十四話 診療所の所長
所長室はすぐに見つかった。ノックをすると中から男の返事が聞こえ、そのまま扉を開ける。
部屋の広さは先程少女がいた所とほとんど一緒で、奥の机には書類仕事をする眼鏡の壮年の男がいた。男はチラリとこちらを見てから、短くため息を吐いた。
「冒険者ギルドの者は通すなと言ってあったでしょう? 誰ですか?ここまで案内したのは?」
そして俺の背後へと視線を移した。
「案内なんてされてませんよ。俺が一人でここまで来たんです」
男は眉間に皺を寄せる。
「勝手にここまで来たということですか?」
「そうでもしないと会ってくれそうになかったので」
男の表情が難く、険しいものへと変わったのが分かった。
「どうやって……」
「大丈夫、誰も傷つけてはいません。俺は話をしに来ただけです」
男の顔には依然緊張が走ったままだった。
「話とは……先日の『称号』のことですか?」
「はい、そうです。断られた理由を聞きにきました」
「それだけのために、ここまで侵入してきたというのですか?」
「それだけのためにです」
緊張を和らげるために笑顔で答える。
男は何かを考えているようだったが、やがて口を開いた。
「この部屋まで侵入してきたということは、あなたはそれほどの能力……あるいは力を持っているようだ。そんな者を目の前にして、断る理由を話してしまえばどうなるかなんて、今時の子供にだって理解出来ます。やり方が少々汚いのでは?」
ん? やり方が汚い?
どうやら、所長はなにか勘違いをしているらしい。俺は脅しにきたのではなく、純粋に話をしに来ただけなのだ。
「俺は断られる理由が知りたいだけなんです。できればそこを改善し、この計画を進めたいと思っています」
しばらくして、男は恐る恐るといった具合に話をしだした。
「……資料は読ませていただきました。冒険者に『強さ』だけではなく、新たな道を見出だそうとする『称号制度』、その発想には正直驚きました。ですが、冒険者のみなさんに回復魔法の研修を行う暇がこちらにはありません。こちらも仕事で診療所をやっています。失敗は許されません。どうかそこのところをご理解いただきたい」
男はそう言って頭を軽く下げた。
「いえ、無理なお願いをしている事はこちらも承知です。ですが、軽い怪我程度ならば看させていただくことは出来ませんか? もちろん、冒険者には回復魔法をある程度使えるよう指導を施した後にです。怪我を治すという一点に関してこちらは素人であり、傷が残っても動けるなら治ったと判断する事も出来ます。その辺の認識等も含めると、やはりプロに協力を仰ぐのが一番だと考えます。協力をしてはもらえませんか?」
俺からも軽く頭を下げる。
「今、回復魔法の指導を施すと言われましたが、冒険者ギルドには回復魔法を教えるほどに理解されている者がいるのですか?」
顔を上げると、男は目を細めてこちらを見ていた。
「一応、俺が指導を担当することになっています。回復魔法は全て使えるので」
そう言うと、男は訝しげな表情を見せてきた。
「……失礼ですが、回復魔法に必要なスキルはご存知ですか?」
「『魔力操作』です」
すると男はゆっくりと立ち上がり、近くの戸棚から大きめの器と液体の入ったビンを持ち出してきた。ビンから液体を器に注ぎ、それから部屋の隅に置かれている水槽から、小さな魚を一匹すくって器の中に移した。
「この水は魔水です。その中で泳ぐ魚を、『魔力操作』で水槽に戻してください」
そう言って男は俺の目の前に器を置いた。中では、魚がくるくると泳いでいた。
どうやら、俺を疑っているらしい。
「わかりました」
そう言ってから魚の泳ぐ魔水に指をつけ、『魔力操作』を使用する。すると魔水が淡く緑色に発光し、微弱に震えた。俺は指で魔水を円上にかき混ぜて、風の魔法を使用する。
『ーーーウィンド』
魔水が浮き上がり、そのまま器の中に小さな竜巻を起こす。竜巻は魚を魔水もろとも巻き上げてしまった。その竜巻を、水槽へと誘導させた。やがて、魔力を使い果たした魔水は、魚ごと水槽へと落ちる。
ーーーポチャン。水の跳ねる音と共に魚は元いた水槽に戻った。
「……素晴らしい」
所長は静かに呟いた。
これは、魔水から魔法をつくりあげる……いわば魔力操作の応用である。自らの魔力で魔法を使用した訳じゃない。だから、魔力消費は全くない。魔水があれば、水魔法を使わなくても自在に操ることができる。
