六十二話 傷つきあう者たち
セリエは、闘技場から走り去っていくテプトの姿を見送るとその場に座り込んでしまう。
「言わなきゃ良かった」
そう言ったのは、カウルだった。
「勝手に決めないでください。あれで良かったんですよ」
そう言ってセリエは、体育座りをして膝の中に顔を埋めた。そんな彼女の姿を見て、カウルはまたも居心地悪そうにした。
「……不器用なのは皆か」
ーーーー
俺は闘技場を出て、ソカの行きそうな場所を思い浮かべる。だが、彼女の行きそうな所など冒険者ギルド以外思い浮かばなかった。
『何も知らないくせに』その言葉が脳裏に浮かぶ。
(本当に何も知らないんだよな)
取り合えず、スキル『鷹の目』を使用しながら町の人たちに聞き込みを開始する。まだ時間はそんなに経っていないため、遠くには行っていないはずだ。
だが、どんなに探してもソカの情報が分からない。町の中を北へ南へ移動したが、彼女らしき人物は見当たらなかった。
(ほんと……どこ行ったんだよ)
ここまでくると、もう家に帰ったのではないかとさえ思った。たが、スキル『鷹の目』でソカの家周辺付近を見ているが、まだ帰ってくる気配はない。まぁ、その前に家に入られていたらアウトなのだが、それはあまりにも早く家に着きすぎている気がする。
散々走り回った挙げ句、闘技場の前まで戻ってきた。それから、上から探してみようと思いつき、付近の建物の屋根に風の魔法で上った。
そして、見つける。
ソカは、最初から建物の屋根に上っていたらしい。彼女は屋根の縁に座っていた。
「ここにいたのか」
声をかけると、ソカはバッと俺の方に振り返った。そして、すぐに立ち上がり屋根づたいに移動を始める。一瞬見えた顔は、泣いている気がした。
「ソカ!」
すぐに追いかける。彼女は屋根を器用に渡り逃げていく。足場が悪いせいか、ソカの逃げ足の方が早いからなのか、なかなかその差は縮まらない。
「待て!」
言った俺に。
「嫌よ!」
振り向きもせずに返してきた。簡単に捕まってくれる気はないらしい。俺は速度を上げて彼女に迫る。そして、逃げる彼女の腕を掴んだ。
「いや! 放して!」
ソカは暴れて俺から逃れようとした。その弾みでソカが屋根から足を踏み外す。
「ーーあ」
止まる一瞬。視線が合い、ソカの驚いたような顔が見えた。その頬は赤く腫れて、泣いていたのは見間違いではなかったのだと確信する。重力によって彼女が地面に引きずり込まれる前に、俺はその掴んだ腕を引っ張り、ソカを抱き寄せた。
もう、彼女が暴れることはなく、暴れたとしても逃げられない力で抱き締める。
しばらく俺は、彼女が落ち着くまでそうしていた。
「悪かった」
そう言うと、腕の中でピクリと反応があった。
「……なに……が?」
「さっき言ったことだ。あの場で言うべきことじゃなかった」
「私こそ……怒ったりして……ごめんなさい」
彼女は震える声で一つ一つ絞り出すように言った。それだけで、彼女が弱っていることが分かり、罪悪感を覚えた。
「……ダリアさんが女性を高値で買ってる話を聞いた時、もしかしたらソカもそうなんじゃないかって思った。もしもそうだとしたら、俺は今までソカの事を勘違いしていた事になる。なにも知らずに、ソカの人間性を決めつけて、接していたことになる」
「言ってないもの……当然よ。そうなるように……私もしてたから」
「その……本当にソカはダリアさんに買われたのか?」
しばらく沈黙が続き、やがてソカは小さく「うん」とだけいった。
「……そうか」
「なんでそうなったのか……聞かないの?」
「聞いてほしいのか?」
「ううん」
「なら良い。話したくなったら聞かせてくれ」
「……わかった」
「あと、今回俺のために動いてくれたことは、礼を言っておく。ありがとう」
「……」
そのまま彼女から返答がなかった。
「ソカ?」
「……ずるいわ」
「ずるい?」
「自分だけ言いたいこと言って」
「言わないとダメだと思ったんだ。変に隠せば、またややこしい誤解を生む。相手が自分の思った通りだと考えるのは危険なのかもしれない」
「うん」
「だから、これからはなるべく言葉にすることにした。ちゃんと、相手に理解してもらうために」
「うん」
「本当は、そっちの方がずっと難しいのかもしれない。お互いを言葉だけで理解し合うことの方が」
「うん」
「ソカは言いたいことないのか?」
「私?」
「あぁ、今さっきズルいって言っただろ?」
「うん……じゃあ、一個だけ」
「なんだ?」
だが、ソカは一向に何も言わない。辛抱強く待っていると、ようやく口を開いた。
「私ーー」
そして、ソカは両手を俺の腰に回してきた。そして、彼女の方からも抱き締められる。
……メキ。
(ん?)
……メキメキメキメキ。
「いだだだだ!?」
「きゃあ!?」
あまりの締め付けに腰が悲鳴を上げる。その痛みに耐えかねて俺は仰け反った。ソカが驚いて腕を放し、俺は尻餅をつく。
「……お前、俺が渡したガントレットで抱き締めただろ?」
「あぁ、忘れてた」
「気をつけろよ? 腰の骨が折れるかと思った」
「こんなもの渡すからよ。私も何枚皿を割ったか」
腰に触れるが、どうやら大丈夫そうだ。
「で? なんだっけ?」
見上げてソカに問う。すると、ソカはその顔を真っ赤に染めた。
「……や。やっぱり今のは無し!」
そう言ってソッポを向いてしまう。
(……なんなんだ)
なにはともあれ、彼女はいつもの表情に戻っていた。もしも、追いかけなかったら、彼女はあそこで泣き続けていたのだろうか? そう考えると、こうして追いかけたことに意味はあったように思う。
ふと、診療所での所長の言葉を思い出した。
『人は何かのために生きているのに、その生き方にはズレが生じてしまう。そして、ズレは思ってもない誰かを傷つけてしまうんです』
本当にそうだ。相手の事を想っていても、やり方を間違えれば簡単に傷つけてしまう。皆、器用に生きられれば良いのに、肝心なところで不器用になってしまう。話し合えば分かりあえるのに、分かりあえなくても納得はできるはずなのに、いつも不要な感情や考えが邪魔をして、それができなくなってしまう。
世の中とは、なんと生きにくくできているのだろうか。本当に欲しいものは自分じゃない誰かが持っていて、簡単には得られないようになっている。
それでも、人は生きていかねばならないのだろう。同じ悩みを抱えながら、全く違った考えを持つ人たちと共に。
そう考えると、少し憂鬱になる。俺は、あとどれだけタウーレンの人々と分かりあわなければいけないのだろうか? どれだけ傷つき、傷つけあうのだろうか?
(ほんと……なんなんだよ)
それでも。
「戻るか」
「……えぇ」
そう言ってソカは笑う。
少しでも分かりあった結果が、こんなにも嬉しそうな笑顔なら、傷つきあうのも我慢できるかもしれないと思った。
次、二章ラストです