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Fennel 6


 榛名の証言によると……屋上にて昼食を摂っていた際に深雪から着信があり、彼女はそれが終わると携帯電話を制服のポケットへとしまった。

 その直後、彼女はある事実に気付く。手元に置かれていた大量の惣菜パンの中に、彼女お気に入りの『やきそばパン』が無く――どうやら買い忘れてしまったらしい。

 学生食堂も然りだが、昼休みの購買部はまさに戦場だ。集まった飢えに苦しむ生徒たち皆が食料を手にせんと、日々激戦が繰り広げられている。

 このままでは彼女のお気に入りパンも売り切れてしまう……当然、彼女は急ぎ屋上から一階へと向かった。


「……で、その途中で転んだとか?」


「いや。落ちた」


「……はい?」


「いやそれがさ、階段より早いだろうと思って、屋上から窓伝いに降りてったんだよ。そしたら二階の教室の窓が開いてなくてさー。そのまま下までストーンとな……にゃはは!」


「それを笑って済ませられるあたりはさすがハルナというか……念のため聞いとくけど、怪我とかしてないだろうね?」


「おうっ。落ちた先がコンクリだったからな」


「いやいやいや――それ普通は助かったって言わないから」


 当人であるにもかかわらず彼女にとっては笑い話らしいが、高雄の顔は引きつっていた。二階の高さからコンクリートの地面へと落下する状況を想像しただけで、常人なら軽く鳥肌モノのはずだ。

 実は朝日も少しばかり顔を引きつらせていたのだが、見た目が無表情なのは変わらないため二人が気づくことはなかった。


「……まぁ、原因はその落ちた時の衝撃で確定だろうね」


「あん? そのくらいで壊れんのか……やっぱ不良品ってやつなんじゃねーの?」


「二階の高さから落下に加えてコンクリートとの板挟みボディプレスなんて想定して作られてないでしょ……軍隊用じゃあるまいし」


「つーことは……修理行きか? これ」


「そこまでいっちゃうともう廃棄レベルだと思うよ……新しいの買うしかないかと」


 榛名の手の中から、外装の破片がまた一つ落ちる。個体の角に空いた穴から、中の基盤が顔を覗かせている状態だった。

 もはや内部のデータすら生き残れているか怪しい。「これを修理してほしい」と差し出される店員の目が点になるであろうことが容易に想像出来てしまう。


「そっか……じゃあしょうがねぇ。新しく買いに――あ、そうだ」


 また余計なこと――いや、何かしらの案を思いついたらしく、榛名は突発的に笑顔を見せた……かと思えば、楽しそうな表情はそのままに朝日の小さな肩を抱いて引き寄せた。


「朝日、一緒に買いに行こーぜっ」


「はい?」


「ちょちょちょ……待て待て。なんだって朝日を誘う必要があるのさ」


 これにはさすがに、高雄が間に割って入った。何をどう思って朝日を誘っているのか彼には意味がわからない。おそらく誘われた朝日もそうであろうが。

 高雄が誘われるのであればそれはまだ理解できる。これまでにも機械類に弱い榛名のアドバイス役として、数え切れぬほど彼女の買い物に付き合わされた実績があるからだ。


「ん? 心配しなくても、タカにもちゃんとついて来てもらうぞ」


「いやそういうことじゃなくてさ……朝日はべつに関係ないんじゃ」


「だって朝日はケータイ持ってねぇんだろ? なら一緒に買いに行けばいいじゃんか」


 間違っているとまでは言えないが、まぁ実に榛名らしい豪快かつ直球な理屈であった。


「それはハルナが決めることでは……そんなこと急に言われても……なぁ朝日?」


「――はい?」


 高雄から名を呼ばれて、ようやく朝日は視線を戻した。この少女の癖と言える、あの考えるポーズを取っていたあたり何かしら検討していたようであるが……。


「はい? って……いやその、携帯電話を買うかどうかを、ハルナに決められてもね?」


「私が、携帯電話をですか」


 そこまで口にすると朝日はまた考えるポーズへと戻り、視線をどこか遠いところへ向けた。

 しかし、今度は高雄が次の声をかけるより早く彼女の中で結論が出たようである。


「先輩。質問があります」


 無表情のままで見上げてくる視線――これに威圧感を感じない人間はいるのだろうか。少なくとも彼女の視線の先にいた高雄は、言い得ぬ違和感をひしひしと感じながら「なんでしょうか」と聞き返す。また無意識のうちに敬語を使ってしまっているのはご愛嬌だ。


