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Boronia 3


 翌日。

 トイレを済まし、水洗いのために痛みを感じるほど冷たくなった指先を温めつつ、高雄は図書室へと戻ってきた。

 無論、急ぐ必要など微塵もない。今日もこうして図書委員として貸し出し係を務めてはいるが、来訪者など皆無。本を借りたり読みに来る生徒どころか、司書教員すら来ないという状況。張りきって取り組む方が馬鹿らしいというものだ。


「ようタカ。遊びに来てやったぞー」


「昨日の今日でまた来たの……」


 扉を開けた先に居たのは来訪者。ただし読書の「ど」の字もない、発言通り本当に遊びに来ただけの榛名であった。そして片手には当然と言わんばかりに食べかけのハンバーガーが握られている。


「なんだよぉー……いつから図書室は『葛城榛名お断り室』になったんだ?」


「そういうワケじゃないけどさ……いいの? 生徒会の方は」


「あぁ、なんか会議してるよ」


「……またミユキが怒り狂って探しに来るぞ」


「へへっ。今日は秘密兵器を持って来たのだ……見ろコレ」


 半分以上は残っていたハンバーガーを軽くたいらげ、自信満々といった表情で彼女はそれまで耳を覆い隠していた長髪を捲り上げる。覗き出た綺麗な首筋に高雄は少しだけ心拍数が上がる感覚を覚えたが、次の瞬間には彼女が自信を持って見せびらかしたソレに気付き、軽く呆れていた。


「……なんだそれ」


「見てわかんねぇか? あたいが発明した、『ミユキ撃退兵器第十八号』だ!」


「……はぁ」


 高雄は生返事するしかなく、あらためてその兵器とやらを見つめた。彼女の両耳をガッチリと挟んでいるそれは、本来なら洗濯物を干す際などに使用される留め具。いわゆる『洗濯ばさみ』というやつだ。

 もっとも目の前のそれには、セロハンテープでいくつも画鋲が貼り付けられており……まるで小さなハリネズミのようである。


「……何をどう思ってこんな物を?」


「あいつ、いつもあたいの耳引っ張って連行するだろ? つーことでこの兵器の出番ってワケだ。何も知らずに耳に手をかけようとしたら……トラップ発動! プスリってカンジで」


「……たぶん、ミユキなら触る前に気付いて「自分で外しなさい」でお終いだと思うけど……っていうかすでに耳が痛いんじゃないかそれ」


「痛ぇよ?」


「……外したら?」


「そーだな……仕掛けるのはあいつが来てからでもじゅうぶ痛っえええぇぇぇっ!?」


 策士、策に溺れるとはまさにこのことであろう。

 彼女は自分で仕掛けたトラップに見事にはまってみせた。言っていた通りまさにプスリと。


「そんなに画鋲だらけにするから……」


「ふ……ふふふ。これでこの兵器の破壊力は証明されたな。イテテ……」


 指の腹からプクリと滲んだ血を舐めとり、今度こそはと慎重に外しにかかる。だがほとんど隙間なく貼り付けられた画鋲の針山を避けてそれを取り外すのは困難を極め、ついに力ずくで――はじくようにして無理矢理取り外した。もちろんそれはそれで耳に痛みは走るのだが。


「――うおぉぉっ! 外すのも痛ぇぇっ!?」


「当たり前だよもう……」


 馬鹿馬鹿しく、されど彼女らしい感情豊かなリアクションに高雄は再びため息を吐き、適当な本を選んでカウンターの内側へと腰掛ける。

 しかし縦横無尽というか、切り替えが早いというか。両耳を押さえて痛みに声をあげていた榛名は、次の瞬間にはオセロ盤を手に嬉々とした表情で近付いてきていた。


「さーて。遊ぼうぜ」


「あのさ……ここ一応図書室。本を読む場所なんだけど」


「硬ぇこと言うなってば。あたいが黒な。たしか黒が先行だよな?」


「そうだけど……っていうか人の話を」


「んじゃあまずココな」


「……いきなりカドを取りやがりますか」


 オセロの神様――もしそんなものがいれば泡を吹いて卒倒するか、火山のように怒り狂うかの二択であろう。真っ向からルール全否定な初手である。もちろん当の彼女に悪気は無いのだが。


