ディープダイバー 〜輸送軍団の悲劇〜 Misery of MILITALY AIRLIFT COMMAND
「FOXBAT-01 NABAL TOWER Scramble oder,Ready to copy?」
「Go a head」
「FOXBAT-01 Scramble north, climb angel 10, Contact TOP DOG CH-2」
「Roger, Scramble north, angel 10, TOP DOG CH-2」
鋼板と軽金属で構成された機体の内側には、6メートルの直径を持つ恒速プロペラがたてる低音と、それを駆動する4基のターボプロップエンジンの高周波と、毎秒120メートル以上の速度でジュラルミンの外板を、大気とそれに含まれる水蒸気とが擦る音が響いていた。
「目標上空まで15分…」
航法士が静かに宣言する。
「そろそろ来るぞ、締めてかかれ」
肉声での会話ができないくらいの騒音につつまれるなか、インカムごしに機長が8人のクルー…副操縦士、航空機関士、航法士それに前部、上部、後部、胴体両側面の五人の対空銃手…に声をかけた。
「どう締めてかかれっていうんだ」
ぽつんと、たったひとり、後部銃座に他のクルーと隔絶した状態で押し込まれていたトマス・ニーマン一等兵は、インカムのマイクに拾われない程度の小さな声で、ぼそっとつぶやいた。
深夜である。基地を発進してもう三時間が経過している。敵の防空網を迂回するために苦心して策定された複雑なコースだったが、飛行にかかった余計な時間は、クルーたちを強いストレスにさらし、精神的な消耗を強要する。彼の座る後部対空銃座には、闇に目を慣らすため、電熱服と酸素マスクの作動を示すインジケーターを除いて光を発するものはない。光学照準器のスイッチは入っていたが、輝度ダイヤルを最小にして消灯状態にしていた。星あかりすら、空を覆う雲に閉ざされていた。
「最終定点に到達」
「よし、いくぞ」
航法士の報告を聞いた機長がそう言うが早いか、機体はぎしぎしと構造材がきしむ音をたてて旋回を始めた。
共和国と、同盟こと都市国家同盟が戦争を始めてまもなく一年になる。
開戦当初はしかけた同盟が優勢だった。開戦から二ヵ月とたたない内に共和国の首都目前にまで迫った。同盟は降伏を勧告したが、共和国はそれを一蹴し、徹底抗戦を唱えた。
もともと同盟は大国ではなかった。だから戦争などしたくはなかった。だが共和国との政治的経済的対立が深刻になれば否応なしにそれを考えざるをえなかった。もちろん、そうは考えず、戦争などやるだけ無駄だと唱える人たちもいたが、やってみなければわからないと考える人たちの方がはるかに多く、事実それらの声にかき消された。だが共和国と同盟のGDPには二倍以上の開きがあり、短期決戦以外の戦争の方法はないという点で同盟内部での意見は一致していた。だから彼らはそのための準備を整えてきたし、入念な準備を経て策定された戦争計画に従って共和国の首都を占領してみせた。だが、屍山血河を築いた果てに首都を占領したとき、共和国の首都はすでにほかの都市に移されていた。
同盟の国力は限界に達しているようにみえた。世界各国は三ヵ月以内に、共和国の反撃で同盟の命脈は尽きるだろうと予想した。だが、そうはならなかった。
共和国が予想以上に戦下手で、同盟がはるかに戦上手だったこと。双方が繰りした多数の新兵器への対策に(後知恵で見るならば)双方が必要以上に時間をかけたこと。これらは戦線を膠着させる十分な理由になった。
輝度を最低に落としたレーダースコープには、しかし同盟空軍の大型輸送機がはっきりと映っていた。
「かわいそうに」
PAI―共和国航空工廠製F-4RNディーゴ夜間戦闘機のタンデム配置のコックピットの後部、RIO―レーダー迎撃士官のシートに身を沈めたニール・マーカム中尉は、単機で戦線後方までの飛行を命じられた同盟軍輸送機のクルー達に同情した。
四発重爆撃機を改造したというその輸送機は確かに大きなペイロードを持ってはいたが、いかんせん無理に太くした胴体は空気抵抗の大幅な増加を招き、最大速度と運動性に深刻な影響をおよぼしていた。
もちろん、黒色迷彩まで施された輸送機を夜間に肉眼で見て取れるわけではない。だが、新兵器である機上電探の泰斗であるマーカム中尉には、素人が見ても数本の縦線と横線が描かれているだけのようにしか見えないレーダースコープの表示から、満載した貨物によって機動性を削がれ、のたくたと移動する様子が手に取るようにわかった。そんな彼らに、自分の乗る夜間戦闘機を振り切って生きて基地に帰る術はない。
