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Fennel 4


 高雄と朝日が交わした『「?」の童話』を二人一緒に読み進めていくという、小さな約束。さっそくそれを果たし、先の話へ進もうということになった。

 彼らは再びその本と向き合い、先ほどと同じように朝日はテーブル前の椅子へ腰掛けた。高雄は着席せず、朝日の隣に立ったまま右手をテーブルにつけて覗き込む姿勢をとる。


「えっと……次の話――ぅわわわわっ!?」


 互いに軽く目配せしたのを合図に、朝日が『「?」の童話』のページをめくろうとした……まさにその時である。高雄が突然、突拍子もない声をあげた。唐突にして瞬時に、股下に感じた妙な振動と共に彼の目線が一メートル以上高くなったためである。

 もちろん彼の背丈が急激に伸びたわけではなく、彼の立っていた足元の床板がせり上がったというわけでもなく。


「へっへー。呼ばれてないけど、じゃんじゃじゃーんっ」


 底抜けに楽しそうな声と共に現れた、榛名がその原因であった。状況としては、背後から近づいた彼女が高雄を肩車した形である。

 図書室の扉に彼が背を向けていたこと、朝日と共にテーブル上の本に集中していたことが、榛名からの奇襲を許す要因となってしまった。

 ついでに、彼女としては珍しく図書室へ静かに入ってきたことも、彼がその存在に気づけなかった理由の一つだろう。


「ちょちょ、ハルナ! いきなりなにす――うわっ……ったっと!」


 彼の両膝は榛名が手で押さえてくれてくれているとはいえ、不安定なことには変わりない。高雄は喋ることもままならず、両手をばたつかせることでどうにか上半身のバランスをとっていた。


「にひひー。驚いたか? 驚いただろぉ……そして読書娘。ちぃーっす」


「どうも」


 彼女の頭上で、非常に不安定な姿勢をどうにか維持しようと苦戦している高雄のことなどお構いなしに――榛名は朝日へと挨拶した。


「たしか、ハルナ先輩でよろしかったですよね?」


「おっ――おおおぉぉぉっ!?」


 榛名は大いに驚愕し、歓喜の声をあげた。朝日が目を見て返事をしてくれたうえ、どこで聞いたのか彼女の名を呼んでくれたことに対する驚きと喜びである。

 それだけならよかったのだが、榛名は文字通り手放しで喜び、朝日をその胸にぎゅーっと抱きしめた。


「だぁ――っ!? ちょ、ハルナ!? 手! 手を離さ――っ」


 まるで子犬と戯れる時のように、榛名は朝日を胸にうずめてガシガシと頭を撫でる。

 そうなれば当然、榛名の両手を添えられていた高雄の膝は、その支えを失ったわけで……。


「――げふぉっ!」


 ピサの斜塔のように彼の上半身がぐらりと傾き、懸命に姿勢を戻そうとする努力も虚しく、そのまま後頭部から床へ派手な音を立てて落下した。

 無論、榛名は自身の背後で高雄がそのような目に遭っていることなど気づかず、朝日は落下音には気づいたがその頭部はがっちりと榛名にホールドされてしまっているため、身動きがとれない。


「がぁ……あ……ぐぉぉぅ……」


「なぁおい聞いたか? おい聞いたかよ!? 読書娘が初めてあたいの目ぇ見て話したよおい!」


 高雄は衝撃と痛みにもがき、榛名は朝日を抱きしめたまま歓喜してはしゃいでいるという、一見するとわけがわからないシュールな光景である。

 娘か妹のような扱いを受け、それでも特に抵抗などはしなかった朝日だったが、榛名の豊満な胸に顔を押し付けられたままモゴモゴと声を出した。


「榛名先輩。胸が苦しいです」


「あん? 具合でも悪ぃのか?」


「いえ。先輩の胸に押し付けられているため、息が苦しいということです」


「あ、悪ぃ悪ぃ……」


「――ぷはっ」


 朝日の小さな声と共に、彼女の顔がようやく榛名の胸――柔らかな肉の圧迫から解放される。

 しかし榛名の手は彼女の両肩に置かれたままだった。がっしりと掴まれているあたり、まだ離す気はないようだ。


「でもよ、なんであたいの名前知ってんだ?」


「先ぱ――高雄先輩から聞きました」


「あ、そうだったのか」


 彼女にしては珍しく真剣味あふれる表情で、じいいぃぃ……と朝日の顔を見つめる。朝日も無表情のままで榛名を見上げているものだから、はたから見れば両者が睨み合っていると思われてもおかしくはない……常人であれば、彼女たちよりも床に寝転がって後頭部を押さえて悶絶している高雄の方に目が行くだろうが。


