四十三話 暗躍する影。動き出す事態
仄暗い部屋の中。魔石の灯りだけがうっすらと部屋の形を照らしている。窓の外は暗く、静かな夜だった。
「そうか、ご苦労だったね。この件に関しては、専門の者たちに任せよう。父上には僕から言っておくよ」
部屋に一つだけある椅子に腰かけたその人物は笑みを浮かべながらそう言った。その手には、一枚の報告書が握られている。
「申し訳ありません『王子』。この事態に気づかず、かの反逆組織にここまでの横暴を許してしまいました。私が居なかったとはいえ、これは王家の信用を落とす結果となってしまいました」
その人物の前に膝まづく者が頭を垂れながらそう発言する。それに対して、『王子』と呼ばれた人物は表情を緩めた。
「別に君のせいじゃないさ。それに、ラリエスは、古くからこの国に潜んでいた組織だ。彼らの不手際を理由にして、大部分を一掃できても少しの塵は残ってしまう。これは仕方のないことだし、今回の事でそれをより一層綺麗にすることが出来る。喜びこそするが、悔やむようなことじゃない。あと、その口調……仰々しくて嫌なんだけど」
彼は報告書を机に置いて、目を細める。すると、膝まづいていた人物はゆっくりと立ち上がり、顔を隠すフードを取った。
「すいませんね。どうしても癖が抜けなくて」
そう言って笑ったのは、ヒルだった。
「昔のように……とはいかないか。あの頃とは立場が違いすぎる」
「はい。そうです」
「僕はこの国の次期国王候補。そして君は王家直属の諜報員だ。それは案外近いものだと思っていたけれど、実はそうじゃない」
「……わかっていますよ」
「だから、君には僕が国王になるための大切な密命を命じたのに、なぜタウーレンなんかに飛ばされてしまっているんだい? この国に癒着する冒険者ギルドの悪行を暴く日を僕はどれだけ待てばいい?」
「すいません。どうやら僕は優秀過ぎるみたいで、今現在ギルド本部から監視任務を与えられているんですよ」
その答えに、『王子』は呆れた表情をする。
「優秀って自分で言っちゃうかなぁ……で、その任務はいつ終わるのかな?」
「正直に言うと分からないんです。でも、この任務はギルド本部の信用あってのものです。無事に終えることができれば、もっと本部の中枢へ入り込めると踏んでますが」
「まぁ、たった五年でここまでの事をした君だ。期待はしてる」
「タウーレン冒険者ギルドで不正行為なんかを報告できればてっとり早いんですがねぇ。どうも上手くいかなくて」
「叩けば埃なんていくらでも出てくるんじゃない? 君ならそう難しい事じゃないはずだけど」
その言葉に、ヒルは微妙な表情を浮かべた。
「そうなんですけどねぇ。……僕の上司がなかなかに厄介なんです」
「あぁ、君からの定期連絡に度々出てくる男だよね? 聞けばギルド職員になったのは今年らしいね? どんな男なんだい?」
「うーん。まず一言、強いです。おそらくギルド職員の中では飛び抜けてます。僕でさえ勝てません。それに、僕を王都まで一瞬にして運ぶほどの魔力量と魔法を兼ね備えていますね」
「……それ本当にギルド職員かい?」
「元は冒険者だったらしいです。ランクはC。だけど見た感じ、その程度では済まなそうな感じですね。万能型らしいんですけど、僕はあんな万能型を見たことがありませんから」
「あらゆる戦闘スキルを修得した職人型の君よりも強いのか……興味が出てきたよ」
「それでいて性格は直情型。なのに、それを自覚しているせいか判断はわりと冷静な方ですね。無駄に強いせいで取り巻こうにも、操ろうにも難しい人ですよ。本部でもかなり話題になってるようで、今回の監視任務も彼が対象です」
「へぇ。ギルド本部がそこまで評価する男。……一度会ってみたいな」
「機会があれば是非。でも、その時には念願の『ギルド解体』が行われてるかもしれないですね」
「それは、君に与えた任務が滞りなく遂行できるという自信の裏返しかい?」
「そう言ったつもりですが?」
ヒルはひょうひょうと答えた。その表情に、王子も思わず笑ってしまう。
「まぁ、無理のないようやってくれ」
「はい。疲れるのはごめんですからね」
そう言ったヒルに、王子は苦笑した。
「君のそういう所、ブレないね」
ーーーーラント。
ラントの冒険者ギルドで受付嬢として働くニーナは、その日やって来た冒険者の姿に笑みを浮かべた。
「……これを」
そう言ってCランク相当の依頼書を冒険者はニーナに差し出す。
「はい。今日もゴブリン討伐ですか? そろそろ他の方とパーティーを組んでBランクにも挑戦してみてはどうですか?」
「……必要ない。パーティーを組むつもりもない」
その冒険者の名は『レイ』と言い、ラントでも珍しい女性冒険者である。肌は白く、日に焼けるのが嫌なのかいつもフードをしている。その中に見える顔はとても整っていて、はみ出した紫の髪は流れるようだった。表情はいつも一緒で言葉も少ない。ニーナはそんなレイの事を尊敬にも例えられる思いで見つめる。
(……孤高だわ)
男冒険者の中で、一人黙々と依頼をこなす彼女の姿は、ニーナの瞳には美しく映った。だからであろう。ニーナは暇さえあれば彼女と接し、特段反応があるわけでもないのに、ペラペラとたあいもない話をした。
しかし、今日だけは別だった。
「……今、なんて?」
依頼の申請手続きをしながら喋っていたニーナは、少し驚いた。いつもなら、「そう」と言って受付を去ってしまうレイが、この時ばかりは質問してきたからだ。
話した内容は先日行われた同期会での事。そして、同期がタウーレン冒険者ギルドで施行する『依頼義務化』の話であった。
「え? だから、私の同期がタウーレンで『依頼義務化』なんていうシステムを新たに取り付け……」
ーーパリパリ。不意に受付の机からそんな音が聞こえて、下を向くニーナ。そこには、レイの手から侵食するかの如く『氷』が作られている。
(なに……魔法?)
そして気づく。周囲の温度が急激に下がり始めたことに。
(……寒っ)
肩を竦めて腕を擦る。その現象は、目の前のレイから起こっているように見えた。レイはハッとした表情をしてから、受付に置いていた手を引っ込めた。温度が戻り始め、寒さが引いていく。
「……依頼はまた今度にする」
レイがそれだけをニーナに告げて足早に立ち去る。それを、彼女は呆然と見ていることしか出来なかった。
(今のは……なに?)




