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Ranunculus 2

「聞きたいこと、ですか?」


「うん。……っていうか相談したいこと、になるのかな。この場合」


 いつも通りに朝日からその本を受け取りながら、高雄は答える。

 時刻は夕方六時。下校の鐘と司書室で爆睡している音羽のいびき声が混じり、とんでもない不協和音が図書室に響き渡る中でのことであった。


「と言いましても、おそらく私はあなたよりも人生経験が少ないでしょうから参考になるかどうか」


「いや、進路の相談じゃなくてね……」


「では老後についてでしょうか? でしたら尚更、私のような若輩者ではなく」


「いやいや、これについてなんだけど……」


「ああ。この本ですか」


 朝日は高雄へと渡した本――『「?」の童話』を見つめ、それから壁の時計をチラリと見て、答えた。


「そのお話、明日の放課後ではダメでしょうか?」


「んーと……それだと明日まで僕がモヤモヤしてしまうというか」


「そうですか。ムラムラしてしまうのですか」


「……それはわざと? それとも奇跡的な聞き間違いですか?」


 明確な悪意を持ってかどうかはさておいて、彼の質問を気にすることはなく彼女はもう一度時計の盤面を確認し、自身の下唇へと人差し指をつけた。そのジェスチャーから推測するしかないが、おそらくは時間を確認してから頭の中で何か検討しているのであろう。


「あ……もしかして急いでる? 時間ない?」


「いえ。急いでいますが、時間はあります」


「……どゆこと?」


「家に帰ってからの予定はありますが、逆に言うと家に帰るまでの下校時間分は空いているということです。急いでいるというのは人を待たせていますので」


「あ、あぁ。そういうこと……」


 ならば仕方がない。彼女の言うように、明日の放課後まで待つか……高雄がそう思った時だった。朝日が突然、無表情のままでその言葉を口にする。


「あなたのお家はどこですか?」


「……『犬のおまわりさん』?」


「童謡ではなく、純粋な質問です。あなたが学園を出た後の通学路、帰路についてお聞きしています」


「……えっと、商店街を抜けた先の住宅街に」


「商店街を抜けた先の交差点をどちらに?」


「み、右に行きますけど……」


「私の家は左に曲がった先です」


「は……はぁ。そうですか」


 思わず、またしても彼は彼女の質問に敬語で返答してしまった。「後輩相手に何を怖気づいているのか」と言う者がいるのであれば、実際に彼女と対話するべきである。きっと彼と同じような心境、同じような対応になってしまうはずだ。

 そんな彼の戸惑いなど関係なく、朝日はある提案を持ち掛けてきた。


「どうでしょう。よろしければ商店街を抜けるまで、ご一緒に」


「……え?」


「帰り道の途中まで同伴すれば、その間に私があなたからの質問というのに答えることが出来ます。歩きながらになりますが」


「えっと……それっ……って!?」


 高雄は彼女の行動に驚き、半歩引く思いで軽く仰け反った。「ですが」と口にすると同時に、至近距離までグイと近付いてきたからである。感情が全く移っていない両の眼で彼を見据えながら。


「私は構わないのですが、そのためにはあなたに少々協力していただく必要があります」


「え、えーっと……ぐ、具体的に僕は何をすれば……」


「携帯電話という物をお持ちですか?」


「け、ケータイ……? ……えっと」


 軽く慌てつつポケットをまさぐり、彼は自分の携帯電話を取り出した。一応スマートフォンではあるが、既に型落ちしてすっかり旧世代扱いされている代物である。もちろん携帯電話としての機能には何の不足もないので、今のところ特に不満もなく使用しているが。


「……持ってますけど」


「電話を掛けるために使用させていただきたいのですが、お借りしてもよろしいでしょうか」


「え……あ、ケータイを家に忘れてきたとか?」


「いえ。もともと所有していません」


 一人で複数の携帯電話を所持することも珍しくないこの現代で、とんでもない天然記念物もいたもんだと彼は素直に思った。彼女はおそらく、この学園内なら片手で数えられるほどの希少種か絶滅危惧種にカテゴリーされるだろう。


「そ、そう……いいよ。使って」


「ありがとうございます。お借りします」


 携帯電話を手渡したところで、ようやく彼女は密着寸前の至近距離から離れてくれた。べつに何が起きるわけでもないと分かっていたとはいえ、高雄はホッと胸を撫で下ろして深く息をつく。異性との予想外の接近というのは、どうしたって心拍数が上昇するものである。

 だが朝日は一向に操作する気配を見せず、なぜか両手を使ってさまざまな角度から彼の携帯電話を凝視していた。まるで精密機器の検査現場のようである。さすがにその様子をただ見ているというわけにもいかず、「どうしたのか」と彼は尋ねてみた。


