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Crocus 6


「あっ。唐揚げおかわりー! 七人前な!」


 時を同じくして、こちらは「摩天楼」の店内。

 榛名がテーブル上の料理たちを消滅……もとい、次々と胃袋の中に収めていき、それに合わせてまた新たな料理の群が矢継ぎ早に運ばれてくる。ひたすらにそのサイクルを繰り返し、目の前に座る深雪はその様子を自身が注文した烏龍茶をちびちびと飲み進めつつ、冷ややかに見守っていた。


「相変わらずの食べっぷりね……」


 昔から見慣れている深雪だからまだ耐えられているものの、油断すれば彼女も眼前の光景に吐き気を催してしまいそうである。というか、すでに彼女の気分は害され、フラストレーション満タンの不機嫌状態になっていた。

 榛名と……彼女がたいらげていく料理たちを見つめる視線も鋭く、歯軋りの音が聞こえてきそうな顔つきである。


「ん? 食うか?」


「誰も食べたいなんて言ってないわよ。馬鹿」


「なーにカリカリしてんだよぉ。待ち合わせの約束忘れてたのは悪かったって、何度も謝って――」


「べつにそのことは気にしてないわ。あんたの忘れっぽさなんて今に始まったことじゃないし、不名誉なことにすっかり免疫が出来てるわよ」


「だったら何をそんなに怒って……あれじゃね? 栄養足りてねーんじゃね?」


「お生憎様。一日に最低限必要なカロリーは計算して摂取してるわ」


 そう。彼女が不機嫌な理由とは、彼女自身が立てた栄養摂取の計算が完璧であるがゆえの……まぁようするに、計画外の食事摂取が出来ないということによるものである。オススメされたり誘われたからといって、おいそれと手を伸ばすことは厳禁。ましてや油分の多い中華料理の類など――いかに見た目が魅力的で、実際に頬が落ちそうなほど美味であったとしても、口にすることは彼女にとってみれば自殺行為に等しい。


「まーたカロリーとか。んな難しいことばっか考えてっから、そうやってイライラして……」


「いらないって言ってるでしょ――いいからゴチャゴチャ言ってないで、あんたは食べてなさい」


「へいへーい」


 敵はカロリー他。

 敗北は体重と脂肪の増加。

 その一口が、破滅へと導くブタのもと。

 乙女の闘いは静かで孤独で、ひたすらに耐えねばならぬ苦しいものなのだ。


「にしてもさぁ。朝日のやつ、大丈夫かな。なぁんか顔色も悪かったし」


 腕組をし、榛名なりに朝日の身を案じているようだ。頬に張り付いたメンマと口の端からぷらぷら垂れ下がるラーメンの麺さえなければ、もう少しは知的な印象を与えられるかもしれない。


「……彼女が体調不良になった原因はあんただけどね」


「んあ? あたい、何かしたか? ただ食ってただけだぞ?」


「だからそれが原因だって言ってるでしょう」


「むー……? あっ。あたいの箸の持ち方が悪かったとかか? 朝日って行儀良さそうだもんな」


「……無自覚って羨ましいわホント」


 手に持った箸を検品作業のように様々な角度から凝視する榛名を前に、深雪はため息を吐く。

 全身から気の抜けるような感覚を覚えつつ、空になったガラスコップに烏龍茶を注ごうとした時にふと疑問が浮かび、それを口にした。


「そういえば気になったんだけど」


「まむぅ? なんひひゃっひゃんびゃ?」


「……答えるのは飲み込んでからでいいわ。……朝日さんってさ、やっぱりどこかいいとこのお嬢様だったりするワケ?」


「んぐ? ……知らねー。つーか、あいつとちゃんと話したのって今日が初めてだったしな」


 態度にこそ見せていなかったが、深雪は内心ではリアクション芸人ばりにずっこけていた。


「……あれだけ親しそうにっていうか、馴れ馴れしくベタベタしてたのに、今日初めて会話したの?」


「おうっ。図書室でな。あいつの名前知ったのも、今日が初めてだったんだぜ」


「笑顔で胸を張られてもね……」


 つい先ほどまでの榛名と朝日の……ベタベタとくっついていたのは全て榛名からであったが。深雪は二人の様子を思い出しつつ、ほとんど初対面なのにそこまで出来てしまう無遠慮な榛名に、いまさらながら改めて呆れていた。

