四話 いつか。
結局、俺に聞きたかったのは大会期間中の取り締まりという一点だけだったため、すぐにギルドに帰れた。他の人たちはもうしばらく打ち合わせを行うとの事だったが、話し合いは打ち合わせの域を越えている気がする。それもこれも闘技大会を開催すると決めた領主様のせいなのだが、皆それには触れなかった。別に恐いからではない。このタウーレンで闘技大会を開催することができれば、莫大な金が動くことが目に見えてわかっているからだ。それと、ミーネさんは冒険者ギルドのためにやっている。数日前、俺が闘技大会で優勝し、本部に行くための足掛かりにすると言ったとき、ミーネさんが最初に賛成してくれた。それを皮切りに皆も賛同してくれたのである。意外なことに、最後まで難色を示していたのはバリザスだった。
聞いたわけではないが、おそらく俺がいなくなることで今後のギルドマスター業務に不安を覚えたのだろう。だが、心配することはないと思う。バリザスは立派なギルドマスターになれるだろう。
冒険者ギルドに戻り、仕事を終える。そして帰るときセリエさんと鉢合わせた。
「お疲れさま。今から帰るの?」
「はい。セリエさんも?」
「そうよ。……じゃあ、途中まで一緒に帰……る?」
「はい」
暗い帰り道、闘技大会の事をセリエさんに話す。少し愚痴っぽくなってしまったが、彼女は笑って聞いてくれた。
「ふふっ。相変わらずね」
「はい。いつになったら平穏な日々になるんですかね」
「たぶん、テプトくんはそういう星の下に生まれたのよ。何をやっても苦難が立ちはだかる……そういう星の下に」
「じゃあ、俺は今後もずっとこの調子ってことですか?」
項垂れた俺の肩を、セリエさんは笑って叩いた。
「大丈夫。そういう星の下に生まれたってことは、テプトくんが苦難をはねのける能力を持ってるからよ」
「……苦難をはねのける?」
「そう。誰も出来ない人に何かを頼んだりしない。出来るから頼むの。きっと、テプトくんは出来る人だから神様が苦難を与えているんじゃないかな?」
一瞬、心臓が跳ねた。きっとセリエさんは、俺を励ますために言ったのだろうが、それが本当の事のように思えたからだ。
俺は転生するときに、神を名乗る者からなんらかの能力を与えてもらっている。それが何なのかは分からないが、今までの事を思い返すとかなり常識はずれな能力だと分かる。もし仮に、セリエさんの言うことが本当だとしたら、俺はとんでもない人生を選んだということになる。そしたら、俺はあと幾つの苦難を乗り越えなければならないのだろう。もしかしたら、死ぬ瞬間まで苦難に満ちているのかもしれない。
「……フッ」
考えると馬鹿馬鹿しすぎて笑えてくる。
「あー! 笑ったわね?」
セリエさんが、大声で俺を指差した。
「違います。セリエさんを笑ったんじゃないです」
「うそ! 絶対、良い大人が何言ってんだろーって思ったんでしょ!」
「だから違いますって。少し、考えごとをしてたんです」
彼女は頬を膨らまして俺を睨んでいたが、不意に「プッ」と息を漏らし、そのまま腹を抱えて笑いたした。俺は訳が分からず呆然とする。
「……ごめんごめん。ちょっとからかっただけ」
目じりを拭いながら彼女は言った。
「テプトくんってさ。なんでこういう時は焦った表情になるの? 普段は自信があって、平然としていて、余裕があるのに」
その言葉に、俺は微妙な表情になった。
「あー……。それはたぶん虚勢を張ってるだけです。自信なんてありませんよ。ただ、そうした方が上手くいくからです」
「そうなんだ? でも今はやらなかったよね。なんで?」
「……なんでって」
それは、たぶん……きっと。
「セリエさんには虚勢を張る必要がないからですよ」
彼女には取り繕う必要などないのだ。そんなことをしなくても、彼女はきっと許してくれる。自分勝手な思い込みかもしれないが、俺はセリエさんをそういう風に見ていた。
見れば、セリエさんの目は少しだけ見開かれている。
「そっ、それは嬉しい……かも」
視線を下げて、セリエさんはそう呟いた。照れたような挙動に、俺まで恥ずかしくなってくる。そんなつもりなどなかったのに。
「私は……さ。自分の気持ちを隠したまま平然となんてしてられないの。きっとどこかでボロがでて、それで……抑えきれなくなって、失敗ばっかり。家を飛びだしたのだってきっとそう。我慢なんて出来なかった。我慢すれば……親の言う通りに生きていれば……今みたいに生きなくて良かったのに」
その言い方は、なんだか後悔をしているように感じた。
「今は嫌ですか?」
そう聞かずにはいられない。
「ううん。嫌なことなんて、家に残ってもきっとたくさんあった。だから、これは私のわがまま。別に今が嫌なわけじゃないよ」
そう言ってセリエさんは笑ったが、その表情には濁りがあるような気がした。それは、先程彼女自身が言っていたこととは矛盾する。
「俺は……今のセリエさんで良かったと思っています。冒険者ギルドに来たとき、最初に親切にしてくれたのはセリエさんです。その後も、ずいぶんと俺はあなたに励まされました」
だから、今度は俺が励ましたくなったのだ。もしかしたら、彼女が落ち込んでいると感じたのは、俺の思い込みかもしれない。それでもいい。今言ったことは、嘘偽りない事実なのだから。
セリエさんから笑みが消えて、驚きの表情に変わる。そして、再び彼女は笑った。今度は、優しげな笑みだった。
「本当にズルい」
「ズルい? 俺がですか?」
「うん。勝手に人の心に踏みいって、無断で荒らし回って……それで……温かくしてくれる」
「……温かく」
「そう。テプトくんの言葉は温かいの。たぶん、テプトくんも同じ思いをしてきたからだと思う。……考えすぎかな? でもそうとしか考えられないし、だからこそ素直に受け入れられる」
「考えすぎじゃないですか?」
「そうかな?」
俺は笑いかけて、ふと、昼間の事を思い出した。
「そういえば……」
「ん? なに?」
俺は、言うべきか迷ったが、セリエさんなら『答え』を知っている気がした。『答え』とは、昼間ソカが怒った理由だ。「寒い」と言った彼女は、俺に温かい言葉をかけてほしかったのだろうか?
