二十六話 珍しい来客
宿屋に戻る頃には遅い時間になっていた。というのも、近くの飯屋で晩御飯を食べていたせいなのだが。
部屋に戻るため階段を上がろうとして、珍しい来客に気づいた。
「意外と元気そうですね?」
「……アレーナさん」
一瞬、目を疑った。そこには、『経理部』部長であるアレーナさんがいたのである。
(これはどういうことだろうか?)
「何ですか? その顔。私が居たら変ですか?」
「どうしてここが?」
「ギルドマスターに教えてもらいました。職員の情報を管理しているのはギルドマスターだけですから。ただ、ちょっと渋ってましたね。私があなたを責めると思っていたようで」
「違うんですか?」
「もうミーネさんから罰は与えられているのですよね? なら、私がすることなどありませんよ。少し様子が気になったので、帰りに様子を見ようと思っただけです」
「話は聞きましたよね」
「はい。エルドさんに問い詰めて教えてもらいました」
問い詰めたのか。
「正直噂ではアテになりませんから。知ってますか? テプトさんの噂。ロリコン糞野郎とか、ギルドの面汚し、大型ルーキー(笑)とか言われてますよ」
最後のやつ絶対面白がってつけただろ。
「ちなみに、アレーナさんは俺のことをダメなギルド職員だと思いますか?」
「はい」
分かってはいたが、即答されるとさすがに苦笑いしか出ない。
「……ですが、うちはダメなギルド職員ばかりじゃないですか。もちろん、私を含めてですが」
そう、アレーナさんは付け足す。なんだか、そんな言葉を彼女から聞くのは意外だった。だから。
「アレーナさんも、ですか?」
思わず聞いてしまう。すると、彼女はフッと表情を緩めた。
「少し……外を歩きませんか?」
俺が泊まっている宿屋は、大通りからは少し離れた位置にあるため町の喧騒とは少し遠いところにある。街灯のお陰で暗くはないが、大通りとは違って、ゆったりと時が流れていた。
「ヒルはちゃんとやっていますか?」
「えぇ。それなりに」
唐突にそんなことを聞いてくるアレーナさん。
「気を付けてくださいね。彼は表向き普通そうに見えても、腹の底では何を考えているかわかりませんから」
そう言ったアレーナさんに、俺はチャンスとばかりに今までしたかった質問をぶつけてみる。
「気になっていたんですが、ヒルとは何かあったんですか?」
すると、アレーナさんは少し黙ったまま歩いた。立ち入ったことだったか? そんな不安にかられ、質問を取り下げようか考えていた時。
「私が本部にいたという話はしましたよね?」
ようやく、彼女は口を開いた。
「はい。覚えています」
「そこで『監視部』というところにいました。そして、ヒルはまだ入ってきたばかりの新人でした」
ヒルが、『監視部』にいたという話は本人から聞いている。……同じ部署だったのか。
「知ってるとは思いますが、監視部では……簡単に言うと各ギルドを調査する所なんです。現地に行って視察をしたり、上がってくる報告書をチェックしたり。……ある時、とある冒険者ギルドから上がってきた決算の報告書に、偽造の痕跡を見つけました。それは、他の依頼達成報告書や売上書との相互関係を綿密に追っていかなければ気づかないほどの物でした」
やはり、偽造や虚偽の報告書というのは前々からあったらしい。以前、アレーナさんの偽造報告書に俺も手を貸している。正直、耳の痛い話だ。
「私はすぐに上司に報告をして、調査をすることになったんです。そして、そのギルドへ行き報告書の事を問い詰めました。すると、向こうはすんなりと事実を認めたのです。理由は何だったと思いますか?」
全く想像がつかなかった。
「……いえ、わかりません」
「実は、その冒険者ギルドのある領地では、納税額が厳しく利益を低く偽造しなければ経営不振に陥ってしまうということでした。それでもルールはルールです。私は正式な決算書を出すよう言い、そこの領主にも相談をする腹積もりでした。ですが、その時の上司は私に目を瞑るよう言ったんです。……これは仕方のない事だ。そう言った上司の言葉は今でもハッキリと覚えています」
思い出すように、アレーナさんは上を見上げる。
「事態が急変したのは翌月の事です。嘘の決算書がバレてしまったのです。密告したのは、その時目を瞑れといった上司でした。そして、決算書を見抜けなかった責任を、私が問われたのです」
「……そんな」
それは、あまりにも理不尽な事だと思った。そんな事があったという事実に俺は言葉を失う。
「私は断固として戦いました。ですが、結局偽造の報告書をそのままにしたという結果は消えず、責任を免れることは出来ませんでした。その時、なぜかその上司は責任を問われませんでした。そして、驚くべきことにヒルが私の職務怠慢を証言したのです」
(……ヒルが?)