「携帯電話を所持することの、メリットを教えていただけませんか」


「め、メリット……?」


「はい」


 うーむ。と高雄は小さく唸った。昨今の携帯電話で使用出来る様々な付加機能やアプリケーションについては、機械オンチな榛名を含む彼の周囲に向けて説明したことはあれど、『携帯電話という物を持つことでのメリット』の説明などは初めてだ。


「えーっと……まず、当たり前だけど名前の通りどこでも電話が出来るし……あ、メールもか」


「すみませんが、メールというのは?」


「……そこからか」


「申し訳ありません」


「あぁ、いやいや……謝らなくていいよ……えっとね」


 現在主流の携帯電話で使える要素を一つずつ、彼は出来る限り噛み砕いて朝日に説明していく。メール機能、カメラ機能、スケジュール帳にアラームにネット接続……まぁネットに関しては彼女が使用するとも思えなかったので、最も簡単な説明に止めておいたが。

 身振り手振りを交え、自身のスマートフォンまで取り出して実際に使って見せながら……朝日も熱心に聞いてくれているようで、その様子はまるで電気店の商品説明をする店員とそれを聞くお客様のようだ。熱心に聞いているとは言っても彼女が無表情なのと、相槌が「はい」「なるほど」「そうですか」というパターンの繰り返しであったことは言わずもがなだが。


「ありがとうございます。大方は理解できました」


「あ、わかってもらえた?」


「はい。色々と出来て、便利だということはわかりました」


「まぁ、なんかめんどくせぇ機能が色々とあるけどよ……」


 ここに来て初めて聞いた、榛名からの発言。

 その声に高尾が振り向いてみれば、彼女はそれまで暇だったらしくカウンターに寝転びながらスナック菓子をほおばっていた。一回に五枚ずつ口へと運び、バリボリと小気味よい音を響かせているその姿は、彼女らしい豪快さに溢れている。言わずとも予想できることだが「そこは寝る場所じゃない」等の注意など、彼女にとっては馬の耳に念仏でしかないだろう。


「とにかくさ、電話やメールであたいらと連絡がとれるってことだけ覚えときゃいいんじゃね?」


「いやまぁ、それはそうだけど……なんか大切なことを諸々すっとばしているような」


「先輩」


「え――っうお!?」


 何度目だろうか。またしても、である。

 高雄がちょっと榛名の方へ視線を向けている間に、朝日は音もなく彼のもとへと急接近していた。それはもう握り拳一つ分の隙間もないほどの至近距離まで。彼を見上げる視線は鋭くも冷たくはなく、内なる感情はあれどやはり無表情であった。


「お願いがあります」


「な、なんでしょうか……」


「先輩の携帯電話を、もう一度使用させていただきたいのですが」


「あ――電話するの?」


「はい。祖母に、確認の電話を」


 断る理由も特にない。

 昨日の放課後と同じように、高雄は彼のスマートフォンを朝日に貸与した。


「そぼろに電話ってなんだ? 弁当でも頼むのか?」


 まるでボトルジュース一気飲みの如く、榛名はスナック菓子の残りをガーっと口の中へ放り込みつつボケた……いや、彼女からしたら決してふざけて発言しているわけではないのだが。


「祖母だ祖母……つまり、朝日のおばあさんに電話するってことだよ」


 どういう耳をしてるんだと言いたくなる榛名の発言にツッコミつつ、彼に背を向けて電話の真っ最中である朝日の様子を見守る。

 通話はすぐに終了したらしい。朝日は落ち着き払って振り返り、両手ですくい上げるように高雄のスマートフォンを手渡して返した。接客業に携わる人間には見習って欲しいほど丁寧に。


「ありがとうございました。おかげで確認がとれました」


「どういたしまして……でも、確認って?」


「私が携帯電話を購入し、所持してもいいかということを、です」


 なんとなくではあるが、高雄の中で「ああ、なるほど」と思えた。昨夜の予期せぬお宅訪問で、朝日の家と彼女の家庭事情を垣間見ていたからである。


「んーと……春日さん、そのへんは厳しいの? 欲しいものがあってもダメだったり……」


「いえ――どちらかというと、逆だと思います」


 朝日が言うには、霧島家の方針……というか、彼女に対しては「欲しい物があったら言いなさい」というスタンスらしい。あれだけの豪邸を有するお家だ。彼女が希望する欲しい物など、きっとなんてことはないのだろう。