「FOXBAT-01 TOP DOG BOGY R70 C190 S250 over」
「Roger, R70 C190 S250」
マーカム中尉の120センチ前方、45センチほど下方にあつらえられたパイロットシートに座ったジム・ベンソン大尉が空中警戒管制機、コールサイン「トップドッグ」と最後の交信をしていた。ことあとは任務を遂行し終えるまで無線は封鎖される手はずになっていた。任務とはもちろん輸送機の撃墜である。
戦線が膠着状態に陥ったといっても、それは共和国軍が開戦当初の場当たり的な常備軍の逐次投入から立ち直り、戦時動員によって戦力が回復するまでの話だった。開戦から半年が経とうとするころには、無駄はあるかも知れないが大兵力に支えられた堅実な手順を踏んで反撃にでた共和国の前に、同盟は次第にその戦線の縮小を余儀なくされていく。同盟政府がいくら「戦略的後退」と言い換えたところで、自らの望まぬ後退を強いられているわけであるから、どこかで齟齬も出てくるし計画も遅延することがある。
たとえば、メデイアの北40キロの山岳地帯で共和国の包囲の輪に閉じ込められた同盟陸軍第27軍集団5万5000のように。
それは座視できるような数ではなかった。
4基のTP-22ターボプロップが悲鳴を上げて最高出力を絞り出している。
しかし、原形となったB-10「フライングフォートレス」が軍用機らしからぬスマートなスタイルで380ノット…700キロ近いスピードを出すのに比べ、その改造輸送機型「フライングファットマン」は積載状態の経済巡航速度で200ノット程度、スロットルをMAXまで押し込んでも250ノット強でしかない。この鈍足では一度、敵の戦闘機に見つかったらまず助かる見込みはない。そのため、輸送機型にもかかわらず爆撃型と匹敵する…正確には胴体下部を膨らませて貨物室を設置した際に下部銃座が省略されているが…対空防御火器が備えられていた。だが。
「アテになんかなるかよ」
胴体左側面銃座のエイビス・コリンズ伍長はインカムを介さず、直接大声で右側面銃座のジュリオ・タグルム上等兵に話しかけた。機体に五箇所ある対空銃座の中で、機長にみつからずに無駄口を叩ける部署はここしかない。
「この夜中に50口径の単裝の豆鉄砲でなにができるってんだ。こんなもん積むぐらいなら護衛の夜戦でもつけりゃいいんだ」
「でも敵さんの夜戦のレーダーは優秀らしいですよ。夜間航法も満足にできないようなうちのトリ目の夜戦部隊じゃ話になりませんよ」
同盟空軍の夜間戦闘機部隊は、共和国の同種の部隊の足元にも及ばないことをダグルム一等兵が指摘した。たしかに機上レーダーまで実用化した共和国軍に比べれば、黒色迷彩を施しただけ、航法手段は計算尺、敵機の捕捉手段は探照灯に照らされた敵機を肉眼で探すのがせいぜいなのに夜間戦闘機でございと言われても、頼りにしようなど思いもよらない。実際、その夜間戦闘機は夜間航法能力を筆頭に様々な能力が不足しているからこそ、輸送機の援護ができない。彼は当たり散らす対象を変えた。
「ちくしょー、さみいな。くそったれめ」
「伍長、そんなこと言うとますます寒くなりますよ…」
真冬の真夜中、高度3000メートルを鈍足とはいえ400キロ以上の速度での飛行である。雲が高いために氷結こそ免れているものの、構造上吹きさらしとなった銃座で帰投するまで機銃にかじりついていなければならない。これじゃいくら言論の自由と引き替えと言ったって、高すぎる…。
コリンズ伍長の舌は寒さのために滑らかさを失い始めていた。
共和国に包囲された第27軍集団の参謀たちは、補給の途絶えた状況から包囲を突破するために自軍の戦力の整理を始めた。動かしていれば三時間おきに燃料の補給が必要な重戦車群は防御線にそって地中に埋められて即席のトーチカにされ、全力射撃時には一分間に30トンの弾薬を斉射する砲兵師団は脱出戦の支援のために弾薬の節制につとめた。
同盟陸軍は第27軍集団救出のための戦力の編成にかかったが、戦線の全域で後退戦が演じられている中で戦線突破能力のある強化師団の抽出は困難をきわめた。増強された戦車、砲兵部隊が強化師団の強化たるゆえんだが、これらはそのまま戦線のほころびを直す強力な火消しとして重用されており、各方面軍の将軍達も出し渋ったのである。
