三十一話 帰ってきた部下
その日、商業ギルド長ヤンコブと、バイルがバリザスを訪ねてきた。これで一週間連続である。バリザスには、こちらが反撃する体制を整えるまでは話をはぐらかすよう指示してある。
「一体いつになったら了承してくれるのですか!?」
「じゃから、ミーネが帰ってくるまでは答えられんのじゃ」
しかし、彼らも怒りの限界に達しているようで、日に日に口調が荒々しくなっていた。
俺はそれを、部屋の外から扉に張りついて聞いている。
「テプトさん、何をしているんですか?」
不意に話しかけられた。
「シッ。今いいところなんだ」
「盗み聞きとは感心しませんね。でも僕もよくやっていたので何もいえません」
(……ん?)
振り返ってその声の主を見やる。そこにはヒルが立っていた。
「ヒル。帰ってきたのか」
「先程戻りました」
それから、ヒルに頼んでいた事を思い出す。
「『魔術式』について何か分かったか?」
「えぇ。できる限り情報を集めてきました」
その言葉に頷く。バリザスの方は大丈夫だろう。
「管理部室にいこう。話はそこで聞く」
「わかりました」
それから、管理部室にもどった。
「では、改めて集めてきた情報ですが……王都ではそれなりに話題となっていました。魔術師ギルドが開発した新しい『魔術式』。まだ一般的な公開はされていませんが、それも時間の問題のようですね? 一応試しにやってみると、かなりの効果がありましたよ。その魔術式内に入ると光に包まれて傷が治るんです。それだけじゃなく、気持ちも穏やかになりました」
「ちょっと待て。一般公開はされてないのにどうやって試したんだ?」
「王都にはそれなりに知り合いがいるので、頼んで潜入してきたんですよ。貴族のフリして試したいと申し出たら簡単でした」
ヒルはサラリと言ってのけた。……そんなことできるのか。
「残念ながら、その魔術式の仕組みを掴むことは出来ませんでしたが、代わりに使用されている魔法陣なら入手できました」
そう言ってヒルは懐からヒラリと一枚の紙を取り出した。そこには、難解な魔法陣が書かれてあった。
「それも知り合いに頼んだのか?」
「はい。そうです」
「お前の知り合いって何者なんだ?」
するとヒルは少し考えてから。
「まぁ、それなりに地位のある人ですかね」
と笑って答える。
地位があったとしても、こんな企業秘密みたいなものをポンポンと調べてくれるのだろうか?
「まさか危ない奴じゃないだろうな」
「それはご心配なく。ちゃんとした聖人君子ですよ」
「……聖人君子って」
「……そのせいで身動きとれないんですけどね」
ヒルはボソボソと何かを呟いたが、それが耳に届くことはなかった。
「あと一つ、怪しい情報も入手しましたよ」
「怪しい情報?」
「えぇ。魔術師ギルドが開発した今回の術式、どうやら開発者の数人は昔あった研究組織『ラリエス』の一員だった可能性があるみたいです」
『ラリエス』。その組織を俺は知っている。十年ほど前に壊滅した組織であり、いろいろと際どい研究をしていた組織だ。その中には人体実験の噂もあるらしい。
「当時のメンバーは捕まったか、国外へ逃亡したと聞いていたが」
そう返すとヒルは意外そうな顔をした。
「テプトさん知ってたんですか? 僕はてっきり一から説明しなければいけないのかと思っていました」
「前にちょっと関わりのある人がいたんだ」
「……へぇ。その名前を出すだけでも禁忌とされていたんですがねぇ」
「ヒルも言ってるじゃないか」
「僕は大丈夫なんですよ。本当に関わりなんてありませんから」
その自信はどこからくるのやら。
「ということは、今回の魔術式も怪しい研究の成果ってことでいいのか?」
「わかりません。あくまでも可能性の話です。それにこの魔術式ですが、解析しようにも古代語が使用されているらしくて、何に使用されているのか分かりませんでした。魔術師たちのいる魔術師ギルドに依頼するわけにもいかないので、とりあえず調査を止めて戻ってきたんです」
「十分だ。ご苦労だったな」
「まぁ、診療所の所長が警戒するのも無理ないですね。話では治らないとされている病気まで治したそうですから」
「……そうなのか」
もしも所長の読み通りそんな物が普及してしまえば、診療所は大打撃を受けることになるだろう。
「その魔術式、借りてもいいか?」
「構いませんよ。どうするんです?」
「解析出来そうな奴がいるから頼んでみる」
「あぁ……企画部の人ですね」
確かローブ野郎は古代語にも詳しかったはずだ。駄目もとで頼んでみよう。
俺はヒルからその紙切れを受け取る。
(……ん?)