「ふっふっふ。まさに『神の一手』ってやつだな」


「『神さまも激怒する一手』の間違いだろ……っていうかそれルール違反だからさ」


「んだよメンドくさいな……じゃあ黒い駒だけにして勝負すっか」


「どっちが自分のか分かんないだろそれ……あ」


「……なんだよ? なにをポカーンと――おぉ?」


 まるで夫婦漫才。そんないつもの会話に興じていた二人であったが、突発的にその状況に変化が生じた。来るはずなどないと思い込んでいた、図書室への来訪者の登場である。

 それは榛名を連れ戻しに来た深雪でも、ましてや滅多に来ない司書教員でもなく。


「どうも」


 昨日の放課後、図書室前で高雄が衝突した少女――中等部の女生徒、その人であった。


「あ――昨日の」


「なんだ。タカの知り合いか?」


「いや、そこまでじゃないかもだけど……」


 出入り口の扉を後ろ手に閉めたきり、微動だにせずちょこんと立ち尽くすだけの、その少女。何か興味深いものがあったのか、やや鋭さのある眼差しで高雄と榛名を見据えたきりその視線を動かそうとはしなかった。その表情は昨日と同じく、まったくの無表情で。


「質問させていただきたいのですが」


「は、はぁ……何でしょう?」


 高雄が思わず畏まった返答をしてしまったのも無理はない。その少女が発した言葉は丁寧なことこの上なく、しかし抑揚の感じられない、およそ感情というものを溶け込ませていない声色であったからだ。よくできた機械音声のそれに近いかもしれない。


「中等部の生徒がこの図書室を使用することに、何か問題はありますか」


「え――えっと……ど、どうなんだろ?」


 淡々と必要な言葉だけを紡ぐその声、その雰囲気に、高雄は面食らったような感覚を覚えた。そもそも本来の利用者であるはずの高等部の生徒すら全く利用していない図書室である。そのような質問が来ることも、そんな状況が来ることも、一切予想出来ていなかった。


「……いーんじゃねぇの? べつに」


 助け舟を乞うよりも先に――どこから取り出したのか、そもそも今何個目なのかわからないハンバーガーを口にしつつ、榛名がそう答える。それは決して英断の類ではなく、まったく悩みなどしなかったであろうあっけらかんとした返答だった。


「で、でもさ……中等部にも、図書室はあるけど……?」


「いえ。こちらの図書室を使わせていただきたいのですが」


 決してこの場所を使うなということではないが、確認の意味で高雄はそう尋ねてみた。わざわざ棟を隔てたこちらの図書室を使わなくてもいいのではないか、と。

 しかし彼女はそういう質問を予測していたのか、即座にして端的に返答をしてきた。


「そ、そう……まぁ、問題はない……よね?」


「だから無ぇってば……たとえあっても、あたいが許す」


 会心の微笑みで親指を立てる新・生徒会長。「味方にすれば頼もしい」とは、まさに彼女のことだろう。カリスマ的な人望があるのも頷ける。


「じゃあ……いいよ。ご自由に」


「どうも」


 感情が表情に表れないから推し量れないが、少女は二人に頭を下げ、ほとんど足音を立てず隅の本棚へと向かっていく。

 そんな彼女の様子を観察しつつ、二人はヒソヒソと小声で会話を続けた。


(なんなんだあの娘は……おいタカ。あんな可愛い彼女がいるんなら紹介しろよコンニャロめ)


(どこをどう妄想したら彼女になるんだよ……昨日初めて会ったばっかりだっての。名前も知らないし)


(ってことはあれか。あの娘は純粋に図書室使いに来たってわけか……いやぁ、最近の若いモンはよぅわからんのぉ)


(自分だって若いだろうが……おぉ、本を持ってテーブルについたよ。それも五冊も……)


 彼らの声は聞こえていないだろうが、それ以上にあの少女にとって高雄達など興味の対象外なのか。二人の側をチラリと見ることも無く、少女はただ手に取った本にのみ視線を向けていた。無表情のまま静かに、ただページをめくる音のみを図書室内に響かせている。


(……表情変わんねぇな)


(……それに読書家だね。かなりの)


 およそ十数分の時間が過ぎた。しかし状況は何も変わらない。高雄と榛名は尾行者のように、注視し過ぎないよう少女の様子を観察し。観察対象とされたその少女は黙々と目の前の本を読みふけっている。


(だ……ダメだわ。あたい、こういうシーンとしてピーンとした雰囲気ニガテだ……あんぐ)


(……僕だって苦手だよ。人がいるのに静まり返ってるのは耐えられな――っていうかそのハンバーガー何個目でどっから出したんだよ)


(ああ――もうダメだ……あたいは逃げる。これなら生徒会室にいた方がまだマシだ)


 静寂の中で読書に勤しむ利用者だけが居るという――図書室本来の状況のはずなのだが。咳をするのも躊躇ってしまいそうな場の張り詰めた雰囲気に、榛名は堪らず音を上げることとなった。自由人であるが故の、気安い離脱宣言である。


(ちょ、ちょっと待った――この雰囲気で、僕だけ残していくのか!?)