待ちに待った救出作戦の決行日が第27軍集団の参謀達のもとへ届けられたが、それは彼らを愕然とさせた。
決行は十日後。
どうやったら十日も補給切れの軍集団を維持できるというのか。軍集団全体で日に400トン、糧食だけでも一日に最低50トンからの補給物資が必要だというのに…。
マーカム中尉がレーダー士官をつとめる新型夜間戦闘機は、開戦前に次期主力戦闘機として競争試作された双発プロペラ推力式のディーゴ戦闘機をベースとしている。FXの座を、エンジンにタービンロケット…共和国ではジェットエンジンをそう呼ぶ…の単発を採用したデイジーに奪われ、一時はお蔵入りが決定していたが、夜間戦闘機用の機上電探のプラットフォームを探していた開発軍団がデイジーより機体容積に余裕のある本機に目をつけたことから、レーダーを搭載した本格的な夜間戦闘機として就役することとなった。
エンジンがレシプロであることも信頼性という点で幸いした。本来はタービンロケットのほうが部品点数が少なくなるだけ信頼性が高くなるはずであったが、耐熱合金やその加工の知見の不足が、理屈をひっくり返した。レーダーの故障以外の理由で出撃を取り止めることがまずないからである。
「0ー2ー0に感あり。距離50」
ベンソン大尉にコースを指示する。
機首の4門の30ミリ機関砲が軽やかに動作し、機体が震える。ベンソン大尉が機関砲の試射を行ったのだ。マーカム中尉はそのマズルフラッシュを複雑な想いで見ていた。
ディーゴの夜戦型は試作機まで入れても全部で20機しかない。レーダーセットの生産が追いつかないせいだ。機数が少ないのだから本来ならば全機が首都に集中配備され、同盟軍の重爆撃機の夜間迎撃の任にあたらねばならないはずであるし、また、そのためにディーゴは開発されたのだ。にもかかわらず、その最新鋭機が、どうみても役不足な輸送機の迎撃任務に就いている。
彼は機上レーダーについて空軍術科学校で正規のカリキュラムで学んだたった一人の人間である。より正確を期すならば、正規のカリキュラムを策定するために工科大学の電気科を卒業した技術士官の中からパイロット選抜をくぐり抜けた前後3期で唯一の技術操縦士官である。共和国空軍は彼を使ってレーダー員の教育シラバスを策定しようとしていたが、開戦がすべてをご破算にした。
贅沢に金と手間をかけたレーダー員の教育を行う余裕などこれっぽっちもなくなり、レーダーの機上操作ができるだけというオペレータを確保するのにも手一杯となった。防空コンプレックスにおけるレーダー夜戦の戦略的位置づけから始まり、レーダーや弾道計算機といった電子機器の構造や運用、そもそもの電波の輻射や反射の理論だのに加え、防空迎撃を行う地上局からの要撃管制や対爆撃機襲撃を行う戦闘機の機動まで把握しているパイロット資格保持者は、共和国広しといえ彼しかいない。
共和国の防空能力を向上させたいなら、脅威度が低い対象に出撃させるよりも戦時速成のオペレータをマシにするためのマニュアルの一冊でも書かせたほうが余程効果があると彼自身、考えていた。
「くそっ」
マーカム中尉は口の中で小さく毒づいた。対象はふたつ。自分をこんな後味の悪い任務に就けた共和国空軍の上層部に。もうひとつはパイロット達の命を無駄に棄てているとしか思えない同盟空軍の上層部に。
交戦距離に入るまであと四分弱…。
同盟軍とてパイロットの遺族に年金を出したくてこの計画を立てたわけではない。無論、彼らもディーゴのことは知っていた。首都爆撃で否応なしに知ったことではあるが。
その大損害の過程で判明したのがディーゴは稼働率が非常に低いという事実だった。原因はその最大の武器であるレーダーのデリケートにして複雑な電子機器にある。ディーゴのレーダーは異常がないことを確認するだけで40マンアワーを必要とする。これは五人がかりでやっても一日仕事になることを意味し、故障が発生すれば必要マンアワーは倍々で増えていく。
もちろんマンアワーの問題であるから整備員さえ十分であれば人海戦術で対応できることでもあるが、その整備員の数が根本的に足りていなかった。戦時に規模が拡大し、定員の半数以上を占めることになった徴兵された整備員でも扱えるようにする配慮が、設計からすっぽり抜け落ちていることに原因があった。
