十六話 所長の殴り込み
「大変だ!診療所の所長が殴り込みにきたぞ!」
ノックもなしに『冒険者管理部』に駆け込んできたエルドが、そう叫んで膝をついた。
「やっぱり勝手に侵入したお前に怒ってるんだよ!……あぁ、どうすりゃ良いんだ!」
「落ち着いてくださいエルドさん。診療所の所長がきたって本当ですか?」
顔をあげたエルドは、今にも泣きそうだ。
「あぁ……今一階でギルドマスターを呼べって騒いでるよ」
これはとんでもない事になった。というかあの所長、そんな人だったかな?
「とりあえず俺が行きます」
そう言って立ち上がる。
「まっ、待て!!お前が行ったら逆効果だろ!?」
取り乱すエルドに駆け寄って、俺はその肩にそっと手を置く。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ?」
「た……確かにそうだが」
俺はエルドを残して部屋を飛び出すと、急いで階段を下りた。
「だから、ここの職員が私の娘に手を出したんですよ!!」
その声は、ギルドのフロア中に聞こえていた。
「しかし、証拠はありません。それに、誰がやったかも分からないとあっては対応のしようもありません」
見れば、バリザスの姿がありミーネさんが所長と話をしていた。
「あっ、テプトくん!」
俺が到着すると、セリエさんが駆け寄ってきた。
「大変なの。今ーーー」
「いました!! 彼ですよ! 私の娘に手を出したのは!!」
所長が、俺に向けて指を差す。フロアにいる人たちの視線がいっせいにこちらを向く。
駆け寄ろうとしていたセリエさんがその足を止めた。
「……どういうこと?」
「テプトくん……あなたなの?」
振り返ったミーネさんも信じられないといった様子でこちらに視線を向けた。
状況から察するに、どうやらあの少女は所長に話をしたらしい。それで所長の逆鱗に触れてしまったようだ。
「……どうしたんですか?」
とりあえず状況を把握するため、ミーネさんと話をしていた所長の歩み寄る。彼は怒りの形相で俺を睨みつけていた。
「どうしたじゃないですよ!あなたは私の娘になんてことをしてくれたんだ!」
なんてことをって……勝手に侵入して、娘の下着姿を見て、叫ばないように取り押さえて、戦って動けなくしただけなんだが……改めて考えると酷いな。まぁ、怒るのは当然だろう。
「その件に関してはすいませんでした。ですが、どうしてもあなたとお話をしたかったので」
「私と話をするのに、娘は関係ないでしょう!!」
所長は、今にも殴りかかってきそうな勢いだ。
「いや、あれは不可抗力というかーーー」
「不可抗力!? 確かに、うちの娘は一目見たら襲ってしまいたいくらい可愛いですが、本当に襲うとはどういうことですか!?」
とうとう我慢できなくなったようで、所長は俺の胸ぐらを掴んで唾を飛ばす。
「所長、少し落ち着いてはどうか」
そこへバリザスが割って入り、所長をなだめようとする。
「これが落ち着いてられますか!? 昨日うちの娘が廊下で立てなくなっていたのでね、何をされたのかと聞くと、顔を真っ赤にして何も答えようとはしなかったのですよ!! 父親に言えなくなるくらいの事をこの男はうちの娘にしたんです! それも、立てなくなるまでね!!」
「ぐっ……」
所長の怒りに負けてバリザスがたじろいだ。
「嘘……でしょ? テプトくん?」
セリエさんが手で口を覆い、目を見開く。ミーネさんは険しい表情をして黙って見ていた。バリザスは、何かを願うように俺を見つめていたが、おそらく彼の願った態度を俺が取ることはない。
「……すいませんでした」
所長の怒りを少しでも抑えるには、ただ謝るしかなかった。
だが、胸ぐらを掴むその両手にはさらに力が篭り、所長の額にはいくつかの筋が盛り上がっていく。
「……警備隊に引き渡してやる」
所長は静かにそう告げた。
周りの空気が凍てついていくのを感じる。しかし、それを止めようとする者は誰一人いない。
不法侵入と暴行の罪か。……運が良くて禁固半年くらいだろうか?
