十二話 安部の副部長エルド・スプランガス
俺は三階のギルドマスターの部屋の前で、バリザスを待っていた。彼はいつも重役出勤らしく、昼前に来るらしい。ほんと、どっちが仕事なめてるんだよ。まぁ、今日遅刻した俺が言えた立場ではないが。
昼前にバリザスは姿を現した。
「なんじゃ……まだ辞めておらんかったのか」
「ご挨拶ですね。そもそも辞表も出してないじゃないですか」
「ふん、大概そんなもの出さずに辞める奴は辞めていくのじゃ」
「安心してください。俺はまだ辞めるつもりはないので」
「ふん、で、何の用じゃ」
「はい、実は……」
そう言って俺は、大きな紙を出した。そこには、『順番を守らない者には、冒険者管理部より適切な処罰が下ります』。そうでかでかと書いてある。これは急ごしらえだが、これで順番をある程度守らせるのだ。
「これを、一階に貼る許可をもらいたいのです」
「なんじゃと? ……この処罰とはなんじゃ」
「あぁ、俺がその冒険者を痛め付けてやろうかな、と。酷い場合は、ランク降格の処置も考えています。まぁ、全てはギルドマスターの許可次第……ですけど」
「ふん、ただのギルド職員が冒険者を御せるとでも? 少し冒険者を下に見とりゃせんか?」
バリザスは憤慨した。
「いえ。決してそんなことはありません。ですが、このまま不正を見逃す訳にはいきません。これは、冒険者とギルド側が公平であるために大切な事です。それに、これは俺の仕事ですから」
そう言うと、バリザスはニヤリと笑った。
「なるほどのぉ。そこまで言い切ったのならやって見るがいい。わしの判子を押してやろう」
それから、バリザスは懐から判子を取り出して、紙にあっさりと判子を押した。
なんだ、ちゃんと話せば分かってくれるのかな?
「ありがとうございます。あと、よろしければ受付窓口の増設も提案したいのですが」
「ふむ、それは難しいな。わしも試みたことはあるが、経理部が首を縦に振らん。経理部を説得出来たなら、考えてやろう」
なんだよ。案外まともなのか? まぁ、これくらいはギルドマスターなのだから、やってもらわねばこちらが困る。そうか、経理部を説得か…………大変そうだな。
「あぁ、言い忘れておった。その紙を貼った以上、おそらく揉め事は免れんじゃろう。二階の安部にも、許可をもらっておけ」
そう言い残し、バリザスは部屋に入って扉を閉めてしまった。
あんぶ? ……あぁ、『安全対策部署』の略語か。確かにそうだな。
俺はその足で、二階に向かう。
「すいませーん。冒険者管理部の者ですがー」
二階の安全対策部署の扉を開けると、そこには数十名程の職員が仕事をしていた。
皆、男である。
「あ? 誰だって?」
一人の職員がこちらに顔を向けた。年齢は20代後半だろうか? 短い茶髪男がやって来た。
「すいません。この度新しく冒険者管理部に所属となったテプト・セッテンです」
とりあえず挨拶をすると、男は「おお!」と、声をあげた。
「お前か! 昨日、町の外壁を直してくれた新人は!?」
あぁ、あれか。
「はい。そうですけど」
「いやぁ! 助かったよ。近隣の住民からの依頼だったんだが、受けてくれる冒険者がいなくてな。こうなったら俺達が行こうかって話になってたくらいだ。礼を言うぞ!」
なんかこの男暑苦しいな。
「いえ、未達成依頼は俺の担当なので、別に大丈夫ですよ?」
「それでもだよ。……で、わざわざ挨拶にきたのか?」
「いや、……まぁ、それもあるんですけど、実はこれの許可を貰いたくて……」
そう言って、例の貼り紙を見せる。
「ギルドマスターからは、許可をもらいました。あとはここの許可が降りれば貼るだけなんです」
男はその紙をまじまじと見つめた。それから、俺をしばらく眺めていた。その顔はだんだんと崩れていき、最後には爆笑した。
「ブッ……ハハハ! お前面白いな! なんだよ。渾身のギャグか?」
「いえ、至って真面目なんですけど」
「止せって……腹痛ぇよ。お前ってバカなのか?」
その言葉に少しムッとする。
「とりあえずは、こうやって順番を守らせるんです。混雑緩和対策はこれから考えていきますよ」
ひとしきり笑った男は、呼吸を整えて言った。
「ダメだ、危険すぎる。ここは人殺しの理由を、許してやるほど甘い仕事はしてない」
「人殺しって……」
「いいか? もしも、この処罰とやらに冒険者が反抗したとしよう。相手は普段、魔物と命の取り合いをしている冒険者だぞ? たとえ、冒険者が素手だったとしても、お前が殺されてしまう可能性は大きい」
「まぁ、確かに?」
「お前の気持ちはよく分かる。そうした方が冒険者には分かりやすいし、なにより即効性がある。けど、それを実行できないんじゃ、こんなのはただの自殺願望者の紙切れだ。それを許すことは出来ない」
男は静かに言った。なかなかどうして。男はとても仕事熱心らしい。
「まぁ、お前が最強で、誰にも負けなかったとしても、この案はダメだな。みすみす冒険者に怪我をさせてしまうような事は、許すことが出来ない。俺達は、彼等で飯を食ってるんだ」
悔しいが、その男の言っていることは正しい。ここはおとなしく引き下がろう。愚策だったということだ。
「分かりました。わざわざありがとうございます」
「うん、素直でいいな。俺の名前はエルド・スプランガス。ここで副部長をやってる。困った事があったら相談してくれ」
エルドはそう言って、握手を求めてくる。その手をがっちりと掴んだ。少しの会話だったが、俺はこの男に好感を持っていた。このギルドも捨てたもんじゃないな。そう思う。
まぁ、仕方ない。この件はまだ保留だな。
俺は『経理部』を説き伏せる策を考えるのと、ギルドカードの死亡者報告書を作成するために、一度部屋へと戻るのだった。