「もう、何を言っても無駄でした。私は為す術もなくこのギルドへの左遷を言い渡されました。ヒルはその証言をしたためか、その時に私が着いていた地位よりも高いポストを与えられたのです」
……陰謀。なぜか、ではなくその不自然な昇進は間違いなく必然だと理解できる。つまり、上司とヒルは繋がっていて、アレーナさんが嵌められたのだ。俺は先日、ヒルがバリザスを密告しようという提案をしてきた事を思い出した。……あぁ。と、何故だか合点のいく納得が胸に収まった。
「それからですね。私は他人を信用するのを止めました。もしも私があのとき自分を貫いていれば、あんなことにはならなかったからです。それは私の失敗です。だから、今回の噂も本気で信じていたわけじゃありません。私が見てきたテプトさんは、ロリコン糞野郎でも、ギルドの面汚しでもありませんでしたから」
「大型ルーキー(笑)は?」
「それは……少し的を得ているかもしれません。今回はやり過ぎですから」
「……面目ないです」
そう言って頭を掻くと、アレーナさんは笑みを溢す。
「ふふっ。失敗は誰にでもあります。私だって数えきれないほど失敗を積み重ねてきました」
「今の話は、失敗とは違うのでは?」
それを失敗と呼ぶには、あまりにも理不尽だと思う。
「いえ。失敗なんです」
しかし、アレーナさんはそれを否定する。
「私は、いつか彼らの横暴を暴いてやるためにそれから必死で仕事に取り組みました。そのためなら、なんだってやってやろうという覚悟を持っていました。ですが、いつしか私も彼らと同じ思考に陥り、同じ過ちを犯してしまいました」
そう語る彼女からは、どことなく清々しさのようなものを感じる。まるで、長年背負っていた重荷を取っ払ったかのような……。
「それを気づかせてくれたのは、テプトさんですよ?」
言われて、面食らう。そこで、俺が出てくるとは思いもしなかったからだ。
「でも、そんなあなたも失敗をした」
彼女は、ゆっくりとそう告げた。
「人って馬鹿なんです。自分一人では正常な思考をすることが出来ません。それどころか、時にあり得ない程の失態を犯してしまいます。それは、どんな人であろうと同じです」
「えぇ、今回の事でよく分かりましたよ」
そういえば、ソカも言っていた。まずは誰かに相談しろと。
「そういうことを言いたかったんですが、無駄足だったようですね」
そうか、わざわざそれを言いに来てくれたのか。ようやく、アレーナさんが俺のところに来た理由をその瞬間悟った。
「そんなことないですよ。そう思えたのも、教えられたからです」
アレーナさんは、意外そうな表情をする。
「ということは、あなたを心配している人がちゃんと要るってことですね。そういった人は大切にしてください」
「えぇ、もちろん」
その返答に満足したのか、アレーナさんは微笑んだ。
「……少し話しすぎました。今日はこれで失礼します。あぁ、ヒルの事は本人に聞かなくて結構ですよ? そういうことがあったというだけで、彼と上司との間にやり取りがあった確証はどこにもありませんから」
正直、ヒルに問い詰めようと思っていた俺は、その言葉に固まってしまったが、ゆっくりと頷いた。
「わかりました。アレーナさんがそう言うのであれば」
「ただ、気を付けてください。それと……いつまでも宿屋暮らしはお勧めしませんね。忙しくても、新しい住まいを探すべきですよ?」
そう言い残して、アレーナさんは去っていった。
彼女もいろいろあったのだろう。それが、今の彼女を形成している。無傷でやってこれた者など誰一人としていないのかもしれない。誰もが、どこかに傷を持っていて、それを糧にやってきたのだ。
明日になれば、俺は再び冒険者ギルドへ行き忙しい日々に身を投じる事になる。それは怖くもあったが、不思議と嫌な感じはしなかった。それは、俺が少しだけ前に進めた証拠なのかもしれない。
「……この三日で、住まいを探しとけば良かったな」
呟いた言葉は、不意に吹いた風に呆気なく奪い去られてしまった。
長かった……これでようやく話を進められます