十九話 商業ギルド長の訪問
それは、テプトが勤務の禁止を受けた二日目のことである。彼が起こした事件は職員たちの話題になっており、ギルド内は少しだけ騒々しくなっていた。そんな中、二人の男が冒険者ギルドへと訪れる。
「すいませんが、ギルドマスターはいらっしゃいますかな?」
その男は冒険者というには格好が普通で、剣すらも装備していなかった。
「あの……どちら様ですか? 依頼人の方なら受付はあと一時間後になりますが?」
「あぁ、依頼人じゃないんです。申し遅れました。私は商業ギルドのギルド長をしているヤンコブという者です」
恰幅の良い男は朗らかに笑うと受付の女性にそう言った。よく見れば、後ろにはもう一人、小柄な男がいた。
「これは……わかりました。少しお待ちください」
そう言って受付の女性は、取り次ぎを行う。この冒険者ギルドに、商業ギルドのギルド長がきたことなどなかったため、営業部内は少しざわついた。それに驚いたのは、営業部だけではない。
「商業ギルドのギルド長じゃと!?」
「はい。今すぐにマスターと会いたいと言っております」
バリザスは顔をしかめた。そんなこと聞いてなかったからだ。そして、そういった対応は今までミーネに任せっきりだった。しかし、今彼女は王都のギルド本部へと出向いており、ここには居なかった。
(どうすれば……そうじゃ! テプトが……いや、奴も今おらんかったな)
「あの……どうされますか?」
営業部から知らせにきた女性が恐る恐る聞いてくる。
「……追い返すわけにはいくまい。ここに案内せよ」
「わかりました」
しばらくして、ギルドマスター部屋の扉がノックされ、ヤンコブと小柄な男が入室してきた。
「あなたとはお初にお目にかかりますね? 商業ギルドのギルド長をしているヤンコブです」
ヤンコブは微笑む。
「冒険者ギルドのギルドマスターをしているバリザスと申す」
バリザスは立ち上がり挨拶をした。
「して、突然何用ですかな?」
「えぇ、実は冒険者の依頼の事で少しご相談がありましてな。なにぶん、急なことでしたので、使いも出さずにこちらに出向いたのです」
「急な事?」
「はい。詳細は彼からお聞きください」
そう言ってヤンコブはスッと横に退いた。そして、ヤンコブの後ろにいた男が前へと出てくる。髭が濃くギラついた目をしたその小柄な男は、とても付き人には見えなかった。
「あの……私はタウーレンの職人たちを統括しているバイルと言います。……その、実は今回ご相談したいのは私でして」
控えめに喋るバイルは、忙しなく指を絡ませている。
「職人たちは商業ギルドに所属しているので、私も参ったというわけです」
横からヤンコブがそう言った。
「実は、最近職人たちへの仕事の依頼が急激に減ってまして……その、みんなではないのですが、特に専門職の方々からそう言った相談を受けているのです。それで、ヤンコブ様に私から相談し調査してもらったところ、どうやら最近そういった仕事は冒険者がやっているとのことでしたので……」
「なんじゃと?」
バリザスがそう呟くと、バイルはハッと顔を上げた。
「いえ、冒険者を悪く言うつもりはないのです。……ただ、少し依頼を控えていただけないかと……冒険者の方々は戦って稼いでいるのですよね? ですので、そちらの方に専念していただいて、町の人たちの依頼はなるべく職人たちに回るよう取り計らっていただきたいのです」
バイルは、早口でそう言ってから頭を下げた。その肩に隣のヤンコブが手を置いて頭を上げさせた。
「そういうことなのです。私もなぜこんな事態になったのか、少し調べさせていただきました。最近、この冒険者ギルドでは依頼を冒険者に受けさせるよう強要しているそうですね?」
バリザスは表情を難くする。
「強要などと……ただ、依頼を受けるよう促しはおるが……」
「なぜですか?」
ヤンコブは笑顔を崩さずに問いかける。
「依頼が未達成のまま終わってしまうためじゃ」
