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Ranunculus 5

(お……落ち着かない……)


 客間と呼ぶにはいささか広すぎる気がするその部屋で、高雄は心中穏やかでなく朝日を待っていた。

 落ち着かないというのは部屋が広すぎるだけが原因ではなく、戻ってきたスーツの男達――この家の使用人達が傍らで高雄の様子をジッと見守っているというのが大きい。まるで監視されている囚人か何かにでもなった気分である。もちろん彼らがそうしている理由は、「高雄が頭をぶつけたことによる健康状態への異常が出ないかどうかを見守る」という、気遣いからではあるが。


(……あったかい)


 何もしていないと余計に緊張が持続するような気がして、高雄はさきほど春日から差し出されたお茶と和菓子に手を伸ばす。

 上品な湯呑みの中で湯気を漂わす緑茶は、これぞ日本のお茶だと言わしめんばかりの味と香りが感じられ――雪うさぎを模したらしい白の饅頭は、可愛げな見た目に引けを取らず食感も中のあんこも絶品と呼ぶほかない。


(ハルナが食べたら泣いて喜ぶ……あ、いや。嫌いだったか……)


 上品なだけでなく絶品であるその和菓子を口にしつつ高雄は彼女の姿を思い浮かべるが、すぐに「榛名は甘いものが苦手」だという事実を思い出す。泣いて喜ぶどころか、むしろ泣いて逃げ出す姿の方が想像に容易い。一見すると底なし見境なしの大食いであるが、彼女も人の子であり弱点というものはきちんと存在しているのだ。


「……あのぅ」


「はいっ! なんでしょう高雄様っ!」


 お茶も菓子も逸品ではあったが心穏やかとはならず、むしろ時間が経過するごとに緊張感は高まり、高雄はついに使用人達に向けて口を開いた。


「その、そんなにジッと見られてると……なんていうか、緊張してしまうというか……」


「これは失礼致しましたっ!」


 お前らは兄弟かロボットかと言いたくなるほどに息ピッタリで声を揃え、まるで軍隊のように統制された動きで彼らは一礼し、全員が身体の向きを九十度変えた。


「これでよろしいでしょうか!」


「もう、それでいいです……」


 できれば視線を外すだけじゃなく、退室してもらい一人にして欲しかったのが高雄の本音ではあるがハッキリとは言えず妥協するしかなかった。

 そんな状況で高雄が小さなため息を漏らしたその時である。足音は聞き取れなかったが、障子の向こう側に人影が一つ映っていた。その人影の小柄さからして春日や、まして使用人の男達のものでないことは明らかだった。


「先輩、起きてますか?」


「……朝日?」


 彼女の声に反応した使用人の一人が、「よろしいですか」と高雄へ目配せしてきたため、彼は無言で頷き了承した。

 使用人達は障子の前に並び、そっと障子を開いて彼女を迎える。まるで殿様か、お姫様の入室だった。


「失礼します」


(……!?)


 部屋へと入ってきた朝日の姿に、高雄は圧倒され息を呑んだ。美しかった――あまりにも、美しすぎる。

 普段からそうなのか、春日の言っていた「お稽古」のための格好なのかは分からないが……朝日は振袖姿であった。空か海を連想させる鮮やかな薄青色の生地に白と桃色の花びら……桜の花が散りばめられ、そよ風に踊るように咲き誇っている。

 彼は目利きなど出来ぬが、その着物だけでも一級品と思えた。それをあの朝日が着用し、これ以上ないほど似合っているのだからたまらない。それは宝石の装飾で宝石を彩るようなものであり、人形などといったツクリモノでは到底出せない……まさに生の美しさであった。


「先輩、お待たせしました」


「………………」


「先輩?」


「えっ……あ、ああ……」


 生返事をしつつ高雄は朝日から目を逸らして頬をかく。日常で和服姿の女性を見慣れていないということも手伝って、今の朝日の姿は直視するには照れくさく、視界の端にいてもまぶしすぎるほどだった。


「すみません。しばらく先輩と私だけに」


「かしこまりましたっ!」


 そんな彼の気持ちを汲み取ったかどうかは定かでないが、ともかく朝日は使用人達を退室させた。彼らが残っていたとしても窮屈さとは無縁な広さの室内に二人だけが残され、少しばかりの緊張感を伴う静寂が漂う。そんな中で先に口を開いたのは、朝日であった。


