十五話 現状の把握
「おっと!」
来た道を戻ると、先程「所長の娘」として確定的となった少女が、壁に手をついて息をきらしている所に遭遇した。
動けるようになったのか……意外と早かったな。
見れば、ちゃんと服を着ている。ということは、あの状態から着替えてここまで来たということになる。抑制はしたつもりだったが、ここまでの元気は残さなかったはずだ。少女は俺の姿を見ると、驚いた表情をした。
「あっ……あなた……っ」
億劫そうに声を絞り出す少女。その顔は青ざめ、今にも倒れてしまいそうな危うさを感じた。
仕方ないな。
俺は彼女に近寄ると、異空間より魔力回復のポーションを出して、差し出す。
「悪かったな。これで許してもらえるとは思ってないが、良かったら飲んでくれ」
しかし少女は受け取ろうとはせず、俺はそれを目の前においてやった。
「急いでるから、これで失礼するよ」
そう言ってから、おそらく彼女が気になっているであろう事柄に気づいた。
「あぁ、それと所長との話は終わったよ。別になにもしてないから安心してくれ」
しかし、少女は俺を睨んだまま微動だにしない。
その時、後方から叫び声のような声が聞こえた。
「ユナァぁぁ!!」
それは所長の声であり、少女がハッとする。どうやら追いかけて来たらしい。……このままだと見つかるな。だが、これで彼女も安心するだろう。
「じゃあ、もう行くよ。あとさっきの事だけど、所長に言わないでくれると助かる」
無理なお願いをしてみる。成り行きとはいえ、おそらく先程の事を知った所長の怒りは計り知れないだろう。
「そんなの……言えるわけないじゃない」
少女はその場に腰をおろしてそう呟いた。どうやら図らずしも思い通りにはなりそうだった。
「ありがとう」
それは、俺の事を考慮した答えではないにしろ、一応お礼を言っておく。少女のムッとしたような表情が『あなたのためじゃない』と無言で語っていた。それに苦笑しつつ、俺はその場を去った。そして、少女の部屋を通って窓から外に飛び出す。部屋を通る一瞬、部屋の中に置かれていた植物が枯れているのを目にする。少女が思ったよりも早く動けるようになったのは、おそらく植物からエネルギーを吸いとったのであろうことが、そこから推測できた。
「うおっ!? ……てっ、テプト!! お前はなんてことを」
「話は後です。とりあえず帰りますよ。」
「おっ、おい!?」
風魔法で着地すると同時に、待たせていたエルドが駆け寄ってきた。その腕をひっ掴んで、走り出す。エルドは抵抗したものの、すぐに自らで走り出し並走してきた。
「……帰ったら話してくれるんだろうな?」
「もちろんです」
「分かった……なら、今は何も聞かない」
なんとか、納得してくれたらしい。
正直、所長が『称号制度』に対して否定的な意見を持っていたのは誤算だった。俺は冒険者ギルドの内部にしか目を向けていなかったため、そこまで考えていなかったのである。
これは完全に俺のミスであり、言い訳のしようもない。
(なら、どうするべきか?)
そう自らに問いかけてみる。しかし、その問いに対する答えなど考えずとも分かりきっていた。
所長が納得できて冒険者ギルドにとっても、診療所にとってもメリットのある解決方法を考えるしかないのだ。とはいえ、そんな方法など果たして本当にあるのだろうか?
回復魔法を使える冒険者を増やしたい冒険者ギルド側と、回復魔法を使える人を増やしたくない診療所側。意見は真っ向から対立している。二つの意見が同じ方向に向かう道を見つけ出すのは並大抵の事ではないだろう。
だが、希望がないわけではなかった。回復魔法は人を救う魔法である。そんな魔法の使い手を増やすことに何の反論があるというのか? 反論があるとするならば、その者は殺人者と罵られても仕方がない。所長の意見はそれに近いものがあった。
おそらく、所長も分かってて発言したのだろう。重要なのは、そこまで言わせるほどに魔術師ギルドが開発した魔術式が脅威だということだ。
なら、最初にやることは魔術式の調査しかない。それを知らねば対策の立てようがないのだから。
俺はそこまで考えてからため息を吐いた。
なんだか、どんどん目的とはやることがかけ離れていくようで歯痒くなる。しかし、新しく何かを変えようとするならば立ち塞がる障害が一つだけと考える方がおかしいのかもしれない。とするならば、やはりこれも正しい道の一つなのだろうか? それとも、俺はまたとんでもない方向に走り出しているのだろうか?