 けれど朝日自身はこれまでに何かを欲しがったり、ねだったりしたことがほとんどなかったのだという。

 同年代の学生達と同じようにということで毎月のお小遣いこそ受け取ってはいるが……学園と自宅を往復するだけの日々だ。余暇の外出先などもせいぜい市内の図書館程度で、一人でのショッピングすら未経験に近いらしい。


「じゃあ、朝日がケータイを持つことは問題ない……と」


「はい。好きにしていいとのことでした。それから、驚いていました」


「……だろうね」


 彼女が携帯電話を所持することを頭ごなしに反対することはしないが、買い与えるのは高等部に進学してからでも構わないだろうというのが、春日の考えだったらしい。だから朝日が自分から携帯電話を欲したことにはたいそう驚いたそうだ。

 ともかく、朝日は保護者からの許可を得た。購入する費用についても彼女の現在の手持ちでどうにかなるらしい。となれば後は、彼女が機種を選ぶだけなのだが――そこがある意味一番の難関だと言えよう。どう考えても、多少の知識あるアドバイザーが必要だ……しかしそれは榛名には務まらないと断言できる。むしろ榛名の機種選びにもアドバイザーが必要なのだから。


「……僕がついて行くしかないか」


 そうなれば高雄が一緒に彼女達と買いに行ってやるしかない。一応は暇人にカテゴライズされる程度の予定の無さであるし、持っている知識も充分事足りるだろう。


「先輩、お願いできますか」


「ん……まぁ、べつに僕はいいけど」


「――んじゃあ決まりだな! さっそく行こーぜっ」


「えっ……い、今からか?」


 彼の返事を聞いた瞬間に榛名はカウンターから飛び降り、鞄は肩に担ぎつつ高雄の首根っこをガシリと掴み図書室の扉へ向かって引きずっていく。


「もちろん今から。ケツは熱いうちに打てって言うしな」


「どこのSMだよ。それを言うならケツじゃなくて鉄……っていうか、僕は図書委員の当番中でだな――」


「どーせ誰も来ねぇって……あれだ。会長命令。一緒に来いっ」


「会長特権乱用し過ぎだろ――っていうかなに? 朝日もそれでいいわけ?」


「私はかまいませんが」


 そう返答して二人の後に続こうとする朝日の腕には、しっかりと鞄が抱かれていた。親切なことに高雄の分まで、である。


「まぁいいじゃねぇか。ケータイ買うついでにシャバの空気を吸いに行こうぜー」


「あのな、出所する犯罪者じゃないんだから――」


「あ。ついでに何か食いに行こうぜ! ハラ減っちまったし……朝日。オメェん家って門限とかあんのか?」


「いえ、特に決められてはいませんが」


 抵抗しても無駄だと悟り、高雄はズリズリと引きずられつつため息をついた。


「ですが習い事がありますので、八時までに帰宅出来れば大丈夫だと思います」


「八時か。つーことはまだ四時過ぎだから……ケータイ買ってからメシ食っても余裕だなっ!」


 声と表情から察せるが、榛名は上機嫌だった。楽しくて仕方がないのだろう。

 かたや朝日には表情こそ変化がみられなかったが、意外と乗り気なのかもしれないと高雄は感じた。


「よっしゃ! んじゃあ、しゅっぱ――」


 榛名が元気よく出発の音頭をとりつつ、扉に手をかけようとしたその時だった。室外からの来訪者――つまり、図書室へとやって来た女子生徒が一人、開かれた扉を境に鉢合わせする形になった。


「失礼するわ――って、やっぱりここだったのね」


「ありゃ、ミユキじゃんか。どした?」


「どうしたって……あのねぇ、いつまで待ってもあんたが現れる気配がないから、こうしてあたしが探しに――」


「………………」


「って――な、なによ? 人の顔ジーっと見て……」


 深雪の小言が始まりかけていたが、それを制したのは榛名からの無言かつ意図の読めない視線だった。幼い頃から彼女を知る人間からすれば、誰かと対面した際に榛名が押し黙るなど、滅多にみられぬ異常事態なのだ。深雪が思わず後ずさるのも仕方のない反応だろう。


 ――およそ十分後。

 子猫のように拘束されていた高雄の首根っこも解放され、彼らは四人揃って校門を後にし、商店街のある大通りへと向かうのだった。



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