顔に、少しだけ悲しそうな表情が見えた気がした。が、すぐにそれは消え、再び笑みに変わる。
男は、不意に腕を上げた。その何でもないような動作に反応して、咄嗟に後ろに跳んで距離をとってしまう。
「おいおい? そんなに警戒することはないだろ? 傷ついたじゃねーか」
「何が目的だ?」
距離を取ったのと同時にあらゆる感知スキルを発動する。今度は不用意に近づかれないように。先程、男の動きは目に見えなかった。感じることさえもできなかった。それは、こちらが戦闘の用意をしていなかったからだと願いたい。
「目的? あぁ、タウーレンで近々やるんだろ? 闘技大会を。それに参加したいんだ」
「開催はまだ先だ」
「そうか。なら、その前に観光でもするかな」
「あまり見るところなんてないぞ?」
「それを決めるのはお前じゃないんだよなぁ」
分かっている。だが、彼をタウーレンに入れてはいけない。理由はないが、本能がそう発していた。
「なら、力づくでも通させてもらうかな」
やれやれといった感じで男は呟く。
俺は静かに空間魔法にて『業火』を取り出した。
「大会前に争いたくないんだが……なっ!」
再び、目の前に男が現れ、気づいたときには拳が迫っている。寸前で反応し業火で防ぐ。
「ぐっ!」
重い一撃だった。本当に素手なのかと疑いたくなる。だが、その結論を出す余裕もなく次の攻撃が男によって始まる。右拳、左拳、蹴り、あらゆる角度から繰り出される一撃に、反応するのが精一杯だ。
「なんだよ、お前。かなりやれんじゃん!」
嬉々として男の声だけが聞こえる。その間も攻撃は休むことなく続き、俺に返答する間もを与えない。
「んじゃ、褒美をやろう」
その言葉と同時に放たれた拳での一撃を受けると、業火を通じて突然電流が伝った。
業火を持つ手から痺れ、一瞬動きが止まってしまう。彼がそれを見逃すはずもなく、蹴りを放ってきた。それを、無理矢理体を動かして再び、止めた。
(こいつ……『雷』使いか)
「……なんだよ。『雷』耐性もあるのかよ」
男は不機嫌にそう洩らした。
「『業火』」
俺の言葉に、業火の刀身を炎が燃え上がる。
「うおっ。……なんだよ、それ」
「悪いな。『雷』は俺も使えるんだ。耐性くらいある。それに、お前にはもう手加減は必要ないな。この剣の名は業火。この名を呼ぶときは、本気を出すときだ」
「へぇ……手加減ねぇ。してるようには思わなかったが?」
「お前が人だと半分信じてたからだ。だが、この電圧……化け物だろ」
俺は属性『雷』を扱える。故に、電気を喰らってもそう簡単に動きを止めることはない。だが、彼が放った電気はそれを越えていた。
「……化け物ねぇ」
なら遠慮はいらない。相手を魔物だと認識すれば、手加減をする必要もない。燃えさかる業火を男に向けた。
「悪いが、タウーレンには入れさせない」
そして、魔力を高め、攻撃をしようとしてーー。
「おせぇ」
その声は背後から聞こえた。目の前にいない男が、後ろにいるのだと理解し振り向こうとする。
「かはっ!!」
が、それよりも速くもの凄い力で背中の服を掴まれ、そのまま地面に押し潰された。胸から地面に叩きつけられ、肺の空気が抜けて視界が白くなる。遠退きそうな意識を必死で手繰り寄せるが、背中からミシミシと押さえつけられて呼吸ができない。
「……なんだよ。このマーク、お前ギルド職員か」
頭上から男の声がした。背中の刺繍を見たのだろう。
「がっ……ぐっ……」
「てっきり冒険者かと思ったが……へぇ、あのじいさんこんな奴を引き入れたのか」
「ぎ……ぎっ」
どんなに足掻いても、背中を押さえつける力から逃れられない。口の端から涎が垂れ、渇いた砂を濡らす。留めた意識が再び遠退いていく。
「なら、お前には自己紹介をしておかないとな? 俺の名前はアルヴ。タウーレン冒険者ギルドのSランク冒険者だよ」
その声が最後だった。俺は意識を完全に手放したのだった。