まぁ、『魔力操作』を持っているからこそ出来る芸当だ。
所長はしばらく何かを考えているようだったが、やがて口を開いた。
「……なるほど。どうやら私は勘違いをしていたようだ」
「勘違い?」
「正直に申し上げると、そちらが何の考えもなくこの案を持ってきたのだと思っていました」
所長はそう告げた。
「それで断ったんですか?」
「えぇ……それもあります」
「それもある?」
すると、所長は渋い表情をしたあとに、椅子に座った。
「最近、王都の魔術師ギルドで新たな魔術式が開発されたのをご存知ですか?」
なんだ? いきなり。唐突だな。
「いえ」
「その魔術式は、人の体を癒しあらゆる病を治すものだと聞いています」
それは初耳だった。
「現在は数人の者しか実体験をしていないようですが、多くの貴族たちがそれに目をつけ、自らの領地に普及させようと莫大な金が動いていると聞きます。いずれ、この町にも影響があるでしょう」
所長は手を組み、表情をさらに険しくする。
「もしもそうなったとき、ここも少なくない影響を受けることは目に見えています」
「それは、『客』を取られるということですか?」
そう問うと、所長は表情を崩し、フッと笑いを見せる。
「患者を客だなんて……ですが、そういうことになります」
彼は悪びれた様子もなく、はっきりと言った。
「ですが、それと今回の件、どう関係が?」
「わかりませんか? これ以上、他の機関で回復魔法を使える者を増やしたくないということです。もしも冒険者自身で傷を治してしまえば、診療所には来なくなるでしょう?」
「診療所のトップが、そんな発言をして良いんですか?」
「おかしいですか? 我々は慈善事業団体ではありません。それは、そちらも同じ事でしょう?」
確かにそうだ。しかし、ぶっちゃけるにも程があるだろ。
「それで断ったという事ですか」
「えぇ、まぁ」
彼は言いづらそうに答えた。
「もしも、その魔術式がこの町にも普及した場合、いっそのこと共同事業を行ってみてはどうです? それなら問題ないんじゃないですか?」
しかし、所長は首を横に振った。
「もしもそうなれば、ここは魔術師ギルドと手を組むということです。確かにここは昔、『診療所』ではなく『薬局』と呼ばれていました。そこに回復魔法の概念を統合し、より多くの患者を救えるよう今の形と成ったわけですが、我々は魔術師ギルドなんかと手を組む気はありませんよ。あそこは怪しすぎる。」
この町には『商人ギルド』と『冒険者ギルド』しかないが、王都には様々なギルドがあり、『魔術師ギルド』もその一つだった。
「それも時代なのでは? 新たに診療所となったときも、少なからず反発はあったはずです」
「……しかし」
所長は唇を噛んで言葉を呑み込み、沈黙が訪れた。
だいたいの事情は分かったな。
「本音で話してくださってありがとうございます。この件に関しては一旦持ち帰って再度練り直します。その時は、そちらの事情も考えた内容にするつもりです。連れを待たしているので、今日はこれで失礼します」
そう言ってから、扉に向かった。
「今のところ『称号制度』に協力するつもりはありません。もしかしたら、また断るかもしれませんよ?」
そう投げ掛けられた言葉に、俺は笑顔で振り返る。
「その時はもう一度検討し直すだけです」
その時ふと、聞いてみたい質問が頭に浮かんだ。
「あぁ、そう言えば所長」
「なんでしょう?」
「もしかして、娘さんていらっしゃいます?」
すると所長は表情を強ばらせた。
「……えぇ、いますが」
やっぱり、あの少女は娘とみて間違いなさそうだな?
「とても可愛らしい子ですね?将来が楽しみです」
とりあえず誉めておく。
「そっ、それはどういう意味ですか!?」
突然所長は立ち上がり、叫んだ。
……あれ? なんか、失礼な事を言っただろうか?
「ただの個人的な意見ですよ。気に障ったのなら忘れてください」
今の所長の叫びのせいだろう。扉の向こうから誰かが走ってくる音が聞こえた。
「では、これにて」
そう言い残し、俺は急いで部屋を出る。
「ちょっと待ってください!娘にーーー」
慌てたように響く所長の叫びを最後まで聞くことなく、俺は廊下を走った。




