十二話 診療所
その日、俺は安全対策部の副部長であるエルド・スプランガスと、町の診療所に来ていた。新しく取り入れる『称号制度』の記念すべき一つめ、『癒す者』の研修を承諾してもらうためである。
「事前に説明はしてありますよね?」
エルドに問いかけると、彼は心配ないと笑った。
「先日、ポーションの受取をしたときに資料を渡してある」
「なら良いですけど」
ギルドでは冒険者のためにポーションなどの薬も販売していて、その取引は安全対策部が行っている。ポーションを販売する場合は薬学士の認可が必要となるため、エルドは月に一回診療所へ来て、認可されたポーションを受取に来ていた。
診療所はギルドからは歩いて三十分ほどの所にあり、こじんまりとした個人経営ではなく、領主に認められた薬師、回復魔法士、補助士を抱える大きな組織である。建物も立派な造りで、冒険者ギルドの三倍はある高貴なものだった。
「なんでしょうか?」
笑顔で迎えてくれた受付の女性は目が覚めるような美人だった。
「冒険者ギルドの者です」
エルドがそう言うと、彼女はその笑顔を一瞬で取り払う。
「ポーションの件なら済んだはずでは?」
その声音は固く、淡々としている。
ーーーえ?
彼女の変貌ぶりに驚いていると、エルドが構わず続ける。
「この前渡した資料の件で、所長にお会いしたいんだが?」
「あぁ、その件でしたら所長より『お断りいたします』と言葉を頂いております。そういう事ですのでどうぞお帰りください」
あまりの事に、俺だけでなくエルドも面食らったらようだった。
「どういう事ですか?説明もなしに帰れなんて」
思わずそう問いかけてしまう。この対応は酷すぎるだろ。
「所長からはその言葉しか頂いておりませんので」
彼女は表情を崩すことなく続けた。
「所長本人にお会いすることは?」
エルドが食い下がるも
「お会いにはなりません。お帰りください。そして、今後も会うことはないとの事です」
あっさりと要求は切り伏せられた。
呆然とするエルド。俺も何を言えば良いのか分からなかった。
「後がつかえてますので、退いてもらえますか?」
振り返ると、一人、また一人と後ろに列が出来始めていた。仕方なく受付から離れる。
「くそっ。どういうことだ?」
エルドが悔しげに顔を歪めた。
「何だか嫌われてるようでしたね」
彼女の態度からは明らかに敵意が見えた。すると、エルドが大きくため息を吐いた。
「すまん、俺のせいだ」
「……心当たりでも?」
「あの女、俺たちが冒険者ギルドの者だと分かった途端に態度を変えただろ?」
「はい」
「ちょっと前からポーションが値上がりをしていてな。少しでも安く冒険者にポーションを売るため、交渉をしたんだ。その時に熱くなっちまって、相手を怒鳴っちまったんだ。結果交渉は決裂。今までは笑顔で対応してくれていたあの女も、上から言われているのか冷めた態度しかとらなくなった」
なるほど……そういうことだったのか。
「ポーションが値上がりをしているのは知っています。ですが取引で多少問題があったとはいえ、今回は全くの別件ですよ?この対応はちょっと酷すぎますね」
しかしエルドは、自分に非があることを覆そうとはしなかった。
果たして本当にそれが原因だろうか?
