三十六話 商業ギルド長ギャフン作戦
「何を……」
ヤンコブはバイルの発言が理解出来てないようだった。
「ですから、商業ギルドを抜けて職人ギルドを復活させると言ったのです」
バイルさんがゆっくりと繰り返した。
「支援は、わしら冒険者ギルドがしよう」
「!?」
バリザスの言葉にヤンコブが振り返った。その瞳は驚きに満ちている。
ギルド……の立ち上げは、支援があるかないかによってその結果に大きく影響が出てくる。もしも支援がなかった場合、自分達で営業し、宣伝を行い、運営面に関しても自分達で行わなければならない。そうなるとギルドの経営が波に乗るまでは苦しい展開を余儀なくされる。故に、支援なしギルドというのは小規模経営が普通である。逆に支援ありの場合、まず支援金が用意され、経営のノウハウ、場合によっては人員まで派遣してくれたりと、至れり尽くせりの待遇が用意されている。
まぁ、それは支援方法にもよるのだが、支援ありのギルドというのは、立ち上げ当初からかなり大きく営業することが出来るため、とても有利なのである。
それを冒険者ギルドが行うと言ったのだ。驚くのも無理はないだろう。
「……たかが支部程度のギルドが、他のギルドに支援するなど許されるのですか?」
ヤンコブが、険しい表情でバリザスに問う。だが、それも対策済みの質問だった。
「本部には許可を貰っておる」
「!?」
そう。これが一番時間のかかる対策だった。なにせ王都まで申請をだして回答を貰うまではあまりにも時間がかかるためだ。それに一役買ったのが商業ギルドの郵送だった。
「お主のところの郵送は便利じゃのう。金さえ積めば最速で郵送してくれる。往復の分まで頼んだら一週間もかからず返事が来おったわい」
「……なっ!」
「冒険者ギルドは職人たちに武器や防具などでかなり助けられておるのでな? その技術発展を理由に申請したら問題なしと返事がきた。よって、職人ギルドの立ち上げには、わしら冒険者ギルドが支援をする」
ヤンコブは言葉を失う。既に決定事項であるために、何も言い返す事ができないのだろう。
この作戦を実行してくれたのは安全対策部部長である。本部とのやり取りから、バイルに接触して職人ギルド立ち上げの話まで、完璧にこなしてくれた。
「その郵送も抱え込んだ職人たちの仕事らしいの? これからはそれら全て、職人ギルドが担当することになるじゃろう」
バリザスが呟く。対するヤンコブはしばらく呆気に取られていたが、やがて我を取り戻したかのように唇を噛みしめ始めた。その目はパチパチと憎しみの炎に焼かれ始め、表情にはひび割れたような皺がいくつも入った。まさに鬼の形相である。
「既に……策を労した後というわけですか」
ヤンコブはようやく気付いたらしい。今日俺たちが来た理由が、要求に対しての返答だけではないことに。
「とんだ役者ですね? ギルドマスター? 私の前ではアホ面下げて対応し、裏では私を陥れるために奔走していたわけですか」
アホ面て。言いすぎだろ。
「何を言うておる? 仕掛けてきたのはそっちじゃろ」
平然と返すバリザス。ヤンコブは悔しげに肩を震わせた。
「そもそもの話じゃが、何故お主はこんな要求をわしにしてきたのじゃ? わしなら簡単に承諾するとでも思うたか? それとも、そうしなくてはならん理由が他にあったのか?」
「……それはっ」
言葉に詰まるヤンコブ。……そろそろだな。俺は静かに窓際まで移動を開始した。
「冒険者ギルドから利益を横取りしなくてはならんくらいに、商業ギルドは切羽詰まっておるのか?」
「そんなことはない!!」
「では何故じゃ?」
ヤンコブは即答したが、バリザスの追撃にまたもや口を閉ざしてしまう。バリザスはため息を吐いた。
「……よい。どうせ聞いても言わぬだろうと思い、こちらで調べたわ」
「……なにを」
「お主は昨年、『魔物の森』付近で開拓事業をしておったな?」
その言葉に、ヤンコブが青ざめたのが分かった。
「そして事業は失敗しておる。それには莫大な金を注ぎ込んだそうじゃな?」
ヤンコブの目は見開かれ、呼吸が一瞬だけ止まる。
「今年度の経営は苦しいのではないか?」
バリザスはヤンコブに詰め寄り、彼は一歩後ずさった。