(オメェは図書委員の当番だろ……しっかりと務めを果たしな。骨はしゃぶってやっからさ。――じゃなっ)


(人をフライドチキンみたく言うな……っ! って、あぁ……ホントに行っちゃったし)


 孤立無援。敵はいないが四面楚歌。

 デパートのおもちゃ売り場で泣きながら駄々をこねていたら、いつの間にか親に置いて行かれていたような……寂しさと不安と戸惑いが入り混じった感情。


「………………」


 出来ることなら、榛名と同じく高雄もその場から逃げ出したい衝動に駆られていた。しかし榛名に言われた通り、彼は図書委員の当番なのだ。

 ――最低限、与えられた仕事には責任を持つ。

 そうやって生きてきた彼にとって、易々と当番活動を投げ出すことはちっぽけなその良心が許してくれない。


 仕方なく彼は散らかされたままのオセロ盤を片付け、最も近くの棚に鎮座していた適当な小説を手に取った。タイトルも作者もこの際どうでもよく、それなりの分厚さ――読み終えるまでにある程度の時間が掛かってくれる本なら、なんでも構わなかった。ただこの室内の空気から、意識を逃避させてもらうためだけに読み始めるのだから。


「………………」


 互いに、手に取った本の世界にのみ没頭する時間――図書室本来の風景となってから、およそ二時間が経過した。

 下校時刻を知らせる鐘の音がスピーカーから響く。これ以降は委員会での用事などで事前に申告し、許可されていない生徒の居残りは許されていない。

 無視しようとしても校舎を片っ端から巡回する風紀委員に捕まれば、口やかましいお説教のフルコースを味わうハメになってしまう。


「……えと、時間ですので」


 高雄は遠慮がちにそう口にした。緊張で少しばかり声がうわずいてしまったのは仕方がないだろう。なにせそんな図書委員らしい台詞を喋ったのは、これが初めてのことだったから。

 テーブルの端で数冊の本を読了し、さらに次なる本を読みふけっていた少女は彼の声を合図に席を立つ。そして積み上げていた――読み終えた本たちをテキパキと棚に戻し、読み途中であった一冊の本を手にカウンターへと近付き、抑揚のない声で一言。


「お願いします」


「……え。借りるの?」


 無表情、無言のまま。手にしていた分厚いハードカバーの本をカウンターへと差し出して少女はコクリと頷く。

 高雄が思わず、間の抜けた声で聞き返してしまったのもまた、無理もない。貸し出しの利用どころか図書室の利用すら、今までなかったことなのだから。


「え、えっと……ちょっと待ってね」


 慌ててカウンター上のノートパソコンを開き、図書室の貸し出し管理ソフトを立ち上げる。図書委員になって一年近く経つが、最初に練習で起動した分を除けばこれが初めての使用ということになる。まさに無用の長物と化していたこのソフトに、使われる日が来ようとは思ってもみなかった。

 使用方法をかろうじて覚えていたのは幸運としか言いようがない。少女から学生証を借りて学生番号を入力し、次に貸し出す本のバーコードを読み取らせる。

 緊張と少しの感動を隠しつつ、どうにか失敗なく初めての貸し出し作業は終了した。


「どうも」


 手続きの終わった本を受け取り、それを丁寧に鞄へとしまって一礼。

 彼女の表情は終始変わらぬまま、静かに図書室を後にしていった。


「……ふぅー」


 周囲を包んでいた重苦しい空気が途端に消え失せ、高雄は腹の底から深呼吸をした。

 やり遂げた――まさにそんな表情である。

 図書委員となって一年近く。たった一人、たった一冊の貸し出し本とはいえ、ようやく委員らしい仕事が出来たのだ。達成感と満足感を感じずにはいられなかった。

 しかしいつまでも愉悦に浸かっているわけにもいかない。彼は風紀委員が見回りに訪れる前に片付けを終え、図書室を後にした。


「……あ」


 貸し出し作業に夢中で、あの少女の名前をしっかりと確認していなかったことに彼が気付いたのは、校舎を出た後であった。頭の中の映像を再生してみても、深い霧に覆われてしまっているようでどうにもハッキリしない。しかし彼は、さほど後悔はしていない。

 初めて図書室、貸し出し本が利用された――そんな小さな喜びだけで、今日のところは充分だ。

 今夜はきっと、夢見が良いだろう――そんな予想をしつつ、彼はいつもより少しだけ軽い足取りで帰路へとつくのだった。



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