その回答に、ヤンコブは納得したような顔をする。
「なるほど。……それで。では、そういった依頼は職人たちに依頼するよう、こちらでは断ってもらえますか?」
それには、さすがのバリザスも目を見開いた。
「断る? 町の人たちの依頼をか?」
「えぇ。もちろん戦闘に関する依頼は受けてもらって結構ですが、職人たちの領分だと判断した場合は受けないで欲しいのです」
「それは……依頼人を追い返せということか?」
「冒険者の仕事は戦うことなのでしょう? なら、そういった依頼は専門外のはずです。そして、やり方を心得ている職人たちの方が素晴らしい仕事をするとは思いませんか? これは、冒険者にとっても、町の人たちにとっても良い提案だと思うのです」
「それは……」
バリザスはしばらく考えていた。彼にとって、ヤンコブが言っていることは至極真っ当な意見に思えた。しかし、だからといってここでそれを承諾しても良いのかバリザスには分からなかった。
「なにを迷うことがあります? 別に多少依頼が減ったところで利益にほとんど影響はないはずです。冒険者にはダンジョンがあって、こちらでは闘技場も所有しています。これ以上手を出せば、この町の職人たちを敵に回すことになりますよ? 彼らだって日々を生きるのに精一杯なんですから」
ヤンコブはそう言ってバリザスに歩み寄った。
「しかし……うーむ。……時間をくれまいか?」
すると、ヤンコブの表情が一瞬だけ曇る。
「もしかして、あなたの優秀な秘書にご相談ですか?」
それは、ミーネの事を言っているのだろう。
「そうじゃ」
「それは……恥ずかしくないのですか? 聞けばこのギルドのほとんどは、彼女が取り仕切ってるそうですね? ギルドマスターであるあなたを差し置いて。それはあなたが……失礼ですが、無能だと知らしめているようなものですよ?」
「それがどうしたのじゃ? そんなこと、とうに弁えておる」
その言葉に、ヤンコブは唖然とした。
「今までそういった事はわしの秘書が取り仕切ってきた。今回の事も彼女の意見なしでは決めることができぬ。じゃから時間をくれと言うておるのじゃ」
バリザスは、ヤンコブを真っ直ぐに見つめてそう言った。
「……元は優秀な冒険者だと聞いていましたが、どうやらあなたにはプライドというものが無いらしい」
ヤンコブは頬をひくつかせる。
「プライドなど、今のわしには必要ないものじゃ。それが原因で多くの失敗を重ねてしもうた。悪いが、今日はお引き取りいただけんかの。回答は必ずすると約束する」
ヤンコブは何かを考えているようだった。
「ヤンコブ様……話が違いますが?」
そんな彼にバイルがそっと言った。
「話? なんのことじゃ?」
それにバリザスが反応する。すると、ヤンコブはわざとらしく咳払いをした。
「いえ、あなたには関係のないことです。……その秘書はいつ戻ってくるのですかね?」
「彼女は、あと一週間は戻るまい。回答はその後になる」
「それまで待っていられません。また、近いうちに来ますので」
「いや、じゃから来られても返事はできぬ」
バリザスは困ったように言ったが、ヤンコブは首を振った。
「いいえ、してもらいます。私はその秘書に話をしにきたわけではありません。ギルドマスターであるあなたに話をしにきたのです」
「ふぅむ。その言葉はとても名誉なことなのじゃがな」
「今日はこれにて失礼しますよ。では」
そう言うとヤンコブはゆっくりと頭を下げ、それからきびすを返して部屋を出ていった。その後ろを、バイルが追っていく。
扉が閉まったあと、バリザスは頭をかいた。
「怒らせてしまったか。……これは、不味いことになったやもしれぬ。しかし、どうすれば良かったものか。……全くもってギルドマスターとは難しい仕事じゃ」
それから彼はため息を吐いた。
「早く戻ってこんかのう。……今のわしにはまだ荷が重すぎるぞ」
そんな弱音を彼はポツリと呟いた。