五十一話 宣戦布告
大通りの宿屋での一室。ヒルは続々と集まりつつある冒険者の署名を眺めていた。
「……まだ?」
その横ではレイカが苛立ち気に彼を睨み付けている。そんな彼女にヒルは笑みを浮かべた。
「焦らなくても、時期に報告しますよ。でも、まだこれじゃ足りないんです。前回、テプトさんが冒険者を闘技場に参加させるために集めた数くらいじゃないと。あと、五百は欲しいところです」
「……五百」
その数字にレイカは絶句する。
「……それをあのギルド職員が集めた?」
「そうみたいですね。やり方は知りませんが、記録ではそうなってます」
「……信じられない。あの男は何者?」
「さぁ? 僕にもさっぱりです。ただ、彼はこのまま黙って見ておくほど甘い人じゃないと思います」
そう言ったヒルに、レイカは不信感を募らせる。言葉と態度が一致していないからだ。
「なぜ、そんなに余裕?」
「余裕じゃありませんよ。でも、焦ったってしょうがないでしょ?」
言っている事は理解できる。しかし、それにしてはあまりにもヒルは余裕そうに見えた。それどころか、この状況を楽しんでいる様にも見える。
この男を信用して良いのだろうか? そう自分に問いかけるも、男がやっていることは紛れもなくレイカを助けるものだ。……敵であるはずのギルド職員なのに。
「なぜ、協力者をする?」
「質問ばかりですね。そんなに信用できませんか?」
「……そう」
「傷つくなぁ。僕とあなたの利害が一致しているからですよ」
「……利害」
「僕はタウーレン冒険者ギルドの不正を本部に報告したいんです。あなたはそれに繋がる事件を知っていて、『依頼義務化』を止めさせたい。利害は一致してるでしょ?」
「なぜそんなことを?」
「僕は本部に戻りたいんですよ。元々、僕は向こうのギルド職員ですから」
「もし、不正を報告したらどうなる」
その質問に、ヒルは少し黙った。
「……さぁ? それは本部が決めることです。でも安心してください。『依頼義務化』は間違いなく廃止されますよ」
ヒルの言葉に、ほんの僅かなわだかまりはあったものの、レイカは納得する。彼女の目的は、『依頼義務化』を無くす、それだけだからだ。
その日、宿屋にやってきた冒険者で署名は三百人を越えた。皆、署名をしてからヒルの用意したブローチを受け取っていく。無言で名前を書く彼らに、レイカは理由を聞こうとはしなかった。ただ、彼らも自分と同じ考えなのだと信じて疑わなかったのである。
そんな中、最後にやってきた冒険者の集団は、レイカの想いをぶち壊す発言をした。
「署名はしないわ。私たちは、あなたたちのしていることに真っ向から反対するから」
集団の一人、女性冒険者はそう言ってレイカを睨み付ける。突然の事にレイカは動揺するも、すぐに冷静さを取り戻す。
「あなたたちは?」
「あなたに爪をたてる者」
「……爪?」
署名を終えて帰ろうとしていた冒険者たちが、何事か? と振り返る。
「えぇ、そうよ。私は、あなたがやっていることが正義だとは思わない。『依頼義務化』を無くす? 何を言っているの? 英雄にでもなったつもり?」
「……違う。私はこの町の冒険者を救おうと」
「それが英雄気取りだって言ってるのよ」
バン! と、その女性冒険者は署名書の置かれた机を叩いた。
「私たちはギルド側に屈して『依頼義務化』を受け入れたわけじゃないわ。受け入れるべき理由があったから、受け入れたの」
「……理由」
「知らないわよね? あなたはその時ここにはいなかったんだから。でも安心して? そんな理由を正しく理解してる冒険者なんて一握りしかいない。あいつは……そんな大事なことを、言葉だけで済ませてしまったから。……痛い目を見れば分かるのに、そうなる前に自分が悪者になったから」
「……あいつ?」
「別に知らなくて良いわ。私も、あなたがどう思ってるかなんて知りたくもないもの。ただ、あいつの邪魔をするなら私が許さない」
彼女の有無を言わせぬ矢継ぎ早の言葉に、レイカは少しだけ混乱した。そんなレイカを見て、女性冒険者は不敵に笑った。