「……身体、ちっこいな」


「先輩は大きいですね」


 まじまじと互いを見つめ合ったまま、そんな言葉を交わす。

 事実、両者の間には大人と子ども並の身長差があった。榛名が百八十センチ近く、朝日は百五十センチに届かない程度という、どちらも極端なのが原因だが。


「……目、大きいな」


「先輩もだと思いますが」


 もはやその一帯は二人だけの空間になってしまっていると言っても、過言ではなかった。

 視線も表情もそのままに、榛名は両手を朝日の頬へと移す。


「……ほっぺ、プニプニだな」


「そうですか」


 朝日からすれば頬を包む榛名の手のひらは暖炉のようにポカポカと暖かく、榛名からすれば朝日の頬は少々ヒンヤリとしているが極上マシュマロのように美白で柔らかだった。


「……えいっ」


「むにぅ」


 悪戯心にくすぐられ、決して強くない力で朝日の両頬が引っ張られた。

 伸び方、弾力ともに突き立ての餅という印象である。

 それに加え、視線も表情もぶれさせずにされるがままな朝日の様子が、榛名の心をこれでもかと揺さぶった。


「……要するにだな読書娘」


「ひゃい?」


「――っかっわいいじゃねぇかコンニャロめー!」


「わぷっ」


 朝日の頭部は再び榛名の胸へとうずめられた。先ほどよりもしっかりと強烈に。そして頭頂部から後頭部にかけて、榛名の手でガシガシと撫でられる。

 榛名の悪い癖と言ってもいいかもしれない、彼女なりのスキンシップだった。もちろんそこに悪意などは微塵もない。純粋に可愛いと思ったから――お気に召したからの行動である。

 しかし愛情を振りまくのはいいが、男女関係なく所構わずこういった身体密着状態を生み出すため、時と場合によるがされる側からしたらたまったものではない……もちろん喜ぶ人間も少なからずいるだろうが。


「なぁタカ! こいつってばかわいい――ありゃ、大丈夫か?」


「あが……く、首が……昨日のコブも……」


「コブ?」


「いや、こっちの話……いてて」


 後頭部と首をさすりながら、高雄はのっそりと起き上がった。床に向けての垂直落下だったが、幸いにして外傷や骨折はしていないようである。念のため床板も調べてみたが、特に凹んでしまっていたりはしておらず彼はホッと息をつく――どちらかといえば自身の身体よりも床の方に気がかりの比重を置いていたあたりが、また高雄らしいと言える。


「ったく……肩車したんなら下ろすまでちゃんと足掴んでてくれよ」


「あはは、悪ぃ悪ぃ……つーかさ、落ちそうならあたいの頭にでも掴まればよかったじゃんか」


「――んなこと出来るかっ!」


 思わず声を張って反論してしまった高雄だが、当の榛名は「意味がわからない」という表情で首を傾げるだけだった。


「なんでだ? 昨夜もちゃんと風呂入ったし、今日は体育もなかったから汗かいてないし」


「汚いかどうかじゃないっつーの……」


 高雄はズキズキと痛む後頭部をさすりつつため息をついた。

 自分が落下しそうだからといって、軽々しく異性の頭部を両手でわし掴みにするなど――少なくとも彼はそんな図太い神経……もしくは勇気とも言えるか。相手が気心知れた榛名だったとはいえ、そんなたいそうなものを高雄は持ち合わせていなかった。

 年頃の男の子としての難しさというか、苦しみとでも言えばいいのか――そういった微妙な感情を榛名にも少しは理解して欲しいと望んではいるが……まぁ現状はこの通りである。取り付く島がないというか、望むべくもない。


「先輩、私はわかってますから」


 あっけらかんとしている榛名と対極的に肩を落としていた彼へと、朝日が声をかける。見上げれば彼女の顔は彼と同じ高さにあり、彼の制服の肩についていた埃を手で払ってくれていた。


「そっか……わかってくれるか」


「はい」


(――あぁ。なんていい子だ)


 いつも通りの無表情な顔で無感情な声ではあったが、それでも今の高雄にとっては天使の言葉と称してもいいほどにありがたいものだった。どんな状況であれ、多くを語らずとも胸の内を理解してくれる人がいるというのはとても心強い。

 そう思い、彼がお礼を言いかけた時に彼女が言葉を続けた。


「高いところに登ると、思わず手を離したくなりますよね」


「……うん、そうだね」


 彼はゆっくりと落胆し、再びため息をついた。

 これ以上の理解を求める気も、榛名へ文句を垂れる気も――後者については最初からそこまでする気はなかったが、それら諸々を含めた気力という気力が、彼女の一言で全て吹き飛んでしまった。まるで風船の空気が漏れて、すっかりしぼんでしまったかのように。


「榛名先輩。頭が重いのですが」


「んー? あたいは楽チンだぞー」


 彼女たちの会話に高雄は顔を上げ、そしてすぐに目をそらす。

 一度は解放されたらしい朝日が再び榛名に掴まっており、彼女の頭に榛名の大きな胸が乗せられていたからである。


「いやぁー、重いからなぁ。すぐに肩こっちまうんだよ……ついでにお前さんも抱きしめられるし」


「今この場で私を抱きしめる必要性が感じられませんが」


「まぁまぁ、こまかいこたぁ気にすんなって……うりうりー」


「むにゅ」


 よほどその触り心地が気に入ったのか、朝日の色白な頬肉がパン生地か何かのようにこねくり回された。

 心底楽しそうな様子の榛名に、感情は読めないがおそらく困惑しているであろう朝日、そしてひっそりと顔を紅潮させている高雄の図である。


「先輩。なぜあさっての方向を向いているのですか」


「……男心ってやつだよ。理解しなくてもいいけど」


「ぷにぷにーっと。にひひっ」


 好奇心と良心と自制心……その他諸々の感情たちと戦い、彼は耐えていた。

 されるがままになっている朝日の様子を見てみたい気持ちもあったが、そうなると榛名の胸元に目がいってしまいそうなのは否定できない。それはやはり男としてダメなんじゃないのかとも思うわけで……。

 とにかく、初めて会話らしい会話をした両者がいきなり犬猿の仲とならなかったことに安堵しつつも、やはり目のやり場には困って彼女達を直視出来ないでいる高雄だった。



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