 しかし無自覚で無遠慮であっけらかんとしていても、それが彼女という人を嫌いになる要素には不思議と繋がらないあたりがまた榛名らしいとも言える。


「胸を……? ……あ、そういうことか。そんな気にすんなよ。べつに深雪の胸がペッタンコだからって、あたいは全然」


「――誰がバストサイズの話をしたかああぁっ!」


「どわぁっ!? ちょ、悪かった! なんか知らんがあたいが悪かったから落ち着けって!」


 テーブルに手のひらを叩きつけ、叫びと共に立ち上がった怒れる眼鏡の大魔神。凄まじいほどの殺気に満ちた眼光を前に榛名は手を合わせて平謝りを繰り返し、どうにかその場は治めることができた。


「あー、ビックリした……殺されるかと思ったぞ」


「今後は気をつけなさい。マイペースもほどほどにしないと、身を滅ぼすわよ」


「マイペースねぇ……あ、たしかにあたいのデカチチと深雪のペッタンコチチは、まさにマイペー……」


「………………」


「ごめんなさいスイマセンでしたもう言わないので許してください」


 榛名はテーブルに手と頭をつけて簡易的な土下座をした。

 もし記者あたりにでもこの時の心象をインタビューされたなら、榛名はきっとこう答えただろう。「あの目は、人間の目じゃなかった」と。


「えーっと……あ、あははは……」


「何をうろたえて笑ってるのよ」


「あ、あれだよっ! 朝日のやつ大丈夫かな? 心配だよな!」


「さっきも同じこと言ってたわよ」


「そ、そうだっけ? いやー、あたいって忘れっぽいからなぁ。にゃっはっは……」


 どうにか空気を変えようと話題逸らしに挑戦したが華麗に失敗。

 今度は笑ってごまかそうともしたが重苦しい空気は変わらず、深雪からの視線も冷たいままだった。


「はは……は……」


「………………」


「ごめんなさい」


 無言の圧力を前にすっぱりと実行される、二度目の簡易式土下座。それでようやく、深雪が肩の力を抜くと共にテーブル周辺の空気もリセットされた。


「もういいわよ……あと、朝日さんは一人で行ったわけじゃないし、大丈夫でしょ……ってこれもさっき同じこと言ったけど」


「お、おぉ、そうだなっ。朝日のやつ、タカにはすっかり懐いてるみたいだし」


 彼女たちを包んでいた殺気が消えたことで、榛名はどうにか呼吸らしい呼吸が出来るようになった感覚を覚える。無罪判決を受けた時はこんな気持ちになるのだろうか。


「懐いてるって……ペットじゃないんだから」


「そりゃそうなんだけどさー。なんかこう、犬とか猫っぽいのかな。うりうりーってしたくなるっつーか、撫でたくなるっつーか」


「せめて撫でるだけならまだしも……傍から見てて、朝日さんのためにあんたを引き離してあげたくなったわよ」


 頭を撫でる。後ろから絡みつく。耳たぶをプニプニと摘む。優しくとはいえ頬をつねり、首筋をくすぐる。ついでに時々わき腹をツンツン……深雪が確認出来ただけでも、榛名はこれだけのちょっかいを朝日にお見舞いしていた。その様子たるや、例えるならバカップル。ただし対象は榛名限定で。

