五十三話 ズレ
『依頼義務化』に反対する冒険者たちがいるせいで、残ってしまった未達成依頼は俺が再びこなしていた。依頼を受付に持ってこようとする冒険者もいるのだが、紫のブローチをする冒険者たちを見つけると、そそくさと戻してしまう。そんな状況が続いていた。
そのついでに、診療所へと足を運ぶ。受付の女性に面会をお願いすると、すぐに通してもらえた。最初と比べると、えらい違いである。
通された部屋は客専用らしく、高そうなソファーが置かれていた。そこに座って待っていると、所長がやってくる。
「申し訳ありません。お待たせしてしまいまして」
「いえ、こちらこそ突然お邪魔してすいません」
軽い挨拶を交わす。
「今日は、所長の懸念されていた新しい魔術式に関する情報と、『称号制度』について、新たな方向性が決まったのでその報告に」
「新しい魔術式がどうかしたのですか?」
所長は首を傾げる。
「はい。どうやらその魔術式の開発者は危険な実験を行っていた組織の一員で、魔術式もそれに関するものだったみたいなんです。現在王都では、その魔術式が禁止され、開発者も捕まったらしいんです」
「それは……本当ですか?」
「はい」
所長はしばらく黙っていたが、やがて俺を見る。
「……もう一つの件、『称号制度』の新しい方向性というのは?」
「タウーレン全体で取り組む事案となりました。一つの組織で行うのではなく、この町にいる者で、それに値する資格を持っているならば誰でも称号を手にする事ができる。それを元に人々は生活を営むようにします。簡単に言うと、称号を与えられれば、タウーレンならどこでも自分の実力を簡単に示せるようになるわけです」
「それは、また……思いきりましたね」
「縁があって、協力してくれる人たちが現れたんです。明日、町の取り組みとして認めてもらうために領主様の屋敷に行きます」
「そこまで話は進んでいるのですか」
所長は驚きの声を出した。
「はい。もしも決まってしまえば、この診療所にも影響があるかもしれません。それが良いことなのか分かりませんが、所長にはお知らせをしておこうと思いまして今日は来ました」
「なるほど。わざわざありがとうございます」
所長はそう言って頭を下げた。
「私の懸念していた新しい魔術式、それが無くなったのなら、『称号制度』を拒否する理由はほぼありません。もう少し早くそうなっていれば、お役にたてたかもしれません。……今となっては虫の良い話ですが」
そう呟く所長に、俺は首を振る。
「そんなことはありません。所長が魔術式について教えてくれたから、偶然これが危険なものであると分かったんです」
「私が? どういうことですか?」
それから俺は、『称号制度』を所長に認めてもらうため、彼が警戒している魔術式を部下に調べさせたこと、その過程でそれが危険なものであると分かったこと、それらを話した。
「ということは、魔術式を禁止にさせたのは事実上テプトさんですか」
「それは言い過ぎかもしれません。『偶然』、部下が王族と繋がりを持っていたので上手く事を運べたんです」
「私は……あなたに感謝をしなければいけませんね。その……ユナから聞きました。回復魔法を使えるようにいろいろと協力して下さったみたいで……結果はどうあれ、ありがとうございます。ユナも感謝していました」
「あれは、俺の罪の意識がそうさせたんです。感謝されるような事じゃありません」
そう、元は俺が悪い。
「それでもですよ」
そう言ってから、所長は少し困ったような表情を見せる。
「……なぜですかね。ちゃんと話し合い、こうしてお互いを少しでも理解していれば、結果は違ったものになっていたかもしれません。私はただ、自分の都合を考えてあなた方を拒絶しました。もっと、ちゃん向き合っていれば」
そんな所長に、俺も同意せざるを得ない。
「俺もですよ。あの時、俺は『称号制度』は素晴らしいものであると勝手に思い込んでいました。だから、それが否定されるなんて考えてなかったんです。そんな思い上がりが、あんな行動に結びつけてしまいました」