「私たちは、あなたに爪をたてる者。あなたに対して抗う者。正義という名の皮を被り、自分勝手な理屈を押し付け、周りを巻き込み闇へと堕とす。あなたの所業は罪深い」
「……なにを」
「故にそれを止めねばならぬ。故に私は爪をたてる。あなたがどれ程強くても、たとえ神の使いでも、悪であるのに変わりはない」
それから女性冒険者はナイフを取り出すと、それを突然机に刺した。驚くことに、ナイフは柄の部分まで深く刺さっている。
「これから放つは宣戦布告。あなたに向ける反逆の決意。この敵意を受けとるならばナイフを取られよ。その瞬間、私たちは対峙する。そして覚悟せよ、その結末が血に染まることを。そして理解せよ、そうしなければこの敵意が消えぬことを。あなたも冒険者ならば自覚せよ、強さとは正義であることを」
「つまり……戦いを申し込む……と?」
「日にちは三日後の早朝。場所は闘技場。もしも来ないなら、あなたの正義が紛い物であることに、皆が気づくだろう。それほどの決意なのだと皆が嘲笑うだろう。さぁ、どうする?」
レイカは、彼らが喧嘩を売りにきたのだとようやく理解した。そして、ナイフを取ればどうなるのかを考える。しかし、取らなかった場合の考えが頭をちらつき、思うようにいかない。彼女は仮にもAランク冒険者だ。それには、プライドも意地もある。そして何より、自分が正しいと思う事に、文句をつけてきた彼らに怒りが沸いた。
もしも彼女が彼らを説得しようとしていたなら、結果は少しだけ違うものになっていたかもしれない。だが、彼女が説得を試みるような人物ならば、そもそも『依頼義務化』を止めようとしていただろうか? テプトの話を聞こうとしたのではないだろうか?
だから。
「……受けた」
その結末は必然と言えよう。
レイカは、ナイフを掴んだのだ。その瞬間、掴んだ所から氷が蜘蛛の巣を張る。怒りが魔力となって漏れ出ていた。それを見た女性冒険者はニヤリと表情を歪め、思いきり机を殴りつける。
机は殴った所から割れて、刺さっていたナイフの刀身が姿を現した。署名書は散らばり、周りにいた冒険者たちが驚きの声をあげる。
どう見ても、その女性冒険者は机を一殴りで壊せるような腕をしていなかったからだ。
「しかと見届けた。その刃が誓いの証となる。もしも違えたならば、私たちは金輪際あなたを冒険者として見ることはない」
そう言い残し、女性冒険者は宿屋を出ていく。その後ろに立っていた者たちも、慌てるように追いかけていった。
レイカは、握ったナイフをただだだ見続けた。表情は変わらずとも、みるみるうちに凍っていくナイフが、彼女の怒りを静かに体現していた。
そんな彼女を、ヒルは離れた場所から見ていた。知らず知らずのうちに口の端がつり上がるのを止められない。
(面白いことになってきましたね)
彼の頭の中では、まだ見ぬ報告書の山が出来上がっていた。そして、とある男に想いを馳せる。
(……早くしないと大変なことになりますよ? テプトさん)
ーーーー
宿屋から退散した集団は、皆、口を半開きにしたまま先頭を歩く女性冒険者に目を向けていた。
その一人が言葉を発する。
「ソカ。あんなの打ち合わせになかっただろ」
その一人、カウルがソカに言い放った。
「ごめんなさい。……なんだか、勢いづいちゃって」
「まぁ、それはいいが、あんな文言どこで覚えた?」
「あれ? その場だけど」
平然と言ってのけるソカに、カウルはため息を吐いた。
「俺には出来ない芸当だ。もうこれで後戻りは出来ない」
「あら? 後戻りなんてするつもりだったの?」
「いや」
「それに、後戻り出来ないのは向こうも同じよ」
「あんなことを言われれば、誰だって腹がたつ」
「腹がたつように言ったのよ。彼女、案外単純かもね」
「だが、実力は本物だ。たぶん、一対一なら負ける」
「……負けないわ。負けるわけにはいかないもの」
カウルはそう呟くソカを見続ける。なんだか、意地になっているような気がした。負けられないのは彼も同じなのだが、ソカにはもっと、別の想いがあるような気がした。しかし、それを問うのは止めておく。言っても、教えてくれるわけがないと分かっていたからだ。