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Crocus 7


「先輩。今の声は」


「たぶん、また榛名が何かやらかしたな……」


 店の外、すぐ近くのベンチに腰掛けていた二人にも、榛名達の騒ぐ声はビリビリと届いていた。というより、車のクラクションや汽笛のような人間の耳にとっては騒音レベルで腹にまで響く声だったのだ。よほど耳が遠くないかぎり、聞こえない方がおかしいだろう。


「……仕方ないな。ちょっと止めに行ってくる」


 高雄はまるで年寄りのように「どっこらしょ」とつぶやきながらベンチから立ち上がる。

 榛名と深雪だけを店内に残したことを失策だったとは考えていないが、ここまで早く何か問題が発生するというのは高雄にとって想定外だった。トラブルが起きるにしても、もう少し時間が過ぎてからだろうと思っていたのだが。


「止められるのですか? ――今も怒号と悲鳴が飛び交っている様子ですが」


「いやまぁ……止めるしかないでしょ。お店にも迷惑だし」


 彼がいくら事なかれ主義者であって止めに行くのが面倒でも、問題が起きてしまった以上は仕方がない。

 第一、この場にいる面々で彼女達二人の暴走に入っていける人間など高雄くらいしかいないというのが実情である。


「いつも、こうなのですか?」


「こうなのかっていうと……」


「先輩といいますか、先輩達三人は――たしか、お城組でしたか」


「そうだね……だいたいこんなカンジだよ。お城組は車みたいなものでさ」


「車、と言いますと?」


 朝日は少しだけ、そして静かに首を傾げた。どうも高雄の例え話がしっくりこなかったらしい。


「うーんとね、べつにバイクでもいいんだけど……榛名がアクセルで、深雪がブレーキ。僕がハンドルかな……僕と深雪は、たまに役割が交替することもあるけど」


 両手での簡単なジェスチャーを交えつつ、高雄は自らも含めた幼馴染三人それぞれの役割みたいなものを説明した。

 彼らがまだ幼かった頃から各々の役割というか、立ち位置のようなものは全くと言っていいほど変わっていない。それは歳を重ねて……榛名だけは例外だが、彼らが『お城組』という名前を安易に用いなくなって、三人揃って何かをするということが滅多にみられなくなってしまった今でも同じ。

 榛名が快活にアクセルをふかし、高雄と深雪がブレーキとハンドルの役割を果たして彼女の暴走を止めたり、どうにか誘導する。

 誰に言われたわけでも、誰が決めたわけでもない。

 三人が、三人だけで『お城組』として毎日の行動を共にし、今日まで過ごしてきた中で自然とそういうカタチになったものだ。


「で、榛名が暴走するのはいつものことだけど……今は深雪でも舵取りや制止が出来てないみたいだから、残った僕が止めに行かないといけないわけで」


「なるほど。理解できました」


 朝日はゆっくりと目を閉じ、静かにコクンと頷いてそう答えた。高雄の口から語られた彼らの関係を、自分の中で噛み砕いて消化するように。


「そう? ……まぁ、そんなわけだからさ。僕は行くから、朝日はここでもう少し休んでて」


「――私もご一緒しますか?」


「いや……」


 どうしてもらおうかと一瞬だけ検討した高雄だったが、再び背後の方向から聞こえてきた女子二人の怒号と悲鳴を耳にして即座に結論を出した。


「……やめておいた方がいいと思う。僕だけでいいよ」


「ですが、大丈夫ですか?」


「……とりあえず、生還することを最優先にするよ。安全第一でね」


 そんな冗談混じりのやりとりをしてベンチを離れ、店先へ向かおうとする高雄の背に朝日からの言葉がかけられる。


「大変ではないですか?」


 表面的にはなんの束縛力もなさそうな言葉であったが、そのたった一言が彼の足を止めた。


「うーん……まぁ、楽ではないと思うけどさ。今は僕が止めるしかなさそうだし……」


「いえ。今この場の対処も大変だとは思うのですが、それだけではなく」


「え?」


 彼女の発言の意図が高雄にとっては誠に不可思議で、思わず振り向きながら疑問符を口にした。

 彼の視界、振り向いた先に映ったベンチに腰掛けている朝日の姿は先ほどと同じで……手にしていたおしるこの缶からその表情まで、そこに飾られた人形のように何も変わっていないようにも見える。


「先輩が先ほどお話してくれた件についてです」


 しかし高雄は気のせいか、もっと言えば自意識過剰なのかもしれなかったが、「なぜか朝日は今、強い関心を自分に向けている」と直感的に感じ取っていた。

 合わさる視線の先にある、彼女の凛とした瞳からはどこか探究心のようなものも感じる。もちろん彼女はいつも通りに無表情のままなのだが。目は口ほどにものを言うのだろうか。知りたい。答えて欲しい。教えて欲しい。……そんな声が聞こえてきそうな、食い入るように見つめてくる瞳。