 深雪は何度か声をかけて止めようともしたのだが、新しいおもちゃを買い与えてもらえた子どものようにはしゃぐ榛名がそう簡単に引き下がるはずもない。

 だが不思議なことに、被害者の朝日は何ら気にする様子もなく無抵抗、無表情のままで眉一つ動かしていなかったのが深雪には印象的であった。

 あれだけ色々とされれば普通なら嫌がるか、逃げるか、声を荒げて拒絶しても良いはずだと思うのだが。


「……あたしの感性がおかしいのかしら」


「ん? 完成したってなにが?」


「何も制作してないわよ……ほら。まだこれだけ料理残ってるんだから、食べるのを止めないの」


「へいへいよー」


 先ほど追加されたばかりな二杯目のチャーハンを口へ運びつつ、今度は榛名が質問を返す。


「そういやふぁ。気になっひゃんだけどふぁ」


「――ご飯粒が飛んでるわよ。飲み込んでから喋りなさい」


「んぐ……っ。これでいいだろ? あの話さ、タカにしてみたか?」


「ええ。訊いてみたわよ」


「そっか……で、どうだった?」


 視覚的に満腹感を得た為か、深雪はいつの間にか目を閉じたまま会話を続ける。

 榛名の食事ペースは変わらず、山盛りだった二杯目のチャーハンはすでに半分以下となっていた。


「どうもこうもないわね。平行線」


「えーっと……ダメだったってことか?」


「そういうことよ……はっきりと拒絶。断られたわ」


 事の顛末を聞いた榛名は「ふーむ」とうなりつつ腕組みをし、口に咥えたレンゲの先を天井に向けて左右に振る。さらに椅子の背もたれに体重をかけ、後ろ二本足でゆらゆらとバランスをとりつつ、彼女自身はスカートなのにあぐらまでかく始末。

 テーブルマナーの欠片もない行儀の悪さだが、深雪が目を閉じていて目撃されなかったのは彼女にとって幸いだったと言えよう。


「そっか。やっぱダメかぁ……んー。あとはタカさえ来てくれりゃ、無敵なんだけどなー」


「たまには榛名も誘ってみたら? あたしからばかりじゃなくてさ」


 そう言ってはみたものの。

 結局のところ勧誘する人間が誰だろうと、勧誘される側である高雄の考えが変わらない限り――いくら誘おうが徒労に終わってしまうであろうことは深雪自身もとっくに気付いている。気付いてはいたのだが。


「あー……あたいはダメだ。前にも断られてるし」


「榛名でもダメとなると……厳しいわね」


 だからといって「はいそうですか」と諦めるのは……彼女達が評価している、高雄のポテンシャルを考えると非常にもったいないと思えてしまう。

 それにこれは深雪だけかもしれないが、そう簡単に引き下がるというのはなんだか敗北した気になってしまうのだ。べつに何を競っているわけでもないのだが。


「っていうかさ、あたいよりも深雪から誘う方が成功しやすいのに、それでもダメってことはやっぱムリなんじゃね?」


「あたしの方が成功しやすいって、何を根拠によ?」


「だってほら。あたいより説明とか上手いし……」


「……相手に説明が出来るって事と、相手を説得出来るって事は別よ」


「そーなのか?」


「ええ。――そこへいくとあたしは、説得が苦手かもしれないわね」


 料理を運ぶ箸とそれを咀嚼する口は休まずに動かし続けているが、榛名は心底怪訝に思っているであろう表情を浮かべた。声にこそ出していないが、「よくわからん」と言わんばかりに。


「……つーか、タカと仲直りすりゃいいんじゃね? いいかげんにさ」


 そう口にした途端、深雪の表情が少しだけ厳しいものになったのがわかった。

 しかし先ほどのように激昂しているというわけでもなさそうだったので、榛名は少しだけ慎重になりつつ言葉を続ける。彼と彼女の友として、言ってやってもバチは当たらないだろうという判断から。


「べつに――仲違いしてるわけじゃないし。話さなきゃならない時は、ちゃんと話してるわよ」


「でもよぉ。お前、タカが近くにいるときにはみょーにピリピリしてるし……今日だってそうだろ? あたいが約束忘れてたのは怒ってないって言ってるけど、学校出る時からずーっとイライラしてさ」


