十八話 セリエの気持ち
セリエの耳には、一定の間隔で刻む寝息だけが聞こえていた。
時おり、外の廊下を踏み鳴らす靴音が聞こえ、その度に彼女は少しだけ身を固くする。その靴音が去っていくのを確認してから、彼女は少しだけ息を吐いた。
(なにやってんだろ……私)
セリエは目の前で、簡易ベッドに横たわるソカを見つめた。彼女は普段妖艶な笑みを浮かべ、隙もなく振る舞っているが、こうしてみればただの女の子だ。
そんな彼女は、現在魔力切れを起こして静かに眠っている。原因は分からないが、はっきりしているのはテプトがこの状況をつくりあげたということだけだ。
彼がギルドに問題を持ち込むのは今回だけじゃない。部署が違うということもあるのだろうが、彼はいつも一人で何かをしている。こちらがどんなに気にかけていても、ひょうひょうとしていて相談すらなく物事を進めてしまう。
自分に相談などしてもあまり意味のないことはセリエ自身にもよく分かっている。しかし、一言くらいあっても良いんじゃないだろうか?
それとも自分はそんなに頼りない人間なのだろうか?
(いや……違うな)
悲観的な想像をしてしまった後に、よくよく考えるとそうではない。
テプトは誰にも頼らないのだ。
それは彼自信の能力が高いからかもしれない。誰に頼らずとも何でも出来てしまうからかもしれない。
でも実際にはそんなことない。今回だってそうだ。たぶん、これからもそうだ。
セリエには確信に近いものがあった。テプトは危ない方向に行こうとしている。それが危ないなんて気づきもしないで。
だから、私が言ってあげないと。気づかせてあげないと。
私が!!
不意に、膝の上に水滴が落ちた。それが自分の涙なのだと一瞬気づかなかった。
(……ふぇ?)
気づいてしまうと、涙はポロポロと溢れてくる。
(は? ……なんで?)
セリエは表情を歪めて涙を堪える。しかし、そうしようと思えば思うほどに涙は出てきた。
「うっ……ふっ……ぐっ……」
奥歯を噛み締めて息を止めても、結局その分だけ涙は出てくる。
本当は分かっていた。
自分では彼をどうにもできないと。そして、テプトが殴られそうになったとき、止めたのは目の前で眠る少女だった。
自分はその時、ただ見ていることだけしかできなかった。
止めたことが良い行動だったとは思えない。悪いのは明らかにテプトだったし、殴られることも彼は了承していた。それでも、目の前の少女は自分の赴くままに行動したのだ。
そんな彼女に、セリエは嫉妬していた。それは、あまりにもおかしな感情であることは理解できたが、それでも止められないのだ。
ーーー結論。
(私は彼のことが好きなんだ)
それも、間違った彼を問いただすよりも、彼を助けようとした彼女に嫉妬するほどに。
『もう少し考えて』
彼に放った辛辣な言葉は本当の気持ちではあったものの、ソカがあんな行動をしていなければ言うことはなかったように思う。
ソカはテプトを助けようとした。それでなお、テプトに怒りをぶつけていた。その関係に少しでも横槍を入れたくて、自分はテプトにあの言葉をぶつけたのだ。
(なによ……それ)
みっともない、見苦しい、情けない。
どうなるものでもないのに、彼女は自らを卑下する。責めるべきはテプトだと分かっていても、そうせずにはいられなかった。
感情はグチャグチャになり、考えるべき事が頭から抜け落ちていく。
再び廊下から靴音が聞こえてきた。その途端、心臓が跳ねて急いで涙を拭おうとする。しかし、この泣き顔を彼が見たらどうなるだろうか?
ーー心配するだろうか?
そんな考えが頭をよぎって腕が止まる。
靴音は何事もなく過ぎ去っていった。それから、今の自分の行動があまりにも滑稽な事に気づく。
(……浅ましい女)
自分がこれほどに汚れているなんて思いもしなかった。もっと、綺麗な人間であると勘違いしていた。そして、そう思うこと自体が卑しいのかもしれないと考えてしまう。
どんなに自分を責めても、行き着く場所なんかなくて、ひたすらネガティブがループしていく。その円環は、螺旋のようにも思えて、自分が堕ちていく感覚に囚われる。
ズキズキと、胸が傷んだ。その痛みも落ちているのか、やがてお腹が痛みだす。
赤信号。負の感情は、軽く容量オーバーをしてしまう。手をお腹に添えて言い聞かす。
(悪いのは彼、悪いのは彼、悪いのはーーー彼なんだ)
言い聞かせていると、痛みは少しずつなくなっていった。それでも、根本的な解決になっていないことは彼女自身がよく分かっている。
その解決方法は一つだけ。それは、彼に全てを打ち明けることだろう。
でも今はまだ、こうして紛らわす事ができる。それができるうちはこうしていよう。
セリエはそっと心に決めた。