 その関心や好奇心がどこから湧いて出て、どこに向かおうとするのかは高雄からすれば見当がつかないが。


「さっきの話っていうと……お城組のこと?」


「そうですね、それも含めてです。――正確に言いますと、榛名先輩と深雪先輩のお二人とお付き合いしていることに対してですが」


「付きあ――っ!? ……あ。ああ、そういうことね」


「?」


「いやいや、こっちの話……」


 高雄は一人で勘違いして、一人で解決すると同時に少しだけ顔を赤くする。そのワードに一瞬でも過敏に反応してしまった自分が恥ずかしかった。いくら恋に焦がれる年頃とはいえ。

 自分の中で気不味い空気をリセットする意味を込めて、わざとらしい咳払いをしてから彼女の質問へ答え始める。


「うーんと……大変だなって思うときはあるけど、でも嫌ってことはないよ」


「そうですか」


「うん。……幼馴染とか腐れ縁って、そんなものだと思うよ。……僕はね」


 言葉の最後にそう付け加えたのは、彼が深雪の心中を量りかねていたからだ。もう一人の榛名に関しては、「大変だ」と感じること自体無さそうだと思えるが。


「そういうもの、ですか」


「まぁ、世の中全部そうだとは言えないけど……僕は、ね。参考になるかは、微妙だけど」


「いえ。私には、参考になります――それに」


 朝日は両手で包むように持っていたおしるこ缶を口元へ。目を閉じながらそれを一口飲んで、高雄へと目を向け直して一言。


「少し、うらやましいです」


(……うらやましい?)


 疑問に感じたことを素直に口に出すべきか。高雄がそう悩もうかとしていた時、彼の背後から再び騒音が聞こえ始めてきた。店内で、榛名と深雪の新たなラウンドのゴングが鳴ったということだろう。ルール無用のレフェリー不在だが。


「――また、始まりましたね」


「いい加減に行かないとマズイな……じゃあ、朝日はここで待ってて」


「はい。お気をつけて」


 雰囲気だけならば、まるで戦場に赴く兵士のようだと高雄は思った。店内で起きているであろう乱闘と惨状を考えれば、あながち間違っているとは言えないのかもしれないのが、色々な意味で恐い。


「……二人とも。そろそろ止め――ぐぁっ!?」


 店の扉を開けた瞬間、高雄の額に硬質の何かが直撃した。

 衝撃に負けて倒れゆく中で彼の視界に映ったのは、幸いにも中身は空だったラーメンの丼。

 器のヘリに描かれた唐草と赤い龍の模様が色鮮やかで綺麗だなと感じながら、どうにか器だけはキャッチしつつ前のめりに倒れ、勢いよく床板にキスをしたのだった。



「先輩。ご気分はどうですか?」


「……とりあえず、痛いな」


 高雄は朝日にそう答え、未だジンジンと痛む自身の額をやんわりと撫でた。手のひらに触れる額部分の皮膚はすでに熱こそ引いていたが、前髪を少し押し出す程度にはプックリとコブが膨らみ、その上に気休めとして大きめの絆創膏が貼られていた。

 流血するほどの大怪我にはならなかったこと、飛んできたラーメン丼の中身が空だったこと、そしてなんとかキャッチして器の破損を防げたということが、不幸中の幸いと言えるだろう。


「余計なお世話かもしれませんが、病院には行ったほうがいいのでは?」


「榛名達と一緒にいると、こんなのは小さい頃からしょっちゅうだからさ……たぶん大丈夫だよ」


 こんな発言を聞かれたら深雪から「あたしを同列に扱うな」と言われるかもしれないなと思い、高雄は声にこそ出さないが少し笑った。

 そういえばラーメン丼を放ってしまった張本人らしい榛名からもしつこいほど謝られたが、許すも許さないも彼は最初から腹を立ててはいないのだ。むしろ器が割れなかったこと、彼自身の負傷をきっかけに榛名と深雪の大喧嘩が手早く収束してくれたことに安堵したくらいである。


「せめて、鞄を持ちましょうか?」


「大丈夫大丈夫。ありがとね。気持ちだけ受け取っておくよ」


 中華料理店「摩天楼」での騒動もどうにか落ち着き、高雄も気絶からわりと短時間で目覚め、全員でお店に謝罪。

 その後で榛名と朝日の新しい携帯電話を受け取って、残りの仕事ついでに生徒会の買出し品を学校へ置きに向かった深雪たちと別れたのがおよそ十分ほど前のこと。その時点ですでに下校時刻寸前だったこともあり、朝日はそのまま帰路につき、高雄は彼女を自宅まで送る任務を遣わされた。

 朝日は初めそれを遠慮していたが、深雪からの「一人での帰り道は危ないし、防犯グッズの代わりだとでも思って」という、やんわりとではあるが半ば有無を言わせない勧めに従い、了承することになったのだった。