ディーゴに搭載されているのは単なる捜索レーダーではない。早期警戒機や防空指揮所からの要撃指示をデータリンクとして自動操縦装置に入力し、目標を探知すれば会敵コースを算出し、接敵すれば測距モードで照準し、機関砲の射撃においては弾道計算を行うアナログコンピュータのコンプレックスである。そして各要素が別個のモジュールではなくシステムとしては単一であるということが整備上の大問題となった。システム全体を理解していないと、故障判定さえままならないのである。
戦後、アビオニクスという概念がまとめられ、機能ごとに分割したモジュールを機体から取り外して(そう、機体に組み込まれた状態でなければ通電さえできなかったのだ)地上施設で検査できるように改良されることで稼働率は飛躍的に向上するのだが、無線機以外は計器盤の照明用豆球しか電気を使っていなかった時代の規定のままで振り分けられた少数の整備員が、限られた「電気屋」として奮闘しているのが実情であった。
同盟軍がレーダー…当時の共和国軍では他に同種の装置が無いため、単にレーダー、あるいはディーゴのレーダー、だけで通じた。型番がついたのは戦後のことである…のスパゲティのような構成や整備員の養成状況まで理解していたわけではないが、経験則からディーゴが二日に一回しか出撃できないことは把握していた。
ここで同盟軍統合参謀本部は人の心を忘れた損得勘定を始める。偵察機の航空写真の解析によってディーゴが首都を中心に4箇所の飛行場に分散配置されていることは判明している。このうち、第27軍集団が包囲されたメデイアを作戦行動半径に収める夜間戦闘機は4機程度。ディーゴの稼働率から察するに一日に2機以上の出撃はあると思えない。
ならば、夜間にディーゴの滞空時間内には1機しか捕捉できないように(ディーゴの滞空時間は戦闘機としては極端に短い。レーダーの搭載によって燃料タンクの容積が原型機と比較して半分近くまで削られているためだが、共和国空軍は迎撃機という任務の性格上、問題にはならないと判断した。そもそも数機の実験機しか作る予定が無かったものが戦争であわてて追加生産したものであり、戦時の間に合わせに贅沢を言う…開発に時間をかけた実用機を作る…余裕そのものがなかった)十分に時間的、距離的な間をおいて輸送機をつぎつぎに送り出せば日に2機、悪くても4機以上撃墜されることはないだろう、と。
参謀本部は第27軍集団が戦闘能力を維持するためには最低、日に200トンの空輸が必要であると判断した。
空輸軍団の保有する大小様々な輸送機のうち、共和国対空陣地を迂回して包囲部隊に到達できる航続距離を持つものはB―10の改造輸送機型「フライングファットマン」の48機。
長距離ペイロード20トンの本機が一日に200トンの物資を運ぶとすれば、一晩に10機が出撃すればいい。それになにも決死の自殺行というわけじゃない。離発着が夜間帯になるが薄暮、黎明であれば護衛機も飛ばせる。共和国の首都を爆撃したときだって損耗率は1.75パーセントだった。最悪、日に2機づつ撃墜されても十日で20機。兵力5万5000の軍集団を救出するためならば十分にペイするじゃないか…。
こういう説明をされて納得するのは職業軍人をやっている士官だけだ。召集兵であるトマス・ニーマン一等兵には作戦の意義だの空輸軍団の名誉だのといわれても関係がなかった。ただ自分の命がかわいいだけだ。
だが、召集令状がきたときに彼の友人がしたように逃亡するという考えはなかった。彼には家族…それも病人の父がいたし、召集先が空軍というのも、小銃一丁で突撃させられる歩兵とくらべれば、生きて帰ると言うことについて、天と地ほどの差があるように思えた。なにより召集兵家族の優遇制度で病気の父を入院させてやれるのは、大きかった。戦争で福祉予算はひどく削られていたからだ。彼の実家のあるクァンタム市の軍の広報官は父親の介護について請け合うと言明した。
もっともだからといって、この件に関して彼が政府に大して感謝をしているわけではない。そもそも彼は卒業までの徴兵免除が認められていた学生だったのだ。
「要は、弱い奴ほど割を喰うってことじゃないか」
ニーマン一等兵は、政府のそういった善人面で人を従わせるやり方が大嫌いだった。
そのときだった。インカムに雑音混じりの声が入る。
「キャラバンゼロ・フォー…イーグルアイ…インターセプター…コース0ー2ー0…レンジ20…気をつけろ、ボギーはレーダー発振中」
味方のレーダーサイトからのその声は、敵のレーダー夜戦が出撃した事を告げていた。
「目標捕捉、レーダーロックオン」
「ラージャー」
