三十七話 祝勝会
冒険者ギルドに戻ると、結果を聞いたわけでもないのに、何故か祝勝会の案内が机の上に置かれていた。仕事が終わった後、場所は近くの酒場で行うらしい。企画したのはハゲだった。
そして机にはもう一通手紙があった。開けてみると、『同期会開催のお知らせ』という紙が入っていた。差出人はニーナである。
(そういえば前に手紙がきてたな)
それには場所と時間が記載されており、文末には強制参加と書かれている。
(……しかも明日じゃねーか。急すぎるだろ)
場所は、ニーナの働く冒険者ギルドがあるラントという町で、日程は明日になっていた。まぁ、バラバラになった同期のことを考えると、ラントが一番良いのだろうが。……おおかた、彼女の性格からして俺が空間魔法を使えるからとギリギリに送ってきたのだろう。なんて奴だ。説教をしてやらねば。
ーーー
そして祝勝会である。アレーナさんは金の計算が終わるまで冒険者ギルドを離れられないため、先に始めておこうという流れになった。
メンバーは俺を含めバリザス、ミーネさん、ハゲ、安全対策部部長、ローブ野郎である。
(……え? ローブ野郎?)
見れば、確かにローブ野郎が席に座っていた。
なんとなく気まずい雰囲気が漂っている。それもそうだろう。奴は作戦に参加していなかったのだから。
じゃあ何でいるの?
ハゲが近寄ってきてから小声で言った。
「すいませんねぇ。うっかり企画部の方にも案内状を出してしまいました」
お前かよ。だが出してしまったものは仕方ない。俺はなるべく明るい声で呼び掛けた。
「本日は仕事終わりにも関わらず、急きょお集まりいただいてありがとうございます! 皆さんと協力して実行した『商業ギルド長ギャフン作戦』は無事に終わり、また、その結果が大成功であったことをここに報告いたします」
「クックックッ……皆さんと協力……ですか」
「うっ……ついては本日、営業部部長が祝勝会を催して下さいました。ありがとうございます!」
「クックックッ……こんな私も呼んでくださるとは、涙が出ますよ」
ローブ野郎の一言に、まばらな拍手もピタリと止んだ。
「そっ……それでは、乾杯の音頭を、今回の作戦成功の立役者である、安全対策部部長にお願いしたいと思います!」
振られた安全対策部部長は咳払いをしてから立ち上がりーーー。
「私は乾杯してもいいんですかね? ……クックックッ」
そのまま咳き込んだ。
「ん、んん。……俺が立役者だとテプトは言ったが、今回の作戦が成功したのは、皆が協力したからだと思う。今まで部長同士で協力したことはなかった。だからこそ今回の作戦は尊い。冒険者ギルドの方針も無事に決まったし、作戦も成功した。これからもそんな仕事が出来るようにしていきたい」
「クックックッ……そして今後も私は必要ないのですね」
まずいな。俺は口に手を添えて野次をいれる。
「大事なのはこれからだよ! これから!」(これからはローブ野郎を仲間はずれにしません)
「それじゃ……作戦の成功を祝って、かんぱーい!」
ぎこちない乾杯が行われる。皆、不味そうに酒を飲んでいるように見えたのは見間違いではないだろう。ミーネさんだけは平然と酒を煽った。そりゃそうだろう。気まずいのは俺たちなのだから。
すぐさまローブ野郎の元に向かって隣に陣取る。軽く乾杯を交わすも、奴の乾杯には覇気が感じられない。
「……すいませんでした。『企画部』は闘技場にあるので忘れてました」
正直に言うと、ローブ野郎は力なく笑う。
「やはりそうでしたか。……私は忘れ去られるほどの存在ということですね?」
「いや……その、まぁ、なんというか」
「クックックッ……言い訳はいりません。そうなのでしょう?」
しかし、それを肯定してしまえば、おそらくローブ野郎はショックを受けるに違いない。
「今回は、商業ギルド長のやり方に怒りで一杯になってしまって……忘れてしまっただけなんです。今後は無いようにします」
「良いんです。……私は孤独には慣れているので。えぇ。……残念だったのは、テプトさん。あなたに忘れられた事ですよ」
その言葉に、心臓を掴まれた気がした。
「……言ったでしょう。私には、今まで理解者という人がいませんでした。それは私の人柄も原因がありますが、研究してきた事の結果がさらにそれを助長させていたのかもしれません。でも、それでも良かったんです。私は好きなことをして生きていく。そう決めましたから。ですが、私の前にテプトさん、あなたが現れました」
そこでローブ野郎は一気に酒を煽った。