「これはどうやって開くのですか?」


「……開く?」


「以前クラスメイトが使用していたのを見たことがあるのですが、たしか二つ折りで通話時には開いていた記憶があります」


「………………」


 高雄は言葉を失い少しだけ固まったが、すぐにこれがフラットタイプのスマートフォンという機種であり開閉機能は無いこと、さらにタッチパネルによる操作を主体としていることを手早く簡単に説明した。

 人によっては彼女に対し呆れかえるか、ひょっとしたら憤りを覚える者もいるかもしれない……しかし高雄はそのどちらでもなくただ事実を受け止めてそれに応えた。彼女がどんな環境で育ってきたのかは分からないが、知らないなら仕方ないのだから、と。

 説明を受けた朝日は、まるで時限爆弾でも解体するかのように慎重な手つきで番号を入力していく。幸いにして電話はすぐに繋がったらしい。


「もしもし、朝日です。いえ、偽物ではなく本物です。はい? いえ。怪我も事故もしていません。今は学園の中ですがこれから帰るところです」


(いきなり疑われて猛烈に心配されとる……)


「申し訳ありませんが、今日は私を待たずに先に帰っていてください。はい。え? そうですか、わかりました」


(……終わったか)


「ありがとうございました。お返しします」


「どういたしまして……」


 一体どんな通話内容なのかと気にはなったが、さすがに口に出して訊くのは(はばか)られる。高雄はあまり深く考えないようにし、朝日の手から携帯電話を受け取った。


「一つ、お聞きしてもいいでしょうか」


「ん……なに?」


「帰り道で、あなたは私を襲いませんよね?」


「――ぶふっ!?」


 吹いた。

 特に飲み物を口に含んだりはしていなかったが、目の前の少女からのトンデモ発言に高雄は驚愕し、下を向いて盛大に吹いた。鼻水までちょっとだけ垂れてしまったほどである。もし何かを飲んでいる最中であったなら涙目でむせるか、夕陽に照らされる鮮やかで小さな虹を口元から出現させていたに違いない。


「えっ……いや、なに? どういうことっていうか……いや、そういうことなんだろうけど、なんで?」


「もし道中で男性に襲われたなら、すぐに連絡するか近隣住民の方に大声で助けを求めるようにと言われました」


「……恐竜が蘇るくらいの奇跡が起きても襲いませんので、大丈夫です」


「そうですか。わかりました」


 女子に触れるどころか、接近するのすら恥じらいを感じる年頃。加えて「そんなことをするほどの甲斐性はない」と彼は思ったが、口に出してしまうとなんだか自分自身が惨めになるような気がしたので止めておいた。


「……よし。それじゃ行こうか」


「そうですね」


 今日に限っては図書室の施錠をする必要がないため、帰り支度が終わるのは早いものだった。カバンを持ち、二人揃って廊下へと……出る前に高雄はハッとして踵を返した。


「どうしました?」


「ごめん。ちょっと待ってて……」


 司書室にて眠れる獅子……もとい、音羽の様子を確認する。下校した後のことは和泉に任せていいとはいえ、なにせ相手が相手だ。念を入れておくに越したことはない。


「……よし。寝てるな」


「寝ていますね」


「ん~……ぎぎぎぎぎぎぃ……」


 いびきが治まっているかと思えば、今度は歯軋りのオーケストラが始まっていた。耳障りなその音は、子どもが泣き叫ぶ歯医者でのドリル音に匹敵するものがある。そして未だに彼女の鼻には、小さな笑いの神が舞い降りていた。


「あの鼻ちょうちん、指でつついてみたいのですが」


「絶対にやめてくださいお願いだから」


 触らぬ邪神に祟りなし。

 たとえトイレの床に額をこすりつけて土下座するハメになろうが、それだけはなんとしても阻止しなければならないと高雄は覚悟を決めて懇願する。

 だが朝日は「言ってみただけです」とのことで、あっさり引き下がってくれたため事なきを得たのだった。

 いよいよ彼らが図書室を離れ、廊下をしばらく進んだところで高雄は「肩の荷が降りた」と胸を撫でて深呼吸をする。


「核爆発が起きる前に帰れてよかったよ……」


「あの部屋に核兵器が置かれていたのですか?」


「もののたとえだよ……あの酔っ払い美人教師のこと」


「なるほど。そういうことですか」


 高雄が前を、朝日が後ろを。雑談を交わしつつ二人は階段を下りていく。

 踊り場の天窓から覗く空の色は、夕焼けの赤を通り越してすでに夜へと移りつつあった。


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