俺は、ぼんやりと思った。もしかしたら、年単位で牢屋にぶちこまれるかもしれない。
それから、ふと、俺が牢屋に入った後の事を考える。それは、おかしな想像ではあったものの、なぜだか容易に考えられた。
冒険者管理部の仕事に関しては、ヒルならやっていけるはずだ。サボり癖が気になるが、あれは俺がいたからだろう。
バリザスは、まだギルドマスターとしての資質を備えたとは言いがたいが、ここ最近の彼は真面目に勉強をしている。今後はギルドのために精一杯頑張ることだろう。
ギルド自体も問題がなくなったとは言い難い。だが、前に比べればみんなの意識は確実に変わっているように思えた。
(結局、俺はこの世界に来て何かを成せたのだろうか?)
後悔はなかった。その覚悟でここ最近は動いていた。そうしなければ何かを変えることなどできはしない。強引とも呼べる策が必要だったと感じていただけだ。
だが、俺は少しやり過ぎたらしい。
心残りは、俺自らが提案した『称号制度』を、施行までもっていけなかった事だ。あれは、俺が挫折した経験から考えたものであり、強さを求めずとも、冒険者としての活躍の場を広げられる可能性を秘めた制度だ。
それを成せなかった事だけが唯一の心残りだった。
と、そこまで考えてから気づく。
(いや、これは達成しなきゃダメだろ)
『依頼義務化』については、俺が未達成依頼をやり過ぎたせいでつくらねばなくなった制度だが、『称号制度』は違う。これは、純粋に冒険者のためを思って考えた制度だ。それをこんなところで白紙にしていいはずがない。
「すいません……まだ俺にはやらなきゃいけない事があります」
自然と口からその言葉が出ていた。
「えぇ? だから見逃してくれと?」
所長の目は充血し、声は怒りで震えている。
「はい」
それから、無理矢理所長の腕をゆっくりと剥ぎ取る。所長は驚いた表情のあとに身構えた。
そして俺はその場に膝をついて頭を床まで下げた。
「俺は『称号制度』をこの冒険者ギルドにどうしても取り入れたい。いや、取り入れなければいけないんです」
「それはあなたの勝手な考えでしょう? それであなたを許す気はない」
頭の上から無情な言葉が降ってくる。だが、それでも許してもらわねばならない。
「娘さんには償いをします。動けなくしたのは、彼女を傷つけたくなかったからです」
「見た目はそうですね? しかし、うちの娘は心に傷を負ったんですよ! それも、一生消えることのない傷を!!」
確かに、知らない男が部屋に入ってきて、取り押さえようとしたらトラウマになるよな。
「それに……うちの娘は初めてだったんです。それをあなたなんかに!!」
下着姿を見られた事は、そんなにも大それたことなのだろうか? いや、それこそ俺の価値観に過ぎない。この場でやらなければならないことは、所長に許しを請うことだけだ。
「……すいませんでした」
「どんなに謝られようとも許しませんよ。私はーーー」
その時、静まり返った冒険者ギルドのフロア内に、扉が勢いよく開いた音が響いた。
「ちょっと! お父さん! わたしお父さんの思っているような事されてないから!」
顔を上げると、昨日の少女が所長に真っ直ぐ駆け寄っていくのが見えた。
「ユナ!? どうしてここに? お前はこなくていいと言っただろう!」
所長が少女を受けとめ、なだめるような声をだした。
「だって、お父さん勘違いしたまま出ていくんだもの」
「勘違い? 私がなにを勘違いしていると言うのだ?」
すると、少女は耳まで真っ赤に染めながら小さく呟いた。
「私……なにもされてないよ」
「なにも? 馬鹿を言うな。昨日廊下で動けなくなっていたのはお前だろう? この男がお前の可愛さに我慢できなくなり●●●したに決まっている」
堂々と放送禁止用語を口にする所長。
「なっ、なっ、ななな何を言ってるのお父さん」
少女は目をシロクロさせた。
「大丈夫だユナ。私には全部分かっている」
その肩に手を置く所長。
「分かってないよ! 私そんなことされてないってば!!」
「そんなはずないだろう!? 私がこの男ならそうする!!」
「娘の前でなんてことを言ってるの!!」
「では、なぜ昨日は足腰たたなくなるほどの状態になっていた?」
少女は、少し躊躇ってから声を出す。
「それは……この人に魔力を奪われたの」
「魔力を?……違うだろ? 奪われたのはユナの●●や●●ーー」
「違うって! どうしてそっち方向に話を持っていくの!? この人私と同じような魔法を使えるみたいなの。それで動けなくなっちゃったの!!」