「……そうね」


「買い物にタカと朝日を誘ったのはあたいだけど、そんなに嫌だったか?」


「そういうわけじゃ……ない……と、思うけど」


 深雪をよく知っている榛名がそう感じるほど、彼女のこんな様子は非常に珍しい。

 ごにょごにょとした、どうにも煮え切らない返答。それも口ぶりだけでなく、表情も憂いており視線もあちらこちらへ泳いでいた。

 そして顔をうつむかせ、集中すれば辛うじて聞き取れる程度の小さな声量で、ブツブツと何かつぶやいている。


「――よ。朝日さんも――も、悪くなんてないんだし……」


 言葉がまとまらないのか、溢れるほどに思い浮かんでしまうのか。彼女以外の人間が彼女の胸の内を推し量ることはおそらく出来ないだろう。

 とりあえずこの話題はこれ以上続けないほうがいいのだろうなということを榛名は直感的に感じ取り、この場は引き下がることにした。

 少しの間だけ止めていた右手の箸を再び動かし、憂さ晴らしのように目の前の中華料理をハイペースにがっつき始める。


「まぁ、今すぐどーにかしろってワケじゃねーんだけどさ。ずっとこのままってのも……なぁ?」


「………………」


「昔と違うってのもわかるけどさ、なんつーの? もう少し、みんな仲良くっていうか――」


「……?」


 前触れ無く榛名の言葉が途切れたのを深雪は不思議に思い、うつむけていた顔を上げる。目の前に座っていた榛名は首から下が凍りついたようにピタリと静止し、なぜか天井を見上げていた。まるで天を仰ぐように。


「榛名、急にどうしたの?」


「ふぇ……っ」


「ふぇ?」


「ふええぇっくっしょぉぉぉんっ!」


「ちょ!? きゃあああっ!?」


 榛名の中で止まっていた時が動き出した瞬間、炸裂したそれはいわゆる「くしゃみ」である。

 ただし店舗全体が揺れたのではないかと錯覚するほどの、爆発音にも似た榛名の発声はそれはもう強大なもの。

 何事かと、厨房の奥にいた店員たち全員が走って様子を確認したほどだった。


「ふ、ふぃー。スッキリしたぁ……タカ達があたいの噂でもしてんのかな?」


 にこやかな表情で鼻をすする榛名だったが、まぶたを開けた瞬間にもう一度、全身が凍りつくことになった。

 テーブルを挟んだ向かい側。彼女の前に広がっていた、その惨状を目にしたからである。正確には、目前に座っていた深雪の様子を改めて確認したから。


「あ、あらぁー……は、はは」


 榛名は料理を口に含んだ、次の瞬間にくしゃみをした。

 そして今、彼女の口内にその料理は残っていない。飲み込んだわけではないのに、である。

 つまり、どういうことか。

 それは頭からニラレバ炒めのシャワーを浴びたようなことになっている、深雪の全身が物語っていると言えるだろう。


「――ふ。ふふふ」


「み、深雪。その、なんていうか……ご、ゴメン……な?」


 眼鏡のレンズに張り付いたニラを指で摘みながら、彼女は笑みを浮かべていた。

 けれどその笑いは、決して悦びの感情によるものではない。

 耳にした者の身の毛をよだたせる、おぞましい笑みである。実際、榛名は動物的な本能が「危険だ」と警告していても、その場から逃げることが出来なかった。


「ねぇ、ハルナ?」


「は、はいっ! なんでしょーか!?」


 面接試験以上の緊張感に背筋をビシッと伸ばし、即座に応対。

 喉元にナイフでも突きつけられていたほうが、もう少し心臓には優しいかもしれない。


「あたしさぁ……前にも言ったわよね? くしゃみする時には、口元に手をあてなさいって……ねぇ?」


「それは、その……あの」


「もしかしてさ――忘れてた?」


「い、いやいやいやっ! 覚えてたぞ!? け、けどさ。右手は箸で、左手は皿でふさがってたし……」


「へーぇ。そっかー。それじゃ、仕方ないわよねぇ?」


「そ、そうそう! しょうがないよな! にゃははははっ!」


「ふふふっ……」


 やけくそ気味に榛名は元気よく笑い飛ばし、それにつられてか深雪も笑う。しかし彼女の笑いは直視するのを避けたくなるほどに冷たくて、黒い。

 そして数秒と経たず深雪が立ち上がったのを開戦の狼煙として。

 怒れる大魔神の復活と共に、和気あいあいとした食事空間は華麗に崩壊することとなった。


「――ハアァルナアアアァァァっ!」


「ひいぃぃっ!? ちょっ、ゴメン! マジでゴメ――っうわああぁぁぁっ!?」


 深雪の怒号と、榛名の悲鳴。

 どちらも遠慮のない、両者の大声と騒音は店の壁や窓をゆうに突き抜け、外にいた高雄達も思わず振り向くほどだった。

 ちなみにこの一件の後、「店舗の屋根裏からネズミの姿がすっかり消えた」とは、店長談である。



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