そして俺は思い出した。いや、忘れていたという方が正しいかもしれない。現在進行中の商業ギルド長を倒す計画に、彼を参加させていなかった。
(あちゃー。居ないと思ったのは奴だったか)
てっきり、ミーネさんが居ないせいでそう思っていたのかと勘違いをしていた。もしもローブ野郎が一人だけ仲間はずれにされたと知ったらどう思うだろうか? きっと面倒くさいことになるだろう。
(黙っておくのが得策かな?)
もはや計画は始まってしまっている。それに、正直言うとローブ野郎が出来そうなことは何もなかった。というより、奴が絡むとロクなことにならない。ここは非情だが、黙っておくべきだろう。
「それを解析してもらってから、診療所に利のある方法を考えるんですね?」
「あぁ」
「それで『称号制度』の取引をするわけですか」
「いや、しないよ」
その言葉にヒルは「えっ?」と呟く。
「この魔術式が本当に広まったら、診療所は大変だろう。所長の言うとおり、怪我人を治せる冒険者をつくりたくないというのも納得出来る。俺がやろうとしているのは人助けだよ」
「それじゃあ、『称号制度』は諦めるんですか?」
「いや、回復魔法に関しては諦めるが、他の称号を考え直すんだ。……それに実はなーーー」
それから俺はヒルにここ数日あったことを話して聞かせた。
「……つまり、テプトさんは罪の意識から諦めるということですか?」
「それも……多少あるが、本当は違う」
「というと?」
「ヒルは診療所に行ったことあるか?」
「この町ではまだ」
「あの診療所は良いところだ。あそこの患者たちは皆笑顔だった。その光景を目にしたとき、ここが無くなるのは嫌だなと思ったんだよ」
「それでこちらが引き下がると」
ヒルは少し不満そうだった。それはそうだろう。自分が必死に集めてきた情報を、俺は診療所を助けるためだけに使うと言っているのだから。
「すまない」
そう言って頭を下げた。
「情なんかに流されていたら、何も成し得ませんよ?」
その言葉は俺の胸に突き刺さった。
「時には冷徹にならなきゃ結果はついてきません」
頭を上げてヒルを見る。思わず、「アレーナさんの時みたくか?」と言いそうになった。ヒルは、ただジッと俺を見つめている。
しばらく沈黙が流れていたが、やがてヒルが大きく息を吐いた。
「……まぁ、僕の今の上司はテプトさんですからね。従いますよ」
「本当にすまない」
「本当ですよ。無駄働きってことですよね」
ヒルは途端に興味なさげに俺から離れて扉へと向かう。
「今日はもう帰って良いですよね?」
「あぁ。ゆっくり休んでくれ」
「では」
ヒルは管理部室を出ていった。本当に情けない上司だと心底思った。
(……やってみないと分かんないもんだな)
責任ある立場、それを語るのは簡単だ。語れば語るほどにそれは美化され、汚れのない真っ白なものへと変わっていく。本来、責任ある立場とはそうであるし、そうあるべきなのだろう。だが、それを自身が行えるかは別だ。
もしも行えなかった場合、今までの語りは紙切れよりも薄っぺらな物だったのだと気づく。気づいてしまったとき、自身がいかに薄っぺらな人間かを思いしる。
風吹けば飛ばされかねないその人間性に、出来ることは飛ばされぬよう必死でなにかにしがみつくだけだ。
(なれるだろうか? ……俺に)
しかし、迷っている暇などありはせず、俺は考えるのを止めて闘技場に向かうため部屋を後にした。
『ラリエス』
十年前に壊滅した研究組織。魔物と対峙する機関設立を目的としていた。その研究に関わった多くの研究者たちは捕らえられたが、真相は闇の中。怪しげな研究結果に、不幸になった者は数知れず。
一章
七十九話「真相」
八十三話「やはり危ない奴」 参照