ベンソン大尉が返事をする。機体はまもなく目標と交差する。数十秒後には、30ミリ機関砲に穴だらけにされ、墜落する輸送機が見れるはずだ。マーカム中尉はレーダーのレンジをミニマムに切り替えた。
これで機載レーダーは最大探知距離が10キロになるかわり、対象物を50センチ単位で捕捉する。これにFCS―火器管制装置―の半自動攻撃モードを組み合わせれば、パイロットがなにもしなくても自動操縦で機関砲の射程まで接敵することもできる。もっとも、マーカム中尉に言わせればディーゴのオートパイロットは「二人羽織のよう」な操縦感覚で彼の好みでないらしく、口頭での指示でベンソン大尉が手動で操縦していたが。
「接近率が高すぎる…よし」
マーカム中尉の指示で目標との相対速度が50ノットに保たれる。これで機関砲のミニマムレンジをブレークするまでに目標を十何秒か有効射程内に収めることができるだろう。輸送機に致命的な命中弾を与えるのに十分な時間である。
「300で射撃開始…」
マーカム中尉がそこまで言ったとき、レーダースコープに異常な電波反射が現れた。
それは、目標の輸送機から発生し、拡大し、数秒後には、輸送機を見分けることができなくなった。
チャフだ…。
レーダー欺瞞用のアルミ箔をばらまかれたためディーゴは迎撃進路からいったん離脱して、チャフ雲を回避せねばならなくなった。
「さすがに前のように奇襲ばっかりってわけにはいかなくなりましたな、旦那。左旋回」
ベンソン大尉が気負いを感じさせない声で言った。
飛行においてパイロットが得る情報のすべてを計器にたよる夜間戦闘機は昼間戦闘機のようなアクロバティックな飛行をすることはなく、その攻撃行動はむしろ爆撃機に近い。宙返りでもとの射点につくなどということはできない。航空機としてのディーゴは7G制限のまごうことなき戦闘機だが、搭載されたレーダーのほうは3Gでもヒューズが飛んでしまう。
この七面倒な、しかし正しく運用する限りにおいては視界の有無を問わない夜間戦闘機のパイロットとして、ベンソン大尉は相方であるマーカム中尉に絶大なる信頼をおいていた。
実のところ、共和国夜間戦闘機隊が撃墜した同盟軍爆撃機の半数はベンソン/マーカム組の戦果である。配備数20機前後、搭乗員が30組に届かない中で重爆撃機のトリプルスコア、そのうち8機が一晩での戦果というは統計的におかしいくらいだが、ベンソン大尉自身は当然と思っていた。
マーカム中尉は戦闘機を降りて開発職としてレーダー夜戦の戦力化に専念したいようだが、とんでもない。マーカム中尉が開発に戻って機材の改良や訓練体制の改善に取り組んでも、その成果がでるまでに1年2年の時間は簡単に経過する。どう考えてもこの戦争に間に合わない。多少、レーダー員の腕がマシになって戦果が増えたとしても、マーカム中尉が現場に残った場合に優るとは思えない。
ベンソン大尉は実際に他のレーダー員とペアを組んだこともあるが、目標の失探くらいはかわいいもので、レーダーが正常に動作していても誘導を間違えたり、操作ミスから真空管を破損させることも珍しくはない。練度向上、あるいは養成体制の構築に年単位の時間がかかると判断させる程度の技量なのだ。そしてパイロットもお世辞にも褒められたものではない。現在のところ、夜間戦闘機ということで戦闘機からの転科組が充てられているが、一旦離陸すれば一人で仕事すると思っている単座機出身者は未熟なレーダー員をバカにする傾向が強いくせに、そもそも自分が何を載せて飛んでいるのかを理解していない者が多すぎる。甚だしきはベンソン/マーカム組の戦果を虚偽だ誤認だ他者のを奪ったと陰口を叩くものまでいる。もちろんそんなことはない。マーカム中尉は航法情報から射撃した時間まで記録をとっている。墜落現場で残骸を確認しているのだから撃墜記録はみな確実戦果で、戦後に同盟軍の記録が公表されるようになれば撃墜不確実、撃破分から何機かが撃墜に格上げされると彼は思っていた。
だからベンソン大尉は、マーカム中尉の希望を知った上で彼を現場に留めるよう上層部に強く進言していた。制度上は部下となるこの年上のレーダー員は、実質的にはこの戦闘機の機長で、この旦那が自分の仕事をしている限りベンソン大尉のスピード昇進は保証される。今現在でさえ同期ではぶっちぎりのトップで、退役時の階級は将官は確実だ。戦争英雄にはそれだけの価値がある。