「先輩、後頭部の具合はいかがですか」


「ちょっと痛いけど……まぁタンコブだけだって言ってたし」


 医者に診てもらっているというのも心強いし、そもそも小さい頃に榛名たちと遊んでいた時にはこんなこと日常茶飯事であった。鏡を二枚用意しないと自身では確認のしようがないが、それほど大事には至っていないだろうと高雄は返答した。

 だがそんな彼に、彼女は何を思ってか正座のまま身を乗り出すように質問を続ける。


「記憶喪失になっていたりはしませんか? もしくは新しい力に目覚めたりですとか」


「……たぶん、そういったご期待には添えないかと」


「そうですか」


(……もしかして、ちょっとガッカリしてる……?)


 無表情ゆえに確かめようがないが、彼女は少し残念に思っているのではないかと高雄は考察した。その想像というか、妄想の内容が子どもじみているのはともかくとして。


「先輩、遅くなりましたが」


「……なんでしょうか?」


「すみませんでした」


 つい先ほど春日や正勝や使用人達がそうしていたように、朝日も謝罪の言葉と共に深く頭を下げる。初めから気にしてなどいなかった高雄にしてみれば、心苦しいことこの上なかった。


「あ……い、いいよいいよ。全然気にしてないから……ところでさ、僕のカバン知らない?」


 高雄は左右をきょろきょろと見回し、一応の確認をするが彼が探しているお目当ての物は見当たらなかった。


「そこにあります。先輩の後ろ」


「あっ、こんなとこに……」


 枕もとの上……彼の背後に置かれていたカバンを手に取り、彼は中身を確認して一冊の本を取り出した。

 朝日から、明日の放課後までという約束でいつものように預かっていたあの本である。


「よかった。無事だった……あのさ、この本のことなんだけど……」


「そういえば、相談したいことがあると言ってましたね」


「覚えてたんだ?」


「それをお聞きするために、帰り道をご一緒したわけですから」


 予期せぬトラブルを挟み……さらに自分が目を覚ますまでの時間を経て、それでもその話を覚えていてくれたということに、高雄は朝日に感謝すると共に少しの感激に近い感情を覚える。