「分かりますか? 今日の案内状を見たときの戸惑い。そして、私の知らぬところで今回の作戦が行われていたと知ったときの驚き。そして、それはテプトさんが始めたと聞いたときの絶望。私は捨てられたのだと理解しました」
……捨てられたって。
「だから、この飲み会をメチャクチャにしようと思いやって来たのです。私の存在を皆に刻み込むためだけに私はここにいるのです」
酒のせいなのか、感情の高ぶりなのか、ローブ野郎の口調はだんだんと早くなっていく。そして、彼はローブの中から厳重に蓋をしてあるガラス瓶を取り出した。
「……それは」
「クックックッ。催眠薬ですよ。これを酒に混ぜて、私を忘れぬよう催眠術にかけてしまおうと思ったのです」
俺は、すぐさま持っていたグラスを見る。……まさか。
「クックックッ。大丈夫、入れてませんよ。そんなことで私の存在を刻みつけても、ただ虚しいだけだと思いましたから。特に、テプトさんに関しては」
思わず安堵の息を吐いた。
「あなたは、私を初めて理解してくれた人です。そんな人はいらないと、ずっとそう思っていました。ですが、それは強がりだったのかもしれません。それか、あなたが私を弱くしてしまったのかもしれません。どちらにしろ、テプトさんは私の中に存在を強く刻み込みました。だからこそ、忘れられたと知り悲しくなったのです。……どうしたら、あなたみたいになれるんですかね?」
その問いに、俺は何も思い浮かばなかった。
俺みたいになる? この不甲斐ない人間にか? 何を言っているんだ。
「俺は……そんな大層な人間じゃない」
ポツリと、洩らす。
今まで散々下手をしてきた。転生してもそれは変わらず、それどころか、悪化しているように思う。……出来ないことはすぐに諦めてきた。それは、自分には出来る何かがあると思い込んでいたからだ。相応しい何かがあると信じていたからだ。だが、そんなものなんてなくて、一つの事すら必死になれない者は、何も必死になることは出来ないのだと知った。だから、目の前の事に必死になった。それでも必死になればなるほどに歯車は噛み合わなくなっていく。なんとか歯車を噛み合わせてやっても、すぐにまた失敗を重ねていく。それが成功への糧になるのだと自分に言い聞かせても、本当の自分は真実を告げる。
お前はポンコツなのだ、と。
それを受け入れることは大切なことだろう。それをするから前に進めるのだ。だが、あまりに自分がポンコツだと身に染みたとき、否応もなく全てが嫌になる。それでも、やらねばならぬのだろう。
俺はただ、水の中でもがいているだけなのだ。何かにすがり、体をバタつかせて、情けないほどにみっともなく。だから、同じようにもがく者を見ると感情に流されてしまう。俺には、ローブ野郎も同じに見えたのだ。
それなのに一度陸に上がると、その気持ちを忘れてしまう。同じようにもがく者を忘れて、陸に上がれた喜びに身を任せてしまう。
バリザスを密告しようとした時だってそうだ。彼はギルドマスターという地位に必死でもがいていたのに、俺はそれを足蹴にするところだった。診療所の所長も、悩みを抱えて俺たちを拒否していたのに、その可能性すら考えなかった。もがいていた苦しみは俺だけなのだと勘違いして、他人を軽んじた。
本当に馬鹿だと思う。俺は、今までの経験から学んだ大切なことを、いとも簡単に手放してしまったのだ。
そんな俺になりたい? ローブ野郎の言葉は信じられなかった。おそらく奴は本当の俺を知らないからだ。いくら笑顔で何かをこなそうとも、中身はスカスカで詰めたものさえ自分で捨ててしまう。いくら綺麗な言葉で正論を叩きつけようとも、経験が伴わず風吹けばそれは飛ばされてしまう。正解なんて知るわけがない。だが、限りなくそれに近づけたいとは思う。それでも、それは正解ではないのだ。
「俺は目指すべき人ではありません」
「クックックッ。謙遜しますね……ですが、それを決めるのはテプトさんじゃありません」
「……確かにそうです」
「テプトさんがどう思っているかは知りませんが、結果だけみればテプトさんは凄い人です。私は闘技場にいて冒険者ギルドの方には滅多に顔を出しませんが、こんなにも部長たちが一緒に楽しく飲み会をするのを見たのは初めてです」
ふと、周りを見渡す。そこには、部長たちが酒を飲み交わす光景があった。考えてみれば、こんな光景は俺がギルドに来たとき想像も出来なかった。
「テプトさんが来たからですよ……クックックッ」
それは、素直に受け取っても良いのだろうか?