しかしマーカム中尉は技術士官ということで昇進基準に撃墜戦果が加味されない。そこが自分のような兵科将校との違いだ。本流の技術士官にしてみれば、現場で戦闘機に乗るマーカム中尉などオペレータ養成の手法を模索する上での毛色の変わったモルモット程度の扱いで、戦後に開発に戻ったところで出世レースでは同期には置いてけぼり、退役当日が昇進日付、恩給に色がつきましたという営門大佐がせいぜいだろう。
だからベンソン大尉は、自分の出世の原動力でありながら彼の栄達という意味では気の毒な立場に置かれたマーカム中尉が、せめて気分よく仕事できるよう配慮していた。動機に不純なところがあったとしても、彼を尊敬しているのは事実なのだ。
「くそっ」
「まあまあ、焦らず行きましょうや」
舌打ちするレーダー士官を宥めるパイロットの手によってディーゴは再び襲撃進路をとるべく、半径数キロの、戦闘機としてはひどく大きな弧を描いて旋回を行った。
「やった! ひっかかった!」
機長の歓声がヘッドホンの中に響く。ただの輸送機に後方警戒レーダーなどというものは無いが、ESMを使うことで電波の強弱や方位からレーダー夜戦の接近や離脱程度は把握できる。敵機がチャフ雲を避けて針路を大きく変えたことに、機長は無邪気にはしゃいでいた。
だが、ニーマン一等兵は何ら楽観的な観測を抱けなかった。彼は三ヶ月の防御射撃訓練で単機での対空射撃の無力さを気付かされていたし、かつて共和国の首都爆撃に参加した爆撃機の後部銃手たちから、正確にこちらの位置を把握するレーダー夜戦の怖さを厭というほど聞かされていた。勘だけでばらまいたチャフが効果があったといっても搭載しているのは一回分こっきりだ。せいぜい数分の時間稼ぎがいいところだろう。
後ろ向きに座った彼の背後でエンジンが悲鳴をあげていたが、追手の速度との差は絶望的だった。そしてその牙の前に真っ先にさらされるのが彼だった。彼は暗闇に目をこらしたが、数キロか、十数キロ先でチャフを回避しているはずのディーゴを見付けることはできなかった。できるわけもなかった。
ベンソン大尉はレーダー士官の指示に従って会敵位置へと機体を導いていった。
「目標は?」
「あと二分で接敵予定…」
輸送機は追跡を逃れようと小刻みな進路変更をしていたが、あまり効果はなかった。目的地が決まっており、共和国軍の対空陣地を避けるために事前に設定されたコースから外れることもできず、輸送機は程なく追い詰められていった。後席のレーダースコープ上では、輸送機を示す反応が急速に近付いていた。マーカム中尉は正面を見据えたがやはり何も見えなかった。
前席のベンソン大尉は、より多くの情報を表示することで戦後にヘッドアップディスプレイと名付けられることになる光学照準器の表示に従って機体を操っていた。もっとも、後世のそれに比べると表示される情報は限られる。機関砲射撃に必要ないくつかのデータだけで、ピッチさえ計器盤の水平儀を見直さなければならない素朴なものだ。
「目標捕捉」
ハーフミラーにレーダーの情報を処理した四角形のボックスが現れた。ボックスはパイロットから見た輸送機の位置を表示するが、肉眼では輸送機見えるわけもない。ベンソン大尉はボックスと機体の進行方向を示すステアリングドットを合わせるようにして目標に接近する。
照準器の右側には目盛りがひとつだけ付けられた縦に長いIの字のインジケーターがあり、短い横棒が下方に移動することで接近率と距離を示していた。接近率は航過する際の射撃可能時間と関連する。速すぎれば射撃可能時間が短くなり、かつ集弾が甘くなる。遅ければ対空銃座の反撃が容易になる。将来的にはパイロットが判断するようになるのであろうが、現状はレーダー士官が接近率を指示していた。
横棒が目盛りより下にくれば、機関砲の射程内となる。目標との距離が1キロを切ると弾道計算された機関砲の着弾点を示すピパーと呼ばれるサークルが活性化される。これはステアリングドットと重なっていたピパーがいきなり照準器の下方に跳ねるように移動することで判別できる。いきなり下に移動するのは、遠距離での弾道が後落が大きいからだ。30ミリ航空機関砲は、射撃時の反動を機体強度以下に抑え、機銃本体と弾薬の重量を落とすため、発射薬の量が減らされた短い薬莢を使っている。そのため初速は600メートル程度でしかない。以後、目標に接近するにつれて後落量は減り、ピパーは中心へと移動していく。
ディーゴのレーダーはピパーとボックスが合致し、かつ設定された有効射程内であれば自動発砲する機能があった。30ミリ機関砲の発射速度は毎分380発、1秒間に4門で24発程度の射撃速度を持つ。自動発砲機能は2秒を一単位として(珍しくもない排莢不良がなければ)10回の射撃が可能な一門あたり125発、計500発を搭載していた。