 ……どうも深雪には高雄が負った額のコブ程度では怪我として認めてもらえないらしい。「男なんだから、責任もってちゃんと送りなさいよ」と釘を刺す声と視線の鋭さの前では、彼もまた従うしかなく。

 ついでに榛名はといえば生徒会の残業などまっぴらだとコッソリ逃走を図ったが、深雪が即座に首根っこを掴まえての強制連行である。

 そうして今、二人が並んで歩くのは夕焼けに照らされる住宅街。屋根や塀の上に積もった雪があかね色に染まる帰り道を、ゆっくりと進んでいた。


「しかし、店長さんの人柄でしょうか? ずいぶんあっさりとお許しを貰えましたが」


「榛名が騒がしいのはある意味いつものことだしね。今回は珍しく深雪も加わってたけど……まぁ、騒いじゃってただけで何か壊したわけじゃなかったし。……だからいいってことはないだろうけど」


「最低でも土下座程度はしなければダメかと思っていました」


「……さすがにそうなったら自分には関係ないって突っぱねてもいいと思うけど」


 そもそも今日の騒動だって、原因は榛名と深雪の喧嘩にあり……高雄の監督不十分も原因の一つと言われてしまうかもしれないが、少なくとも朝日にはなんの責任も無かったはずなのだ。それは高雄だけでなく榛名や深雪もおそらくは同じ考えを持っただろう。「彼女は悪くない」と。

 しかし朝日は謝罪をした。他に客はいなかったとはいえ店の中で騒いでしまったことに対して、三人と共に頭を下げたのだ。

 正直なところ高雄は彼女の行動に、ありがたいとか申し訳ないなと感じるよりもまず、どうしてなのかと疑問に思ってしまった。だってそうだろう。三人が店側へ謝るのは当然として、よくよく考えてみれば半ば連れまわす形で食事に誘いながら、ほぼ間違いなく気分や体調を悪くさせてしまった朝日に対しても自分たちは謝るべきだろうに。

 だから彼ら三人は店を後にしてから……正確には深雪が制服の上から下までをようやく拭き終えた時点で、今度は朝日に対して頭を下げた。けれど彼女は逆に申し訳なさそうに言葉を返したのだった。一緒に行動していたのだから、自分にも責任があるのだと。


(……僕がおかしいのかな)


 思い返しても、なんだか自分の中での常識が疑わしく思えてしまう感覚だった。そこまで人生経験豊富な年長者というわけでは決してないが、責任から逃れたり誰かになすりつけようとする人間は覚えきれぬほど見てきている。

 しかし彼女のような人間は彼の中では珍しい部類に属する人だと思われた。ちなみに高雄の中では榛名や深雪もそちら側へ分類されているので、イコール朝日もまた「悪い人」ではなく「いい人」もしくは「悪い人じゃない」ということになる。『聖人君子』とまでしてしまうと言い過ぎかもしれないが、まぁ方向としてはそちら側だ。はたから見ていてもどこか不思議ではあるが、信頼していい、信用していい少女だと言えるだろう。元々そんなに疑いの感情を持っていたわけでもないが。


「……? なあ朝日。あれってさ」


 進んでいく道の先に停まっていた一台の車を見つけ、高雄が指を指す。

 それは黒塗りの高級車。車種名を言うならばベンツ。そして車の周囲を右往左往している、黒いサングラス着用で体格のいい男性。

 その人物もその車も、高雄には見覚えがあった。というか、一発でほぼそうだろうと断定できる。どうやら朝日も気が付いたらしく、彼女にしては珍しい小さなため息と共に肩をすくめた。


「今日の迎えは必要ないと、祖母からも言われたとは思うのですが」


「いやまぁ、正勝さんも心配したんじゃない? どうにも落ち着かないカンジだし……」


 まさに高雄の言う通りで、ベンツの隣に立つ正勝の様子は挙動不審と思えるほどにせわしないものだった。チラチラと腕時計を見て何度も時間を確認し、腕を組んでは離し、短い距離をあっちへ行ったりこっちへ行ったり……きっと彼の精神的不安は秒ごとに加速しているはずだ。

 早く顔を見せて安心させてあげるべきだろうということで、高雄と朝日は止めていた歩みを再開した。これで朝日の自宅まで同伴しなくても、彼女を迎えに来た正勝へお願いすれば、そこで高雄が深雪から仰せつかった任務は完了ということ。


「……朝日。ちょっと聞いてみてもいいかな?」


「なんでしょう? ――私にわかることでしたら」


 二人での帰り道もあと数分もしないうちに終わりを迎えることが分かってしまうと、高雄の中には寂しさというか、どこか名残惜しいような気持ちがなぜか生まれて……気が付けば、そんな言葉を口にしていた。無言のまま歩き続けて、別れを迎えるのが嫌だったのかもしれない。どうせ明日も学校で会えるとはわかっていても、なんとなく。



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