六話 出来上がっていく舞台
町の広場を見に行ってみると、着々と舞台の骨組みが出来上がっていた。見物人も何人かいて、既に演劇の一団が町に来ていることは知れわたっているようだった。
その見物人たちの中に、見覚えのある後ろ姿を見つける。どうしようか迷ったものの、話しかけることにした。
「懐かしいのか?」
相手はハッとしたように振り返る。その目は見開いていたが、手は流れるような動作で腰の剣に添えられる。それから、俺だと分かった途端にその手を下ろしてため息を吐いた。
「……気配もなく後ろに立たないで」
「わるい」
ソカは、もう一度造られている舞台の方に向き直った。
「別に、見てただけ。懐かしんでたわけじゃないわ」
「そうか」
ソカは冒険者になる以前、演劇の一団にいたことがあると言っていた。だから、そんなことを聞いてしまったのだ。いや、正直に言えば、話しかける言葉が他に見つからなかったからかもしれない。ソカはあの日から話しかけてこないし、ナイフも投げてこない。何か理由がなければ、話すことなどできなくなっていた。
「テプトこそ、冒険者に戻りたいとか思わないの? あなたなら、まだ十分やっていけると思うけど?」
こちらを見ずに彼女は言った。それに、少しだけ考えてしまう。
「俺は……自分から冒険者を辞めたからな。それに、『今はやらなきゃいけないことがあるしな』」
やらなければいけないことがある、そこを強調して言った。それは、裏を返せば『他のことにかまっていられない』という意味合いになる。
他のこと……そこには、恋愛も含まれる。
「……ふーん」
その答え方からは、それが彼女に伝わったかどうか判別できない。察しの良いソカのことだ。もしかしたら、伝わっているかもしれない。
「それって、あなたにしかできない事なの?」
ソカからの何気ない質問。ただ、俺には『あなたがやらなくても良いんじゃないの?』という意味に変換してしまう。考えすぎだろうか?
「いや。……だが、いずれ誰かがやらなきゃいけないことだと思う」
そう、正直に答えた。俺がやろうとしていること、それは『ギルド改革』だ。きっと、今のままでは冒険者ギルドは駄目になってしまうだろう。必ず大きな問題が起きて、世間から糾弾されてしまうだろう。そうでなくとも、ヒルの話では『ギルド解体』なんて話も上がっている。破滅へのカウントダウンは、既に始まっているのかもしれない。それが、遅いか早いかの違いだけだ。
そうなってしまったら、一体どうなるのだろうか? ギルド職員は? 冒険者は? そしてこの国はどうなってしまう?
改めて考えてみると、とても大げさな話だと思う。一介のギルド職員である俺に何ができるというのか? もしかしたら、幼い頃に「勇者になる」と言っていた夢を、未だ見続けているだけなのかもしれない。
「テプトは、どうしてそんな風に思えるの? 誰もそんな風には思わない。……みんな、今の自分に精一杯なのに」
それに俺は笑ってしまう。なんだか、俺が聖人のように聞こえたからだ。
「そんなことないさ。俺だって今の自分に精一杯だよ。その結果、やらなきゃいけないと思ったんだ」
言ってから、不意に前世での歴史の授業を思い出した。
もしかしたら、日本の武士たちはそういう気持ちだったのかもしれない。外国から強い圧力を受けて、立ち上がった幕末の志士たち。彼らは、圧倒的な力の前にも臆することなく対等でいようとした。そこには、様々な思惑があったかもしれないが、自らを顧みず時代に立ち向かった事は、決して誰にでも出来ることではない。やらねばならぬ。そういった使命感が彼らを突き動かしたのかもしれない。全ては日本のため、しいては、そこに住まう人々のため、最後には……自分のため。
(……いや、ダメだな)
それは美化しすぎだと考え直す。どうやら、俺にはそういった癖があるらしい。自らの行動を正当化するために、美しいものに例えようとする『悪い癖』が。
誰かのためなんてものじゃない。ただ、俺がそうしたいからそうするのだ。それはたぶん、知ってしまったから。この世界に転生して、生きていくうちに多くの人と関わってきた。その人たちの事を知って、助けになりたいと思ってしまった。それは成り行きで、最初からそう思っていたわけじゃない。知ってしまったからには、無関係ではいられない。その人たちが傷つけば、繋がった自分も痛いから。
痛いのは嫌だ。だから、やるのだ。
「だから……普通はそんな結果にはならないんだけど?」
チラリと、呆れたようにソカは俺を見やる。
彼女とも、随分親しくなったものだ。最初の頃は、こんな風に会話を交わすなど想像もしていなかった。それだけの関係を、積み重ねてきたということなのだろう。だから、ソカが傷ついたら少なからず俺も傷つく。繋がった糸を伝って、痛みはやってくる。
なら、最初から関係など持たなければ良い。そうすれば、痛みは最小限で済む。誰が傷つこうとも無関係でいられる。それでも、人は生きていけるのだから。だが、そう上手くはいかないらしい。俺が人のなかで生きる限り、それは絶対にあり得ないことだ。
そして、その繋がりを、俺は自らの意思で断ち切るのかもしれない。
ソカは未だ呆れたように俺を見続けている。その表情が俺に向けられなくなるのかもしれないと思うと、胸がチクリと痛んだ。
「……なによ?」
「いや、なんでもない」
その痛みを誤魔化すように笑みを浮かべた。
ソカの気持ちには気づいてる。その好意に応えられないと彼女が知ったとき、もうこの紡いだ関係のままではいられないだろう。その時の痛みを、俺には想像することが出来ない。
だから怖くなった。
それはセリエさんに対しても同じことが言える。
俺は、一体とうするべきなんだろうか?
町の広場に造られる舞台は、今も完成に向けて組上がっている。それは多くの人たちの手により、着々と進んでいる。その光景を見たとき、俺だけが何も組み立てられないまま取り残されている気がした。