 けれど朝日にはのんびりと話をしている暇は無いらしく、高雄が話を切り出そうとしたちょうどその時、一人の使用人が彼女に用件を告げるために訪室してきた。


「失礼致します……お嬢様、先生の準備が整われたそうですが」


「そうですか。すぐに――」


「……?」


「すみませんが、先生には少し遅れるとお伝えしてください」


「かしこまりました」


 すぐに向かいます、と――朝日はそう言いかけたが高雄の顔を見て、使用人に言いかけた自身の言葉を訂正した。


「よ、良かったの? 忙しいんじゃ……」


「良くはないでしょうが、これ以上先輩を待たせるというのも良くないと思います。それで、ご相談というのは?」


「あ、えっと……」


 高雄は少し戸惑い、しかし少しの迷いを振り払って口を開く。カバンの上に置いた、『「?」の童話』とだけ書かれたその小さな本へ手をやりながら。


「この本についてなんだけどさ……その、僕も読んじゃダメかなって……そういう質問っていうか、相談というか」


「その本を、ですか」


 何かを考える時の、彼女特有の癖なのか。

 朝日は自身の下唇へと右手の人差し指をつけて、しばし口を閉ざした。


「あ……もちろん朝日がダメだって言うんなら、これまで通り僕は読まずに預かってるだけでも……」


「先輩」


「は、はいっ……」


「一つ、約束してもらえませんか?」


 高雄が自身の発言をフォローしている最中に、朝日は答えを導けたのか再び口を開く。彼女が返してきた言葉は答えではなく、答えを出すための質問であった。


「約束……?」


「先輩がその本を読むことはかまいません。ですが、私と同じ所までにしておいて欲しいのです」


「……僕が読んでいいのは朝日が読んだページまでで、それ以上は読み進めるなと」


「その通りです。ワガママなのはわかっていますが、お願いしたいです」


「……わかったよ。約束する」


「ありがとうございます。私が読んでいたページには(しおり)が挿んでありますので、よろしくお願いします」


 彼は二つ返事で承諾し……彼女がもう一度、今度は謝罪ではなく彼に頭を下げる。

 その本の中身が気になっての相談で、拒否される可能性も想定していたのだから高雄が彼女の申し出を断る理由はなかった。


「それで、ご相談はそれだけでしょうか」


「う、うん。それだけです」


「それではすみませんが、私はこれで失礼させていただきます。先生をお待たせしていますので」


「……お稽古ってやつ?」


「はい。さっきまでは活け花の、今お待たせしているのは茶道の先生です」


「そ、そうですか……」


 ――英才教育。

 高雄の脳裏に、そんな言葉が浮かんだ。

 静かにその場を去ろうとする朝日は、障子に手を掛けたところで再び高雄の方へと顔を向けた。


「先輩の帰りについてですが勝さんにお願いしておきますので、この部屋で待っていてください」


「勝さんって……えっと、正勝さんのこと?」


「はい、正勝さんのことです。それと」


「……?」


 障子を開きかけ、彼女は手を止めた。

 高雄へと向けられていた小さなその顔はすでに前を向いており、今どんな表情なのか彼からは確認出来ない。見えずとも、高雄には無表情以外の顔が思い浮かばないというのが正直なところであるが。


「先輩が目を覚ましてよかったです」


「あ……心配かけちゃった?」


「はい。活け花の先生にも、今日は身が入っていないと叱られてしまいました」


「そ、そっか……なんかごめん」


「いえ、怪我をさせたのはこちらですから。それでは」


 朝日はそう言い、静かに部屋を去って行った。

 後に残された高雄が息をついたのを見計らったかのように、今度は正勝が「失礼します」の声と共に障子を開く。


「あ、えっと……正勝さん? あの、帰りのことなんですけど……」


「へい。お嬢から伺っております。お帰りになられますか?」


「あ、はい……それでその、商店街前の交差点までの道を教えて欲しいんですけど……」


「……まさか、歩いてお帰りになられるおつもりで?」


「ひぅ……っ」


 本人に悪気は無いのだろうが……スーツにサングラス。さらに顔に傷というオマケ付きでは、ただの質問であっても相手は戦々恐々としてしまうのが常だ――今の高雄のように。


「そ、その……そのつもり……なんですが」


「とんでもない! あっしが車で遅らせてもらいやす!」


「い、いやあの、歩いていきま――」


「そんなことおっしゃらずに! 怪我をさせたうえに歩いて帰らせたとなっちゃ、面目が立ちません……おい、お前ら!」


「はい! なんでしょうか!」


 すでに向こう側でスタンバイしていたのか……正勝の呼びかけで障子が開かれ、そこには二人の使用人が膝をついていた。

 その様子も迫力も、やはりどこか極道映画のようである。


「冷えた車内に乗ってもらうわけにはいかねぇ……先に行ってエンジンかけておけ!」


「あ、あの、本当におかまいな――」


「承知いたしやしたぁ!」


 高雄の遠慮など何処吹く風である。

 正勝が指示した二人の使用人は――先にそれを遂行すればボーナスでもあるのか、我先にと争うように廊下を走り去っていった。


「すみませんがしばらくお待ちになってください。五分もすれば暖まるかと思いやすんで」


「は、はぁ……わかりました。すみません……」


 この様子ではどれだけ遠慮の言葉を並べてもおそらく無駄であろう。高雄は仕方なく――と言っては失礼かもしれないが、素直に彼らのご厚意に甘えることにした。吐いたため息は聞かれずに済んだが、高雄の顔色があまりよくないことは気付かれた。


「高雄さん、もしや具合がよろしくないんで……? なんなら、車まであっしがおぶって行きますが?」


「大丈夫です歩けますからっ! 全っ然元気ですから!」


 さすがにそれだけは遠慮したいということで、高雄は失礼だけは無いよう全力でお断りした。

 正勝は見た目が怖くとも、中身はそうとう良い人らしい。その後も次々と高雄を気遣っての声をかけてくれたが……その度に彼が肝を冷やし、心臓が跳ね上がる思いをすることになったのには、「有り難迷惑」という言葉がピッタリかもしれない。



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