「その通りですよ。テプトさん」
「……アレーナさん」
いつのまにか、そこにはアレーナさんがいた。
「いつからそこに?」
「今さっきです。遅れてすいません」
それから、アレーナさんは隣に座ってきた。ローブ野郎と俺はスペースを空けるため少しだけずれて、アレーナさん用に酒を注文した。
「私も同意見です。テプトさん、あなたが来たことでこのギルドは変わってきています」
「まぁ、このギルドを変えると俺は言いましたからね」
このギルドの問題の多さに呆れ、上手く回っていないシステムに嫌気がさし、それにふんぞり返る者たちに怒りが湧いた。だから、このギルドを変えると宣言した。だが、やってみて分かったことは、俺も彼らと同じ人間だったという事実だ。
「これからも改革は進めていくつもりですが、正直言って自信をなくしてます」
するとアレーナさんはフッと笑みをこぼした。
「根本的な事を教えてあげましょう」
「根本的なこと?」
「もしも改革を本気でするなら、ここではなくて本部を変えなければダメです」
「本部って……王都のですか?」
「そうです。私は本部にいたのでよく分かります。腐っているのは本部なんです。それを、これまでの私の言い訳にはしたくないですけど、それが事実です」
そこでアレーナさんの酒が運ばれてきた。俺とローブ野郎はアレーナさんと軽く乾杯をし、彼女はそれを口に運んだ。
「支部ギルドは所詮、本部の操り人形でしかありません。本部の意向に従い、問題があっても、本部が何か言ってこない限り些細な事としてでしか処理されません。言い換えれば、本部に何も言われなければ、支部は問題を扱わなくていいということになります」
「……それは」
「おかしいですよね。ですが、無理に問題を扱って本部に目をつけられるよりは、そのままやり過ごすという方が得策なんです」
「ここ以外もそうなんですか?」
そう聞くと、アレーナさんは少しだけ微妙な表情をする。
「ここは……ちょっと特殊ですね。なにせ、このギルドは本部から見放されていますから」
「見放されてる?」
「はい。独自のギルド経営を推し進めているこのギルドは、本部に逆らう所として知られています。報告会に行くのはギルドマスターではなくいつもミーネさんですし、経営に関して本部が何か言ってきたことはありません」
「ちょっ、ちょっと待ってください! 独自の経営って何ですか? あと、逆らってる?」
「知りませんか? ここは本部の指南する経営を無視しているんです。通常、例えばテプトさんの提案した『依頼義務化』や『冒険者の闘技場参加』。これは、本部に伺いをたてなければいけない事案ですが、それを無視して決定しました。一応、ミーネさんが報告をしたようですが、そんなのは形に過ぎません。これまでも、本部を通さずに変えたことはたくさんありますね。それと、逆らっているというのは、そういった事案をミーネさんが無理矢理通してくるからです。今回の作戦で本部に送った『職人ギルド設立支援案』も、本部は通してくれるだろうと思っていました。今までの事から考えれば、本部は「またタウーレンか」と、深く考えずに承認してくれると踏んでいたからです」
「それで大丈夫なんですか?」
「本部が、本気でここをどうにかしようと思わないのは、この冒険者ギルドがあげている収益が大きく関わっています」
「……収益」
「まず冒険者ギルドがあげている収益。これは、多くの冒険者を抱えているのが理由ですが、他の支部ギルドを引き離した圧倒的収益をあげています。そして闘技場の存在。ここは他と違い、闘技場を所有する特殊なギルドです。闘技場での収益はかなりの額になっています。それらが有る限り、本部が何かしてくる事はないでしょう。逆に、何か言って収益が下がればそれは本部の問題としてあげられてしまいますから」
「つまり、ここは本部にとって腫れ物扱いというわけですか?」
「そう……なりますね。ですが、そのお陰で私たちは自由な仕事が出来ます。とはいえ、やはり無法地帯のここが健全な経営をしていくことは難しかったですが……それに、とうとう本部も重い腰をあげたのかもしれません。テプトさんは、確実に本部から目をつけられていますから」
アレーナさんはそう言って再び酒を口にする。最後の言葉の意味がよく分からない。
「俺が目をつけられているんですか?」
「たぶん……というか、ほぼ確実に。これまでテプトさんがやってきた改革は、ここだけでなく他のギルドにも影響を与えかねない事案ですから。その証拠にヒルが来ました。推測でモノを言うのはあまり好きではないのですが、おそらく、ヒルはあなたを監視するためにやってきたのだと思います」
ヒルが?
