十一話 日々
ヒル・ウィレンは、薄暗い部屋の中で一通の手紙を書いていた。そこは、タウーレンに来てから借りた安い部屋であり、まだ住み始めたばかりだからなのか、家具と呼べるものは元々置かれてあった古い木製の机と椅子以外一切置かれていない。
殺風景な部屋だった。
彼は時間をかけて手紙を書き終えると、引き出しから黒い箱を取り出す。その中から出てきたのは封筒。それは、とても質の良い紙で既に宛先が記載されてあり、そんな封筒が幾つも箱の中には入っていた。
彼はそこから一つ手にとって、今しがた書き終えたばかりの手紙をそっと入れ、これまた上質な糸で中身が出ないよう丁寧に封をする。
それから、ヒルは日の沈みかけた夕日を窓から眺めた。
この部屋は大通りからは離れた位置にあり、窓の外も建物に阻まれて昼間でも暗い。ただ、夕日が沈む瞬間だけはその隙間から見ることが出来た。
眩しさに少しだけ目を細めるが、彼の目つきは元々細いためそれに気づく者はいないだろう。
「……上手くいかないものですね」
不意にそんな言葉が口を突いて出る。
ヒルは先日の事を思い出していた。テプトを煽ってギルドマスターの失墜を目論んでいたが、寸前でテプトが取り止めた事を。もしも成功すれば本部から何かしらの見返りがあったはずだった。
ヒルはしばらく何かを思案していたが、夕日が完全に沈むのと同時にそれを止め、机に置かれた手紙を引き出しにしまった。
ーーー 一ヶ月後。
いろいろあった『依頼義務化』だったが、なんとか施行開始までこぎ着ける事が出来た。説明会が荒れたのは初日だけで、その後は滞りなく終えられた。不満げな輩も中にはいたのだが、表だって文句は言ってず、ただ黙って聞いているだけだった。
そこからはヒルと共に着々と準備を進め、気がつけばその日を迎えていた。
不安だった初日。なんと未達成依頼の数は零件になっていた。
「依頼があっという間に無くなっちゃってビックリしちゃった」
セリエさんが驚いていた。
まぁ、最初はこんなものだと思う。問題はこの制度に不満を持ち、依頼をやろうとしない奴等が出てくる後半だ。しかし、この制度を始めた時点で既に彼等の敗けは確定してしまっている。やりたくないならば、説明会初日の冒険者みたくあの時に闘わなければいけなかったのだ。
依頼を受けてくれた冒険者をチェックしながら、同時にまだ依頼を受けていない冒険者達の事を考えた。
未達成依頼の件数が激減するにつれ、管理部は本来の業務を取り戻しつつあった。
ヒルのサボり癖は未だに続いている。最近では、ヒルに依頼を達成してもらった町の人たちが彼に協力するようになり、追いかけっこは熾烈を極めていた。
「悪いな、テプトの兄ちゃん。この前、奴には依頼を受けてもらったんだ。居場所は知ってるが、教えられないな」
笑顔でそう話す町の人たち。俺が彼の情報を町の人たちから得ていたように、彼も町の人たちを味方につけて悠々とサボるようになってしまったのだ。
それは予想外のことだった。そしてそれを成してしまったヒルの能力の高さに、今更ながらに感服もした。依頼を受けただけでは町の人たちは味方にはならない。その依頼を、完璧にこなして初めて町の人たちは心を開いてくれる。
つまりヒルは、依頼をかなりの完成度で達成していたということになる。そこは褒めるべきところなのだろうが、何かと理屈をこねてサボるヒルを、褒めたことはまだ一度もない。
バリザスについては、合間をみて俺が冒険者ギルドの在り方を教えていた。とはいえ、それはギルド学校で習ったものばかりなのだが、彼はそれすらも知らなかったらしい。
「冒険者ギルドに求められていることは?」
「冒険者の支援じゃろう」
「当初はそうでした。当時の冒険者は、『魔物の脅威から人々を守るといった使命を帯びている』という考え方が強かったからです。ですが、魔法と魔武器の発達と共に近年では魔物の脅威が薄れてきています。現在、冒険者というのは稼ぎの良い職業という見方が強くなりつつあるため、冒険者ギルドには厳正に彼等を管理することが求められています」
「じゃが、やることが大きく変わるわけではないのじゃろう?」
「そうです。冒険者を支援するという考え方については変わっていません」
「では何が違うと言うのじゃ?」
「支援の方法ですよ。昔は、冒険者が生きていけるよう彼らに報酬を出すだけで支援が成り立っていました。しかし時代が変わり冒険者の在り方が変化しているため、それに伴い冒険者ギルドの在り方も変化してきたんです。彼等が生きていけるようにするためには、お金を出すだけてはなく、社会的な地位を見いだしそれを確立していく必要があるので、そのための支援もギルドには求められています」
「うーむ。知らんかったわい」
「俺も冒険者をやってた頃は何も知らなかったです。ですが、ギルドマスターをやっている以上、もう知らなかったでは済まされませんので、これらを踏まえた上で今後の仕事をしてください」
「分かった」
丁度その時、部屋にミーネさんが入ってきた。
「ではテプトよ。戻って良いぞ」
突然バリザスは言った。
「わかりました。また来ます」
それに俺も従う。バリザスは、ミーネさんが来るといつも授業を中止した。彼女には俺から教わっていることを秘密にしたいらしい。気持ちは分からなくもないため、俺もすぐに退室している。
「あら、テプトくん。……最近よくここに来るわね?」
「ミーネさんお疲れさまです。少し、『依頼義務化』の件で」
「何か問題でもあったの?」
「いえ、順調だという報告ですよ」
そう言った俺を、ミーネさんは訝しげに見つめ、それからバリザスに視線を写した。
「本当ですか?バリザス様」
「うむ。相違ない」
ミーネさんに見つかる度に何かと最もらしい嘘をついているのだが、さすがに最近ではキツくなってきている。
「……随分バリザス様と仲良くなったのね?」
「そんなことないですよ。仕事として報告しているだけですから」
「……ふーん」
探るようなミーネさんの視線に、たじろいでしまいそうになる。それにしばらく耐えると、ようやく解放される。
「……そう。行って良いわよ」
「失礼します」
それからギルドマスターの部屋を出る。
これはバレるのも時間の問題だな。まぁ、バレたところで俺には関係のない事だが。
なにはともあれ、ギルド改革は全てが順調だった。いや、順調にいきすぎていた。……それが、新たな問題を芽吹かせようとしている事に気づかなかったのは、たぶん今までが苦労の連続だったからであり、それについては俺に非はないのだと主張したい。