五十二話 残された最善
連日行われる会議では、『依頼義務化』に対し、反対をする者たちを止める議論が行われた。だが、解決の糸口はなく、ただ時間だけが過ぎていく。
「恐れていた事が起きてしまいましたね。しかし、このような事態は施行の段階で起きると思っていました。まさか……レイカという冒険者が帰ってくるなんて」
アレーナさんは言う。
「しかも扇動してるのは、『依頼義務化』のために増員した職員っていうじゃねーか。どうなってるんだ」
安全対策部部長はしかめっ面をした。
「彼は本部から秘密裏に別の役目を受けていたのだと思います。それを、こなしているだけ」
「秘密裏?」
そこでアレーナさんは、ヒルの事を皆に話す。話終えると皆険しい表情をしていた。
「どちらにしろ、こういった事態は避けられなかったわけか」
「ただ、タイミングが悪すぎました」
沈む会議室内。そんな時、バリザスが咳払いをする。
「起きてしまったことは仕方あるまい。もしも本部に知られるような事になれば、処罰を甘んじて受けるしかない。隠していたのは事実じゃ。ーーーーわしの独断で」
最後の言葉に、誰もが顔を上げた。それが、あまりにも同時だったからか、バリザスは笑った。
「なんじゃ? その反応は」
「今、独断とおっしゃいましたか?」
ミーネさんが問う。
「そうじゃ。あの事件はわしが隠した。故に皆には関係のないこと。事実、事件については、噂程度にしか知らぬ者も多くいるじゃろう」
平然とバリザスは言う。
「だから、処罰を受けるのもわし一人で十分じゃろう。それだけのこと」
「何を……」
ミーネさんの言葉に、バリザスは深く息を吐いた。それから、部長たちを見回して静かに口を開く。
「わしはここ最近ずっと考えておった。果たして、わしはこのままギルドマスターを続けても良いのか? と。皆には散々迷惑をかけ、それを気づきもせずにのうのうと過ごし、自分勝手な理由で今もここに座り続けておる。じゃが、その代償はあまりに重すぎた。それさえも見て見ぬふりをしてこのままギルドマスターを続けても良いのかと……そう考えておったのじゃ」
「……バリザス様」
「潮時なのかもしれぬ。もし、テプトの言う通りにここが新しく生まれ変わるのならば、それはわしが引退した時じゃ。それが早まっただけのこと」
バリザスは尚も笑う。その表情は穏やかで、暗い気持ちなど全く見えなかった。
バリザスがギルドマスターを辞める。それは、俺がギルドにきた当初に思っていたことだ。だが、今は違う。彼とは衝突もしたが、結果的には彼も同じように苦しんでいたのだと知った。どうしようもない理由があったのだと知った。だから、それを理解し、共に仕事をやっていくことを決めたのだ。それなのに、今さらになって辞める? それは良いことなのだろうか?
「俺が教えてきた事はどうするんです? やっと、これからなのに」
思わずそれを口にする。バリザスは、笑みを浮かべたまま答える。
「すまんの。じゃが、無駄にするつもりはないぞ? まだ、領主様との戦いが残っておるからの。それに『依頼義務化』も止めさせるつもりはない。あれは、正当な理由がちゃんとあるからの。そこは、本部に伝えておこう。……わしとお前とで交わした賭けは、どうやらお前の勝ちのようじゃな」
それは、一年以内にランク外侵入があれば俺がギルド職員を辞め、なければバリザスが辞めるというもの。だが、この賭けはまだ前提が成立していない。ランク外侵入の対策ーー『称号制度』が施行されていないからだ。だから、バリザスの発言はただの言い訳に過ぎない。
「賭けはまだ始まってすらいませんよ? それは、逃げると捉えていいんですか?」
「それでよい」
バリザスを挑発するも、彼は怒りもしなかった。その結論は、あまりに身勝手だったが、誰も何も言おうとしない。口を開いても、再び閉じて黙りこんでしまう。皆分かっているのだ。それが、一番軽傷で済む道なのだと。止めたくても、それ以外の最善を思いつくことができないのだ。
そんな中。
「あの事件を隠したのは私も一緒です。バリザス様がそう決意されたなら、私も共に処分を受けましょう」
ミーネさんが静かに言う。
「ミーネ、それはならぬ。お前には、新しいギルドマスターをサポートする役目が残っておる」
「ですが! 私も同罪です! こうなってしまった原因の一端には、私も大きく関わっています!」
声を大きくするミーネさんに、バリザスは首を振った。
「その原因をつくったのはわしなのじゃ。全ては、わしが至らなかった責任じゃ」
「そんなこと!」
「ミーネ」
バリザスが叱りつけるようにミーネさんの名前を口にする。その力強さに彼女は言葉を切った。
「わしの最後のわがままじゃ。頼むから聞いてはくれぬか?」
ミーネさんの表情に、様々な感情の色が浮かぶ。長い間沈黙が続いた。そして、彼女は最後に目を瞑る。
「……わ……かりました」
「うむ。それで良い」
バリザスは満足げに頷く。
「これでこの話は終わりじゃ。皆は安心して仕事に励むが良い」
そう言ってバリザスは席を立つ。もう、この件に関して話し合うことはないのだと言うかのように。だが、皆は席を座ったまま動こうとしない。まるで、まだ話し合いは終わっていないのだと主張するかのように。
ようやくまとまり始めていた冒険者ギルドに、亀裂が入り始めていた。その亀裂は今までそこにあったのに、皆が見て見ぬふりをしてきたもの。だから、修復しようにもどうすれば良いのか分からなかったのだ。分からないから、放置した。それに向き合うときが来たのだと、起こってしまった事態だけが無言で告げていた。
そんな会議の翌日に、笑みを浮かべたバイルさんがやってきた。どうやら、領主と会談する日程が決まったらしい。領主は忙しいのだが、時間を設けてくれたらしい。会談は翌日の昼との事だった。まだ、冒険者たちの事は冒険者ギルド内部の者たちしか知らない。だが、それも時間の問題だろう。もしも公になれば、いくら領主に良い提案をしようと、断られてしまう可能性がある。だから、早急に会談が行われるのは良いことなのかもしれない。
「どうしました? 何か浮かない顔をしていますが」
「……いえ、何でもありません。明日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。良い結果になることを職人たちも願っています」
そして、バイルさんと握手を交わした。
時間は足踏みをする者たちを無視して当然のように流れていく。それは、この世に生きる者たちには抗いようもない。それに従い、出来る選択をしていくしかないのだ。
何かを起こすには、あまりにも時間が無さすぎた。そして、事が起きるのが、あまりにも早すぎた。いやーー遅すぎたのかもしれない。冒険者ギルドが、正しい道を歩もうとしたこと自体が。