機関砲の引鉄さえ機械任せにするのはやり過ぎなのではないかとベンソン大尉は考えていたし、戦闘機乗りの気質で言うなら何でも極力手動で行うのが美徳ではあったが、重爆撃墜に必要な所要弾数の見積もりや、それを達成するための一航過あたりの発射弾数、ソーティあたりの襲撃回数を決める砲弾の搭載総数の決定にはマーカム中尉も関わっている。であるならば、マーカム中尉の技術屋の流儀に合わせるのが筋だとベンソン大尉は考え、自動発砲機能をオンにしていた。
「発砲する」
ベンソン大尉が告げた。インジケーターが有効射程内に入る瞬間にピパーをボックスに重ねておくのは何かと機械任せ、レーダ士官任せになるディーゴの操縦においてパイロットの技量が問われる数少ない部分でもある。機首から曳光弾が虚空に走るのが見えた。マーカム中尉は射線の先で何かが光ったように見えたが、直後にベンソン大尉がブレイクを宣言し退避行動に移ったため、それ以上のことはマーカム中尉には判別できなかった。
レーダー管制射撃のような精度があるはずもないが、それでも接近してくるのがわかるだけマシというものだ。ニーマン一等兵は、消灯状態だった光学照準器の照星の輝度をわずかに上げると、ESMを扱う航法士の助言をたよりに電動のターレットを作動させ暗闇に銃口を指向した。
奴らは真後ろの少し上方につけてから300で射撃して、右か左の下方へとブレイクする。首都爆撃の生き残りが言ったことが本当かどうかはわからないが、それが事実であれば銃弾の後落や左右の修正は必要無いことになる。後部銃座には距離によって銃弾の後落を計算するジャイロ式照準器がついていたが、ニーマン一等兵はダイヤルを最小距離にセットした。地上戦で陸軍が使うときは有効射程2キロと扱われる重機関銃だ。300メートルでの弾道低下など30センチも無いのだ。
墨を流したような夜空を睨みつけていると、不意にマズルフラッシュが、ぽつんと、あらわれた。距離感はつかめなかったが、相手が発砲したということはつまりこちらが必中距離にいるということだ。ニーマン一等兵は、直接射撃でマズルフラッシュを撃った。速度も、裝甲も頼りないこの輸送機で、対空機銃の銃声と反動だけが心強かった。だからニーマン一等兵は照準偏差ゼロのまま、引き金を引き続けた。
側面銃手のコリンズ伍長とダグルム上等兵はディーゴの接近する様を、だんだん高くなる航法手の悲鳴で把握することができたが、いかんせん敵機のいる真後ろが側面機銃の完全な死角になっている以上、彼らとしては手も足も出なかった。
航法士の悲鳴がピークに達するのと後部銃座が発砲したのとは、ほぼ同時だった。そしてその直後に機体のそこいらじゅうが、まるでハンマーで叩かれているような音を立てると、激しい振動と機長の行った急旋回で二人とも立っていられなくなった。
コリンズ伍長は急に風が増えたような気がしたが、それ以後の記憶は失われてしまった。
ベンソン大尉は対空銃座の射撃が存外正確であることに驚きを覚えたが、ディーゴの防弾性能を信用していた彼は、気にもしないで軽く右へひねるようにして機体を離脱させた。
ニーマン一等兵が四連装機銃を猛射すると同時に、彼の背中から…胴体や主翼から、被弾による衝撃音が立て続けに響いた。夜間排気管でも隠し切れない排気炎から、レーダー夜戦は彼から見て左手、機体の右側下方に離脱したのがわかったが、モーター駆動の銃塔で追随しきれるわけもなかった。射撃の間、彼が(かすかに)期待していた爆発や火災は起こらなかった。
その直後、彼はめまいに襲われたような気がした。その原因を確かめる術もなかったが、もし、夜空に星があれば、彼は自分の乗機が急に角度を変えて地上に向かっているのが判ったはずである。
被弾の衝撃のなか必死に身体を支えたダグルム上等兵は周りを見回したが、コリンズ伍長の姿は彼が寄り掛かっていた機体側面の外板ごと消えていた。機体は激しい震動に見舞われており、インカムからは機長の「投下、投下、投下!」と狂ったように叫ぶ声が聞こえていた。