「だから、なりふりかまってはいられなくなり、少しでも利益を上げるため、わしにあんな要求をしてきたのではないか? ギルド長よ?」
尚も詰め寄るバリザスに、ヤンコブはまた一歩、また一歩と後ずさるが、後ろの机にぶつかってしまう。ガタッと、乾いた音だけが部屋に響く。
「帳簿を見たわけではないが、今年度の商業ギルドの利益は赤字ではないのか?」
それがトドメだった。既に、ヤンコブは沈黙している。もう何を言ったところでそれは苦しい言い訳でしかなく、全てバリザスにお見通しであることが分かってしまったからだ。
「じゃが、安心せいギルド長よ。もしも赤字を出してしまったのなら、それを申告すればよいのじゃ。そうすれば、決して商売を畳まなければならぬ事態は避けられるじゃろう」
「それはっ!?」
その瞬間、俺は部屋の窓を開け放ち手をかざした。
「なっ、なにを!?」
ヤンコブが窓を開けた音に驚いて声をあげる。
「今から魔法を打ち上げる。それを見たわしの部下が、タウーレンをおさめる領主様の屋敷へと駆け込むじゃろう。赤字を出したのなら領主様に申告すればいいのじゃ。そうすれば、その年の税金は下げてくれるじゃろう」
『作戦その三、ボロボロになった商売ギルド長を救済してあげよう』が発動した。それはアレーナさんの提案である。領主の治める領土で営業するものは、少なからず『商売税』というものを納めなくてはならない。その額は領主の方針によって異なるが、タウーレンは一定の額を納めると、領主公認の商売としてその領土内の独占許可を貰える。冒険者ギルドもこの『商売税』というものを払っているため、この町に冒険者ギルドなるものは一つしか認められていない。まぁ、魔物と戦う組織を立ち上げようという酔狂な輩がいないのも理由の一つなのだが、公式上はそうなっている。同様に、商業ギルドも『商売税』を払っていると考えられる。この町に商業ギルドと同じような商売をする組織が存在しないことが、何よりの証拠である。既に、領主様の屋敷の前にはギルド職員が待機している。魔法が打ち上がったのを見て、屋敷に駆け込む手筈となっていた。
「テプトよ」
「分かりました」
バリザスの合図で、俺は掲げた手に魔力を込めた。光が集まり始め、魔力は魔法の形を成していく。
「まっ!! 待ってくれ!!」
ヤンコブが叫んだ。だが、俺は尚も魔力を集めていく。
「悪かった!! 謝ります! だから、それだけは!!」
ヤンコブが膝をついて頭を下げる。
「何故謝る必要がある? そこは『ありがとう』ではないのか?」
バリザスがわざとらしく疑問を口にした。思わず笑いだしそうになる。
「そんなことをしたら、このギルドの信用は地に落ちる! そうなれば商売は立ち行かなくなってしまう!!」
商業ギルドは、物を売って利益をあげているわけではない。他の町との取り引き、店との契約などで利益をあげている。いわば、信用を売りにして商売をしている。そのため、商売相手からの要求に応えることは絶対であり、そうすることで次の商売に繋げている。『商売税』を治めることは領主様の信用を勝ち取ることと同義であり、それによって商業ギルドはタウーレンで心置きなく商売をすることができていた。
それがなくなったらどうなるのか? 言わずとも分かりきっている。
「頼みます!! それだけは!!」
だが、ここで一つの矛盾が生まれる。
「ギルド長さんは、赤字なのにこれまでと同じ税金を納めるつもりなんですか? それとも借金をして税金を納めるんですか? まぁ、俺たちの知ったことではないですが、それ自体、信用を落とす行為なんじゃないですかね?」
俺は惚けたように言う。魔法は既にいつでも発射できるが、わざと焦らす。
「それはっ……来年には黒字に戻してみせます」
出たよ。不確定過ぎるその場しのぎの言い訳が。
「信用できませんね? ギルドマスター」
「そうじゃな」
「そんなっ!! では、どうすれば良いのです!?」
ヤンコブは今にも泣きそうだ。ここでバリザスは最後の仕上げに入った。
「では、誠意を見せよ……ギルド長よ。そうすれば、わしらも考えを改めんでもない」
バリザスが屈んでヤンコブに言った。
「……誠意ですか?」
「そうじゃ。これまでの方針を改め、職人や町の人たちのために商売をするのじゃ。わしらもこの町にすむ人間。さすれば商業ギルドを助けることに手を惜しまんじゃろう」