「そんな素振りは……」
言ってからふと疑問に思う。ヒルは先日俺が王都に送った。その時に彼は、王族に会えると言っていた。それは、王族の者と何らかの関わりがあるということを指し示す。そんな彼は俺を監視するためにここに送られてきた? どういうことだろうか?
「心当たりがあるのですね?」
「なんというか……怪しいところはあります」
「『監視部』は潜入捜査なんて滅多にしません。もしもヒルがその任務を命じられているのだとすれば、本部はあなたを警戒していることになります。ヒルもあなたの事は逐一報告している事でしょう。そして、テプトさんが本部にとって邪魔な存在になったときは……」
そこでアレーナさんが言葉を切ったので、思わず唾を飲み込んだ。
「まぁ、その時は私がなんとかしてみましょう。彼らのやり方なら心得ていますし」
彼女はそう言って笑った。まるで、不安になることはないと言うかのように。
「クックックッ……組織反逆ですか。楽しそうですね。その時は私を仲間はずれにしないでくださいね?」
ローブ野郎もいきなり笑いだす。俺の意見など聞かれることはなく、俺は反逆者へと担ぎ上げられてしまう。
そんなつもりは全くない。
「ちなみに、本部を変えるにはどうすれば?」
興味本意で聞いてみる。
「本部に行くしかないですね。引き抜き……とも呼ばれていますが、その場合本部の人事で名前が上がることが必須条件となります」
「どでかい功績を上げたりしたら行けるんじゃないんですか?」
「そう簡単な話ではありません。ですが、功績を上げれば名前が上がる確率も高くなりますし、方向性としては間違ってないと思います」
「そうですか」
なんか、途方もない話だな。
「テプトさんの近くにはヒルがいます。ヒルが本部に報告し、それがテプトさんの功績として認められれば、可能性はもっと高くなると思いますが」
なるほど。逆にヒルを利用しようということか。そうなったら、俺は本部に行って……。
ーーここを出るんだよな。
それは今考えても仕方のないことだった。そんなこと実現するかも分からないことだ。
「俺は今ここで出来ることをやりますよ」
そう答えると、アレーナさんは笑みを浮かべて「そうですか」と言っただけだった。
どうやら冒険者ギルドの改革というのは、そう簡単な話ではないらしい。俺は冒険者ギルド学校で学んだことをそのまま鵜呑みにしてやってきた。王都にある冒険者ギルド学校と本部は繋がりがないわけではない。現に、講師として本部にいる職員を呼んだりもしていた。もしも本部に問題があるのだとしたら、俺が教わっていた事も疑ってみるべきなのかもしれない。
それは本当に、世のため人のためになっているのか? と。
「クックックッ……闇は深そうですね」
ローブ野郎が何故か嬉しそうに呟く。
「これならば、私が作戦に参加する機会も遠からずやってくるでしょう」
あぁ、それで嬉しそうなのか。だが、奴の機嫌がなおって良かった。
やることはまだまだあるらしいが、この場だけは皆と共に美味しいお酒を飲むことが出来た。
ーーーそんなテプトたちを目にした『営業部』部長のハゲは、ポツリと呟く。
「そろそろ……なのかもしれないですねぇ」
「なにがだ?」
それに『安全対策部』の部長が反応した。
「世代交代ですよ」
「世代交代?」
「えぇ。時代は移り変わっていきます。その場にいてはそれがとても分かりづらいですが、もしかしたら今がその時期なのかもしれません。古い人間たちは去り、新しい人たちが時代を築いていく。私たちは、もうすぐ引退する立場にあるのかもしれないと、そう思ったのですよ」
「俺たち? それは俺も入ってるのか?」
「当然じゃないですか。何年ギルド職員をやっていると思っているんですか」
「今年で二十数年だな。……だが、俺はまだ引退だとは思わねぇな。確かに時代の移り変わりを感じるが、俺はギルド職員になって以来、こんなにも何かが変わるってことを経験していない。ということは、今が、俺たちの時代なんじゃねぇか?」
安全対策部部長の言葉に、ハゲは困ったように笑った。
「本当にそう思ってますか?」
「あぁ。当然」
「もしかしたら、彼らが今やっていることは、若き頃の私たちがやるべき事ではなかったのかと……そうは思いませんか?」
その言葉に、安全対策部部長はハッしたような表情をする。