彼が知るよしもなかったが、30ミリ砲弾は7発、被弾していた。この時点で左翼内側の二番エンジンがマウントから脱落し、右翼外側の四番エンジンは漏れた燃料が発火していた。エンジン火災は自動消火装置によって鎮火したが、燃料をカットされたエンジンは停止した。しかしピッチがフェザーに設定されていないプロペラが回転し続けたことからシャフトとギアボックスが悲鳴をあげており、プロペラが吹き飛ぶか、ギアボックスごと脱落するか、命脈は数分と言ったところだろう。主翼は強靭な桁構造のおかげでまだ形を保っていたが、いつちぎれ飛んでもおかしくない状態で、手榴弾なみの重量と炸薬量のある通常弾を撃ち込まれた上方銃座は、銃手ごと粉砕されていた。
二階建てとあだ名された機体構造の下側、ダグルム上等兵にとっての床下にあたる貨物室から、重量物がごろごろと動く気配が伝わってきた。一瞬、彼は輸送機においての重大な不幸のひとつである荷崩れが発生したのかと青くなったが、そうではなかった。機長は20トンからの糧食をはじめとする重量物を後部ハッチから投棄していたのだ。貨物の空中投下は速度、高度、飛行姿勢と安全規則が山ほど定められていたが、大口径機関砲弾を立て続けに被弾して絶賛墜落中である以上、生存に勝る規則は無い。
本来は銃手兼任のロードマスターの配置と安全確認が必要な後部ハッチをリモートで開いた輸送機は、電磁ラッチを開放すると絶対禁止の機首下げの姿勢のまま貨物の減速パラシュートを繰り出した。本来は耐える必要のない荷重に耐えたパラシュートとワイヤーによって、10個の空中投下コンテナは次々に輸送機から引き出された。
機体をばらばらに引き裂くのではないかというほどの震動が、不意に弱まった。飛行姿勢も安定している。ダグルム上等兵は一瞬だけ考えを巡らしたが、意を決するとコリンズ伍長の消えた破孔から身を踊らせた。
輸送機への銃撃を終えたディーゴは目標からブレークすると旋回しつつ高度をとった。マーカム中尉はそのあいだレーダースコープを通して目標を監視していた。ベンスン大尉によると、銃撃直後に火災が認められたが炎はすぐに消えたという。だが、レーダーは輸送機の降下率は毎分400メートル以上と表示している。すると、スコープ上に変化が現れた。
「目標は貨物を投棄したようだ。依然降下中」
輸送機から複数の電波反射が分離する様子をベンソン大尉に説明した。輸送機の降下率は鈍化し、針路も多少は明確になった。しかし、この周辺は海抜一千メートル近い山地だ。レーダーは同時に目標追跡と地形走査ができない。彼はレーダーのモードを切り換えて対地高度の計算を始めようかとコントロールパネルに手を伸ばしかけた。だが、そうするまでもなかった。
銃撃の直後から、ニーマン一等兵は銃塔内に持ち込んだ雑誌やら弁当やらと一緒に彼自身も重力に翻弄された。胃袋の中身が逆流しかかった彼のインカムには、操縦室の将校たちが自分より上の立場の者―上官や司令部や神を―罵倒する声が聞こえてくる。
不意に、機体の異常震動と上下感覚の喪失がおさまった。
「貨物を投棄した…だがもうだめだ…はやく脱出するんだ! いいな!」
それが機長の最後の声だった。脱出したのだろう。それまで切れ切れに聞こえていた他のクルーの声も消えていく。
重力を取り返したニーマン一等兵は吐き気を飲み込むと手早くシートベルトを外し、這いずるようにして銃塔から身体を抜いた。そのとき、ばんと大きな音がして機体が傾き始めた。左主翼上面の外板が被弾のために剥離して機体のバランスを崩し始めたのだ。ニーマン一等兵がそこまで詳しく把握しているわけではなかったが、それでもはっきりわかることがある。もう時間がない。
あわてて脱出ハッチに進もうとした彼を引き止める物がある。パラシュートのストラップが銃塔の駆動部のギアに食い込んでいた。
深呼吸をひとつ。スボンの左足のポケットからナイフをとりだす。ギアに噛んでいるのはストラップの余りだから、切ってしまっても実害はない。ナイロン繊維にナイフの刃をぐりぐりと押し付けて、ぷちぷちと繊維を断っていく。最後は引きちぎるようにして身体を解放する。脱出ハッチまで2メートル。警告と注意書きが書かれた封印を破りノブをまわす。圧搾空気の音とともにハッチがスライドする。
間髪を入れずに飛び出そうとした彼の目の前に、木々の梢があった。
下方で爆発と思しき炎があがった。
「FOXBAT-01 TOP DOG BOGY was SPLASHED over」
「ROGER FOXBAT-01 RETURN TO BASE」
マーカム中尉を乗せたディーゴは緩く旋回すると、基地への帰途についた。
「イーグル・アイより在空中のキャラバン全機。ボギーは帰投コースに入った。繰り返す、ボギーはお帰りだ。今夜は安心して仕事をしてくれ…」
おしまい