「とりあえず所長本人に会わないことには、何もわかりませんね」
「だが、それすらも無理だったな」
自嘲気味に笑うエルド。
「考えがあります。建物の裏に行きましょう」
「……どうする気だ?」
そんなエルドに、俺は笑顔で言う。
「会ってくれないなら、こっちから会いにいくんですよ」
それから俺は、足早に建物を出て裏手に回った。
「おい、テプト!なにする気だよ?」
慌てたように追い付いたエルドに、問いかける。
「エルドさんは、所長の部屋がどこにあるか知ってますか?」
「所長の部屋?知るわけないだろ」
「ですよね。聞いただけです」
窓から察するに四階まである診療所の建物を見上げる。おそらく所長の部屋は四階の何処かだろう。
壁に片手をついて、魔法を発動させた。
「おい……テプト、お前まさか……」
手の中で壁が盛り上がり、掴みやすい突起物に変わる。
「ちょっと所長に会ってきます」
会ってくれないならこちらから会いに行くまでだ。所長がどういった意図で『冒険者ギルド』を邪険にしているのか知らないが、こちらは前置きの説明をしてから出向いてきている。なんの説明もなしに帰れというのは違う気がした。
(そっちがその気ならこちらにも考えがある)
もう片方の手で同じように壁を掴むと、ボルダリングの要領で壁を上る。ボルダリングは既にある突起物を捜しながら上らなければならないが、この場合自分の好きな所に突起物を造れる。エルドの焦った言葉を下に聞きながら、最後は四階の窓の取っ手を掴んで中へと侵入した。
「よっと」
そこは、診療所内とは思えない部屋だった。隅には簡易的なベッドが置かれ、枕元には人形が並んでいる。隣には木製の机があり、上には紙の束や本などが積まれていた。棚には、様々な液体の入ったビンや薬草の入った袋が並べられていて、薬特有の臭いが部屋のなかに充満している。
まるで、薬学士の個人部屋みたいだった。
そして、その部屋の主はちゃんとそこにいた。
タンスの前で今まさに着替えを行っている肌着姿の少女が一人。おそらくここは彼女の部屋なのだろう。
一瞬で少女と目が合う。深緑の髪が逆立ち、ライトグリーンの瞳孔が大きくなったのが分かった。
「あっ……あっ……」
今にも叫びだそうとする少女、それが羞恥心から来るものなのか、驚きから来るものなのかは不明だが、今叫ばれると困る。
少し手荒だが仕方ないな。
俺は少女に駆け寄って口を手で塞ぎ、その勢いのままベッドに押し倒した。見開かれた目に驚きと動揺が混じり、次の瞬間には脅えに変わった。
「叫ばないでくれるとありがたいな?」
なるべく優しく言ったつもりなのだが、彼女は塞いだ口で必死に何かを叫び、手足をバタつかせて、激しく抵抗してきた。
無理もない……か。
俺は彼女を気絶させるために手刀を構え、首もとに打ち込もうとする。その時彼女は、口を塞ぐ俺の腕を掴んだ。すると、急速に腕から『何か』が吸いとられていくのを感じ、途端に力が入らなくなる。
……っ!これ…は!
その感覚に驚いていると次の瞬間、あまくなった俺の腕を払いのけ、少女は言った。
「死んでください……この変態野郎」
それから少女は、思いきり俺の股間を蹴りあげた。それは、少女の見た目からは想像できない程に威力を伴った蹴りだった。
俺とて所詮は男である。いくら努力しようとも鍛えられない所はある。そして、そこを的確についてきた少女。
スキル(忍耐)が発動し、込み上がる激痛に精神が踏ん張りを効かす。しかし、忍耐ではどうにもならないほどの激痛に、あっけなく精神は降参を余儀なくされた。それでも俺は、追撃を食らわないために少女から離れる。
「力一杯蹴りあげたんてすけど……丈夫ですね?」
形勢は逆転していた。肌着姿の少女は、憎悪に満ちた目で俺を見てくる。
「柔な鍛え方はしてないからな」
強がって見せるも、痛みが引いていく様子はない。少女の身体から、微かにオーラのような物が立ち込めているのが見える。
「なる……ほど。回復魔法の使い手か」
「はい、そうです。ここは診療所ですから。それにしても、このエネルギーの量……あなたは何者ですか?」
そのオーラは、先程俺から吸いとったものなのだろう。それは、真に回復魔法を使える者が持つ特有の能力であり、魔力を持つ者が使う簡易的な回復魔法ではなく、『本来の』回復魔法だった。
「悪者じゃないよ。ここの所長に用があるんだ」
「なら、堂々と下の入り口から入ってきてください」
「断られたんだよ」
そう答えると、少女は少しだけ考える素振りを見せた。
「だから……この部屋に入ってきたんですね?」
だからこの部屋に入ってきた?……なにを言っているんだ?
「それは偶然だよ」
「そうは思えませんね……あなたの考えは浅はかで透けて見えます」
そう言うと、少女は拳を構えた。その拳には目で確認出来る程に濃密なエネルギーが集中している。
「それに……この姿を見られたからには生かしておけません。死んでください」
彼女の目は本気だ。というか殺すのかよ。
「まだ……死にたくないんだけどな?」
「それは誰だって同じです。死にたくないなら、それなりの生き方をすべきです。あなたはそれを間違えました」
「それは勝手に部屋に入ったこと?それとも君の下着姿を見たこと?」
少女の頬が赤らみ、それから怒りを露にする。
「どちらも……いえ、下着姿を見たことですね」
「服は着なくて良いのかい?」
「あなたを始末してからです」
そして少女は俺に向かって、襲いかかってきた。
……なんでこんなことに。まだ引かない痛みに顔をひきつらせながら、俺は迫り来る少女と戦闘を開始した。