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Fennel 2

 彼らは最初の見開きページに書かれていた物語を、お互いにもう一度読み返してみることにした。

 その行動に大した時間は要しない。挿絵こそなかったが童話というだけあり……文字は大きく、行間は広く、それでいてたった二ページに物語の最初から最後までが記されている。




 『青い犬』


 ――むかしむかし、あるところに貧しい兄妹がいました。二人は母親と共に暮らしていました。


 ある日、彼らの母親が病に倒れてしまいました。


 医者に見せることの出来ない兄妹は、「しあわせの青い犬を見つければ母の病気は治る」という話を耳にします。


 兄弟は青い犬を探しに旅に出ました。


 たくさんの山を越えました。


 たくさんの森を抜けました。


 たくさんの川を渡りました。


 いくつもの朝が来て、いくつもの夜が過ぎました。


 けれど青い犬は、どこにもいませんでした。


 二人はとうとう、青い犬を捕まえられずに彼らの家へと帰りました。


 彼らに「おかえり」と言ってくれる人は、もういませんでした――。




 昨夜と同じように、その見開きページに書かれた文章を読み終えた高雄。彼はまたひと呼吸おいてから、再び同じ感想の言葉を口にした。


「……なんだこりゃ」


「ですよね」


 またも朝日が即答で同意する。

 今の彼らの姿を漫画チックなイラストで描けば、きっと頭の上にクエスチョンマークを書き足さずにはいられないだろう……そんな疑問符だらけの空気が、二人の間に流れている。

 そこで高雄はふと気付き、テーブル上の本を手元に引き寄せた。

 一般的な童話の本よりもずっとちゃちな作りで、本自体の厚みも薄っぺら。しかし少ないページ数ではあるが、それでも彼らが今目にしている見開きページだけがこの本の全てではないはずである。そう、続きがあるのだ。


「あのさ。次のページを……ちょっとだけ見てもいいかな?」


 まだ読んでいないページが存在しているということは、その先のページにもきっと何かが書かれているはずなのだ。それがこの『青い犬』という話の、直接の続きであるのかは分からないが……どちらにせよその先に何が書かれているのかを知ってから、このお話の感想について検討したほうがいいだろうという、高雄なりの判断である。


「しっかり読んだりはしないからさ、チラッと確認するだけ……」


「かまいませんが」


 制止されるかとも思ったが、彼女からの返事は彼の想像よりもあっさりしたものだった。


「……いいんだ?」


「私も最初にこの本を読んだときに確認しましたので」


 朝日が口にしたその答えは、高雄からすれば意外であった。そして嫌な予感が彼の脳裏に浮かぶ。彼女もこのページの先へ目を通し……それでいて最初のページから未だに読み進めていないこと、彼と同じ感想を抱いたということは……である。

 自分の予想が外れてくれていることを祈りつつ、高雄は発言通りのチラ見程度にページをめくってみた。


「……うん」


 そこに書かれていた内容を流し読み程度に確認するとすぐにページを戻し、そのままパタリと本を閉じる。

 傍らの椅子に腰掛けたままの朝日が見上げる彼の顔は、なんとも言えない哀愁を帯びた表情をしていた。出来れば見たくなかったと言わんばかりに高雄はゆっくりと目を閉じ、静かにつぶやいた。


「違う話だった」


「そうですね」


 すでに朝日はそのことを知っていたため、さらりと同意した。

 高雄がたった今確認した事実……最初の見開きページの、その次項。そこにはまったく別の話が綴られていた。

 それが何を意味するか。要するに『青い犬』という話は、この見開きページのみで終わっているということである。このたった二ページに記されている内容だけで、この話は終わりだということだ。

 その事実が余計に、読者である彼らの頭を静かに混乱させる。


「となると、ますます意味がわからないんだけど」


「そうですね」


 高雄は疑問符しか浮かばないその本をそっと朝日に返す。まだ最初の話しか読んでいないが、それだけでも題字の通りの本だと思える。

 話の長さに関しては特に問題はないはずだ。童話ということだし、本のサイズやらを考えても、一つのお話を見開き二ページに収めようと思ったらこんなものだろう――問題は、その内容である。