……わからない。
それでも、『称号制度』を取り入れると決めた以上は後戻りなどという選択肢はなかった。回復魔法系統の称号は除外するという考えも俺にはない。これは、絶対に必要な称号であることは誰の目から見ても明白だ。これによって冒険者たちの生存率が上がることは、計算などしなくてもわかる。
だったらやるしかない。やらねばならぬ。
俺はエルドと共にギルドへ戻って、早速先程の話をした。エルドも難しい表情をしていたが、彼の口からも『諦める』という言葉は出なかった。それから、今後の対策に必要な情報収集について話し合う。
「まさか、また面倒事ですか?」
俺とエルドの話し合いを、近くで聞いていたヒルが、心底嫌そうに聞いてきた。
「あぁ、そうだ」
そう返すと、ヒルはその表情を歪めて顔を手で覆う。
「それって俺も手伝うはめになるんですよね?」
「そのつもりだ」
「本気ですか? 普段の仕事はどうするんです?」
「並行してやる」
「できるとでも?」
「やるんだよ」
その言葉のあと、彼は半ば呆れたようにしばらく口を開けていた。
「……一つだけ聞いていいですか?」
「うん? なんだ」
「なんでそんなに楽しそうなんですか?」
楽しそう? ……いや、そんなつもりはないが。
「気のせいだろ?」
「……あぁ、自覚ないんてすね。今のテプトさん笑ってますよ?」
言われてハッとする。
笑ってた? ……俺が?
ヒルはため息を吐いてから、諦めたように笑った。
「僕は最近、ようやくテプトさんの事が分かってきましたよ」
「……なにをだ?」
「どうやら、あなたは狂ってるらしい」
ヒルは臆することなくそう言った。
「狂ってる?」
「えぇ、狂ってます。先程浮かべていた笑みは、まさに狂気ともいえるものでしたよ」
「そんなつもりはーーー」
「ないのでしょう? だから狂ってるんですよ」
俺は、エルドに顔を向ける。
「……そうでした?」
彼は少し困った表情をして「あぁ、してたよ」とヒルの言葉を肯定した。
「僕はどうやら、とんでもない人の部下になってしまったようです」
ヒルは呟いた。
「……辞めたくなったか?」
「辞める? とんでもない。そんなこと考えてませんよ」
「なら、手伝ってくれるか?」
ヒルは力なく笑ってみせた。
「そうするしかないのでしょう?」
それから、ヒルも含めた話し合いが始まった。
結論から言うと、ヒルが王都へ行って魔術式の調査をすることになった。
「そういうのは、僕の得意分野です」
自信ありげに言ったヒルに、「サボるなよ?」と釘を刺しておく。
「酷いなぁ。もっと信用してくださいよ」
ヒルは笑ったが、俺にとっては笑い事じゃない。というより、今までの彼から、信用してくれという方が無理な注文だ。
そこまで話し合ってから、続きはヒルが帰ってからという事になった。
「じゃあ、王都まで空間魔法で運んでやる。帰りは自分で帰ってこいよ」
そう言って、ヒルの肩に手を置いて魔法を発動した。
「へっ? ちょっ!? 空間魔法ですか? いや、聞いてなっーーー」
ヒルは王都へと旅立った。
「待て。なんでお前がその魔法を使える?」
エルドが目を見開いて聞いてきた。
「言ってませんでしたっけ?」
そう答えた俺に、エルドは頭を押さえた。
「あぁ……うん、そうだよな? お前はそういう奴だよな?」
なぜか、一人で納得してしまうエルド。
『称号制度』については、とりあえず保留となった。しかし、事態が動き出すのは俺の予想よりも遥かに早かった。
なんと翌日、診療所の所長が冒険者ギルドに怒りの形相で駆け込んできたからである。