「私たちは、上の人から教わった事をそのままやってきただけです。そこに何の疑問もなく、ただ漠然と。良いか悪いかなんて関係ありませんでした。それが仕事であると思っていたからです。しかし、彼らは違います。自らの意思を持ち、納得出来ないことには勇気を持って当たっていきます。それは間違っていることもあるでしょう。下手をすれば、糾弾されることさえあります。それでも、彼らは傷つきながらも現状を変えていくのでしょうね。私はそんなことしたこともありません」
「俺は……納得いくまでやってる」
「はい、私もそのつもりです。ですが、所詮つもりだったのかもしれません。これまで私が何かを変えたことなんてありませんから」
ハゲは微笑んでから酒を含む。同じように、安全対策部部長も酒を煽った。
「引退したって、やることなんかないだろ」
「えぇ、想像も出来ません。ただ……」
「ただ、なんだよ?」
「それまで、彼らを支えてやることぐらいは出来るんじゃないんでしょうか? 私たちが彼らに背負わしているものは、本当ならば私たちが背負っていたはずのものなのかもしれませんから」
安全対策部部長はしばらく黙っていたが、不意に口を開く。
「なぁ、俺たちの生き方は間違っていたのか?」
それに、ハゲは堪り兼ねて笑いだした。
「くっふふふ。まさか? そんなこと思っていませんよ。私は仮定の話をしているだけです。そして私が生きてきた今までは、変えようのない現実です。正解、不正解を問えばそんなものいくらだってあります。私はこれからの話をしているんですよ」
「つまり、あいつらを支えてやると?」
「えぇ。それくらいしたって良いじゃないですか。それが、本当に最後の仕事になるかもしれませんから」
「引退か。考えた事もなかった。俺の後釜はいないからな」
「エルドさんじゃないんですか?」
「ダメだ! あいつにはまだ早すぎる」
ムキになって叫ぶ彼に、ハゲはまたもや笑ってしまった。
「『まだ』って、既に決めてるじゃないですか」
「それはだな。言葉の綾だ」
「遅いですよ……くっふふふ」
「けっ! 言ってろ」
それから二人は酒を再び注文する。そして、そんな光景をバリザスは不安そうな表情で見ていた。
「……足りるかの」
「お金ですか? 心配いりませんよ。既に店側にはある程度の金額を渡してありますから。足りなければその時考えましょう」
ミーネが言い、バリザスは安堵の息を吐いた。
「そうか。ならば良い」
そんなバリザスに思わずミーネさんは笑ってしまう。
「……そういえばバリザス様。いつの間に交渉なんて出来るようになったのですか?」
「今日のことか? あれは事前に皆で話し合い、言葉の返しを用意しておったのじゃ。わし一人でやったことではない」
「そうだったのですか。それでも今日のバリザス様はギルドマスターらしかったです」
「うっ、うむ。ミーネがそう言うのであれば、なによりじゃ。途中はあまり上手くいかずどうなるかと思うたがな。……そういえばあの時、なぜお前はわしを信用してくれたのじゃ?」
「あの時……とは?」
「わしを心配して帰ろうとしていた時じゃ。わしをあっさり信用し引き下がってくれたじゃろ」
ミーネは目を細めて「あぁ」と思い出したように呟いた。
「バリザス様の目が、昔と一緒だったからです」
その返答に、バリザスは意味が分からず顔をしかめてしまう。
「昔? いつの話じゃ」
「私が、冒険者ギルドにやってきた頃の話です」
その瞬間、バリザスの脳裏に十年前の日々がよみがえった。あの頃、バリザスはギルドマスターとしての地位に悩んでいた。しかし、忙しい職務の中で、いつしかその気持ちを忘れてしまっていた。そして、仕事の大半をミーネがこなすようになっていったのだ。
「あの頃のわしか?」
「はい。真剣な眼差しは、あの頃のままでした」
「見間違いではないのか?」
「いいえ。私は今でも覚えています。忘れるわけがありません」
バリザスは言葉を失う。純粋に驚いたのだ。ミーネの記憶にではなく、あの頃の自分と今の自分が重ねて見えたということに。なぜなら今のバリザスにとって、昔の自分は輝かしいものであったからだ。そして、あの頃のようになるのはもう難しいと思っていた。
「わしは、変われたのじゃろうか?」