「どうすれば?」
「まずはバイルを始めとする職人たちと今後を話し合うのじゃ。そして、領主様にはお主から申告せよ。その時はわしらも参加して商業ギルドが良き道を歩めるよう手助けをしよう」
「……ギルドマスター」
「さぁ、今ここで答えを出すのじゃ。わしは気が短いのでな?」
少しヤンコブは考えたようだった。それにバリザスは無情の言葉を発する。
「テプトよ」
「はい」
その時。
「わかりました!! 言う通りにします。だから、魔法は打ち上げないでください」
決まったな。
「では、これにサインをするのじゃ」
そう言ってバリザスは懐から一枚の契約書を取り出した。そこには今の言葉がそのまま記されており、あとはヤンコブがサインをするだけとなっていた。その準備の良さにヤンコブは驚きを見せる。だが、今さらどうすることも出来ないため、彼は判子を震える手でサインをするしかなかった。
それを見届けたところで俺は手を下ろす。同時にヤンコブは腰が抜けたのか床に座り込んでしまった。
「この契約書は厳重に保管しておくぞ」
バリザスはそれを懐にしまう。こうまでして答えをせっついたのには、ちゃんとした理由がある。もしも、商業ギルドが商売を畳む事態となった場合、おそらくタウーレンの市場には大打撃が走るだろう。それは、商業ギルドがこの町の景気を担う大きな一角であるためだ。それを盾にして反撃されれば、正直太刀打ち出来ない。だからこそ、考える時間を与えず、回答を迫ったのだ。
バリザスは立ち上がると踵を返し部屋を出ようとした。まるで、やるべきことは終えたとでも言いたげである。
「ギルドマスター。まだ任務は残ってますよ?」
そんな彼に俺は声をかける。バリザスはピタリと動きを止めて振り返った。
「テプトよ。本当に言わねばならんのか?」
「当たり前です。作戦を話し合ったとき、これに一番時間をかけたんですから」
「むぅ。……しかし見てみよ。ギルド長は既に脱け殻同然じゃぞ?」
見れば、ヤンコブは魂が抜けたようになっていた。覇気はなく、この短時間で随分と老けたようだった。
「言わないと終わりません」
「……仕方ないの」
それからバリザスはヤンコブに歩み寄った。そして、彼の目線まで屈む。ビクリと、ヤンコブが体を震わせた。
「これに懲りたら金輪際、冒険者ギルドに歯向かおうなどと思わぬことじゃ。今回はこれだけで済ましたが今度同じようなことがあれば、わしを始めとする冒険者ギルドの悪魔たちがお主を地獄に引きずり込むことになるじゃろう」
「わっ……わかりました」
「……わかったのか?」
「わかりました!!」
「……本当に分かったのか?」
「わかりました!!」
「ギャフンと言わぬか!」
「ぎゃっ、ぎゃふん!!」
(いや、無理矢理すぎるだろ)
実は、これこそが作戦会議で一番白熱した議論となった。『どうすれば商業ギルド長の口からギャフンと言わせられるのか?』その締めくくりの言葉を決めるのに、かなりの時間をかけたのだ。そして、見事ハゲの提案した文言が選ばれたのである。それでも、ギャフンと言わせることは出来なかったようだが……。そもそも、今どきギャフンなどと言う者がどこにいるのか? その結論に至らなかった俺たちは、相当に狂っていたのだと思う。
これにて『商業ギルド長ギャフン作戦』は幕を閉じた。部屋から出る時、こと切れたヤンコブの隣でバイルさんが頭を下げていた。これから職人たちがどうなっていくのかは分からないが、悪い方にはいかないだろう。職人ギルド立ち上げの支援も約束している。ヤンコブは本気でこの事態に取り組むに違いない。
ふと、作戦を改めて考えたとき、俺の考えた戦略がことごとく意味を成していなかった事に気づく。バリザスを仕上げるために考え出したものだったが、それは結局必要なかったものばかりだった。
(なんだよ。既に仕上がってたのか)
その結論に至る。小細工など必要なかったのだ。バリザスは、俺が思っている以上に成長していた。
前を歩く背中はなぜだか大きく見えた。
そして、その背中を見つめる者がもう一人。俺はその視線に気づいたが、すぐに見て見ぬふりをする。俺の横を歩くミーネさんの瞳には、うっすら涙のようなものが確認できたからだ。




