二十六話 原因解明
「……そう、だったんですか。それでお母さんはあんな事を言っていたんですね」
戻ってきたユナに、ローブ野郎から聞いた話をした。もちろん、母親のことは伏せてだ。彼女は静かに話を聞いてくれた。
「最初に言ったけどあくまで仮説に過ぎない。気にするほどでもないと思ったんだけど、一応話しておくべきだと判断した」
「……ありがとうございます。知れてよかったです」
ユナはぺこりと頭を下げた。
「それでも回復魔法を使えるようになりたいかな?」
そう問う。ユナは少し何かを考えていたようだったが、やがてこくりと頷いた。
「それでも、使えるようになりたいです。だってその魔法は、多くの人を救うことが出来ます。それに、私の……私のお母さんが使っていた魔法なんです」
悲痛そうにユナは言った。それに俺も強く頷く。
「分かった。出来る限り協力しよう」
その言葉に、ユナは安堵したように息を吐いた。
「クックックッ……では、魔水の効果を確かめてみましょう」
「……はい」
ユナはそう言って目を瞑り、俺に軽く両手で触れた。
……。
「ダメです」
しかし、上手くいかなかったようだ。
「……正直、原因がわかりませんね。それとも気持ちの問題なんですかね? そうなると私の専門外ですよ……クックックッ」
「他に考えられることは?」
「魔法とは、発動するまでにいくつかの過程があります。第一に魔力を集め、第二に想像し、第三にそれを魔力と結びつける。しかし、特殊魔法はこの過程とは全く異なります。そもそも、魔力を集める必要がないし、想像することもない。それは、使い手たちにとって息をするかのごとく当然のことだからです。だからこそ、特殊魔法の使い手は一般的な魔法を使えないのかもしれませんが……クックックッ」
「つまり考えられる事はないと?」
「……クックックッ。そう結論付けるのは早計というものですよ。あくまでも、一般的な魔法と比べたらという話です。私は特殊魔法の研究者であり、そこから魔法陣を幾つも開発しています。その事をお忘れですか?」
(いや、忘れちゃいないが言い方が回りくどいんだよ)
ローブ野郎の話はいちいち自慢めいて鼻につく。そして、勝手に舞い上がって勝手に自爆するのだ。このループ、何回やれば気付くのやら。
「吸いとれるということは、放つことも出来る。まず、ここの考え方が間違っているのかもしれません。仮に魔力を吸いとる……孔として、それをAと考えます。私たちは今までAから、魔力を出し入れしていると思っていましたが、もしかしたらもう一つ、Bという孔もあるのかもしれません」
「Bは何ですか?」
「Aが魔力を吸いとる孔。Bが魔力を出す孔です。そう考えれば、ユナちゃんが魔力を吸いとれるのに、放出出来ない理由になります。あくまでも、仮定……ですがね。クックックッ」
「俺がユナちゃんから魔力を吸いとった時、思ったよりも吸収してしまったんですが、その時はどちらの孔だったんですかね」
「二つが各専用の孔だとすれば、テプトさんが感じたのはおそらくBの方でしょう。つまり、ユナちゃん自身に魔力を放出する機能自体は健在すると考えられますね……クックックッ」
「じゃあどうして放出できないんですかね」
ローブ野郎は、机の引き出しから何も書かれていない紙を取り出してきて、それに走り書きを始めた。
「もっと詳しく考えましょう。まず、吸いとるというのには、何かしらの力が作用していると思います。Aから魔力を吸いとる力、これをaとして、Bから魔力を出す力をbとします。とすれば、aの原理が分かればおのずとbの不明な所も見えてくるはずです……クックックッ」
「吸いとる時の原理か……ユナちゃん、わかる?」
ユナは少し微妙な表情をみせた。
「ちょっと、言っている意味が分からないです」
「魔力を吸いとる時は、どんな風にしている? ってことだよ」
「魔力を吸いとる時……こう……何かを引っ張るような感じですかね」