少女は叫び、それからフロア内に再び静けさが戻った。所長はじっと何かを思案している。
見れば、誰もが口を開けて固まっていた。セリエさんは両手で顔を覆っている。俺も唖然とせざるをえなかった。
(……そんなことしてねぇよ)
「では、なぜ昨日問い詰めたときにそう言わなかった?」
所長は冷静に少女へと語りかける。
「だって、話したら、そうなった理由も話さなきゃいけないでしょ?」
「ふむ……確かにそうだ。なぜそうなったんだ?」
「その……見られたから」
「何を見られたんだ?」
それから少女は、所長の耳元で何かを囁いた。その後、所長は少女にいくつか質問をしていたようだったが、その度に少女は所長に何かを耳打ちしていた。
「……なるほど。そういうことでしたか」
しばらくそんなやりとりが続いたが、やがて所長はスッと立ち上がった。
「どうやら、私は勘違いをしていたらしい。てっきり私は、あなたが娘を襲ったのだと思っていました」
俺はそこでようやく、所長の『襲う』と俺の『襲う』の意味が違っている事に気づく。
(え? 今までそういうことになってたの? いやいや、勘弁してくれよ)
乱れる気持ちを落ち着かせ、しかし、態勢はそのままに所長を見上げた。
「誤解が解けたようで何よりです。ですが、娘さんとひと悶着あったことは事実です。そのことは謝りましょう」
「当然です。本当ならば警備隊に引き渡しても問題ないところですが、娘の名誉のためここは引き下がることにしましょう」
(娘の名誉? いや、ついさきほどあなた自信でボロボロにしたと思うんですが……)
だが、それは言わないでおく。なんとか首の皮一枚つながりそうだったからだ。
「しかし、父としてやっておかなければならない事が一つあります。いつまでもそのみっともない姿を晒していないで立ってください」
俺は言われた通り立ち上がる。
「今からあなたを一発殴ります」
所長はそう告げた。
「それで気が済むようでしたらいくらでも受けます」
「良い心がけです」
そして、所長は俺の胸ぐらをもう一度掴み、殴りかかった。
「ちょっと。あなたたち白昼堂々卑猥な会話をして、なにをしているわけ?」
しかし、その拳は俺に振るわれることはなく、腕は一人の女冒険者によって止められていた。
「なんですか! あなたは! この怒りの鉄槌を止める権利はあなたにはない!!」
所長が冒険者に叫ぶ。
「あー、うるさいわね? こいつ黙らして良いかしら?」
そう言って彼女は空いた片腕でナイフを取り出し、俺にそう問いかけてきた。
「ソカ……助けてくれてのはありがたいが、今は君の出てくる幕じゃない」
俺はその女冒険者、ソカにそう言い放つ。
「なによ。悪いのは私を失望させている今のあなたよ? これ以上私の前で惨めな姿を晒さないでくれるかしら?」
今回の件に全く関係ないはずの彼女は俺に向けて、冷めたくも怒りの籠った視線を送っていた。
(なんでソカが怒ってるんだ?)
その理由が分からずにいると。
「やめてぇぇ!!!!」
所長の横にいた少女が、そう叫びながらソカの腰に抱きついた。途端に抱きついた場所から光が漏れ、ソカは突然気を失ってその場に倒れた。
「ソカ!!」
ソカに駆け寄ろうとした時、抱きついた少女も一歩遅れてその場に倒れてしまった。
「ユナ!!」
所長がその体を抱き起こす。
「どうしたの!?」
「な……なにが、起こったのじゃ!?」
ミーネさんとバリザスも駆け寄ってくる。
俺は、少女が昨日俺にやった回復魔法を、ソカに向けて行ったのだと理解する。つまり、魔力を奪ったのだ。それも、一瞬にして気絶させるほどの量をだ。
ソカを見れば、魔力切れと同じく気絶しているだけだった。
しばらく休めば大丈夫そうだ。問題なのはーーー。
「ユナ!! ユナぁぁ!!」
所長が抱いている少女の方だ。彼女は気を失っているわけではなく、苦しそうに呻いている。その体からは血管が浮きあがり、仄かに光の湯気を放っている。それは、一定の力を蓄えた魔物にしか現れないはずの症状だった。
それを人は太古より『悪魔の儀式』と呼んだ。それを越えた魔物は、以前よりも遥かに強くなるからだ。しかし、さまざまな研究の成果で、その正体が何であるかは既に解明され、今ではこう呼ばれている。
ーーー『魔力暴走』と。
それは、魔物にだけ当てはまる病気であり、人には起こらぬはずのものだった。故に、治療方法などあるはずもない。