「実は、ソカの事なんですけど」
「……」
「セリエさん?」
「……ん!? ソカちゃんが何?」
それから、セリエさんにソカが怒ってしまったときの事を話した。
「ーーなるほど。それで熱があるのか確かめようとしたら怒っちゃったわけだ」
「はい。わけが分からなくて」
「うーん。……たぶんだけど、私はソカちゃんがどうして欲しかったのか分かる気がするな」
「本当ですか?」
「うん。……教えて欲しい?」
「はい」
そう言うと、セリエさんはくるりと後ろを向いた。
「どーしよっかなー」
わざとらしい言葉に、またからかってるのだと思った。
「教えてくださいよ」
だから、俺も冗談混じりに返してやる。すると、彼女はチラリと視線だけを俺に向けた。そして、突然手を掴んできた。
「ちょっときて」
「えっ」
有無を言わさず、そのままセリエさんに引っ張られた。セリエさんは走りながら建物と建物の間、狭い路地に入っていく。
(……どこに)
そう思った瞬間、引っ張られていた手が不意に放された。
「うおっ!」
前に転びそうになり、咄嗟に勢いを殺すため踏ん張る。
「ーーえっ」
だが、その必要はなかった。前を走っていたセリエさんが、方向転換をして……俺に抱きついてきたからである。
時が止まったように感じたのは、状況が理解できなかったからだ。
頭が混乱したのは、セリエさんの意図が分からなかったからだ。
「セリエ……さん?」
だが、それに彼女は答えず黙ったままだった。どうしていいか分からず、そのままの体勢で膠着する。
背中に回された手が、強さを増した気がした。セリエさんの表情は、俺の胸に埋められて分からない。
ただ、静かに時が流れた。
そして始まりと同じように、唐突にそれは終わる。セリエさんは勢いよく俺から離れ、背中を掴んでいた手を後ろに回して照れた笑みを浮かべた。
「たぶん、ソカちゃんはこうして欲しかったんだと思うよ」
その言葉を理解するのに数秒かかった。そして、セリエさんは返答を待たずして俺の横を走り抜けた。
「ごめん。私、先に帰るね? お疲れさま」
「え? ちょっと! セリエさん!?」
だが、彼女はそのまま走り去ってしまった。
呆然とする俺。それは、昼間の出来事と重なる。
ただ、一つだけ違う事があった。
たぶん、俺は彼女たちの気持ちを正しく理解したのだと思う。セリエさんは、面白半分だけでこんなことをする人じゃない。きっと、ソカだってそうだ。誰が好きでもない男に抱きつくだろうか? というか、そんな女性がこの世界にいるのだろうか? きっと、そういうことなのだ。
きっと、たぶん、おそらく。それはあやふやで、曖昧な言葉。でも仕方ないだろう? 彼女たちはそれを確定させる発言をしない。しないで、気持ちだけをぶつけてくる。それを全て俺に理解しろと言うのか? 余すことなく察しろと言うのか? ……そんなの無理だろ。
「……ズルいのはどっちだよ」
その場に崩れ落ちて座り込む。狭い路地から見えるのは、灯りに照らされた町の通り。俺はしばらく、それをただ眺めていた。
いつか、俺は二人に答えを伝えなければならない。二人にはまだ言ってないが、俺はいずれ本部に行くことを決めている。……いや、行けなかったとしても答えを伝えなければならないだろう。
ーーいつか。
この時俺は、その『いつか』がまだまだ遠い先のことだと思っていた。