ユナは身ぶり手振りで伝えようとしてきた。
「……クックックッ。では、逆に出すときは押し出すイメージですかね?」
「やってみよう」
ユナにそのイメージを強くするよう言ってからやらせてみる。しかし、結果は失敗だった。
「……これもダメか」
「諦めるのはまだ早いですよ……クックックッ」
ローブ野郎は嬉々として笑った。そんな彼はなんだか頼もしく思える。
「今、ユナちゃんは引っ張るイメージと言いましたね? ですが、引っ張るというのは、対象物をまず掴まなくてはなりません。魔力を掴めるのかどうかは不明ですが、もしもユナちゃんの魔力にそういった意思のようなものがあるとすれば、逆に放出するのは押し出すのではなく、入り込む……つまり、侵入に近いのではないですかね?」
「私の魔力を侵入させる?」
ユナが呟いた。
「そうですよ。とすれば、回復魔法使いが、他人の体内で魔力を循環させられる理由にもなります」
その時、俺はユナのスキルを思い出した。
(それで『魔力操作』が発動していたわけか)
「やってみよう」
俺はそう言って、再びユナを促す。
「私の魔力をテプトさんに侵入させるイメージ……侵入させるイメージ……私の……」
……。
「……ちょ、ちょっと待ってください!!」
急に、ユナがそんな声を出して手を放した。
「どうしたんだい?」
顔を見ると、なぜだが真っ赤に染まっていた。
(無理させ過ぎたか?)
心配になってユナの額に触れようとする。
「ひゃっ!? なっ、ななな何するんですか?」
「……いや、熱があるのかと思って」
「大丈夫です!! その、なんだかそのイメージは恥ずかしくて……つい」
(恥ずかしい?)
「……クックックッ。他人の体内に入り込むという考えは、とても性的な考え方ですからね。恥ずかしくなったのでしょう」
(そういうことか)
ローブ野郎の意見に納得する。
「テプトさんがダメならば、私で試してみますか? ……クックックッ」
「いっ、嫌です!」
ユナは大声で即答した。
「グッ!!? ……冗談だったのに」
ローブ野郎はその場に膝をついて胸を押さえた。その自爆も何回やれば気が済むんだよ。俺はため息を吐く。
「無理そうだったら止めて良いよ」
ユナにそう声をかける。これは絶対にやらなくてはならない事ではないし、やる必要もない事だ。無理しても何かあってからでは遅い。
ユナはしばらく深呼吸をしていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「やらせてください」
「分かった」
それから、ユナはもう一度両手で俺に触れた。
目を瞑って集中する。
ユナの手のひらが、じんわりと熱くなっているのが分かった。
(……これは)
成功の兆しを感じた。いけるかもしれない。
だが。
「……嫌……嫌だ」
ユナがそう呟く。その意味を理解する前に、彼女自身が手を放してしまった。
「……はぁ……はぁ」
息を荒げるユナ。どうしたというのか。
「大丈夫か?」
「……はい。なんだか、怖くなってしまって」
そう答える彼女の額には、汗がこびりついていた。
明らかに今までの反応とは違う。それは、ローブ野郎の仮説が限りなく正しい事を物語っていた。と、同時に原因が分かった瞬間でもあった。
ーーー恐怖。
やはり、ユナの原因は精神的なものなのだ。
「わかった。この訓練はここで止めよう」
俺は静かに告げる。その恐怖がどういったものかは分からないが、訓練はここまでということになる。これ以上、訓練を続けて無意味にユナを疲れさせるわけにはいかないからだ。
精神的なものならば、他人である俺に出来ることは限られている。それは、今ここで無理をさせることではない。
「……わかりました」
ユナ自身も理解したのだろう。素直に頷いてくれた。
「力になれず、残念ですよ……クックックッ」
「いや、お陰で原因がわかりました。俺一人では、絶対に出来なかった事です」