 ここにきて高雄は、司書室で朝日が口にしたこの本への感想――「この本は意味がわかりません」という彼女の言葉の意味が、ようやくわかった気がした。

 そして現状では彼もそれに賛同するしかない。それ以外の感想が思いつかないのだから。


「これは……なんだ? いや、本当になんなのこれ」


「私も初めてこの本を読んだときは、そんな感じでした」


 イヤホンのコードが絡まるように頭の中がぐちゃぐちゃと混乱していた高雄だったが、彼女のその言葉によって多少の落ち着きを取り戻すことが出来た。

 しかし冷静になれたからといって、彼らが目にした本の中身が変化しているわけでもない。というか、冷静になって考えれば考えるほどに意味不明さが増していく。

 ともあれ彼らは、目の前の本に書かれているその童話……らしきものについて、彼らなりの推測と検証を試みることにした。そのきっかけはやはり朝日の発言だった――高雄はこのお話についてどう思うかという質問をぶつけてきたのである。


「そう聞かれても……なんと言ったらいいのか」


「率直なご意見でかまわないのですが」


「うーん。率直ね……まず、タイトルからして意味不明でしょ」


 タイミングを計ったかのように朝日が再びその本を開き、高雄がページ右端のタイトル部分を指差す。白地に黒文字で書かれている、『青い犬』という題字――彼の人生の中で何度も目にし、読んだことのある似たようなタイトルの童話しか思い浮かばなかった。


「っていうかこれさ、どう考えても『青い鳥』そのまんまだよね?」


「オマージュでしょうか」


「このレベルなら、もうパクリと言ったほうがいいんじゃないかと……さすがに兄妹の名前こそ出してないけど、内容はほとんど同じだし」


 二人の言う通りで、この話がかの有名なフランス産の童話劇『青い鳥』を意識しているであろうことは明白であった。

 この本の作者に悪意があったかどうかまでは分からないが――要約されたうえに結末まで変えられてしまっており、もはや改悪の域に達していると思えるデキだ。鳥を犬にする理由も見当たらない。


「まとめるとさ……『お母さんの病気を治せる、幸せの青い犬は見つかりませんでした』で、しかも最後はお母さん死んじゃってるか家からいなくなっちゃってるでしょこれ」


「おそらくですが、そうなりますね」


「……報われねー」


 彼も思わず眉を八の字にしてぼやいてしまう、なんとも味気ないバッドエンドぶりである。狙ってやっているのであれば良くも悪くも見事としか言えない。高雄は小説等でのバッドエンドを頭ごなしに否定する気はないが……ここまで誰も救われず、しかも投げっぱなしで終わるというのは読んでみて気持ちがいいものではない。少なくとも彼にとっては。


「一応、童話の体は成していると思いますが」


「……見た目にはね。でもこれ、子どもが読んだとして面白いと思えるかっていうと、また微妙というか」


「そうですね」


 二人は視線を落とし、そのページを見つめる――もう何度目かわからぬ、その本を読むという行為。何度読み直したところでその内容が変わるわけもないのだが、それでも色々な意味で読み返さずにはいられない。


「うーん……まさに本のタイトル通りというか」


「はい。面白いかどうかというより、疑問しか浮かびません」


「……だよなぁ」


 朝日が以前言っていた「この本が存在する意味がわからない」という言葉も、今の自分ならその発言の意味がわかるし、まったくもって同意――彼女と同じ気持ちだと高雄は自覚した。もしこの先のページにも、同じように謎を感じるしかない童話が書かれているとしたらそれは尚更に。


 高雄はしばし、この童話――『青い犬』という話の、意味するところを検討し始める。

 無言のままテーブルを離れ、図書室内をゆっくりと歩きつつ顎に手をやり思考力の全てをその問題へと注ぎ込む。その間も朝日は変わらず、無表情のままその本と向き合い続けていた。



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