お互い、見つめあったまま無言が続く。所長は、ため息を吐いてから視線を窓の外へと移した。
「テプトさんは、生まれたばかりの赤ちゃんが、魔力持ちなのかそうでないのか見極める方法を知っていますか?」
唐突に、そんなことを言い出した。
「……いえ」
「実際、生まれてすぐの赤ちゃんは、誰も魔力を持っていません。魔力の流れが整うのは五歳くらいからだからです。それでも、魔力に耐性があるかないかで、病気になったとき処方する薬が変わります。もし、魔力持ちでない人間に、魔素を含む薬草を処方すれば、拒絶反応を起こして死に至る場合があるからです。だから、私たちは薬を処方する前に、その赤ちゃんが魔力持ちになるのかどうかを判断しなければならない」
「どうやって判断するんですか?」
「実は、魔力持ちになる人間には、背中に小さな黒い模様があります。それは、神が人間に魔力を与えた証拠だとも言われていますが、魔力持ちの赤ちゃんにはそういった特徴があります。成長すると共に消えてしまいますがね」
「では、それがあるかないかで判断するわけですね?」
「はい。もしもあるならば魔素を含む薬を処方出来ます。そちらの方が効き目がある薬は多いですから。薬学においては、薬の知識よりも、処方する判断の方が遥かに重要なんです」
「なるほど。……それは、知りませんでした」
言ってから、疑問に思ったことを口にしてみる。
「なぜ、そんな話を俺に?」
すると、所長は笑みを浮かべて俺を見る。
「その知識を持っていれば、簡単に判断が出来る。そんな分かりやすいものが、私たちにもあったら良かったのに……と、そう思ったんです」
「……分かりやすいもの」
「はい。私とテプトさんが、こんな遠回りをしなくても、もっと簡単にわかり合える判断材料があれば良かったのに、と。人は相手の思っている事を正しく理解できません。だから、想像するしかない。でも、想像だけでは自分の都合が邪魔をして、正しい事がわからなくなってしまう。だからこそ話し合わなければいけない。なのに、私たちはそれをすっ飛ばして結論に急いでしまったんですよ。結果、それは私にとっても、あなたにとっても毒にしかならなかった」
「確かにそうかもしれません」
「どうしてでしょうね? 人は何かのために生きているのに、その生き方にはズレが生じてしまう。そして、ズレは思ってもない誰かを傷つけてしまうんです」
静かに所長は言う。その問いに対して、俺は正しいと思える答えを持ってはいなかった。だから、何も言うことが出来ない。
本当に、どうしてなんだろうか? 同じ人間で、同じ痛みや喜びを感じ合える仲間同士のはずなのに。
それを突き詰めれば、『なぜ戦争は起きてしまうのか?』という、途方もない議論に発展してしまうだろう。そんな答えを俺は持っていない。
ただ分かるのは、『戦争はしてはいけない』というありきたりな事だけだ。その意見に対しては、誰もが否応もなく賛成をする。それだけが、争いを抑制する唯一の大義名分と成り得た。だが、人は何かのために、誰かのために、もしくは自らのために戦わなくてはならない。何かを決意し、武器を手に取る以上戦いは避けられない。その瞬間から、矛盾は生じていくのだろう。理解しあえないなら、そうするしかないのだ。
だからせめて……そうならないよう相手を理解する最善を尽くしたい。そんな大事なことを、俺と所長はすっぽかしたのだ。
「……そろそろ仕事に戻ります」
そう言って俺は立ち上がる。
「ユナに会っていかれますか? 今は部屋で勉強の最中だと思いますが」
それに首を振る。
「また今度にします。邪魔しては悪いですから」
「そうですか。……もし、『称号制度』が上手くいったら、今度は協力させて下さい。テプトさんがよろしければ、の話ですが」
遠慮がちに所長は頭を下げた。
「ありがとうございます。その時は是非」
「こちらこそ」
そして診療所を後にした。