「そう言ってもらえると救われますよ……クックックッ」
「ありがとうございました」
ユナもローブ野郎に頭を下げた。
闘技場を出るまで、ユナは少し落ち込んだ様子だった。俺は、なんと声をかけてやれば良いのか分からず、黙ったまま歩いた。
「もう、諦めていたんです」
不意に、ユナが俺を追い越してそう言った。
「もう、お母さんの魔法は使えないと思っていたんです」
彼女は振り向いてそう言い、その表情は笑っている。
俺は歩みを止めた。
「でも、テプトさんのお陰で、もしかしたら! って思いました。今まで見て見ぬふりをしてきた思いに気づきました。やっぱり私は、お母さんの魔法を大切に想っていたんです」
「……ユナちゃん」
「それが分かっただけでも十分です。今日は本当にありがとうございました」
お礼なんていう必要はなかった。これは、俺が約束したことだからだ。
ユナの恐怖の根元が何かなんてのは分からないし、そこはさして重要ではない。重要なのは、今まで知ることはなかったであろう恐怖に気づかせてしまったことだ。
それはきっと、彼女の負担になるに違いない。母親の魔法を大切に想えば想うほど、それは彼女を縛り付ける。
なぜなら、大切な母親の魔法を使えなくしているのは、自分自身だと分かってしまったからだ。
「すまなかった」
自然と口からこぼれた。
俺は余計なことをしたのかもしれない。
「謝らないでください。謝ってしまえば、今日得たものは、無意味だったと思えてしまいます。でも、そんなことはないんです」
ユナは尚も笑った。
「私は……私は今の自分を結構気に入っているんです。お母さんの魔法が使えないと知った日から、私は確かに絶望しました。そして、お母さんを亡くした悲しみに、酷く心を乱しました。あの頃、本当にお父さんには迷惑をかけました。……でも、お父さんは必死に私を励ましてくれて、私も何とか立ち直る事が出来たんです。そんな私って、結構強くないですか?」
冗談混じりにユナは言った。
「強いな」
そう返す。
「ですよね? そんな日々があったから、私は魔法を諦めて薬学を学ぶことにしたんです。薬学にも、魔法に負けない素晴らしい力があるんですよ? それは、多くの人にとって必要とされている力で、きっと、お母さんの魔法にも負けないものだと信じています」
「俺も薬には、今までたくさん助けられてきた。どちらも、人には欠かせないものだ」
「はい! だから別に魔法が使えなくたって良いんです。いや……本当は良くないけど、でも、良いって思えるんです。私は、今の私で生きていきます。もしかしたら、いつか恐怖を克服出来るかもしれません。正直、私が何に怖がっているのか自分でも分かりませんけど、でもいつかそんな日が来るって信じています」
どうやら、恐怖の根元は彼女自身にも分からないようだった。
「お母さんを亡くしたことは悲しいです。そんなお母さんが使っていた魔法を使えないのも悲しいです。でも、それと引き換えに、私はたくさんのものを得ました。……そんな私が好きなんです。そんな私で勝負していきたいんです。だから、謝る必要なんてないんですよ」
その少女は、とても儚げに見えた。いま触れてしまえば壊れてしまいそうなほどに。実際は辛いに違いない。押し隠した感情は、ポロポロとこぼれ落ちている。だが、そんな少女が魅力的だと感じたのは嘘ではないだろう。
『今ある私で生きていく』その言葉に嘘はないように見える。
きっとユナならば、その恐怖に打ち勝つ日も近いのではないだろうか?
ただ、その日は今日ではないというだけの話だ。
ユナの言葉は、俺の心を強く打った。
「ありがとう」
そう言うと。
「こちらこそありがとうございました」
そう返ってきた。
(全く……どう教育すれば、こんな子が育つのやら)
俺は診療所の所長に尊敬の念を抱く。
苦笑しながら頭を掻くと、ユナも照れ臭そうに笑みを溢した。