自然とその言葉が出てくる。それはテプトに罵倒され、如何に自分がどうしようもないギルドマスターかを思いしった時にした約束。変わると願い、出来ると言い切った。しかし、本当は不安だったのだ。あの頃の気持ちからは十年という歳月が経っている。いくら気持ちを高めても、時の流れに人は勝てない。心の奥底に、諦めの気持ちが潜んでいるのを必死で無視していた。
しかし、目の前でミーネは昔の様だったと言った。一番言って欲しい人に、一番言って欲しかった言葉を言われたのだ。
「変わられました。本当に。いえ、もしかしたら戻ってきたのかもしれません。遠回りをして、在る……べき姿……に。ようやく」
ミーネの言葉に鼻声が混じる。
「なぜ、ミーネが泣く?」
言われたミーネは、驚いたように目尻を拭った。その指には、透明な雫が付着している。
「……すいません」
それから彼女は、涙を完全に拭ってから顔を両手で扇ぎ整えようとするも、瞳は揺らいで顔は紅くなっていく。バリザスはそれをジッと見つめた。
「すまんかったな」
「え? なぜ謝るのです?」
「わしが不甲斐ないはかりに、お前には苦労をかけている」
「そんなこと……私は好きでやっているのです」
「なぜじゃ?」
「なぜとは?」
「なぜ、お前はわしを見放さん? 見放そうと思えば、いくらでも出来たじゃろうに。本部に言い、わしをギルドマスターの地位から蹴落とす事も簡単だったはずじゃ」
「……それは」
ミーネは口をつぐむ。
「あの時の約束か?」
そして、彼女の目が見開いた。その反応に、バリザスは「やはりそうか」と呟く。
「律儀な奴じゃ。期限など、とうの昔に切れておったろうに」
「覚えているのですか? あの時の約束を」
「すまぬ。実は最近思い出したのじゃ。わしがギルドマスターとして一人前になり、ミーネがギルド職員として一人前になったら、精霊樹の森へ連れていってやるという約束を。既にお前は一人前どころか、わしのカバーまでするようになってしまった。それに比べてわしは」
「いいえ。約束は関係ありません。先程言いましたよね? 私が好きでやっているのです」
「じゃが、わしじゃぞ?」
「バリザス様だからやっているのです」
ミーネは強く言い切る。
「あの時、バリザスがいなければ私は今ここでギルド職員をしていませんでした。おそらく実家へと戻り、訳もなく日々を過ごしていたと思います。今があるのは、あなたのお陰なんです」
「それを言うならば、わしだって同じじゃ。ミーネがおらねば、今のわしはない」
バリザスも強く言い切った。ミーネはその言葉に少し考える。
「それでは、おあいこということにしましょう」
「おあいこか?」
「えぇ。あの時私は癇癪を起こして、わがままのまま精霊樹へ行きたいなどと言いましたが、今度からは別です。バリザス様が望む事も考慮しましょう」
「……わしが望む事」
「はい。何かありますか?」
今度はバリザスが考える番だった。が、考えずとも彼の中には既に答えがあった。
「あの時の答えを果たしたい。もしも、わしがギルドマスターとして一人前になれたのならば、お前を精霊樹の森へ連れていく」
乾き始めていたミーネの瞳に、再び涙がジワリと浮かぶ。それは彼女の指に阻止される事なくポロポロとこぼれ落ちた。突然の事にバリザスは慌てたが、瞬間、ミーネがバリザスの胸元に倒れかかった。
「ミーネ。どうしたのじゃ?」
「……すいません。少しこのままでいさせてください」
バリザスは周りをそれとなく見る。皆、酒と話に夢中で気付く者はいない。
「……ずっと待っていました。バリザス様が、いつかギルドマスターとして立派になられる日を。……ずっと見て見ぬふりをしてきました。バリザス様の悪口、批評、その全てを。そして、ずっと私はそのためだけに、他の者を犠牲にしてきました」
「他の者?」
「……はい。もしもバリザス様が逃れられぬ責任を問われたとき、ギルドマスターを辞めてしまう。それが怖かったのです。だから今まで強がって、本部には平然とした顔をして……たくさんの職員を犠牲にしてしまいました。……ごめんなさい。……ごめんなさい」
バリザスは、今更ながらに自身の犯してきた罪の重さに気付いた。それは、ギルドマスターという地位ではどうにも出来ないほどに重い罪なのかもしれないと思った。
このあと彼は、善きギルドマスターとして奮闘していく反面、その責任をどう負うか考えていく。
だが、今だけは。
「ミーネよ。お前の責任ではない」
そう言って、優しく彼女の背中をさするしか出来ない。




